「で、でも……あそこの店、犬いるよね……?」

 快人くんの言葉に、私は「店?」とつい聞き返した。

 「田辺のおじいちゃんち、お店やってるの?」

 「うん。 定食屋やってる。 そんで、犬も飼ってる」

 「へえ、そうなんだ」

 頷く私の隣で、隼人くんが「おにいちゃん、わんちゃん苦手だから怖いんだよ」と口を尖らせながら言った。快人くんは慌てて「別に怖がってるわけじゃ……別に……」と抗議するも、その声は弱々しくて語尾が尻すぼみしていく。多分、本当に怖いのだろう。

 「ぼくはわんちゃんだいすき! おねえちゃんがあのお店に行くなら、ぼくもぜったい一緒に行く!」

 「お、おいっ」

 快人くんは下ろしている手をぎゅっと握り締めて、困ったように隼人くんを見る。田辺も「どうしようか」とさっきよりも困ったような声色で言った。

 「快人くん。 良かったら、一緒に来ない? 私、快人くんが居てくれると、心強い」

 これは素直な気持ちだった。 正直私も犬が少し怖いし、私と“同じこと”を共有してくれる人がいるのは有難い。

 「ぼく、おねえちゃんと一緒に行くよ! ね、おにいちゃん!」

 田辺と、私と、隼人くんの視線を一気に集めた快人くんは「うっ……」と小さく声を漏らす。

 「そう言うなら、一緒について行ってあげても……僕は、犬は、ぜんぜん怖くないし」

 最後は自分に言い聞かせるみたいに言っていた。隼人くんは「やったー!」と両手を上げて喜ぶ。田辺が「よし。 じゃあ、行こうか」と言ったのを合図に、私と隼人くんは立ち上がって玄関に向かった。

 脱いだ靴を履きながら後ろにいる快人くんの方へ振り向くと、快人くんは仏壇が置いてある部屋をじっと見ていた。

 その様子を見て、ドキリとする。もしかして……そこに、“お父さん”が居たりするのだろうか。

 「……快人くん」

 そっと名前を呼ぶと、快人くんは私の方を向いて「うん」と小さく呟いて、テーブルに置かれていた鍵を手に取ってこちらへ来る。

 「快人ぉ、弟、走って行っちゃったよ」

 玄関の外から田辺が言う。快人くんは「ええっ」と慌てて靴を履こうとするので、「鍵、私が閉めておこうか」と訊く。

 「う、うん、ありがとう」

 鍵を受け取ると、快人くんは田辺の隣を横切って隼人くんを追いかけて行った。私も玄関から出て、振り返る前に一呼吸おく。

 何が見えても驚かないように。そう自分に言い聞かせて、ゆっくり振り返って部屋の中を見てみたけれど、そこには誰の姿もなかった。ちょっとだけほっとして、扉のドアノブに手をかけた。

 「新名」

 扉を閉めながら振り返ると田辺と目が合った。

 「……もしも、じいちゃんが俺のこと見えなかったら、じいちゃんに全部、伝えてほしい」

 そう言って、田辺は少し俯く。前髪が目元にかかって、表情がよく見えなくなる。

 けれど、田辺の手はぎゅっと硬く握られていて微かに震えているようで、私は、ここで自分が弱音を吐いてはいけないなと思う。

 「わかった」

 田辺は、顔を上げて再び私と目を合わせる。それから、眉を下げて小さく「ごめん」と呟いた。

 「大丈夫だから、謝らないで」

 そう言ってみたけれど、自分の声が震えてしまいそうで、それを誤魔化そうとほんの少しだけ笑って見せる。

 「……ありがとう」

 田辺は眉を下げたまま私と同じように無理に、微笑んでくれる。

 「行こう、ふたりが待ってる」

 私はそう言いながら、扉の鍵を閉めた。