「……なんて子、知らないわ」

首を横に振って、祖母は言う。 さき、と祖母から呼ばれたその2文字は、まるで初めて口にした言葉みたいにぎこちなかった。

「そっか」

小さく呟いて、涙が溢れ出してしまう前に立ち上がる。 リュックを背負いこもうとした時、通学鞄の中に田辺から借りている漫画を見つけた。 私は、それもリュックの中に仕舞い込む。

「ちょっと絢、どこへ行くの。 さきって、誰なの?」

「どいて」

祖母の顔を見ないように顔を下げて、部屋から出る。 その時、祖母が私の腕を掴んだ。

「絢、やめなさい。 どこに行くっていうのよ」

「離して」

「そうやって、また勝手に出て行くのなんて許さないわ!」

「離してってば!!」

掴まれた手を振り払うと、祖母は少し後ろにバランスを崩した。 ハッとして咄嗟に顔を上げそうになったけれど、ぎゅっと奥歯を噛んで、私はそのまま階段を駆け下りた。

「絢!」

もう聞きたくない。 大嫌いな母親の名前なんて。 ずっと祖母を置き去りにしている、あんな女の名前なんて。

スニーカーを履いて玄関の扉を開けると、そこには仲田さんが立っていた。 驚いて、私は咄嗟に一歩後ろに下がる。

「紗季ちゃん……」

いま、このタイミングで一番会いたくない人だと思った。 扉を閉めようと手に力を込めた時、仲田さんが口を開いた。

「急にごめんね。 紗季ちゃんが急いで帰ってくるのが見えて、何かあったのかと……」

「絢! 戻ってきなさい!」

階段の上から祖母の大きな声が聞こえて、仲田さんは顔をそちらに向ける。 反対に、私は顔を下げた。