【完結】君は僕のストーリーテラー

翌日、私とお父さんは一緒に車に乗って仕事場へと向かう。

私服姿の私とスーツ姿のお父さん。

案の定会話は繰り出されなかった。

それでも構わない。

変に話をされても、謎の緊張に晒されている私はちゃんと答えることは出来ないだろう。

体はガチガチに固まっていた。

そんか私を気にすることなくお父さんは車を進める。

車が急に止まって後ろに下がったと思い私が外を見ると綺麗な白い外観の大きな建物が聳え立っていた。



「ここがお父さんの仕事場?」

「そうだ。着いて来なさい」



車を降りるお父さんを追いかけるように私もドアから出る。

キリッとした顔付きになったお父さんは仕事モードに入ったらしい。

と言っても私には若干無表情に感じてしまう。

隣には歩かずに少し後ろで歩いている私。

なんだかお父さんが怖く感じてしまった。

建物のロビーに入ると受付をしているお姉さん方がお辞儀をする。

やはり社長だから敬意を示しているのだろう。

私はお姉さん方に軽くお辞儀をして挨拶するとニコッと笑って返してくれた。

事前に私が来ることを把握していたのだろうか。

きっと社長の後ろを着いてくる少女は娘さんだと思っているのだろう。

私はお父さんの背中を見ながら心の中で問いかける。



(私の事って仕事で話すの?)



当然届くはずもない。

けれども私は背中を見つめながら後ろを歩いていた。

エレベーター前に着くと、お父さんは首から下げていたカードをかざして乗り込む。

私も着いて乗り込むとエレベーターは下へと下がっていった。

どうやら地下に向かっているらしい。



「どこに行くの?」

「研究室と呼ばれる場所だ。特定の人しか入ることは出来ない」

「そこに会話相手がいるの?」

「そうだ」



やはり仕事モードだと声のトーンが違う。

私は話しかけて瞬時にわかった。

あまり今の状態のお父さんとは話したくないな。

そう思いながら現在の階数を表示している電光掲示板を見るとエレベーター内で音が鳴って扉が開いた。

また歩き出すお父さんに引っ付くように私も足を踏み出す。

地下でも電気は付いているので比較的明るかった。

エレベーターの前に広がるのは1本道の廊下。

奥に1つの扉があるだけのシンプルな空間。

頭を動かしたって他の扉も無いし、飾り物も無い。

本当に進むだけだった。

奥まで歩くと大きめの扉の前でお父さんが立ち止まる。

これもエレベーターと同じく専用のカードをかざすらしい。

パスワードを入力しカードを読み取り機に付けると扉が横に開く。



「お疲れ様です!」



扉が完全に開けば白衣を着た人達が私とお父さんを見ていた。
科学者ってやっぱり白衣なんだ。

1番最初に思ったのはそれだった。

メガネを付けた人、髪がボサボサの人。

逆に整えている人や中にはスーツではなく私服で作業している人もいた。

合計で10人くらいだろうか。

もしかしたら他の場所にも人が居るかもしれない。

するとお父さんが手を叩いて、他の人達を集めさせると私の腕を引っ張って隣に立たせる。

全員が私を見ていた。

なんだか余計に体が固まってしまって肩に力が入る。



「紹介しよう。今回のプロジェクト対象に関わってくれる私の娘だ。…自己紹介を」

「は、はじめまして!海辺桜です!よろしくお願いします!」

「桜だ。みんなよろしく頼む」

「「「よろしくお願いします」」」



白衣の人達は一斉に頭を下げるので私も勢いよく頭を下げた。

団結力が凄いと感じてしまう。

お父さんは私の背中を軽く叩いて体を起こさせ後、誰かの名前を呼んだ。

お父さんの呼びかけに答えたのは背の高い女性。

この人も白衣を着ている。



「他の者は作業に戻ってくれ」

「「「はい」」」

「さて、この人はこのプロジェクトチームの唯一の女性だ。お前のサポート役として付いてもらう」

「はじめまして。才田凛音(さいだ りんね)と申します。これからプロジェクト関係で何かあったら遠慮なく話してください」

「はじめまして。海辺桜です…」



才田さんはとても綺麗な人だった。

思わず見惚れてしまうほどに大人の女性。

でも唯一の女性ってことは他の白衣の人達は全員男性ということか。

だとしたら才田さんの方が話しやすいかもしれない。

抜擢してくれたお父さんに小さく感謝する。



「それじゃあ行くか」

「何処に?」

「お前がこれから話す相手だ」

「ご案内します」



お父さんと才田さんは私の前を歩く。

チラッと部屋の中を見るとパソコンで作業している人達が5人ほどいた。

その奥にまた扉がある。

ここはパスワードは必要ないようで自動ドアのように横に流れて入れた。

扉を通ればガラス張りの部屋になる。

そしてまた扉が1つあった。

しかし先程の扉とは違い鉄でできている厳重な物。

お父さん達はそこの扉には触れず、横にあるテーブルと椅子に座った。

つられて私も一緒に座る。



「あそこを見ろ」

「え…」



お父さんがガラス張りの窓を指差す。

私はその方向を見ると扉の前では見えなかったものが見えた。  



「人…?」

「そうだ」



真っ白な部屋の中央には体育座りして顔を伏せている人が居た。

大きな部屋の中心で1人ポツンと。

側には点滴があり、管が腕に繋がっていた。



「あの人と話すの?」

「理解が早くて助かる。話せるか?」

「で、でもなんで?あの人何かしたの?」

「お前には関係ない。ただ話をするだけでいい」



お父さんは私の質問を切り捨てると椅子から立ち上がる。

そして顔だけ私を見てこう言った。



「出来るな?桜」



無理なら断っても良いと言ったはず。

それでも私に有無を言わせない目つきは謎の恐怖感が余計に増した。

私は声が出ずに縦に頷いて反応を示す。



「話す内容は何でもいい。それに話は外にいる私達には聞こえないから安心しろ」

「それでは桜様、ご準備が出来次第扉の前へお願い致します」



才田さんも立ってお父さんの後ろに並んだ。

私は手をギュッと握る。

そして椅子から離れると扉の前へと動いていた。

ここで嫌だと言ったらきっと怒られる。

お父さんの力になれるのなら話すしかない。

私が扉の前へ立つと才田さんが「開けます」と言って何かを操作する音が聞こえた。  
地響きのような音が響き渡る。

実際は小さな音かもしれない。

でも私にはとても大きな音に聞こえた。

扉が全て開き終えると才田さんが私に声をかける。



「桜様が入った途端に閉まるようになります。再び出る際には窓から合図してください。それではよろしくお願いします」

「はい……」



私はお父さんを少し見る。

目線は私ではなく奥にいる人に向けられていた。

そんなお父さんを見てから足を恐る恐る出して扉をくぐる。

私が完全に入り切った後、扉の重い音がして部屋を完全に閉じられた。

中央に蹲っている人は何も反応を見せない。

まずこの空間に私が居ることを認識しているのだろうか。

扉の重い音で気付くはずだろうと思うが、そんな様子は一切見せなかった。

私はその人にゆっくりと近づく。

なるべく驚かせないように。

怖がらせないように。

近づく度にわかるその人の呼吸。

ちゃんと生きているのは当たり前なのに、1ミリも動かない体はまるで死んでいるようだった。

お互いの距離が1メートル程になると私は足を止める。

流石に隣に居ようという気にはなれなかった。

今回が初めてなのだからあまり近くには居ない方がいい。

私は止まったその場にしゃがんで、同じように体育座りをした。



「は、はじめまして。私は海辺桜って言います。貴方と会話するように言われてここに来ました」

「………」



無視。



「えっと、年齢は17歳。高校2年生です」

「………」



2度目の無視。

持ち札となる自己紹介は尽きる。

私の情報から話題を広げようという作戦だったのだが、無様に終わった。

私はガクッと頭を下げる。

でもすぐに上げて次の話題に入った。



「名前教えてくれませんか?」

「……」

「年齢とか…」

「……」

「好きな食べ物は…?」

「……」



私の一方的な質問は一言も答えることなくこの部屋に気まずい雰囲気を充満させる。

その前にこの人は起きているのだろうか?

最悪息をしていなかったら?

でも先程呼吸は聞こえた。

しかし返事はない。

私は不安になってまた声をかける。



「あ、あの、起きてますか?」

「…」



それでも答えなかった。

私は遂に立ち上がって側に行く。

やはり呼吸はしている。

だとしたら寝ているのか。

私は隣に正座して座るとその人の左手を握って確かめた。



「冷たっ…」



驚くほどの冷たい体温。

凍っているかのように冷えていた。

人間の体温ではない。

私は目を開いてどうしようか迷っていると、小さな声が耳に届いた。



「あったかい、ね…」

「え…?」



少し掠れた声がそう言う。

私は顔を覗き込むとその人はゆっくりと顔を上げた。

前髪が長くて目に入ってしまいそう。

でもその隙間から見える目は青く光っていた。

私の黒い目と、その人の青い目が見つめ合う。

才田さんの時とは全く違う意味で見惚れてしまった。
青い目はまだ私を捕らえる。

我に返った私はすかさず目を逸らした。

すると私が握っていた手が握り返される。



「あったかい…」



目を閉じて感じ取るようにその人は強く握った。

それでも全く力は無いし、痛くない。

それもそうだ。

腕に視線をずらせば骨と皮のように細い。

涼あたりが力を入れたら折れてしまうのではないだろうか。

そう思ってしまうほどの細さだった。

そして握ってる逆の右腕には点滴の管が刺されている。

痛々しいその姿に私は眉を寄せた。

正座だったのを座り直して、体育座りに戻る。

俯きがちの顔を覗き込むように私は傾けた。



「寒いんですか…?」

「うん。でも、これが、僕の体温、だから…」



途切れ途切れの言葉は私の質問に答えてくれた。

やっと話してくれたのに対して喜ぶと同時に私はこの人の性別がわかる。

声の低さと、自分を僕と呼んでいるからきっと男性だろう。

外見は細すぎて性別が判断できない。

髪も一般的な男性にしては長いし、前髪に関しては切ってあげたくなるほどだった。



「あの、名前教えて貰えませんか?」

「……ない。名前、無い」

「えっ無い?」



まさかの返答に私は驚く。

年齢的には私よりも少し上に感じるがそこまで生きていても名前が無いとは驚きだ。

かと言って私が名前を付けるわけにもいかない。

とりあえず、口では君とか貴方呼びにしよう。

心の中では……青年?呼びに決めた。



「貴方は何でここに?」

「……」

「あっ答えたく無いのならいいです!無理矢理聞くのは失礼なので…」

「うん…」

「そうだ。私のことは桜って呼んでください」

「桜ちゃん…」

「はい」



青年は私の名前を呼ぶと少し表情を柔らかくした。

なんだか嬉しさが倍になってくる。

ただ名前を呼ばれただけなのに。

次の話題はどうしようか。

そんな事を考えていると部屋のガラスを軽く叩く音がする。

私は音がした方を向くと、お父さんが手招きしていた。

帰ってこいという意味だろう。



「すみません。時間みたいで…」



私はそっと繋がれていた手を離すと青年が小指を控えめに掴んできた。



「帰るの…?」

「は、はい」

「そう…」

「また来ます!その時はもっと面白い話題を用意してくるので!」

「……」



少し震えた声で青年は私に問いかけるので私は思わず約束を交わす。

すると掴まれた小指は離されて、青年の手は床に落ちた。

その後は何も言わずにまた顔を俯ける。

私は思わずまた手を握ろうとしたけど、お父さんの視線を感じて留まった。



「また来ます」



私はそう言って扉へ向かって行く。

扉の前に立つと重い音を鳴らして横に開くと同時に後ろを振り返った。

最初の時と同じ姿勢に戻った青年は全くこっちを見ずに動かなかった。

扉を通ってお父さんの元へ行くと腕を組んで私を待っていた。

後ろには才田さんがファイルを持って立っている。



「ありがとう桜。また1歩進めた。この調子で夏休みの間は頼む」

「う、うん…」



やはり拒否権は無いらしい。

でも私は青年と約束をしたから行かなければならないのは確定している。

するとお父さんは側にあった白衣を着て私の横を通った。



「私はこれからやる事がある。帰りは才田が送ってくれるから安心しなさい。才田、後は頼んだぞ」

「かしこまりました」



そう言うとお父さんはまた別の部屋へと消えて行った。
お父さんを見送った才田さんは私の側に来て、耳打ちする。



「カフェ好き?」

「えっ、はい」

「なら今から行ってもいい?」

「だ、大丈夫です」



いきなり違う声のトーンと口調で私は戸惑うが、耳から離れたらまたお堅い感じに戻った。



「桜様、こちらです」



才田さんは私を連れて研究室から出る。

途中に他の白衣の人達に挨拶されてペコペコとしながら着いて行った。

一緒にエレベーターに乗りロビーに戻る。



「それではここでお待ちください」



私をロビーのソファに座らせると才田さんは軽くお辞儀をしてまたエレベーターに乗って行った。

私は少しだけ緊張の糸が解れて肩から力が抜ける。

明日あたりは筋肉痛になりそうだ。

自分で肩を揉んだり、回したりしているとまたエレベーターがロビーに到着する。

白衣を着ていない才田さんが降りて来た。

スーツ姿は変わらないけど、白衣を脱いだことによってスタイルの良さが際立つ。



「お待たせしました。行きましょう?」



私は立って才田さんに着いて行くと、また受付のお姉さん方が私達に挨拶をした。

若干目がハートに見えたのは気のせいだろうか。

それに私が入って来た時よりも声のトーンが高い気がする。

きっと才田さん効果かもしれない。

確かに同性異性問わずモテそうだなと思った。

建物から出ると才田さんはスーツのジャケットを脱ぐ。

するとまた柔らかい口調で話し始めた。

「暑いね〜」

「そ、そうですね」

「ふふっ、ごめんね。戸惑っているよね?仕事の時は先輩方が周りにいるからあんな感じなんだけど、普段は結構緩いんだ」

「なるほど…」

「ねぇ、仕事以外の時は桜ちゃんって呼んで良い?」

「はい、大丈夫です!」

「ありがとう。なんだか妹が出来たみたいで嬉しいよ」



上はワイシャツ、下はズボンスタイルの才田さんは嬉しそうに私の頭を撫でた。

1人っ子の私にとってはそう言って貰えるのは照れてしまう。

才田さんは「こっちだよ」と言ってカフェまで案内してくれた。




ーーーーーー



「本当は研究室以外で仕事の話をするのは嫌なんだけどね…。これからの日程を決めておきたくて」

「私が会話する時のですか?」

「そうそう」



仕事場の近くにあるカフェはお昼時で賑わっていた。

幸い席は空いていたので私と才田さんは向かい合って座る。

今回は才田さんが奢ってくれると言うので私はメロンソーダとお昼のサンドイッチを頼んだ。

才田さんはアイスコーヒーと私と同じサンドイッチ。

よく考えれば昨日から人に奢ってもらいっぱなしだ。

申し訳ない気持ちになりながらも私は甘えてしまう。

店員さんに注文をすると、才田さんは手帳とボールペンを取り出して私に見せた。



「夏休みはいつまでだっけ?」

「8月は休みです。9月1日から始まります」

「OK。今のところどれくらいの頻度で来れるかな?」

「特にこれと言っては…」

「じゃあ毎日でも?」

「急な予定が入らなければ…」

「嘘嘘。流石に毎日は無いから安心して。3日に1回とか2日に1回の頻度かなって私は思ってる」

「それなら大丈夫です」

「この日はダメって時はある?」

「あっ、友達と会う計画は立ててるんですけど、日にちはまだ決まってないので…」

「なるほどね。それじゃあスマホ出して。私の連絡先入れておくから、何か急な予定があったらそこに連絡して」

「わかりました」



スムーズに話を進める才田さん。

ドリンクでさえまだ届いてないのにもう予定が決まってしまった。

私は才田さんがメモした手帳を見ながらスマホのカレンダーアプリに行く日を記録する。

少なくとも週に2回は行くようになるらしい。

多い時は3、4回の時もある。



「もし行きたくなかったらその時は断っていいからね。私に連絡してくれれば大丈夫」

「ありがとうございます」



優しいなと思いながら私はカレンダーアプリを見た。

お父さんの手伝いとはいえ今年の夏休みは忙しくなりそうだ。

部活がそこまでないから良いけど、きっと運動部だったらもっと辛い思いをしていただろう。

美術部で良かったと心の底から思った。



「メモできました。手帳ありがとうございます」

「いいえ。連絡先も登録した?」

「はい。バッチリです」

「社長の前ではプロジェクト関係しか話すなみたいなこと言っちゃったけど、気軽に連絡して来ていいからね。必要な時は課題とか手伝ってあげる」



才田さんが笑って言うとドリンクとサンドイッチが同時に到着した。

とても美味しそうな香りと見た目だ。

昨日のクレープもそうだけど、お洒落感満載の料理。

私は目をキラキラとさせてしまう。



「ふふっ」

「えっ?」

「ううん。可愛いなって」



そう言ってアイスコーヒーを飲む才田さんは私と違う大人感が満載だった…。
「あ、あの」

「ん?何?」

「才田さんってこのプロジェクトでは女性1人だけなんですよね?不安にならないんですか?」

「不安だらけだよ。だってみんなお堅い人達だから。何で私が抜擢されたかわからないけど……でも結果的に桜ちゃんと会えたからOKかな」



何か会話をしようと咄嗟に出た言葉に嫌な顔せず答えてくれる。

本当にお姉さんみたいだった。



「私も昨日の夜お父さんに頼まれて連れて来られたけど、才田さんがサポート役で良かったです。多分次からは緊張なく研究室に行けると思います」

「……やばい」

「え?」

「良い子すぎない?本当に社長の娘さん?」

「お父さんって普段どんな感じなんですか…?」

「無表情で怖い人」

「なんかわかります」



私はお父さんの顔を思い浮かべる。

家でだって無表情ならば職場だって無表情だろうな。

それに怖い人って言うのもなんとなくわかる。

まさに研究室で実感したから。

怒られるのは小さい時で終わったけど、久しぶりにお父さんを怖いと思った。

なぜあんな感情が出てしまったのだろう。

私はサンドイッチを頬張りながら出来事を振り返った。



「まぁ腕は凄く良い人だからね。発想も科学者らしくポンポン出てくるし」

「今回のプロジェクトってお父さんが始めたんですか?」

「そうだね。上の人達と話し合ってだと思うけど、最初は社長からじゃないかな?」



そしたらあの青年は何なのだろう。

プロジェクトって人体実験なのか。

私はお父さんの考えがわからなくてサンドイッチを持つ手に力を込める。

そんな私の心情を感じ取ったのか、才田さんは一言だけ私に言った。



「難しいことは大人に任せればいい」



サンドイッチに挟まっていたレタスが1枚皿に落ちる。

私は慌ててレタスを取って食べた。

才田さんはアイスコーヒーにシロップを追加してかき混ぜている。

この様子ではプロジェクトについては何も教えてくれないようだ。

大人…。

私はまだ子供。

高校生なのだから普通の事。

でも今、私の感情はなんだかモヤモヤとしていた。



「ここのサンドイッチ美味しいね」

「はい。凄く美味しいです」



それは自分でもわからない。

今唯一わかるのはこのサンドイッチが美味しいことだけだった。
才田さんとのランチの後、私は車で家まで送ってきて貰った。

距離も遠くないし電車もあるから帰れると言ったのだが、送らせてくれと言うことでまた甘える。

私は才田さんにお礼を言って頭を下げた後、車が見えなくなるまで見送り、完全に車の姿が消えると私は家の中に入った。

玄関は開いてなくて、私より大きな靴も無い。

私は自分の部屋に入ってスマホを取り出し連絡アプリを開く。

新しく上には才田さんのアイコンが載っていた。

しかし才田さんではなく、涼のトーク欄をタップする。

今の時間帯だからご飯では無いと思う。

涼の事だ。暇しているだろう。

私は涼宛にメッセージを打つ。



【海の件】



全く可愛くも無い一言で送信すると、すぐに既読が着いた。

やはり暇していたようだ。

うさぎが驚いているスタンプを送ってくる。

これはどう言う意味だと頭を捻っていると



【まさか行けなくなった!?】



と返ってきた。

スタンプはそう言う意味ねと理解する。



【違う。日程を決めて欲しくて】

【紛らわしい文送るなよ】

【焦った?】

【1人で青春かと思った】

【涼が1人でも青春出来るなら行かないけど?】

【ご冗談を】



急に改まった言葉を使ってくる涼にフッと笑う。

やっぱり涼みたいな友達と話している時が1番肩の力が抜ける。

なんだか完全に抜けたのは今この瞬間かもしれない。

同世代の友達って凄いな。

息を吐くたびに力が抜けてくる。

私は涼に感謝しながら返信を打った。



【ご冗談です】

【安心したわ。それで?桜はいつあたりがいい?】

【私はどこでも】

【部活は?】

【そこまで無いから】

【じゃあ明日でも?】

【それは無理】

【いつでも良くねぇじゃん】



似たような会話を才田さんともした気がする。

あまりいつでも良いとは言わないようにしよう。

後がめんどくさくなりそうだ。

涼に限っては余計に。

でも指定日となると迷う。

研究室に行く時以外は本当に予定が無いのだ。

それこそお盆の時期だって家に閉じこもっている。

お父さんの実家になんて行かない。

それは今に始まった事ではないけど、つまらない日々と言ったらつまらなかった。

どの日にしようか悩んでいると続けて涼からメッセージが届く。



【来週の土曜は?】



私はカレンダーアプリを開いて見てみると、土曜日は研究室に行く予定は無かった。



【いいよ。土曜日で】

【りょーかい】

【行き先は任せた。あまり遠くにしなければ問題ないから】

【わかった!】



涼はまたうさぎのスタンプを私に送る。

後は涼に任せておけば大丈夫だろう。

私はとりあえず画材を買い足さなければ。

私も似たようなスタンプを涼に送信してアプリを閉じると、完全に昼寝をする前に画材が入っているバッグの確認を始めた。
暖かい感触がまだ残っている。

手をグーとパーにして動かしてもその感触は消えない。

なんだか気持ち悪いなと思ってしまった。

また開けて閉じてを繰り返していると、重い扉が音を立てる。

白衣を着た男が1つの袋を持って僕の近くにやってきた。



「点滴を交換する」

「……」



受け応えをしないのは当たり前だ。

僕はこの人達が嫌いだから。

でも僕が返事をしなくたってこの人達は動く。

拒否権はない。

応えても、無言でも全て言いなりなんだ。

僕はまた下を向いて膝に顔を埋める。

男は点滴をいじっていた。

僕とこの人達に会話なんて無い。

だから今日、何年振りかに会話をした。

最初に出た声がガラガラだったのを思い出す。

言葉も途切れ途切れになってしまった。

それでも口から言葉を出した後はなんだかスッキリしている。



『また来ます』



今日僕に話しかけた女の子、桜ちゃんの言葉。

高校生2年生。

僕よりはたぶん下だけど何歳離れているかはわからない。

その前に僕の年齢はいくつなのだろう。

けれどそれを聞いたところで何になる?

僕を救ってくれるわけじゃない。

もしかしたら思っていたより月日が経っていて絶望するかもしれない。

だったら最初から聞かないほうが僕のためだ。

僕は目を瞑る。

扉が閉じる音がした。

もう点滴は変え終わったらしい。

チラッと首を動かすと、点滴は満タンになっていた。

僕の栄養源はこの点滴だ。

食事なんてしない。

最後に食べたのはいつだっけ?

最後に食べたのは何だっけ?

思い出そうとしてもモヤがかかって何も見えない。

僕はまた目を閉じて時間が経つのを待った。
次に目覚めた時の体勢は横になって寝ていた。

いつの間に動いたんだろうと思う。

僕はどれくらい寝ていた?

体を起こして点滴を見ると半分くらい減っている。

僕はまだぼんやりとしている頭を軽く振って目を覚ます。

前髪が伸びてきて鬱陶しい。

後ろ側の髪の毛も跳ねていてボサボサだ。

またいつもの体育座りに戻る。

今日は何をされるのだろう。

少し外の方から話し声が聞こえる。

何を喋っているのかは理解できないけど、人がいるのは確かだ。

僕を見張っているのか。

それとも次の実験を始めるのか。

どちらにせよ気分が悪い。

逃げ出したいのに逃げ出せないこの空間が嫌になる。

僕は頭を掻いていると扉が開いた。

点滴はさっき交換しただろう?

口には出さないけど僕は心の中で嫌味を言う。

すると入ってきた人は僕の隣に座って顔を覗き込んだ。



「こんにちは」

「…えっ」



優しい声が聞こえて思わず頭を上げる。

なんでまた来たんだ?

いや、来るとは言ってたし僕も来て欲しいみたいな行動はとったけど早すぎないか?

点滴は変えてから半分しか減ってない。

わからなくなって目を見つめていると、優しい声はまた僕に語りかけた。



「私の名前覚えてますかね?」



知ってるよ。

久しぶりに名乗られたのだから。

僕は名乗り返せなかったけど。



「さくら、ちゃん」



また掠れる声と途切れる言葉。

ちゃんと話したくても舌と喉がおかしい。

日常的に話すことは大切なことだと思った。

僕の言葉を聞いた桜ちゃんは誰にでもわかるくらい嬉しそうな表情をする。

まるで花が咲いたようだった。

名前の通り君は桜の花なのだろうか。

それとも君は妖精か?

人間の形をした精霊か?

おかしな思考になる僕を見る桜ちゃんは笑顔で何かを取り出した。



「私の名前の漢字を教えますね」



カバンから出したのは大きなメモ帳とペン。

桜ちゃんはそこに自分の名前をスラスラと書いた。



【海辺 桜】



「漢字…読めますか?」

「…うん」



海と桜の単語が入ってるなんて凄いなと思う。

季節は別々だけど、どれも綺麗なものだ。

僕は桜ちゃんの漢字を覚える。



「海辺っていう苗字は日本では500人くらいらしいです。桜は結構多いと思いますけど…」

「…うん」

「でも名前に関してはお父さんに何も聞いてないんです。どんな理由だったとか。誕生日は5月だから桜シーズンは終わってるので、季節は違うかなって思ってます」

「お父さんが、桜、好き、とか…」

「その可能性はありますね。今度聞いてみます」

「…うん」



なんだか楽しい。まだ一言二言しか喋ってないのに。

白衣を着た人達と関わるのは苦しい。

でも桜ちゃんと話すのは楽しく感じる。

久しぶりの会話相手だからかな。

それに桜ちゃんは僕の目を見てくれる。

それもわざわざ座って。

あの人達とは大違いだ。

僕を人として見てくれている。

それが楽しいと合わさり、嬉しいになった。



「あの、好きな花とかありますか?」

「花…?」

「はい。私は薔薇が好きです。なんだか持つと大人って感じがしません?薔薇が似合う人って素敵だと思います」

「僕は…」



頭の中で花を考える。

どれが好きだと言われてもわからない。

それでも1番最初に浮かんだ花があった。

しかしその花の名前が思い出せない。



「薄い色で、いっぱい咲いている花…」

「薄い色?」

「名前がわからない」

「他の特徴とかありますか?」

「…花びらが少し多い」

「んー」

「木じゃなくて地面に咲いてる花…」

「なんだろう」



桜ちゃんは持っていたメモ帳に絵を描く。

僕が言った特徴で描いているみたいだ。

出来上がったらしくメモ帳を僕に向けてくれる。



「綺麗…」

「こんな感じですか?」

「…違うかな」

「なるけど」



本当にこの短時間で描いたのかと思うほど綺麗だった。

普通に同じ形の花びらを描くだけの絵ではない。

僕はまた描き始めた桜ちゃんの絵を見るために近づいた。