国王陛下はまず最初に、遠方からやってきた私に、ねぎらいの言葉をかけ、続いて、『息子の命を流行り病から救ってくれたことに感謝する』とおっしゃられた。
(息子……?)
私には覚えがなかった。王の息子――つまりは王子と出会う機会があったのなら、必ず記憶に残っているはずだ。
誰かを通じて私の薬を受け取ったのだろうか?
王子が直接自分の口から礼を言いたいとのことで、急遽、王子とも謁見することとなった。
「あ……!」
私は必死に声を抑えようとしたが、全部は抑えきれなかった。それほど私は驚かされた。
謁見の間に現れたのは、下級役人のフィリップだったのだ。
〈第一王子のフィリップ〉と国王陛下に紹介されると、フィリップは私に向かって微笑んだ。
他人の空似だろうか? それにしては似すぎている上に、名前までもが一緒だ。こんな偶然はあり得ない。
「ご無沙汰しております、魔女様。いや、マリアさん。第一王子のフィリップです」
私の疑問に答えるかのように、フィリップは――フィリップ王子は挨拶をした。
この国の王位継承者は、例外なく、身許を隠して下級役人として働くのが決まりだそうだ。
自分の力で稼ぎ、国民がどのような生活を日々送っているのかを、身をもって知るのが目的とのことだ。
国王陛下から説明を受けたものの、まだ信じられない気持ちだ。だが、私が、フィリップに対して感じていた庶民らしからぬ雰囲気は、当たっていたということだ。
「あ、このことは誰にも言わないでくださいね。呼び方も今まで通り〈フィリップさん〉でお願いします」
「はい……」
フィリップの本当の正体を知ってしまった今、今後も以前と同じように振舞えるのか、私には少々自信がなかった。
「貴女をここへお呼びしたのは、息子の命を救ってくれたことへの礼と――」
国王陛下は言葉を一旦切った。
「直々にお願いしたいことがある」
国王陛下の口調から、深刻で重大な内容だと察することができた。
「私でお役に立つことがございましたら、なんなりとお申しつけください」
「フィリップの命を救ったあの薬を、国中の流行り病に苦しむ人々の元へ届けて欲しい」
頭を上げた私は、そのまま沈黙した。
「難しいか?」
「その……」
私だって自分の作った薬が流行り病に効果があるのなら、喜んで薬を作って多くの人の命を救いたい。だが、やはり確信が持てない。
「君の咳止めの薬は……あれは確実に流行り病に効果があります。現に証人がここにいます」
フィリップの言葉が、私の背中を押した。
村に戻ると、私たちは今後のことについて話し合った。
幸いにも、材料となる薬草は、国中どこでも自生していて、容易に収穫することができた。
しかし、その反面、簡単にいかない事情もあった。それは、薬の作り手がいないということだ。
レシピ通りに作れば誰でも作ることのできる代物ではなく、それ相応の薬づくりの知識や経験を必要とした。だが、その知識や経験を持っている者自体が、この国にはいなかった。
今から知識や経験を身に着けさせることは不可能だ――ならば、私がやるしかない。
国中に薬を配るとなると、作業量が今までの何倍にもなる――作業をするための広い場所や、収穫した薬草を保管しておく場所が必要だ。そして、作業の要となる部分は私がやるとしても、収穫や運搬等の肉体労働においては、どうしても人手がいる。
「この村のみなさんに、手伝っていただくのはどうでしょうか?」
フィリップが、ふと思い出したように考えを述べた。
私が住むこの村は、大変のどかで良い場所である。
しかし、これと言った売りがない。
村人たちの生活は、何とか食べていくのがやっとといった感じで、決して裕福とは言えない。
作物が収穫できない時期には、出稼ぎに出る人も少なくない。
その事情はフィリップもよく知っている。
「この村にとって、悪い話ではないと思います。必要な費用は、全て国が負担します」
確かにそうだ。この村で薬を作ることができれば、村にもお金が入って来るし、村人たちも出稼ぎに行く必要がなくなる。
「村のみなさんが、『やってもいい』と言うのなら……」
話はとんとん拍子に進んだ。
村人たちは私よりもずっと乗り気であった。私の心配は杞憂に終わった、ということだ。
村と村人たちの全面的な協力により、あっという間に薬を作る体制が整った。
今までは、私とメアリの二人だけで細々と作業していたから、大量に作ることはできなかったが、多くの人手が加わることによって、作業量を増やすことが可能となった。
だが、それと比例して、私の負担も大きくなった。分担できる部分と、できない部分があるのだ。
――薬学の知識がある人が他にもいればいいのに……。
村人たちの全面的な協力により、国中に流行り病の薬を届けることができた。
これでこの国は、流行り病の脅威から逃れられたと言ってもいい。
ある日、私は村の老人にこう言われた。
「マリアさん、あんたはまるで隣の国の聖女様みたいだね。あんたがこの村に来てくれたおかげで、誰も流行り病で死なずに済んだ。それどころか、仕事までもってきてくれた。そう言えば、あんたは隣の国の出身だったね……聖女様はきっと、あんたみたいなお方なんだろうね。いや、私らにとっては、あんたこそが聖女だよ」
老人はそう語りながら、目を潤ませている。
「聖女だなんて……今もこれからも私は<森の魔女>よ、いえ、薬学の知識が多少あるただの人間だわ」
もう私は、聖女とは関係ない世界で生きていくのだから――。
「あの薬のおかげで、流行り病で命を落とす人はいなくなりました。本当に何とお礼を言っていいか……」
フィリップが、報告を兼ねて私を訪ねてきた。
偶然の出来事ではあったが、私の作った薬が、多くの人の命を救うことができたことを、私は素直に嬉しいと思った。
「一仕事終えたばかりなのに、このようなことをお願いするのは大変気が引けるのですが……またあの薬を作っていただきたいのです」
「予備の分でしょうか……?」
「いえ、隣国に渡す分です」
もう二度と関わることのないと思っていた祖国と、このような形で再び関わることになるとは思ってもみなかった。
「隣国でも流行り病が猛威を振るっているそうで、毎日多くの人が亡くなっているそうです」
「そうですか……」
私の心は痛んだ。たとえどの国に住んでいようが、病に苦しんでいる人を救うことに変わりはない。だが、やはりわだかまりがないと言ったら噓になる。
「あなた方は隣国のご出身と伺っていますが……」
「はい……」
「隣国にはご家族やご友人がいらっしゃるのでは?」
フィリップは、私が乗り気でないことを不思議に思っているようだ。
「もしあなたの大切な方が隣国にいらっしゃるなら、彼らに優先的に薬を手配するよう交渉してみましょう。それとも他に希望があればおっしゃって下さい。国王陛下は、国民の命を救ってくれたあなたにお礼がしたいそうです」
私にある考えが浮かんだ。この国の国王の力があれば可能かもしれない。
それは、とても卑怯な手だ。だが、この機会を逃してしまったら、もう次はないだろう。
「わかりました。薬を作ります。ただし、条件があります」
私は心を決めた。
「ある人を助けて欲しいのです。それが薬を作る条件です」
私が出した条件は、父を助けてもらうことだった。
聖女として、国と国民のために生きるはずだった私が、今や、自分の父親の命と国民の生命を引き換えにしようとしている。
こんなことを考え、実行してしまう私は、最初から聖女にふさわしい人間ではなかったのかも知れない。たとえ、追放などされなくても。
フィリップに説明をする際、私は自分の本当の身元と、父との関係は伏せた。だから、フィリップにしてみれば、私の話はさぞかし説得力に欠けているように聞こえたことだろう。
「……それで、その無実の罪で囚われている男性を助けて欲しい、と」
「はい、そうです……」
――どう考えても無理よね……。
私はあきらめ始めた。
フィリップは少しの間、考え込むように黙った。
「わかりました。交渉してみましょう」
「! 本当ですか……」
信じられなかった。自分の身元も明かさずに、こんな話を持ち掛けたら、余計に怪しまれてもおかしくない。
「その男性は、あなたにとってとても大事な人なのですね」
「ええ、とても」
「そうか。それは妬けてしまうな……」
手こずると思っていた交渉だったが、流行り病に対する恐怖に比べれば、私の出した条件など大したものではなかったらしい。
聖女である母は、あっさりと父を自由の身にすることを認めたそうだ。
久しぶりに再会した父は、意外と元気そうだった。
立場が立場であるせいか、それほどひどい扱いを受けていなかったそうである。
ただ、多少の心労はあったようで、頭に白いものが増えていた。その心労というのも、私のことだったようだが。
形式上の結婚であったから、父も母同様に私に対する愛情が薄いのではないかと思っていたが、父に関してはそうではなかった。
父は、村の生活に順応し、逞しく生きている私を見て驚いていた。
だが、私と父は、お互いの無事を喜んだ。そして、今までの空白の時間を埋め合わせるように父と色々な話をした。
これからは、やっと普通の父娘になれる。
「お父様から全てお聞きしました。やはりあなたは隣国の聖女だった」
「……<次期聖女>でした。もう私は<聖女>とは関係ありません。私はこれからもただの一市民として普通に暮らしていくつもりですから」
父の救出を頼んだときから、私の素性がフィリップにわかってしまうことは覚悟していた。
だが、フィリップは私の素性を以前から気付いていたような口ぶりだ。
「あなたは平凡な人生を望んでおられるようだが……そうは行かないらしい」
「え?」
安住の地を見つけ、父も救い出せた。これからやっと本当の意味での私の人生が始まるところだったのに、まだ、何かあるのか……?
「実は隣国の聖女――あなたのお母様が、あなたを引き渡せと言ってきました」
「どうして? 今頃になって……」
母は一体、何を企んでいるのか? もう私のことは放っておいて欲しいのに……。
「流行り病が、世界中に広まっているのはあなたもご存じでしょう?」
「はい。それが何か関係あるのでしょうか?」
「あなたのお母様は、あなたに流行り病の薬を作らせ、それで一儲けしようと考えられておられるようなのです。お母様がおっしゃるには、あなたの薬学に関する知識や技術は、あなたが聖女として教育を受けてきたからこそ、身につけられたものだと――」
「だから母は私を返せと言っているのですね」
フィリップは無言で頷いた。
何と身勝手なことか……。私は空を仰いだ。
「……というのは表向きの理由です。あなたのお父様からお聞きしたところによると――」
「まだあるのですか……」
もう聞きたくはなかったが、聞かないわけにはいかないようだ。
「ええ。あなたが国を去られてから、国民からの聖女に対する信頼が急激になくなっているのです。大変失礼な言い方ですが、あなたのお母様のお振る舞いがよろしくない。そこに来て流行り病の大流行ですから、国民の怒りの矛先が、聖女に向けられていて、いつ暴動が起きてもおかしくない状況のようです」
国民は気の毒に思う、そして、助けてあげたいと思う。しかし、このまま母の尻ぬぐい役にさせられて良いのか……私は頭を抱えた。
「お母様の言いなりになりたくないのですね」
フィリップは、私の心中を言い当てた。
「それでしたら、一つだけ方法があります」