「ねえ! おねえちゃん、誰?」

 思い出したように言う隼人くんに、「えっと」と言葉に詰まる。君の従姉妹だという嘘は通用しないと思うし、どうしよう。

 「おねえちゃんは、兄ちゃんを助けてくれた人」

 快人くんはそう言うと、何か気付いたように私と繋いだ手を見るとパッと離して、私と目が合うとどこか気まずそうに視線を前に戻した。

 「おい、何照れてんだ」

 「お兄ちゃん、顔赤いねー?」

 「て、照れてない。 赤くもない」

 「ええ、そうかなあ? でも、そうか、おねえちゃんはおにいちゃんのヒーローなんだね」

 ねっ!とこちらに笑顔を向ける隼人くんに、私は曖昧に頷く。100円を渡しただけなのに、助けてくれたなんて大袈裟な気もしたけれど、あの時勇気を出して良かったと思う。

 「うち、ここ」

 快人くんは言いながら、道沿いにある2階建てアパートの前で立ち止まる。

 「えっ、ここ?」

 そう言ったのは田辺で、快人くんはランドセルから鍵を出して「うん」と小さな返事をする。すると田辺は、そのアパートの斜向かいにあるブロック塀から覗く木造の屋根の家を指差した。

 「あそこ、俺のじいちゃん家」

 「えっ!」

 「えっ、なに?! おにいちゃん、どうしたの!?」

 快人くんの声に驚いた隼人くんは辺りを見回す。その様子を見て、私の疑問はほぼ確信に変わる。隼人くんは、田辺のこと……。

 「ご、ごめん、なんでもない。 隼人、玄関の鍵開けて」

 「ん? うん、わかった!」

 隼人くんは鍵を受け取ってすぐ目の前にあった部屋の扉に背伸びをして鍵を差し込むと、こちらに振り返って「おねえちゃん、一緒にオムライス食べようね!」と言って、私の返事は待たずに部屋に入って行った。

 「あの子は、見えないんだな」

 私の隣で、田辺が呟く。私は田辺の方を一瞬見てから、快人くんに視線を移した。

 「うん。 隼人は、見えない」

 そう言われて、私は軽く衝撃を受けた。でも、むしろ、見えない方が普通なんだ。何故か私と、偶然電車で居合わせた快人くんが田辺のことが見えただけなのだ。けれど、田辺のことが見えない人がはっきりと目の前に現れたら……いや、そんな人はいまここに至るまでに何人もいたけれど、それでもその度に、この現実を突き付けられるような気になってしまう。

 「そっか、そうだよな。 みんなが見えるなんて、あり得ないよな。 いや、今更なんだけど」

 田辺は、さっきより明るく言って見せるけれど、無理やり笑っているのがありありと分かる。

 ずっと、自分ばかりが不安に思っていたけれど、もしらしたらそれは田辺だって同じ……いや、田辺の方が何倍も不安なのかもしれない。それを今の今まで田辺はそれを見せないようにしていただけだったんじゃないか。

 そうだとしたら、私はずっと、独りよがりで、田辺の気持ちなんて全然考えていなかった。

 「……たな……」

 「でも」

 私の声よりも、はっきりと力強い快人くんの声が重なる。快人くんは、田辺をまっすぐと見上げている。

 「史緒のこと、おれと紗季さんはちゃんと見えてるから。 だから、大丈夫だよ」

 快人くんの目があまりにも真っ直ぐで、視線を向けられているのは田辺なのに私がドキリとしてしまう。私も何か言わなきゃと思って「そうだよ、大丈夫」と声を掛けると、田辺は頷いて「ありがとう」とちょっとだけ小さい声で言葉を続けた。そんな田辺を見て、快人くんは口の端を上げて「何照れてんの」と言う。

 「照れてねえわ」

 「ええー? そうかな」

 完全に打ち解けているふたりのやり取りが微笑ましく思えて、私も思わず笑う。ここに快人くんがいなければ、私はずっと田辺の気持ちに気付かなかったかもしれない。