【完結】君は僕のストーリーテラー

案の定カフェは空いていてお客さんが何組かいるくらいだった。

すんなりと席に着いて私達は向かい合うように座る。

才田さんはメニュー表を取って私の前に差し出した。



「好きなの頼んで?奢るから」

「……はい」



きっと自分で払おうとしても「大人に任せろ」としか言われないはずだ。

わかりきっているので私は頷いてメニューを見る。

前来た時と全く変わってない品揃え。

前と同じようにしようかと思った。

しかし今の私は結構お腹が空いている。

何せ昨日はお昼と夜は食べていないのだから。

胃袋のなかは空っぽ。

サンドイッチだけだと足りなそうな気がする。

だからと言ってガッツリ頼むのもなも思ってしまう。

少しの間悩んだ末に出した結論を指差して才田さんに教えた。



「メロンソーダとカルボナーラをお願いします」

「OK。カルボナーラ、美味しそう。私もアイスコーヒーとそれにしよう」



店員さんを呼ぶと才田さんがメニューを言って頼んでくれる。

頼み終わった後、才田さんは私を見て微笑んだ。



「今回もメロンソーダだね」

「才田さんもアイスコーヒーじゃないですか」

「好きだから」

「私もです」



今回はお客さんも少ないからすぐに食前に頼んだドリンク2つが運ばれる。

約12時間ぶりに胃に水分を入れたらなんだかスッキリした。

今回はシロップを入れずに才田さんはアイスコーヒーを飲んでいる。

私はそれを見てまた1口飲んだ。



「話って…」

「ご飯食べ終わってからね。まだまだ時間はあるから」

「…わかりました」



才田さんに焦らされる私。

本当は早く本題に移りたくてうずうずしてしまう。

目の前に座る才田さんは優雅にアイスコーヒーを飲んでいるけど、私は落ち着かなかった。



「夏休みはどっか行ったの?」

「いえ」

「もしかしてこれから?」

「予定は特に」

「あれ?でも友達と行くって…?」

「……海に行きました」

「なるほどね。だからさっき迷ったのか」



私は申し訳なく頷くと少量のメロンソーダを口に含む。

才田さんはそんな私を見て小さく笑った。



「楽しかった?」

「まぁ、はい」

「そっか。なら今度機会があったら私とも行こうよ」

「そうですね。タイミングが合えば」

「私も海なんていつぶりだろうなぁ。と言ってもカナヅチだから、食がメインなんだけどね」

「泳げないんですか?」

「逆に泳げるの?私水が怖くて無理なんだよね。プールとかでも怖いから浮き輪欲しくなっちゃう」



なんだか意外すぎて私は目を丸くしてしまった。

それに浮き輪をはめてぷかぷか浮かんでいる才田さんを想像するとなんだか可愛くて笑ってしまう。



「ふふっ、やっと笑った」

「あっ笑ってなかったですか?」 

「ずっと険しい顔してたから」

「そうですか…」



その原因は才田さんの上司のお父さんにある。

でも才田さんは私を笑わせようと色々と話題を出してくれた。

店員さんが持ってきてくれたカルボナーラも到着してからも話を尽きさせる事なく、私に話しかける。

それだけなのに私の心は家を出る前よりは晴れてきている気がした。
スパゲッティをフォークで絡め取って口に入れれば美味しさが爆発する。

チーズの香りが鼻を纏った。

何も入っていなかった胃袋がメロンソーダとカルボナーラで満たされていく。

昨日お寿司を食べられなかったのは残念だったけど、あの状況で今みたいに食の幸福感は味わえなかったはずだ。

最後にソースをスプーンで掬って私は完食した。



「美味しかったね。このお店はやっぱり当たりだわ」

「本当です。また今度違うメニューでも試してみたいです」

「いいね。その時は誘って」

「はい」



私はメロンソーダを飲んで口を潤すと、微笑んでいた才田さんは真剣な表情になる。

ああ、やっと本題に移ってくれるんだ。

私はメロンソーダを端に置いて才田さんと向き合った。



「これから言うことは桜ちゃんも知っての通りの事だからさ、食事前には話したくなかったの」

「はい…」

「私は一昨日社長にあらかじめ桜ちゃんに真実を話すと言うことを聞いていた」

「才田さんもお父さんの罪を知っていたんですか…?」

「私は動かされていたから全ては知らなかったよ?それに彼の最後の件について聞かされたのも一昨日だし」



最後の件。

安楽死の手段の話だろう。

私は顔を険しくしてしまう。

それでも才田さんは私の目を見て話を続けた。



「他の研究員の人間で、私よりも地位が上の人は全てを知っていたと思う。その人達もきっと社長と同じ罰を科せられるはず」

「そしたら、才田さんは?」

「憶測でしかないけど、社長が言うには下っ端の私はそこまで重くないだろうって。だって言われた事をやらされていただけだから。まぁ科学者は辞めさせられると思うけどね」

「……すみません」

「え?」

「お父さんが、すみません…。大切な人も、仲間も巻き込むなんて…」

「桜ちゃん。貴方が謝る理由なんてないの。謝るのは社長の方だから。それはもうあの人に土下座してもらわなくちゃ私は気が済まないけど」

「……」

「まぁ、私は桜ちゃんを怒りたくて呼び出したわけじゃないから安心して」



才田さんはそこまで言うとアイスコーヒーを飲んだ。

私は少し俯いてしまう。

例え罪が重くなくたって才田さんにも被害が起きるんだ。

1番悪いのはお父さんだけど、何故か私まで申し訳なくなってくる。

科学者を辞めたら才田さんはこれからどうするのだろう。

そう考えてしまうと余計に顔を見れなくなってしまった。



「……桜ちゃん」

「わっ!」



急に顔が上がったと思ったら私は才田さんと目が合った。

頬が才田さんの細長い指で掴まれている。

どうやら無理矢理顔を上げさせられたようだった。



「私の事は気にしなくていいから。自分の事だけを気にして。大人ならこれからどうだってなる。でもまだ社会に出ていない桜ちゃんは私より大変な道を歩くかもしれないの」

「才田さん…」

「それに社長と1番近い人間は桜ちゃんだけ。これから嫌って言っても嫌なことが起きる。だから、他の誰かを心配するなら自分に手を回してあげて?」



私をしっかり見てそう言ってくれた。

でもその瞳は少し揺れている。

目を伏せたくなってしまう思いを掻き消して私は才田さんの目を見つめた。

「ずるいです。大人だから大丈夫って言わないでください。私は…これでもちゃんと考えているつもりです」

「…本当に?」

「はい」

「そっか。無駄な心配だったね」



私の頬から手がゆっくりと離れて行った。

しかし私がその手を掴む。

驚く表情をする才田さん。

私はそれでも離さなかった。



「私は、才田さんをお姉ちゃんと思っています。何かあったら協力したいんです。初めてこんなに私を可愛がってくれた人だから…」



最初よりもギュッと手を握って才田さんに伝える。

お父さんがかけてくれなかった言葉を才田さんはこの少ない期間で沢山言ってくれた。

姉を通り越して母親みたいな発言だってした。

でも私はそれが今でも嬉しく感じる。

さっき私を見つめて言った言葉だってお父さんからは貰えなかった心配の言葉だった。

年が近くても、血の繋がりがなくても、私は才田さんを家族のように思っている。

その気持ちを伝えるようにずっと手を握っていた。



「いこう」

「さ、才田さん!?」



私の手を離して急に立ち上がった才田さんはすぐさまお会計をしてお店を出る。

突然の行動に私は戸惑ってしまって、後ろをついて行くことしか出来なかった。



「乗っていいよ」

「わかりました…」



車に着くと助手席の扉を開けてもらって私は中に入る。

運転席に回った才田さんは、座って腰をかけると深呼吸をするように顔を上に向けた。



「あーもう…」


 
目を両手で押さえて耐えるような声を出す。

泣くのを我慢しているのだろうか。

それでも手の隙間から流れ出た涙は頬を伝っていた。



「流石にお店で泣けないよ…。正直言って結構悩んでた。好きだから始めた仕事を強制的に辞めさせられるなんて思いたくなかったから…」



震え声の才田さんはただ上を向いて喋る。

私は黙って見ている。

今は私から話すタイミングではない。

それはちゃんとわきまえていた。



「もう出来ないんだとわかっちゃった瞬間から自分に穴が空いた気がしたの。本当、どうすればいいんだろうって。…でも私よりも桜ちゃんの方が絶対辛いはずだから、、。だから連れて来たのに、私の方が励まされちゃった」



才田さんは手で涙を拭ってやっと私を見てくれた。

私は微笑んで頷く。

目が赤くなっている才田さんの姿は子供大人関係なく、普通の人だった。



「……お姉ちゃん」

「なぁに?」

「私のお願い聞いて欲しいの」



今1番願う、たった1つのお願い。

それはきっとお父さんではなく、才田さんにしか出来ない頼み事。

才田さんは私に話してくれた。

私もそれに返すようにケジメをつけよう。



「彼の……あの人の最後の日、最後の瞬間、私に会わせて」


私がその想いを伝えるのはきっと確定していたんだ。

それは私だけじゃなくて、少なくとも隣にいる才田さんもわかっていた。

驚く事なく才田さんは手を握る。

何回目の重なりだろう。

でも私は嫌なんて思わなかった。

むしろこの優しさをずっと感じていたい。



「8月24日。それが安楽死を実行する日になっているけど、桜ちゃんは耐えられる?」

「…耐えられない。けれど、私は会いたいです」

「うん。いいよ。妹のお願いならなんでも聞いてあげれるから」



私は手を握り返す。

2人の手は少し冷たさもあったけど、重なれば体温が上がった。



「それなら私は桜ちゃんを家に降ろした後、研究室に向かう。社長と話し合ってみるよ。でも安心して。絶対お願いは叶えるから」

「はい。…ありがとう、お姉ちゃん」

「うん」



私と才田さんはシートベルトをして車を発進させる。

まずこの車が向かうのは、私の家。

私は24日までにやる事がある。

学校の課題が疎かになっても構わない。

それ以上に大切な事だから。

才田さんの車は来た道を引き返すように進む。

助手席に乗って前を見つめる私の目は真剣だった。



ーーーーーー

 

「決まったら連絡するね」

「はい。よろしくお願いします」

「任せて」



ドア越しに才田さんと約束を交わすと、私は車が見えなくなるまで立っていた。

完全に姿が消えたところで動き出して家の中に入る。

行きとは違い私の心は強く固まっていて、目の腫れも治りつつあった。

才田さんの言葉と少しの時間で私は冷静になれている。

家の中にはお父さんは居なく、私はリビングを通り越すと部屋へ駆け上がった。



「…あった」



部屋に投げてあった筒状に丸められた絵。

昨日涼が届けてくれたものだ。

まっすぐに整えて、掲げてみると全然未完成。

実行日まで約1週間。描けるか?



「描けるよ」



自分で問い、自分で答えを出す。

私は絵を机の上に置いてスマホを持つと涼のトーク欄をタップした。



【聞きたい事があるんだけど、電話してもいい?】

【いいよ〜】



相変わらず返信が早くて助かる。

この時ばかりはそう思った。

私は早速涼に電話をかけると、すぐにだらけたような声が聞こえる。



「何〜?」

「帰省中にごめん!どうしても聞きたい事があったの。この前行った海の場所を教えて欲しい。できれば道とか乗る電車とか!」

「な、何急に。その前に俺まだ福島じゃないんだけど」

「はぁ?昨日、お父さんに言ったのは営業トークだったわけ?」

「ちげーよ!ほら、今日の夜から雨がやばくなる予報だろ?ちょうど帰省から帰る時にはもっと凄い雨になるらしくてさ。延期になったんだよ」

「雨…?」

「ニュース見ればどこでもやってるぞ?大荒れの天気だってさ」

「嘘でしょ…」



涼からの情報では私は頭に手を当てる。

こんな時に限って雨予報。

しかも大荒れ。

これじゃあ海に行って絵を描くことは出来ない。



「てか、海行きたかったの?」

「絵をどうしても完成させなきゃいけないの。24日までに」

「24だと雨と被ってるなぁ…」 

「どうしよう…」

「流石に雨の中では無理だよな」

「うん…」

「んじゃあ今から行くか?」

「え…」

「雨は夜からだから間に合うはず。とりあえず晴れているうちに写真撮っていればそれ見て家でもかけるだろ?桜がいいなら案内する」

「でも」  



出来るならそうしたい。

今は正午を回ったばかりだから時間はまだある。

でも私の事情で涼に迷惑をかけてしまうのではないか?

言葉が詰まっていると涼が呆れ声で話しかけて来た。



「もう、行くぞ。15分後に駅集合。じゃあまた後で」



音がなったと思ったら電話を切られていた。

いつもなら愚痴を言うけど、今日は涼の勢いにお礼を言いたい。

ああいう風に言ってくれなかったらきっと今でもダラダラ悩んでいただろう。

私は大きなバッグに画材と画用紙を丁寧にしまう。

ある程度の荷物も持って、部屋から出た。

駅までは10分あれば着ける距離だ。

私は少しでも早く、と思い玄関から出ると鍵をしめて小走りで駅へと向かった。
少し息が上がって着いた駅。

私が周りを見て涼を探すと後ろから肩を掴まれる。

誰だかわかっているから安心して後ろを振り返ると、私と同じように息が上がっている涼がいた。



「はぁ、はぁ、行くぞ…」

「ふぅ、了解」



私達の状況を知らない人ならなんだこいつらなんて思われてしまってもおかしくない。

2人して息を切らし、髪がボサボサになっているのだから。

しかしそんなのも気にせず、すぐに来た電車に乗り込んで私達は窓際に立つ。

今は午後だから当然乗っている人は多かった。

押し潰させるように私と涼は人に寄せられる。



「ごめん」

「大丈夫。こればかりはしょうがないから」

「ああ」



涼の顔はほんのり赤い。

それもそうだ。

私のことを好きでいてくれるのだから。

しかしその返事もまだ返していない状況。

昨日家に来た時も、面と向かってその話は出なかった。

まぁお父さんがいたからというのがあるけど。

目の前にいる涼は私が苦しくないようにスペースを腕で空けてくれている。

そういうところは優しいなとは思っているけど、好きの感情なのかはわからなかった。

すると涼の手が私の手に触れる。



「持つ」

「ありがと」



下げていた画材達をそっと持ち上げると私と持つのを交代してくれた。

人が周りにいるので会話は最低限だったけど、涼が前に居てくれるのには安心感がある。

後でお礼をしないと、と私は頭の中で何を奢ろうか考えながら段々と変わってくる景色を見ていた。
海の最寄り駅に着くと、あの時の思い出が蘇る。

奇跡的に家に帰れたあの日だ。

でも今はそんなことを考えている場合じゃない。

絵の事に集中しなくては。

涼が私の前を歩いて道を案内してくれる。

こう考えると複雑な道をよく通って帰れたなと自分に感心した。

しかしまた私は頭を振りかぶって余計な考え事を消す。



「少しずつ曇ってきてるな…」

「早めに行って早めに帰ろうか」

「それがいい」



私の言葉で2人して歩くスピードを速くする。

さっきまでは明るかった空は雲が多くなってきた。

雨降りまでとは行かないけど、この天気が酷くなれば絵も描けないし、綺麗な写真だって撮れない。

下書きは描けているのだから後は塗るだけ。

でも1番良い状態の景色を見なくては海を連れて来れない。

何としてでも海を青年の元へ連れて来たいのだ。



「涼、走ろう」

「えっ、桜!?」



私は小走りからちゃんと走り出す。

下り坂なのでそこまでスピードを出さなくても速く降りれた。



「俺荷物あるんだけど!?」

「お願い!時間と天気の勝負なの!」

「わかったわかった!」  



涼は画材を抱えながら私の少し前を走る。

やっぱり運動部だなと思いながら着いて行った。

息がまた上がってくるが関係ない。

今日だけで筋肉痛になってしまいそうだが関係ない。

約束はちゃんと果たしたいから。



「大丈夫か!」

「平気!そろそろ?」

「ここを真っ直ぐ!」



滑るようなスピードはどんどん加速する。

でも足元には気をつけながら走るからずっと下を向いていた。

私が涼の言葉に顔を上げると一面の海が見える。

堤防付近の階段まで進むと一旦止まって息を整えた。



「ふーっ、大丈夫か?」

「だ、大丈夫だって……」

「顔死にそうだけど」

「大丈夫…!絵を描かなくちゃ…!」

「…そうか。ちょうどそっち側だ。俺達が前座ったところ」



涼の指が指し示す方向を見て私はそこへ向かう。

後ろから涼もついて来た。

横に広がる海を見ながら良い場所を探す。

この天気だからだろうか。お客さんは10人も居なかった。



「桜、急に波が高くなったらヤバいから堤防で描けよ」

「わかった」



私は堤防の上に座って涼から画材を受け取る。

すぐに準備を始めて、画用紙を板の上に貼り付けた。

前の途中だったから絵の具が固まっている。

あらかじめ持って来ていたペットボトルの水で溶かして元に戻した。

私は無言で描き始める。



「……」

「……」
  


波の音、風が木々を揺らす音。

あの時は耳に入らなかった音がダイレクトに聞こえてくる。

筆を動かせば動かすほど、この絵の世界に溶け込んでしまいそうだった。

涼は黙って絵を見つめたり、遠くを見たりしている。

申し訳ないと心で謝って私は海を時々見ながら自分の海と対話した。

「……ありがとね。着いてきてくれて」

「別に。暇だったし」

「それでもありがとう」

「…それは誰にやるの?随分とこだわってるようだけど」

「誰に…?関係性は何て言ったらわからないな。強いていえば話し相手」

「友達とかじゃなくて?」

「うん。話し相手」

「それなのにわざわざ絵を描きに?」

「…亡くなるの」

「えっ」

「もうすぐ亡くなるの」

「…そうだったんだ。なんかごめん。ズカズカ聞いちゃって」

「ううん。大丈夫」



私は堤防の上に座りながら絵を描き、涼は堤防の下に立って背中を預けていた。

潮風が私の髪を揺らす。

時々落ちてきた髪を耳にかけながら、私は広がる海と自分の海を見比べる。

「あのさ」

「何?」

「夏休み終わるくらいに花火大会あるの知ってる?」

「毎年あるやつでしょ?」

「一緒に行ってほしい」



涼は海とは反対方向を見て私に言った。

その言葉に筆が止まる。

よくよく考えれば24日を過ぎればあの家には居られなくなる。

ほとんど会ったことのないおじいちゃんとおばあちゃんの家に行くのだから。

それも全部お父さんのせいで。

そしたら必然的に涼には会わなくなってしまう。

私は一瞬だけ涼を見てまた画用紙に筆を走らせた。



「約束は出来ない。お父さんが……忙しくなるの。その関係で自由に動けない」

「…そっか」

「…あのさ、涼はなんで私なんかを好きって言ってくれるの?」

「好きだと思ったら好きって言うだろ。人間なんて衝動的なんだからさ」

「他にも良い子がいるよ」

「桜は好きになったことあるの?」

「誰を?」

「誰かを」



どんな感情かもわからない涼の声に耳を傾けながら悩む。

思い返してもそんな感情は生まれなかった。

その前に私は好きの感情がわからない。



「好きになるとどんな感じなの?」

「ドキドキ?」

「それだけ?」

「バクバク?」

「どっちも同じじゃん」



ただ言葉を変えただけの涼の返事に私はフッと笑う。

また潮風が私の髪を下ろした。



「その人のためならどうでも良くなるんだよ。後先考えずに動きたくなる」

「それって友達にも言えるよね?」

「また違う部類。なんかこう……込み上げてくるっていうかさ」

「ふーん」

「桜が聞いてきたんだろ」

「涼も私を見ればそう思うの?」

「勿論」

「素直なこと」



すると涼は堤防から背中を離して体の向きを変えると、私が座っている真っ直ぐなコンクリートに腕を乗せた。

そして顔を腕の上に置くと顔だけ私に向ける。

「言っただろ?1回言えば何回だって言えるって」

「そうだったね…」



私は涼の視線を返せない。

段々と色付いていく画用紙は何だか暗く見える。

私は自分の表情を隠すように、落ちた髪を戻しはしなかった。
「なんか曇ってきたな」



私は顔を上げて空を確認する。

涼の言う通り、灰色の雲が多くなってきた。



「ここらで写真撮っておいた方がいいかもしれない」

「そうだね」



私は画用紙を貼り付けている板を置くと、前みたいに飛ばされないように重しを乗せる。

空いた手でスマホを持って海の写真を何枚か撮り始めた。

目で見るのと、写真で見るのとでは風景が全く別物になってしまう。

本当は実物をこの目で見ながら描きたいけど仕方ない。

雨の中描いたって綺麗な海の絵にはならないのだから。



「…うん。撮れた」

「それじゃあどうする?帰る?粘る?」

「この後の天気どうだろう?」

「俺の天気アプリだと2時間後から小雨」

「30分粘って良い?」

「良いよ」



涼の承諾も得た私はまた板を膝の上に乗せる。

出来るだけ目に海を写しておきたかった。

涼はずっとさっきの体勢とは変わらずにボーッと海を見つめている。



「天気が良いと綺麗なんだけどさ。こう、曇ってると何だか明るいのが欲しくなるよな」

「祈ってれば?」

「今更天気変えられねぇよ」

「もっと前だったら変えられたんだ」

「てるてる坊主作れば何とかなる」

「ふはっ、てるてる坊主って」 

「笑うなよ。誰しも小さい頃は信じてたろ?……もっと綺麗な景色だったら良かったのに」

「そうだね」



私が動かす筆は力の入れ方に強弱をつけて色の濃さを変えていく。

大体大まかな所までは塗れた。

一旦海を見つめて、私の絵に何が足りないかを探す。

…波の色が少し薄いかな。

私は筆をパレットと画用紙を行き来させてまた塗るのを再開した。



「なんで海って花が咲かないんだろうな」

「何急に」

「今の海って天気のせいで寂しく感じるからさ、どうやったら眩しく見えるのかなぁって考えたら花が浮かんだ」

「だって砂浜に花は生えないでしょ」

「そうなんだけど…」



すると私の中である出来事が浮かんでくる。

思わず止めてしまった筆の部分は濃く色付いていた。

慌てて水で伸ばして色を薄くする。



「涼、質問なんだけど」

「んー?」

「薄い色で、周りにいっぱい咲いて、花びらは…5枚?それで木じゃなくて地面に生えているのって何かな?」

「何それ。そんなの沢山あるだろ」

「そうかもしれないけどさ」

「俺は花詳しくないから知らねぇ」



あっさり諦めた涼に対してむすっとした顔を向けた私。

すると涼はスマホを私に見せてきた。



「25分経過」

「後5分ある」

「空見ろ」

「あっ」



また顔を上にするとさっきよりも雲が暗くなっている。

私はため息をついて片付けを始めた。



「帰りもあるからな」

「わかってるよ…」



渋々動いて画材をしまう。

絵はクルクルと巻いて輪ゴムで留めた。

少し風も冷たくなっている気がする。

私は今更だけど、乱れた髪を整えた。

全ての荷物をバッグに入れて堤防の上から降りる。

そこまで高くは無いけど降りるのに恐怖が出るが、何とか無事降りれた。

画材のバッグを肩にかけると涼がそのバッグを引っ張る。

持ってくれるんだとわかったので私は素直に下ろして涼に渡した。



「ありがとう」

「次は上り坂だから走るなよ」

「さっきは急いでいたけど、今は急いでないから大丈夫」

「これ重いんだからな」

「沢山入ってるからね」



涼の隣に並んで来た道を引き返す。

下れば上り。

それは当たり前な事だけど、最初に走った私の足は結構辛かった。

涼は何ともない顔で歩いているから、ちゃんと運動をしている証拠だろう。

チャンスがあれば運動を始めてみるのもいいかもしれない。

最近お腹周りに肉が付いた気がする。

私は頑張って足を上げながら坂道と戦った。



「どっか寄り道でもするか?」

「涼何か食べた物ある?お礼に奢るよ」

「いや、いい」

「なんでよ。私の気が済まないから」

「好きな人から金は取れねぇよ」

「……」



本当に吹っ切れたみたいに私を好きと言ってくれる。

でも私はその言葉をどう返していいかわからない。

涼は今でも告白の返事を待っているのか。

そう考えるといつまでも答えを出さないのは失礼になる。

しかし自分の気持ちなんてわからない。

だから返事を焦らさない涼に甘えてしまう。

私は色んな人に甘えっぱなしだなと思った。

そういえば才田さんはどうなったのかな。

スマホには通知が来ていないからきっとまだ確定してないのだろう。

あの頼もしい言葉通りになってほしい。

いや、才田さんなら実現させてくれる。

今回ばかりは期待させてほしい。



「あっ」



色んなことを想っていると頬に水が流れる。

もしかして感情的になって泣いてしまったのだろうか。

昨日から泣いてばかりだから涙腺の制御が出来てないのかもしれない。

私は慌てて水を手で拭って目を擦ると涼も同じ声を出す。



「あー、降ってきたわ…」



私は目から手を離して空を見るとポツポツと水が落ちてくる。

また1滴、顔に付いた。

涙ではなく雨だったらしい。



「傘持ってる?」

「持ってねぇ」

「走る?」

「走るか」



涼と私の意見が一致したと同時に走り出す。

まだ完全に降っているわけではない。

でもこれから本降りになるはずだ。

上り坂を走るのはきついけど、雨で絵が濡れてしまったら元も子もない。

一応私に合わせてくれる涼の後ろを追って坂を駆け上がった。