【完結】君は僕のストーリーテラー

8月23日。

私は自分の部屋の片隅で四つん這いになって絵を見ていた。

床に置かれた1枚の海。

たぶん今までで1番神経と時間を使った作品だ。

現在は乾かしている途中なのでいじることは出来ない。

海は一面に広がっている。

同じ場所にあった砂浜と空はわき役的な存在になってしまった。

私はもう少し太陽の光が当たる場所へ移動する。

明日、これを青年に渡す。

この夏休みの一大イベントだ。

しかしその前に私はやる事があった。

絵を置きっぱなしにして部屋を出る。

そして2階の端にある扉を叩くと聞きなれた声が返事をした。



「入るよ」

「ああ」



お父さんは扉を開けてくれて私を招き入れる。

この部屋にはほとんど入った事がないけど、以前見た時より物が圧倒的に少なくなっていた。

いや、少なくしたのだ。明日のために。



「自分の準備は出来たか?」

「うん。大体の荷物は送ったから。おかげさまで部屋が広くなって絵が早く乾くよ」

「そうか」



少し嫌味を含めて言った言葉はあまりお父さんには刺さらなかったらしい。

また私はお父さんの部屋を見渡した。



「元々物少なかったの?」

「そうだな。必需品以外は置かなかった」

「ふーん」

「…普通なら、家族写真くらい置くのにな」

「何今更。別に普通じゃないから良いでしょ」

「桜は撮りたいと思わないのか?」

「思わない」

「そうか」



嘘だよ。何度思ったかわからないよ。

中々一緒になれないお父さんの側に、写真ならずっと一緒にいれるから。

でも本当に今更だ。

現実は犯罪者の父と、その血を引く娘の肩書き。

そんな写真は地獄絵図だろう。

私は冷たい言葉で突き返して答えた。

もう、貴方と撮ることは出来ないという気持ちを込めて。



「明日は9時に始まる予定だ。でもあくまで予定だが、頭に入れておけ」

「うん」

「……彼には何も言っていない」

「それが良いんじゃない?」

「言わない事を反対しないんだな」

「同じ血を引いてるからね」

「……そうだな」

「冗談だよ。血は同じでも私はお父さんと違うから。外見も、内面も、考え方だって別物」



あからさまに落ち込む声で話す物だから私は慌てて弁解する。

冗談くらいわかっていると思うけど、やはり娘に言われるとダメージが大きいようだった。

お父さんは何も言わずに私を見つめる。

怒ってしまったのだろうか。

少し調子に乗りすぎたかもしれない。

私は顔色を伺うように覗き込む。

すると私の頭に手を伸ばされた。
しかしその手は頭に乗ることなくお父さんの元へ戻っていく。



「何したかったの?」

「…撫でようと思った。しかし私に撫でる資格はない。それにこの手は汚れている」

「私は、、構わないけど。だってしばらく会えないんだし」

「ダメだ。私自身が許せない」

「そう…」

「桜は私をまだ父と呼んでくれるのか?」

「えっ、何で?」

「先程普通に言っていたからな。桜は私の娘だ。しかし私自身を桜の父親とは言えない」

「本当自分に厳しいよね」

「厳しいかどうかの問題ではない。…当然の事だ」



お父さんは1回、目を静かに閉じてまた開ける。



「だからもう、お前とは会えないだろう」

「……」



片隅ではわかっていた。

しばらく会えないのではなく、2度と会えないだと言う事を。

でもそれを認めたくなくて都合よく私の中で変換していた。

でもお父さんがそう言うのなら、もう会うことは無いのだろう。



「桜」

「うん?」

「私は何もお前に捧げてやれなかった。それなのにお前は私に何度も幸せをくれた。……最後に欲しい物はあるか?」

「欲しい物…」

「金でも今の私に出来ることなら何でもやろう。私の命が欲しいのなら喜んで差し出す。それが私からの最初で最後のプレゼントだ」



私は背の高いお父さんの目を見つめる。

必然的に上を向くことになるが、高校生の今なら中学生、小学生、幼稚園児の時よりはマシになっているだろう。

それでもお父さんは大きい。

私は体をちゃんとお父さんに向けた。



「抱きしめて、頭撫でて」

「……それは…」

「何でもするんでしょ?」

「桜はいいのか?」

「大丈夫。やるのは一瞬だけ。そしたらお父さんが触れた部分は皮膚が痛くなるまで洗うし、この服は捨てる。そうすれば何も残らないでしょ?」

「…そうだな」

「それじゃ…よろしく」



了承を得ても私はその場に立って動かない。

お父さんも動かなかった。

数分の時が流れて、お父さんは首を傾げる。

私は呆れたようにため息をついてしまった。



「今だけは普通になりたいの。…腕広げて、おいでくらい言ってよ…」

「そ、そうか。……桜おいで」



やっと腕を横に開いてくれたお父さんに顔を緩ませて抱きついた。

控えめに背中へと腕を回すお父さん。

それに反するように私は腕に力を入れた。

ゆっくりと壊れ物を扱うように頭を撫でられる。

2回ほど触れられた後、その手は降りていった。



「ありがとう」

「ああ、」



宣言通り一瞬で離れる。

私は微かに残るお父さんの香りと暖かさでまた笑った。



「私が離れたら、桜が思う良い人に沢山笑わせてもらえ。桜の笑顔は花のように綺麗だ」

「ふふっ、初めて言われたよ。もしかして桜って名前はお父さんが付けたの?」

「よく使われる名前だけど、私が好きなのは桜の花だからな。一瞬で過ぎ去る季節を可憐に咲く姿は愛おしい」

「私は一瞬だけじゃないよ?」

「人は、一瞬という名の永遠を生きるものだ」

「科学っていうか文学だね」

「そういうのは秋菜が好きだったんだ」

「お母さんが…」

「さて、私はそろそろ出て行くよ。鍵は閉めておく。明日の朝出る時も一応閉めておいてくれ」

「うん」

「それじゃあな」

「うん」



お父さんは最後の1つのカバンを持つと、後ろにいる私を振り返ることなく部屋から出て行く。

明日会えるかはわからない。

もしかしたら今この瞬間が最後かもしれない。

それでも私はお父さんの後ろ姿を引き止めなかった。

だって、お父さんはこれから新たに人を殺すのだから。
8月24日の朝は快晴だった。

連日の雨が嘘のように晴れ渡っている。

私は部屋のカーテンを開けてその眩しさに目を細めていた。



「……よし」



着替えも終わり、ただ1つの持ち物の絵を巻いて大切に抱える。

この海は私の最後の作品だ。

もう2度と絵は描かないと決めた。

そのため画材も捨てたし、風景画の描き方の本だって処分した。

だからだろうか。

この絵が1番大切に思えてくる。

私は絵を片手に持ち替えて玄関へと歩き出す。

あらかじめ貴重品などは昨日の夜のうちに今日泊まるホテルへと、才田さんの力を借りて持って行ってた。

なので部屋の中はすっからかん。

当然スマホも持ってないから今日の世間の情報を私は知らない。

でもそれで良かったかも。

余計な事を考えなくてすむ。

最後に部屋をぐるりと見渡して私は扉を閉めた。

階段をいつもよりゆっくり降りて行って私の最後の足跡をつける。

慌てて登ってスネをぶつけて泣いた時もあったな。

どの場所にも、どの家具にも最低1つは思い出がある。

私は玄関まで来ると1回深呼吸して靴を履いた。



「行ってきます」



家中に響いた挨拶は誰にも返してもらえなかった。

そのままの足で私は家の前に停まっている車に乗り込む。

運転席には才田さん。

助手席に座ってシートベルトをするとすぐに車を発進してくれる。



「荷物はこれだけ?」

「はい」



才田さんは私が持ってきた、ただ1つの絵をチラッと見て言った。



「今日中なら自由に動けるから何か足りないものがあったら言って?明日からはバタバタすると思うけど…」

「わかりました。その時は言います」

「うん。…眠れた?」

「全く」

「だよね」



笑って返す才田さんの目の下には少しクマが出来ている。

当然私も目元は薄っすら黒く染まっていた。



「才田さんは、これからどうするんですか?」

「うーん…。まだ明確に決まってないけど、とりあえず実家に帰るかなぁ。桜ちゃんは?」

「お父さんのおじいちゃんとおばあちゃんの家に行きます」

「じゃあ転校になるのかな?」

「はい」

「そっか」

「でも大丈夫。話を聞く限り、小さな学校らしいので人数も少ないみたいです。大人数が嫌いな私なら馴染めると思います」

「なら良かった。でもなんかあったらすぐに連絡してね?お姉ちゃんと約束」

「はい。約束します。でもそれはお姉ちゃんにも言えることだから…」

「ふふっ、そうだね」



私達は指切りはしてないものの、固い約束を交わす。

お姉ちゃんが出来たのはこの手伝いで数少ない良かったところだ。

私は運転をして前を向いている才田さんを見てそう思った。



「そろそろ着くけど、準備はいい?」

「はい。大丈夫です」



才田さんが運転する車は研究室のある真っ白な建物の駐車場へと入って行った。
車から降りるといつものように建物の中に入って受付を通る。

今日はあの2人組のお姉さん方は居なかった。

才田さんはエレベーター前に着くと首から下げていたカードをかざす。

全ての動作がいつもと同じ。

でも心の中はモヤモヤとした何かが渦巻いている。

下に降りて行くエレベーターと同じように私の気分も下がって行った。

扉が開いたと同時に才田さんと並んで真っ直ぐの廊下を歩く。

その奥の扉の前でまたカードをかざして、パスワードを入力すると機械的な音を鳴らして横に開いた。



「ここには誰も居ないから」



才田さんはそう言って奥へと進む。

私はパソコンが置かれている部屋を見渡すが本当に1人も研究者は居なかった。

そして前を向いて青年がいる部屋の大扉の前に立つ。

才田さんは横にある機械を操作し始めると私の方に顔だけ向けた。



「彼が最後に会うのは桜ちゃんよ。窓を叩く音がした10秒後に薬が自動的に投入される。そこで離れるか、最後を看取るかは桜ちゃんが決めて」

「…はい」

「開くね」



説明がし終わると同時に重い音が鳴り響いた。

私は完全に開ききった扉から前を見る。

真っ白な部屋の中央には、ベッドに横たわっている青年がいた。

1歩、1歩としっかり床を踏み締めて近づく。

今回は大扉は閉まらなかった。

私はベッドに近づくと目を瞑っている青年の手をそっと握る。



「……あ…」



冷たい手が私の体温で温められていくと同時に青年の目が覚めた。

顔だけ横を向いて薄っすら開けた目で私を認識しようとしている。



「桜です」

「さ、くら、ちゃん…」



前よりも途切れ途切れになっている青年の言葉。

私は床に膝をつけてなるべく青年と目線を合わせようとした。

やっと綺麗な青い目が見れて私は微笑む。



「こんにちは。会いたかったです」

「ぼ、く、も…」



目を細めて笑ってくれる青年。

私は改めて体全体を見るとありとあらゆる所に管が繋がっていた。

これも全てお父さんが…と思うと自然と握ってない手に力が入る。



「今日は約束を守りに来ました」

「うみ……?」

「はい。海を連れて来たんです。良かったら見てくれませんか?」

「う、ん」



青年も覚えてくれていた約束。

私は嬉しくなって手を離し、絵を広げようとする。

しかし離した途端青年の手は動き出す。

まるで何かを探しているように。



「どうかしましたか?」

「て……」

「あっ、はい」



私の手を探していたようで咄嗟にまた手を握る。

すると安心したように表情を変えてくれた。

左手は青年の両手によって包み込まれているので私は右手だけで輪ゴムを外して絵を整える。

ちゃんと広げられるように逆に巻いて真っ直ぐにした。



「見れますか?」

「う、ん…」

「はい。これが貴方と私の海です」



私は布団を被っている青年のお腹に絵を立てて海を見せた。

みるみる口角が上がる青年。

私はそのリアクションだけで満足だ。

青年の右手が離されてなぞるように絵に触れようとするが、画用紙に指が触れる前に止まった。

私はその様子に笑ってしまう。



「今回は乾いてるので大丈夫ですよ?前のこと覚えててくれたんですね」



そう言うと止めた手を伸ばして画用紙に直接触れた。

以前、乾いてない絵を触れようとした時に私が注意してしまった事を覚えていたようだ。

なんだかその様子が可愛くて私の顔は綻ぶ。

青年は海をなぞるように人差し指を動かした。



「きれ、い…」

「ありがとうございます。特にここ…波の部分を意識しました。今にも連れ去ってくれそうでしょ?」

「うん…」



青年は夢中になってなぞる。

これで約束は果たせたのだ。

頑張った甲斐があった。

青年は一生懸命に海を描く。

これは青年と私だけの海辺だ。
少しずつなぞっていた青年の指が急に止まる。

私はその理由がわかった。

ある場所へ辿り着いたからだ。



「こ、れ…?」



青年が指差して私に問いかけるもの。

それは画用紙の1番端に描いてある2つの花だった。



「コスモス、そして桜の花びらです」

「……!」



目を丸くして私を見る青年。

私は微笑んで青年の手を優しく掴むとコスモスに持って行った。



「前、花の事を教えてくれましたよね?名前はわからなかったけど、どんな花かって言うのを」



青年はコクリと頷いて興味津々で花に触れる。



「貴方が言っていた花の特徴で私の回答を見つけたんです。これが正解かわからないですけど…」

「な、、まえ…?」

「コスモスです」



私がそれを言った瞬間に青年の目から涙が一筋流れた。

私は驚いて何も言えなくなってしまう。

涙の筋を流し続けても青年は優しく花に触れていた。



「コス、モ、ス…」

「はい」



青年の涙は枕を濡らしていく。

なぜそこまで泣くのかは私は知らない。

それでも私まで涙が移りそうになってしまった。

でも今は泣く時ではない。

目に力を入れて堪える。



「私は薔薇が好きって言ったんですけど、やはり自分を表せる花は桜だなって思って。コスモスは貴方。桜は私。だから2人だけの海なんです」

「う、ん…うん…」



やっと私の方を向いてくれた青年は画用紙から右手を離してずっと握っている私の左手に添えた。

立ててある画用紙を離すわけにはいかないので私は両手で包み込めない。

もう1本だけ腕があったらなと思ってしまった。



「この絵はあげます」

「いい、の…?」

「勿論。約束は貴方の元に海を連れてくるだったので」

「ありが、とう…」



震える口角を上げながら青年は笑う。

その際にまた涙が溢れた。

青年は私を見ながら小さな声で話す。

一言も逃さないように口の近くに耳を寄せた。



「ぼく…なに、もあげ、られ、な…い」

「そんなの良いです。喜んで貰えるだけで私は嬉しいので」

「でも…」

「……それなら私がこれから言うことをしてもらえますか?」

「う、ん…」

「…もう少し、待っててください……」



私は遂に画用紙から手を離して青年の両手を重ねるように握る。

お互いの体温が心地よい。

私は目を閉じて青年の手から伝わる冷たい体温を感じていた。


コンコン



窓を叩く音が鳴る。帰る時間だ。

残り10秒の時。

私は目を開けると青年はジッと見ていた。

きっともう私だけが帰る時間だと思っているのだろう。

違うよ。貴方も帰る時間だよ。

私は両手を青年から離した。

残り8秒。

私は青年の耳元へ口を寄せる。

残り6秒。

口から小さく息を吸い込んだ。

残り4秒。

私は青年に呪いの言葉を吐いた。



「死んで」



残り2秒。

青年は驚いたように私を見る。

次の瞬間、顔を顰め始めた。



「うううう、っ」



私は耳元から口を離して目を瞑る。

この空間には青年が苦しみ、荒い呼吸になる音しか聞こえなかった。

私はそれを聞き続ける。

まだか。まだか。早く終わってくれ。

早く…死んでくれ。

段々と耳に入ってくる声が細くなっていったと思ったら青年の声は聞こえなくなった。

私は目を開けて、目の前に寝ている人を見る。



「これで、私も犯罪者だよ…」



もう青年には聞こえない。

私が目を開けたと同時に閉じたのだから。

青年の左手はベッドから垂れ下がっている。

もしかしたら最後まで私の手を探していたのかもしれない。

でももう終わったのだ。

私は立ち上がって青年の亡骸を見下すように見た。



「貴方の事…たぶん好きだったと思います。友達が言っていた好きの感情が私の中にあったから」



返事は帰って来ない。

私は青年に背を向けて歩き出した。



「せめて、貴方の名前が知りたかったな…」



振り返ることなく、そのまま開きっぱなしの大扉を通る。

青年はもう動かなかった。
「おい、涼!俺んとこの部活今日無いから前言ってたアイス食べに行くか?」

「…いや俺はいい」

「まだ海辺さんのこと気にしてるん?」

「…そうかもな」

「大体海辺さんは近寄りにくい雰囲気出してるだろ。それに加えて今回の事件なんだから、余計に人は寄り付かなくなるわな」

「……」

「転校は当たり前だ。さっさと元気出せよ〜」



男友達は俺の肩を強めに叩いて去って行く。

桜の事を悪く言うなよ。

その一言が出せない俺は弱虫だ。

あれだけ騒がせた事件は1週間も経てば学生の話題からは消えている。

しかし俺から消えることのない傷だった。


8月24日の夜のニュースで流れた情報。

それは有名な科学者で何度も科学賞を受賞している海辺博貴が安楽死で実験体の人を殺したと言うもの。

その時はまだ夏休みで夕食を食べ終わった俺はリビングでダラダラとしていた。

次の日は母親の実家がある福島に1泊して行く予定で何をしようかと考えていた頃、アナウンサーの言葉で思考が停止してしまう。

俺は他の情報も聞かずに慌ててスマホで桜に電話をかけるが、全く繋がらなく送ったメッセージも既読にならなかった。

このニュースは夏休みの間しばらく大きな話題となって、世間を騒がせる。



「海辺は強制的に実験体を使っていたらしい」

「1人ではなく数人を犠牲にしていた」

「他の研究員には詳しい事は話さずに利用していた」



どれが本当の情報かもわからないものが出回りSNSでは色んな考察が行き来していた。

さらには桜の家の住所も特定されてマスコミ達が殺到。

しばらくの間は桜の家にも近寄れなかった。

9月に入り中旬前の今となっては段々と収まってきて人集りもなくなっている。

一昨日やっと桜の家へ出向くことが出来たけど、インターホンを押しても反応はなかった。

それも当たり前か。

父親は刑務所。

そして桜は転校したのだから。


俺は現実がわかった日から無気力になってしまった。

一応学校には通っている。

それでも決められた事をこなすだけであってそれ以上のことは出来なかった。

桜が居ない。

それだけでここまで落ち込むなんて。

片思いはきっぱり諦めたはず。

でも心の奥底での本心はまだ好きと言う気持ちだった。

元々の諦めの良さが出てくれれば良かったのに。

俺は小さくため息をついて席を立ち上がる。

放課後の教室はほとんどの生徒がもう下校していた。

先程の友達が言った通り部活は休みらしい。

勿論、俺が入っている部活も休みだった。

教室を出ればなぜか桜が居たクラスの方向に体を向けてしまう。



「……」



意外と諦めが悪い方かもしれないな。

俺は頭をガリガリと掻いて、昇降口に向かった。
帰る時、昇降口で靴を履くたびに、夏休み前の桜との話がフラッシュバックする。

日差しが強かったあの日。

俺達は運動公園にある移動販売のクレープを食べに行ったんだ。

そこで夏休みの予定を話して、青春について語り合った。

実際に語ったのは俺だけど。

そして運動公園で別れた後、1人で桜と夏休み中に何かしようと考えた。

その結果浮かんだのが海。

結局連れて行ったのは良いけど、俺のせいで台無しに終わってしまったのは良い思い出なのかもしれない。

告白の時の桜の表情や言葉。

今では過去のものとなってぼやけている。



「…まじかよ」



ふと、我に返って俯いていた顔を上げると運動公園にいた。

家に帰るはずだったのに思い出に浸った結果、足が勝手にここへ出向いたらしい。

俺は笑うしかなかった。

どこまで諦めが悪いんだよと。

仕方ないから気晴らしに運動公園内を歩いてみる。

幼稚園児くらいの小さな子供を連れた親達がベンチに座っていたり、小学生らしき人がランドセルを背負ったまま走っていた。

俺は歩き進めると開けた場所に出る。

そこにはあの移動販売のクレープ屋が来ていた。



「そーいえば前も水曜だったっけ…」



俺の足は止まる事なくクレープ屋に向かって行く。

周りには似たような制服を着た人が何人か居たけど、俺は並ぶ事なく店員に注文をする。



「バナナチョコクレープ1つお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちください」



クールな表情をした店員はこの前は居なかった。

新しく入った人だろうか。

素早い手つきでクレープを完成させて行く。



「お待たせしました」

「ありがとうございます」



俺は出来立てのクレープを受け取ると、近くのベンチに座った。

改めて見ると綺麗に盛り付けされている。

さっきの店員は器用な人なのか。

俺はスマホを学校カバンから取り出して1枚写真を撮った。

そしてすかさず桜にメッセージと共に写真を送る。



【前のクレープ食べに来た。めっちゃ綺麗じゃね?】



返信も、既読も付かないことは知っている。

あの事件の日から何回もメッセージを送った。

一方的に俺ばかりの文章がトーク欄に並んでいる。

それでもやめられなかった。

何かある事に桜にメッセージと写真を送る。

もしかしたら見てくれるかもしれない。

そんな小さく非現実的な希望が俺の中に芽生えているからだろう。

俺は一旦アプリを閉じるとクレープにかぶりつく。



「…うま」



甘い味がダイレクトに感じられて美味しい。

でもこれは後で飲み物が欲しくなるやつだな。

前は桜が買ってきてくれたんだっけ?



「未練たらたらじゃねぇかよ…」



俺は次々に浮かび上がる思い出をかき消すかき消すようにまたクレープを口に入れた。
食べ進めて行くうちに俺の中で微かな期待が生まれる。

電話をかけてみれば出てくれるのではないかと。

今の時間帯なら学校に行っていたとしても終わる頃だ。

部活さえ入っていなければ、暇してるはず。

俺は最後の1口を放り込んでモグモグとしながら桜のメッセージアカウントを開いた。

そのまま止まる事なく指は通話ボタンを押す。

1コール目、2コール……目に入る前に電話をかける音が消えた。



「えっ」

「しつこいんだけど」

「ちょっ、ちょっと待った!」



スマホの表示画面には通話中と書かれている。

まさか出ると思わなくて俺は慌ててクレープを飲み込んだ。



「なんで!?ずっと既読も返信もしてくれなかったのに!」

「うるさいんだけど…。だって…誰とも話したくなかったから」

「あ……ごめん」

「まぁいいよ。…元気?」

「…元気」

「全然そんな感じじゃないけど」

「元気だよ。桜は?」

「元気ではないかな」



俺は耳にスマホを当てて久しぶりの桜の声に心が躍る。

しかし桜は最後に話した時よりも沈んだ声をしていた。



「大丈夫か…って言われても別に嬉しくないよな」

「そうだね」

「どこに引っ越したの?」

「内緒」

「なんで」

「言ったら例え離島でも涼は来るでしょ?」

「離島なのか?」

「例えだよ。そう聞くという事は行こうとしてたんだ」

「俺は会いたい」

「私は会いたくない」



自分の気持ちを伝えても速攻で断りの返事が返ってきて頭がガクッと下がる。

そんなにキッパリ断らなくても良いじゃないか。

自然と俺は拗ねたような声になって電話越しに桜は小さく笑った。



「もう会えないよ」

「会うよ」

「なんでそこまで私に執着するの?メッセージも放っておいたら50件以上入ってるし」

「良いだろ別に」

「…勘違いだったらごめん。まだ、好きなの…?」

「今回ばかりは諦めが悪いんだ。…好きだよ」



俺は運動公園で何言ってるんだと思う。

電話をしているとわからない人からしたら1人で愛の言葉を呟いているヤバい奴と引かれてしまう。

それでも桜を説得するように俺は伝えた。



「会えるなら今すぐ会いたい。時間も、金もかかっていいから。俺は…そう思ってる」



少し震えそうになる声。

やっぱり弱虫だ。

もっとカッコよく決めれれば心変わりしてくれるかもしれないのに。



「…私は犯罪者だよ」