学校に着くと、グラウンドで1年生が馬飛びをしていてさっきまで居た斎場の雰囲気とのギャップがなんだか滑稽だった。突っ込むように駐輪場へ自転車を停めて、鍵もかけないまま走って校内に入って階段を駆け上がる。自転車を降りてから汗が噴き出してきて、呼吸が乱れる。喉まで、焼けるように熱くなってきた。
階段を最上階まで登って、屋上の扉の前に立ってスカートのポケットからヘアピンを取り出して差し込む。こんな手順は今まで何度もしてきたのに、どうしてか今は手が震えて上手くいかない。こんな所で時間を掛けていたら、揺らいでしまう。迷ってしまう。ロックの外れる音が小さく聞こえて、重たい扉を力いっぱい押すと風が吹き込んで首筋に張り付いていた髪が撫でられて、視界が一気に明るくなる。眩しさに目を細めて、フェンスの方へ足を進める。
頬を撫でる向かい風すらも、行手を阻もうとしているように思えて今は腹立たしい。胸の高さほどしかないフェンスの手摺りを掴む。私でも、簡単に乗り越えられそうだと思う。
「……なんで……」
思わず、言葉が零れ落ちる。
なんで? そう聞きたい相手が、今ここにはいない。
もう、ここにも来ない。もう、田辺は――。
「新名」
風音の隙間から声が聞こえて、反射的に扉の方へ振り向く。そこには誰かが立っていて、風に靡いて視界を遮る髪を手で抑えて目をよく凝らす。
「……田辺?」
そこに立つのは確かに田辺で、遺影に写っていたような幼い顔ではなくて、一昨日ここで会ったままの田辺だった。私は霞む視界を晴らしたくて目を擦る。その手が震えている。もう一度目を凝らして見ると、やっぱり田辺はそこに立っていた。
「……なんで」
思わず言葉が零れ落ちて、無意識に一歩前に踏み出した。
「私……さっき田辺の……あの、斎場に……」
「うん、知ってる」
田辺は特に表情を変えないまま言う。この状況を全然飲み込めないけれど、いまの私の言葉を肯定してほしくはなかったと頭の片隅で思う。事実を受け止めるには私には全く余裕がないのに、田辺本人からそう言われてしまったら、それはもうどうしようもない。少しくらい否定してくれたって、良かったのに。
自分の声が、風にかき消されてしまう気がする。
「ほんとに、死んじゃったの?」
零れ落ちた言葉は、田辺に届いているか分からないくらい小さかった。もしかしたら、これは全部悪い夢なのかもしれない。それか、私の頭もおかしくなったのかもしれない。可能性は、十二分にある。
でも、いま目の前で起きていること全部が私の頭の中の出来事であるのなら、田辺は私の言葉に答えないでほしい。
「……ごめん」
田辺はただそう呟いた。その表情は悲しそうで苦しそうな、初めて見る表情だった。そんな顔を、私がさせてしまった。胸がずきりと鈍い音を立てた気がした。
「新名に、お願いがあって会いにきた」
視線を一瞬揺らして、言うのを少し迷ったような雰囲気で田辺は続ける。
「行きたい所があるんだ」
「行きたいところ?」
そう聞き返すと、田辺は頷いて「ちょっと遠いところなんだけど」と付け足す。
「無理にとは言わない。 ……俺、桜の葉公園で待ってるから、来れそうだったら、来て欲しい」
一方的に言うと、田辺は振り返って開いたままの扉の中に入って行ってしまう。
「え、ちょっと、待って、」
田辺の後を追いかけるように走って扉に向かったけれど、そこにはもうそこには誰の姿もなかった。思わず胸を掴む。鼓動が酷くうるさくて、呼吸が乱れている。再びフェンスの方へと振り返ってみるけれど、やっぱりそこにも誰もいない。
「でも……」
桜の葉公園に行けば、また田辺に会えるのだろうか。
屋上の扉を閉めて、鍵は掛けないまま階段を駆け下りた。幸い、まだ授業中のようで廊下を行き来する生徒や先生は居ない。あまりに走りっぱなしで流石に疲れて、階段の踊り場で膝に手をつくと、私は靴も履き替えずに校内に入って来てしまったのだと今さら気が付いた。
額に滲む汗を拭いながらまた階段を駆け下りる。下駄箱で立ち止まることなくそのまま駐輪場に向かって、自転車に跨がって来た道を戻る。さっきグラウンドで馬跳びをしていた生徒たちは、今はグラウンドを走らされていた。
自転車を漕ぎながら、体育の授業で眺めていた田辺の姿を思い出す。
田辺は、いつもちょうど良かった。マラソンでも球技でも、一生懸命やり込む訳ではなくて、笑って楽しめるくらいの加減でやっているみたいだった。田辺はクラスの中のみんなにちょうど良く馴染んでいた。
だからきっと、私以外の誰にとっても、田辺の存在は大きかったのだと思う。



