「あっもうこんな時間。俺そろそろ…」
「そうか。ありがとう。和賀那くんのおかげで楽しい時間が過ごせたよ」
「いえ!こちらこそ!」
「食器そのままでいいよ」
時計を見ると30分を過ぎる頃だった。
お父さんも涼も話に満足したらしい。
私はリビングの扉を開けて涼を玄関まで連れて行く。
お父さんもゆっくり後ろから着いてきた。
「お茶とケーキありがとうございました」
「ああ。また機会があったら来てくれ」
「はい。その時はぜひ」
「じゃあね」
「次会うのは学校か?」
「たぶん」
「それじゃあしばらくだな。また」
丁寧に靴を履いて涼は手を振りながら私の家から出て行く。
パタンとしまったら、この家には静寂が訪れた。
1人が居なくなっただけでこんなにも静かになるものなのか。
何か音を立てれば響き渡るくらいに感じる。
「…今日は早いんだね」
「ああ。ここ1週間は遅かったからな。午後から休みを取った」
「そうなんだ」
「良い子だな。和賀那くんは」
「まぁ人見知りしないからね。友達も沢山いる」
「あの子はきっと社会に出てもちゃんとコミュニケーションとっていけるはずだ」
「そうだね」
「……ひとまずリビングに戻ろう」
お父さんは踵を返してリビングに入っていく。
私も食器の片付けがあるので一緒に戻った。
テーブルにある食器をおぼんに乗せているとお父さんは台所に立つ。
何が始まるんだろうと思って私もおぼんを持ち台所へ向かうと、お父さんは洗剤を出していた。
「私がやるよ」
「桜ばかりに任せっきりだと申し訳ない。ほら食器をこっちに置きなさい」
「うん…」
やはりおかしい。
自分から食器を洗う行動はお父さんらしくない。
もちろん遅く帰って私が寝ている時は自分で片付けはする。
しかし私が居る時は、家事は全て私に頼むのだ。
男性だからやって来なかったとわかっている。
それに頼られるのは嬉しかったから私はいつもお願いを聞いていた。
1人の時は自分。
2人の時は私がという暗黙の了解だったのに。
熱でもあるのか。
もしかしたら疲労でおかしくなってるかもしれない。
私はどう尋ねようか考えて台所で突っ立ってしまった。
「どうした?」
「えっと…」
「そういえば夕飯は何食べたい?出前を取る」
「特に要望はないかな」
「なら寿司でいいか?」
「うん。それでいい」
聞くタイミングを逃した私はいつまでも台所にいるわけにもいかないのでリビングのソファに座った。
持っていたスマホを取り出してメッセージアプリを開く。
才田さんからは何も無かった。
もしかしたら体調不良で早く帰ってきた可能性だって考えられる。
お父さんは私に隠し事をするのは得意だ。
それでも才田さんから連絡がないことは体調で問題はないのだろう。
次に私は涼とのトーク欄を開いた。
まだ帰っている途中なのか、涼からも連絡は来ていない。
私はとりあえずもう1回お礼を言おうとメッセージを打つ。
海の日から止まっていたトークは私からの送信で動き出した。
【今日はありがとう。お父さんも涼のこと褒めていたよ】
【いいよ別に。俺も悪いことしちゃったし】
相変わらず既読と返信は早かった。
私も早い方だけど、涼はもっと早い。
きっと四六時中スマホを片手にしているに違いない。
私はポチポチと文を打って送信。
【もう大丈夫】
涼が言う悪いことは告白の件だろう。
大丈夫と言えるほど、大丈夫では無い。
むしろ今もどうして良いかわからない。
しかしそんなこと言ったら涼が余計に思い詰めてしまいそうだったのであえて言わなかった。
【本当?】
【本当】
【OK】
ちゃんと私の言葉に納得してくれたかは涼しか知らない。
でも文面では納得したようだった。
涼は続けて送信する。
【桜のお父さん、初めて見たけど優しいんだな】
今日がおかしいだけだよ。
そんな事は言えずには私はどう返信しようか迷う。
するとお父さんが台所から帰ってきた。
【ごめん。また後で】
【りょーかい】
私はメッセージアプリを閉じて向かい側のソファに座るお父さんをスマホ越しに見る。
ジッと見つめるよりもスマホという壁があった方が見やすいからだ。
特に変な様子はなく、いつもの無表情。
涼の会話マジックが解けたらしい。
私は表情を伺いながらお父さんに話しかけた。
「あの、お仕事はどうなの?」
「その話も含めて早く帰ってきた」
「そうなんだ…」
「結局今回はお前に頼りっぱなしになってしまう」
「私は全然良いよ?お父さんの役に立てるなら」
「ありがとうな。……でも、桜。お前は少し父親離れした方がいい」
「えっ?」
「私のために自分の力を使わないでくれ」
「なんで?だってお父さんの頼みだし…」
「今日、和賀那くんに聞けてよかった。桜の話を。しかしちゃんと本題を話す前に聞いたから、心が揺らいでしまった」
「お父さん?」
「思えば私は桜をどこにも連れて行ってあげなかったし、学校行事も参加してあげれなかったな」
「…まぁそうだね」
お父さんはソファに背中をつけてくつろぐろうな姿で話し始める。
やっぱり何かあったんだ。
言われなくても、私は確信に近いものを得てしまった。
「私は桜に話しておきたい事が2つある。母親のこと、そして研究室にいる彼のこと」
私は軽く口を開けてしまう。
お父さんが言った2つのことは全て私が聞きたいことだからだ。
私は頷くとお父さんは座っている1人用ソファの向きを変えて窓の外から見える庭の景色に顔を向けた。
「私は小さい時に桜から母親の事を聞かれると、お前を産んで亡くなったと言っていた」
「うん」
「でもそれは嘘だ。桜の母、私の妻の秋菜(あきな)は私が殺した」
「お父、さんが…?」
「私は秋菜と出会う前から科学者で、秋菜と繋がったきっかけは彼女の体に入っている新種の病原菌の研究でだ。私を含め数人の研究者は秋菜の体を使って血液採取などで薬の調合などを始めた。…そんな中、ひょんな事で話すうちに私達は惹かれ始め愛に至りお前が生まれた」
「…」
「桜を産んだ直後の検査で、お前には秋菜の体にある病原菌は無いとわかった時は2人で安心したよ。でも、本当の不幸はこれからだった。出産が終わった秋菜の体が急変したんだ。もがき苦しむ妻の姿は今にも目に焼き付いている。その時点では菌を死滅させる薬は出来ていなかった。あれだけ時間をかけたのに、だ」
お父さんは顔を下げて軽く俯く。
初めて知ったお母さんの事実。
私は何も話せぬままお父さんの言葉を聞いていた。
「唯一わかっていた事は、このままだと死ぬ運命しかないということ。私は青白くなった秋菜の顔を見て耐えられなくなり、安楽死用の注射を打った。……その後はわかるだろう?秋菜はピクリとも動かなくなった。秋菜の死因は病死となっているが…実際は私の手によって終わったのだ」
「それじゃあ、お父さんは……」
「殺人犯だな」
私は手に力を込める。
信じられない。
今まで一緒に過ごしてきたお父さんに罪があるなんて。
この話は無かったことにしたい。
でも過去の罪なんて消えない。
ただ体に力を入れることしかできなかった。
「そしてこの話は彼にも繋がる」
「なんで…?」
「研究室にの彼も、同じ病原菌を持っているからだ」
「そ、それじゃあ、お父さんは…また同じことを…」
「…そうだな」
「な、なんで!?」
私はソファから立ち上がりお父さんに怒鳴りつける。
その拍子でスマホが落ちた。
割れてても仕方ない音がする。
でも今はお父さんに問い詰める方が先だ。
「お母さんの死で学ばなかったの!?」
「秋菜の死を無駄にしたく無かったんだ」
「どういうこと…」
「研究をやめれば全てデータは無くなる。秋菜の体を使ったデータ全てだ。そんなこと…私が許せなかった」
少し震えるお父さんの声は私を黙らせると同時に脱力させた。
落ちるようにソファに座り込む。
もう、怒って良いのか泣いて良いのかわからなくなってしまった。
私はお父さんを見たくなくて顔を下げる。
「続きは」
「…トラブルの話は才田から聞いただろう?そのトラブルは、秋菜と同じように彼も苦しみ始めた」
力が完全に抜け切った。
お父さんはまた同じ道を歩み、同じ結果に辿り着いたのだろう。
「安楽死させるの…?」
「その予定だ」
「そしたらどうなるの?」
「彼は死ぬ。…私は警察に全てを話して自首する」
下を向いた私の太ももには1粒の雫がシミを作った。
「桜は私の実家へ引き渡そう。この家には用がなくなる」
「なんで、そんな…」
「桜」
「私は、本当にお父さんに何もしてもらってない!最後の最後は自分勝手で…!結局何もしてくれないじゃん!おかしいよ!頭おかしい!!」
「……」
涙のストッパーが切れたように流れ落ちる。
鼻がツンとして痛かった。
それでも私はお父さんに対して叫び続けた。
「ごめん…」
「謝るなら最初からやらないでよ…!お父さんは私のことちゃんと考えてくれたの…?」
「ごめん」
お父さんは立ち上がって私に頭を下げる。
私はもうどうしていいかわからずに顔を手で覆った。
「もう、、やだぁ………」
私の力ない声がリビングに響き渡った。
お父さんはもう何も言わない。
私の鼻を啜る音と、嗚咽だけが2人の耳に通って行った。
何度泣いて、何度布団を殴っただろう。
そう疑問になるくらいの数だと思う。
お父さんと話した後、結局私は部屋に戻り閉じこもってしまった。
もうどうしていいかわからなくなったから。
次起きたら全て夢でしたなんてならないかなと微かな希望を持って、寝て起きての繰り返しをした。
それでも都合の良い結果には至らない。
腫れた目、頬に出来た涙の跡。
鼻が詰まっているのを認識すれば現実だったということがわかる。
私は時刻を確認しようと、床にぶん投げてあったスマホを確認した。
落として、投げたのに画面は無傷に近い。
スマホカバーが守ってくれたのだ。
でもそんなことはどうだっていい。
私はロック画面を見ると時刻よりもメッセージ通知に目が行く。
【2人で話したい】
送り主は才田さんだった。
何を話すかなんて少し考えればわかる。
きっとお父さんに私と話してやれと指示されたのだろう。
私は考えるフリをしたけど、返信は決まっていた。
【わかりました】
たった一言の言葉。
冷たい返信だと思われるかもしれない。
けれどそれしか浮かばなかった。
すぐさま既読と私に対しての返信が来る。
ずっと待ってくれていたのだろうか。
現在時刻が午前9時前なのに対して、最初のメッセージが送られてきたのは夜の10時頃。
11時間もの間待っていてくれていた。
【今日は会える?】
【大丈夫です】
【10時30くらいに迎えに行ってもいい?】
【はい】
【それじゃあ家で待っててね】
才田さんのトークに既読をつけると私はベットから降りて準備を始める。
昨日はお風呂を入らずに閉じこもっていたから髪がベタベタしてる気がした。
すぐにシャワーを浴びに浴室へ向かう。
お父さんはいるのだろうか。
2階の廊下を忍足で歩き、部屋の様子を確認するが物音1つない。
階段の上から1階の様子を伺ったが、お父さんは居ないようだった。
私は普通の歩き方に変わる。
念の為リビングにも顔を出したけど、大きな背中は見えなかった。
そのままの足でシャワーを浴びれば、頭からかかる冷たい水が私を冷やしてくれた。
この水が心の回復をしてくれないだろうかなんてファンタジーな事を考え始めてしまう。
そのまま目の腫れも治してほしいな。
しかし一瞬で我に返り、ついにおかしくなったかと自分の頭を疑った。
水を止めて、その場に座り込む。
髪の毛からの水が背中に滴って冷たい。
一気に体温が冷えてしまいそうだ。
もし、このまま私が冷たくなって死んでしまったらどうなるんだろう?
そうすれば全部が無くなるのに。
「ダメだ…」
私はまた水を勢いよく出す。
そうすれば寒いという感情が真っ先に来るはず。
余計な事を考えなくて済むから。
「お待たせ、桜ちゃん」
「いえ…」
「助手席に乗って?」
「わかりました」
才田さんの車は10時30分ぴったりに私の家の前を止まった。
玄関前で待っていた私はすぐに近寄って車に乗り込む。
「暑い中待っててくれたの?」
「はい。でもちょっと前にシャワー浴びたので…」
「ま、まさか水?」
「はい」
「そっか…」
勘のいい才田さんは私が冷たい水を浴びた事を当てて、顔を若干引き攣らせていた。
でもすぐに前を見て車を発進させる。
私も前だけを見ていた。
「今日は研究室じゃないから。ただ単に私のわがまま」
「…お父さんに頼まれたんですか?」
「ううん。本当に私のわがままだよ」
私が呟いた小さな声でも質問は優しい声で返ってきた。
それでも連れ出すタイミングが良すぎないか?
昨日の件があったから今日才田さんを登場させたと思っていた。
けれど才田さんは自分の意思で私を迎えにきてくれたのだ。
なんでだろうと流れる景色を見ながらボーッと考える。
「桜ちゃんは行きたいところある?」
「特には…」
「それなら海でも行こっか?」
「海……」
この前涼と言ったばかりだ。
でもあの景色は何回見ても飽きはしないはず。
でも私の気は進まない。
涼の告白と、青年への海の約束が重なってしまうからだろう。
私はすぐには答えられなくて迷ってしまった。
「うーん…」
「山、水族館、遊園地、動物園、映画館、ゲーセン…」
「才田さんが決めてください」
「え?私が?……なんだろ」
私が考えるのをバトンタッチして、次は才田さんが悩む番だった。
ハンドルを握りしめながら頭を傾げる。
「あのその前に、なんで今日私を誘ったんですか?」
「……あのカフェ行こっか」
「才田さん?」
「あそこで話そう?」
そう言った才田さんはハンドルを動かしてカフェの駐車場に停める。
ここは私達が初めて会った日に来たカフェだった。
「まだお昼前だから空いていると思う」
才田さんが車を降りると私に手招きしてカフェへ歩き出す。
私も助手席から降りて才田さんの後を追った。
案の定カフェは空いていてお客さんが何組かいるくらいだった。
すんなりと席に着いて私達は向かい合うように座る。
才田さんはメニュー表を取って私の前に差し出した。
「好きなの頼んで?奢るから」
「……はい」
きっと自分で払おうとしても「大人に任せろ」としか言われないはずだ。
わかりきっているので私は頷いてメニューを見る。
前来た時と全く変わってない品揃え。
前と同じようにしようかと思った。
しかし今の私は結構お腹が空いている。
何せ昨日はお昼と夜は食べていないのだから。
胃袋のなかは空っぽ。
サンドイッチだけだと足りなそうな気がする。
だからと言ってガッツリ頼むのもなも思ってしまう。
少しの間悩んだ末に出した結論を指差して才田さんに教えた。
「メロンソーダとカルボナーラをお願いします」
「OK。カルボナーラ、美味しそう。私もアイスコーヒーとそれにしよう」
店員さんを呼ぶと才田さんがメニューを言って頼んでくれる。
頼み終わった後、才田さんは私を見て微笑んだ。
「今回もメロンソーダだね」
「才田さんもアイスコーヒーじゃないですか」
「好きだから」
「私もです」
今回はお客さんも少ないからすぐに食前に頼んだドリンク2つが運ばれる。
約12時間ぶりに胃に水分を入れたらなんだかスッキリした。
今回はシロップを入れずに才田さんはアイスコーヒーを飲んでいる。
私はそれを見てまた1口飲んだ。
「話って…」
「ご飯食べ終わってからね。まだまだ時間はあるから」
「…わかりました」
才田さんに焦らされる私。
本当は早く本題に移りたくてうずうずしてしまう。
目の前に座る才田さんは優雅にアイスコーヒーを飲んでいるけど、私は落ち着かなかった。
「夏休みはどっか行ったの?」
「いえ」
「もしかしてこれから?」
「予定は特に」
「あれ?でも友達と行くって…?」
「……海に行きました」
「なるほどね。だからさっき迷ったのか」
私は申し訳なく頷くと少量のメロンソーダを口に含む。
才田さんはそんな私を見て小さく笑った。
「楽しかった?」
「まぁ、はい」
「そっか。なら今度機会があったら私とも行こうよ」
「そうですね。タイミングが合えば」
「私も海なんていつぶりだろうなぁ。と言ってもカナヅチだから、食がメインなんだけどね」
「泳げないんですか?」
「逆に泳げるの?私水が怖くて無理なんだよね。プールとかでも怖いから浮き輪欲しくなっちゃう」
なんだか意外すぎて私は目を丸くしてしまった。
それに浮き輪をはめてぷかぷか浮かんでいる才田さんを想像するとなんだか可愛くて笑ってしまう。
「ふふっ、やっと笑った」
「あっ笑ってなかったですか?」
「ずっと険しい顔してたから」
「そうですか…」
その原因は才田さんの上司のお父さんにある。
でも才田さんは私を笑わせようと色々と話題を出してくれた。
店員さんが持ってきてくれたカルボナーラも到着してからも話を尽きさせる事なく、私に話しかける。
それだけなのに私の心は家を出る前よりは晴れてきている気がした。
スパゲッティをフォークで絡め取って口に入れれば美味しさが爆発する。
チーズの香りが鼻を纏った。
何も入っていなかった胃袋がメロンソーダとカルボナーラで満たされていく。
昨日お寿司を食べられなかったのは残念だったけど、あの状況で今みたいに食の幸福感は味わえなかったはずだ。
最後にソースをスプーンで掬って私は完食した。
「美味しかったね。このお店はやっぱり当たりだわ」
「本当です。また今度違うメニューでも試してみたいです」
「いいね。その時は誘って」
「はい」
私はメロンソーダを飲んで口を潤すと、微笑んでいた才田さんは真剣な表情になる。
ああ、やっと本題に移ってくれるんだ。
私はメロンソーダを端に置いて才田さんと向き合った。
「これから言うことは桜ちゃんも知っての通りの事だからさ、食事前には話したくなかったの」
「はい…」
「私は一昨日社長にあらかじめ桜ちゃんに真実を話すと言うことを聞いていた」
「才田さんもお父さんの罪を知っていたんですか…?」
「私は動かされていたから全ては知らなかったよ?それに彼の最後の件について聞かされたのも一昨日だし」
最後の件。
安楽死の手段の話だろう。
私は顔を険しくしてしまう。
それでも才田さんは私の目を見て話を続けた。
「他の研究員の人間で、私よりも地位が上の人は全てを知っていたと思う。その人達もきっと社長と同じ罰を科せられるはず」
「そしたら、才田さんは?」
「憶測でしかないけど、社長が言うには下っ端の私はそこまで重くないだろうって。だって言われた事をやらされていただけだから。まぁ科学者は辞めさせられると思うけどね」
「……すみません」
「え?」
「お父さんが、すみません…。大切な人も、仲間も巻き込むなんて…」
「桜ちゃん。貴方が謝る理由なんてないの。謝るのは社長の方だから。それはもうあの人に土下座してもらわなくちゃ私は気が済まないけど」
「……」
「まぁ、私は桜ちゃんを怒りたくて呼び出したわけじゃないから安心して」
才田さんはそこまで言うとアイスコーヒーを飲んだ。
私は少し俯いてしまう。
例え罪が重くなくたって才田さんにも被害が起きるんだ。
1番悪いのはお父さんだけど、何故か私まで申し訳なくなってくる。
科学者を辞めたら才田さんはこれからどうするのだろう。
そう考えてしまうと余計に顔を見れなくなってしまった。
「……桜ちゃん」
「わっ!」
急に顔が上がったと思ったら私は才田さんと目が合った。
頬が才田さんの細長い指で掴まれている。
どうやら無理矢理顔を上げさせられたようだった。
「私の事は気にしなくていいから。自分の事だけを気にして。大人ならこれからどうだってなる。でもまだ社会に出ていない桜ちゃんは私より大変な道を歩くかもしれないの」
「才田さん…」
「それに社長と1番近い人間は桜ちゃんだけ。これから嫌って言っても嫌なことが起きる。だから、他の誰かを心配するなら自分に手を回してあげて?」
私をしっかり見てそう言ってくれた。
でもその瞳は少し揺れている。
目を伏せたくなってしまう思いを掻き消して私は才田さんの目を見つめた。
「ずるいです。大人だから大丈夫って言わないでください。私は…これでもちゃんと考えているつもりです」
「…本当に?」
「はい」
「そっか。無駄な心配だったね」
私の頬から手がゆっくりと離れて行った。
しかし私がその手を掴む。
驚く表情をする才田さん。
私はそれでも離さなかった。
「私は、才田さんをお姉ちゃんと思っています。何かあったら協力したいんです。初めてこんなに私を可愛がってくれた人だから…」
最初よりもギュッと手を握って才田さんに伝える。
お父さんがかけてくれなかった言葉を才田さんはこの少ない期間で沢山言ってくれた。
姉を通り越して母親みたいな発言だってした。
でも私はそれが今でも嬉しく感じる。
さっき私を見つめて言った言葉だってお父さんからは貰えなかった心配の言葉だった。
年が近くても、血の繋がりがなくても、私は才田さんを家族のように思っている。
その気持ちを伝えるようにずっと手を握っていた。
「いこう」
「さ、才田さん!?」
私の手を離して急に立ち上がった才田さんはすぐさまお会計をしてお店を出る。
突然の行動に私は戸惑ってしまって、後ろをついて行くことしか出来なかった。
「乗っていいよ」
「わかりました…」
車に着くと助手席の扉を開けてもらって私は中に入る。
運転席に回った才田さんは、座って腰をかけると深呼吸をするように顔を上に向けた。
「あーもう…」
目を両手で押さえて耐えるような声を出す。
泣くのを我慢しているのだろうか。
それでも手の隙間から流れ出た涙は頬を伝っていた。
「流石にお店で泣けないよ…。正直言って結構悩んでた。好きだから始めた仕事を強制的に辞めさせられるなんて思いたくなかったから…」
震え声の才田さんはただ上を向いて喋る。
私は黙って見ている。
今は私から話すタイミングではない。
それはちゃんとわきまえていた。
「もう出来ないんだとわかっちゃった瞬間から自分に穴が空いた気がしたの。本当、どうすればいいんだろうって。…でも私よりも桜ちゃんの方が絶対辛いはずだから、、。だから連れて来たのに、私の方が励まされちゃった」
才田さんは手で涙を拭ってやっと私を見てくれた。
私は微笑んで頷く。
目が赤くなっている才田さんの姿は子供大人関係なく、普通の人だった。
「……お姉ちゃん」
「なぁに?」
「私のお願い聞いて欲しいの」
今1番願う、たった1つのお願い。
それはきっとお父さんではなく、才田さんにしか出来ない頼み事。
才田さんは私に話してくれた。
私もそれに返すようにケジメをつけよう。
「彼の……あの人の最後の日、最後の瞬間、私に会わせて」