「初めてここに来たときのこと、思い出しただけ」
それは、半年前のことだった。まだ桜の木が花をつけていた。私はその日も今日みたいに屋上で缶ジュースを飲みながら、鞄を枕にして寝転びながら小説を読んで過ごしていた。
屋上の扉は普段施錠されているのに私が自由に出入りできるのは、昔映画で観たヘアピンを使ってピッキングするシーンを見様見真似でやってみたら成功したからだ。しかも、私はどうやらピッキングのセンスがあるようで、施錠まで出来てしまったものだから証拠隠滅も可能。それが、高校1年の秋だった。
それからは、屋上は私一人だけで過ごせるとっておきの場所になった。万が一、誰かが来てもバレないようにここで過ごす時は必ず内鍵を閉めた。
なのに、あの日はうっかりそれを忘れてしまった。
「あの時、新名がいるなんて思わなかったからびっくりしたなぁ」
田辺は、きっと今雨に降られているであろう山を眺めながら、目を細めて言う。
あの時、扉が突然開いたと思ったら、田辺がぽかんとした表情で立っていた。私と田辺は状況を理解し合うのにほんの一瞬時間が必要だったけれど、私の方が先に理解したようでわっと飛び起きた。その拍子に缶ジュースに足が当たってしまい、他にも持ち込んでいた図書館で借りた小説に向かって零れ出たジュースがじわじわ距離を詰めていた。うわぁっと大きな声を上げる私のもとに、田辺は駆けつけてくれて、小説は助かった。
そう安心したのも束の間、急にサアッと雨が降ってきて、今度はふたりで声を上げて小説を抱え込んだまま塔屋に逃げ込んだ。ふたりで濡れた顔を見合わせた時にはお互いぽかんとした顔をしていて、思わず笑った。
その時、私が持ち込んでいた小説が田辺も好きな小説だったらしく、会話が続いた。それまでお互いまともに言葉を交わしたことはなかったけれど、そんなことも関係なく話し込むには十分なキッカケだった。
小説の他にも、どうやら映画の趣味も合うらしいと分かった時は、嬉しかった。私にとって、小説や映画に触れている時間は現実を少しだけ遠いものにさせてくれた。自分ではない誰かの生き方に触れて、その世界に没頭するのは心地よくて、夢中になった。
田辺に小説や映画が好きな理由を聞かれた時に素直にそう伝えたら、田辺も共感していた。そんな話をほぼ初めて話す人とできたのは嬉しかったけれど、同時に、この人にも現実を忘れたい瞬間があるのかと意外に思った。



