【完結】君は僕のストーリーテラー

海辺さんとエレベーターに乗って下に降りていく。

電光掲示板は地下まで下がっている事を教えてくれた。

もしかしたらこの時点でおかしいと気づけば結末は変わったのかもしれない。

でも今の僕の頭の中にはお姉ちゃんで埋め尽くされている。

さっきの部屋でお父さん達と居なかったのなら今は病院だろう。

それでも僕は聞きたかった。

なんの病気なのか。

お姉ちゃんはこれから普通に過ごせるのか。

海辺さんから逃げる選択肢なんて僕には1ミリもない。

地下に着くとエレベーターが無機質に開く。

出た先には1本の廊下だった。

真っ白な壁。

奥には扉が1つだけある。

海辺さんは僕を見ると人差し指を差してこっちだと教えてくれた。

僕は頷いて足を踏み出す。

海辺さんは隣をゆっくり歩いてくれる。



「……本当に聞いて良いのかい?」

「え?何がですか?」

「これからの話をだ。君にとっては酷い話になるかもしれないよ」

「酷い話なんですか?」

「それは受け取り方しだいだ。逆に嬉しい話に聞こえる場合だってある。どう思うかは人それぞれだよ」

「…聞きます。だってお姉ちゃんの事ですから。家族として、弟として、聞きたいです…」

「わかった。君のその純粋な気持ちに応えよう」



奥に佇む扉の前に来ると海辺さんはパスワードを入力する。

この時点でも全く疑わなかったのは、馬鹿を通り越すくらいの鈍さだろう。

僕はただ話を聞きたいだけなんだ。

開いた扉を2人で潜ると中はパソコンが何台も置いてある部屋だった。

人は誰もいない。

けれども1人で仕事をするには台数が多すぎるし、部屋も広い。

今は居ないだけだろう。

海辺さんはそんな部屋を見向きもしないで進んでいく。



「この部屋で待っていてくれるかな?」



パソコンが置かれた部屋のまた奥。

頑丈な鉄で出来た扉が僕を待っていた。



「私は準備がある。なに、心配する事ない。ちゃんと話すから」

「わかりました」



海辺さんを見てしっかりと頷く。

そんな僕を見て頭を撫でてくれた。

お父さんが撫でる時とはまた違う感覚だ。

優しくて、まるで壊れ物を扱うような触り方。

僕は重く開かれた扉と部屋の境界線を跨ぐ。

その部屋は一面が白の部屋だった。

さっきのパソコン部屋と比べて明るく感じる。

その中央にはテーブルと2つの椅子があった。

ここで話すのかと理解できた僕は片方の椅子に座る。



「……」  



海辺さんはまだ来ない。

それにしても眩しいな、この部屋。

なんでこんな部屋を選んだのだろう。

僕は机に肘を着いて手に頬を乗せる。

足をぶらぶらと揺らし待っていると、この部屋に海辺さんの声が響き渡った。



「やぁ。気分はどうかな?」 

「えっ、海辺さん…?」



扉は開いていない。

ピッタリと閉められている。

どこから声がするのだろう。

僕は周りをキョロキョロ見渡すが、姿は全く見えない。



「これは放送さ。スピーカーから流れている。面と向かって話すよりも、こうして話したほうが冷静で居られるからね」

「え……」  



その時、僕は初めて恐怖を持った。

思わず立ち上がってしまう。



「ーーくん。大丈夫。座りなさい」  



海辺さんの声はまるで強制的に命令をするかのように僕の耳を通る。

僕はそれに従うように座った。



「そうだ。話をするならリラックスが大事。それではトーク会を始めよう。ひとまず私の話を聞いてくれるかな?」



声も出なくなってしまった僕はゆっくりと頷いた。

それを見た海辺さんは



「良い子だ」



とまるで耳元で囁くように喋り出した。
「まずは君が1番気になっている事から話そう。お姉さんの状態だ」

「お姉ちゃん…」

「現在、ーーくんのお姉さんは意識がない。しかし死んでいるのではないから安心してくれ。簡単に言えば…植物状態に近いね」



植物状態。

それは無知な僕でもわかる事だ。

僕は椅子をガタッと鳴らしながら立ち上がってしまう。



「お姉ちゃんはいつ目を覚ますんですか!?」

「落ち着いてくれ。冷静に……ね」

「は、はい…」



また座った僕を確認したのか、海辺さんは話すのを再開する。



「いつ、目を覚ますのかはわからない。その前に目が覚めるかもわからない。もしかしたら明日死んでしまう可能性だってある。人間の運命っていうのは読めないから私から確定では言えないんだ」

「そんな…」



体が震え出した。

手足、肩、口。

まるで氷水の中に入れられたみたいに震える。

お姉ちゃんが目を覚さないのなら僕はどうすれば良い?

もう話せない。触れられない。

守ってくれない。

じんわりと目が潤ってくる。



「話を続ける。お姉さんの病気についてだ」

「……!」

「これは完全にーーくん達のお父さんとお母さんに責任がある。君達姉弟には特殊な菌を生まれ持った。それは未だに世間では出ていない。そしてこの菌を持った人は現在ーーくんとお姉さんしか確認出来ていない」



その言葉で僕は自分の手を見る。

まだ震えている手。

この中に特殊な菌があるのか…?

そんなの聞かされていない。

僕の目からは遂に雫が漏れ出した。



「私は君達が小さい頃から知っていた。君達の医師は僕の仕事仲間でね。情報が入ってきたんだよ」

「仕事…?」

「ああ、言ってなかった。私は科学者さ。海辺博貴という科学者。…また話に戻ろう。私は医師から君達の菌の話を聞いた時、調べてみたいと思ったのだ。いや調べなければ、だね。だから君のご両親に連絡を取った。それが私との繋がりの始まりだ」



淡々と話す声は余計に僕を恐怖に晒す。

何が嬉しいと思う可能性もあるだ。

こんな話ちっとも嬉しくない。

逃げたい。

僕は部屋を見るけど、鉄の扉以外出れる場所はない。

唯一窓のようなものがあるけど、それを破れるほどの筋力は持ってなかった。



「すぐにご両親に本題を話したよ。しかし2人は信じなかった。医師の力を借りても、調査の協力はしてくれない。一向に首を縦に降らなかったんだ。まぁそれが今回に結びつくのだけどね。もし、ご両親が協力してくれたら……お姉さんはこんな事にはならなかった」

「お姉ちゃんは……その菌のせい?」

「そうだ。君達を早く調べれば、早く特効剤が作れた。でもーーくんのせいじゃない。全てはご両親のせいだ」



この人の言葉の力は凄い。

僕を簡単に支配できる。

今、僕はお父さんとお母さんに怒りを持っていた。

2人が了承してくれたら、お姉ちゃんはあんな事にならなかった。

悪い菌を殺せるなら僕は喜んで参加する。

だって薬が作れれば、普通に平凡に暮らせたのだから…。
すると僕の中である考えが浮かび上がる。

顔を上げて海辺さんに尋ねた。



「それじゃあ、僕も、お姉ちゃんみたいに…?」

「気づいてくれたか。そうだ。同じ菌を体に持つ君も近い将来そうなるだろう」

「じゃあ!どうしたら!」

「だから先程のサインだ」



興奮して声を出す僕に対してずっと冷静な声で話す海辺さん。

冷静の塊だと言えるだろう。

僕は次の言葉を待つように黙り込む。

1回溜まった唾液を飲み込んだ。



「これは契約書だ。ご両親は君を研究に使って良いと了承を得た」

「そしたら、僕の菌は無くなるんですか…?」

「断言は出来ない」

「そしたらやる意味は!」

「よく聞いてくれーーくん。この研究は1人を犠牲にして1人を助けるものなんだ」

「えっ…」

「それは薬を作る段階で言える事なのだが、もし、ご両親が早い段階で頷けば君かお姉さんどちらか犠牲にして薬を作り上げる。最悪の場合研究されたどちらかは死ぬことになるんだ」



それじゃあ、どうしたら良いんだよ…。

だからお父さん達は頷かなかったのか?

どっちか死ぬってなるから。

僕の頭の中は混乱が激しく回り始める。

どっちに怒りを向ければいいかわからない。

特効薬を作れる海辺さん。

僕たちを失いたくなくて、協力しなかったお父さんとお母さん。

僕は机に頭を置いて抱え込む。

涙は頬を流れ、机の上に水溜りを作る。

この涙にも菌が含まれているのかな。

僕が体をあげて薬を作ったって僕のためにはならないかもしれない。

でも、もしそれでお姉ちゃんが助かるとしたら?

僕は小さい声で海辺さんに質問した。



「薬を作ればお姉ちゃんは元に戻る?」

「戻らない」

「じゃあ僕がやる意味なんて…!どっちにしたって死ぬじゃないか!」

「私は君の体を使わせてもらう対価としてご両親に条件を出した。なんだと思う?」

「知らないよ…」

「金だ」

「か、ね…?」

「君は想像できないほどの膨大な金を対価として払った。君は、ご両親に売られたんだ」



海辺さんの言葉がただ頭の中でこだまする。

真っ白だ。何も浮かばない。

何を言えば良いのだろう。わからないや…。

売られた?売られるってあれだよね?

お金と引き換えにするやつ。

それって人間でも出来るんだ。

お金。お金。お金。お金。

改めて聞きたいよ。

僕はどっちに矛先を向ければ良い?

お金で交換した海辺さん?

それとも条件の頷いたあいつら?

……もうどっちでもいいや。

ただ今思うのは…死にたい。



「この機会だ。教えておこう。金は料理店の借金返済とお姉さんの入院費に使うらしい。私としては使い道なんてどうでもいいが…」

「は、はは、はははは」

「うむ。そろそろ始めようか。壊れた瞬間がちょうど良い」



プシューと僕がいる部屋に空気が入ってくる。

僕は頭を上げて脱力するように腕を下に下げた。

鼻から空気が入ってくる。

もう、どうだって良いんだ。



「おやすみ。ーーくん。次起きる時はきっと、嫌なことは忘れてる………」



最後に聞いた男性の声は優しかった。
私はこの1週間、家から一歩も出なかった。

数日経てばお盆の時期に入る。

余計に家から出ないだろう。

才田さんの連絡も最低限で済ませるから会話相手も居ない。

あの海の日から涼とも会ってないし、メッセージも送ってなかった。

絵の件も解決しないまま時がすぎている。

ご飯を食べて、課題をやって、昼寝してご飯を食べる生活だから少し太ったかもしれない。

そう頭では思っても何かしようとは思えなかった。

しかし突然のインターホンで私の体は起き上がる。

無理矢理に近い動かし方は寝ていた私の頭をクラクラさせた。



「はーい」



階段を降りながら声を出して、自分がいることをアピールする。

インターホンは1回鳴ると止まったのできっと私がいる事を認識したはずだ。

玄関の鍵は閉まっているのでガチャリと音を立てながら開ける。

玄関先には2人の男がいた。



「涼……とお父さん」



どんな組み合わせだと尋ねたくなる。

手前に涼がいて後ろからお父さんが歩いてきた。

私が「お父さん」と呼ぶと涼は驚いたように振り向く。

この様子だとたまたま時間が被っただけのようだ。



「君は…」

「は、はじめまして!桜の友達の和賀那涼です」

「こんにちは。桜の父です」

「えっと、まず涼どうしたの?」

「これ…」



涼の右手にぶら下げているのは私が海で置いてきてしまった画材だった。

そして左手には丁寧に巻かれた画用紙を持っている。



「ごめん。ありがとう」

「明日から俺、母さんの実家に帰省するからしばらく会えなくて。渡せるのは今日しか無かった。急に押しかけてごめんな」

「ううん。助かった」

「どうしたんだこれは」

「私が友達と遊んだ時に忘れちゃったの。だから涼が持ってきてくれただけ」

「そうか」



私は咄嗟に軽い嘘をつく。

本当は涼と2人で海に行って忘れたのだ。

でもそれをお父さんに言ったら後で何を聞かれるかわからない。

今の答えは正当な判断だったと自分を褒めた。

するとお父さんは私と玄関の扉の隙間を潜るように家の中に入る。



「和賀那くん。暑い中ありがとう。良ければお茶でも飲んでいかないか?」

「えっ、でも」

「涼少し汗かいているし、水分摂ったほうがいいよ。入って」



ここで不審な行動でもしたらそれこそ疑われる。

私はお父さんに賛成して扉を大きく開けた。

涼は最後まで迷って家の中に入る。

私が扉を閉めると小さな声で「お邪魔します」と言った。



「桜、飲み物はあるだろう?」

「うん。お茶もジュースもある」

「私は着替えてから行く。準備は頼む」

「わかった」



お父さんはスーツの上着だけを脱いでワイシャツ姿になるとネクタイを緩める。

そして2階にある自分の部屋へと向かった。



「リビングこっち」

「ああ、サンキュー」



お父さんが行った事を確認すると、私は涼を連れてリビングに入った。

「そこのソファ座って」

「わかった」



涼をソファに座らせた後、私は台所に行って飲み物を用意する。

全員麦茶で良いだろう。

ちゃんと朝ご飯の食器を片付けといてよかった。

私は3人分のコップに麦茶を注いでいると後ろからお父さんの声が聞こえる。



「桜、冷蔵庫に小さめのケーキがあったはずだ。それも出してくれ」

「そんな俺大丈夫ですよ?長居はしないので!」

「遠慮しないでくれ。2人暮らしだからケーキが余ってしまっているんだ。手伝ってくれないか」

「そういうことなら…」

「お父さん、これで良い?」

「ああ。麦茶は私が持って行こう」



私服に着替えたお父さんはおぼんに麦茶を置くとテーブルまで運んでくれる。

普通に出迎えてしまったが、お昼頃に帰ってくるのは夏休み前以来だ。

トラブルは片付いたのか。

でも才田さんからは連絡が入っていない。

涼が帰ったら聞いてみようと、私は大きな背中を見て思った。



「ありがとうございます」

「良いんだ。むしろ消費の手伝いをしてもらって悪いね」

「いえいえ!食べることは好きなので」

「涼は甘党だからね」

「そうか。遠慮なく食べてくれ」

「いただきます」



涼はケーキを受け取ると美味しそうな表情で食べ出す。

私はお父さんの隣の椅子に座って同じように食べ始めた。



「桜は迷惑かけてないか?」

「ちょっとお父さん…」

「全然です。むしろ面倒見がいいから勉強とか助かってます」

「それならよかった」  



涼の答えに安心したような言葉で返すお父さん。

なんだか今日はおかしい気がする。

暑い中、私の忘れ物を届けてくれたからというのもあるけど友達を自分から家に入れた。

それに私の事を誰かに尋ねることなんて今まで1回も無かったのだ。

それなのに今日は違う。

何かあったのかなと逆に心配になってきた。

私はケーキを麦茶で流し込んで口の中をリセットする。

既に涼はペロリと平らげていた。



「涼くんのお母さんのご実家はどこに?」

「福島です」

「なら新幹線かな?私も仕事で出向いたことがあるけど、福島県は自然豊かだね」

「はい。夜になると静かだし、真っ暗だからよく眠れます」

「そんなに静かなの?」

「少し虫の音がするけど、嫌な音じゃないよ」

「へー。田舎は行ったことないや」

「小さい時は探検ばっかりしてたよ。そして汚れて帰ってきて、すぐに風呂に入れられるのがお決まり」

「はははっ。男の子はそれくらい元気でなくては」

「今は探検っていうかゴロゴロしちゃうけど…」

「高校生になって探検はあまりしないか」

「小さい頃の興味というのは本当に面白いからね。それは大人になるにつれて徐々に薄れていってしまうのだが」

「凄いですね。答えが科学者らしいというか」

「実際科学者だからね」
 

お父さんは少しだけ表情を緩ませた。

涼の人懐っこさなら簡単に打ち解けるのだろう。

改めて涼のコミュニケーション能力に尊敬した。

私でさえお父さんの表情を緩ますのは至難の技なのに。

少し嫉妬を向けながらも私は涼から繰り出される話に相槌を打っていた。

「あっもうこんな時間。俺そろそろ…」

「そうか。ありがとう。和賀那くんのおかげで楽しい時間が過ごせたよ」

「いえ!こちらこそ!」

「食器そのままでいいよ」



時計を見ると30分を過ぎる頃だった。

お父さんも涼も話に満足したらしい。

私はリビングの扉を開けて涼を玄関まで連れて行く。

お父さんもゆっくり後ろから着いてきた。



「お茶とケーキありがとうございました」

「ああ。また機会があったら来てくれ」

「はい。その時はぜひ」

「じゃあね」

「次会うのは学校か?」

「たぶん」

「それじゃあしばらくだな。また」



丁寧に靴を履いて涼は手を振りながら私の家から出て行く。

パタンとしまったら、この家には静寂が訪れた。

1人が居なくなっただけでこんなにも静かになるものなのか。

何か音を立てれば響き渡るくらいに感じる。



「…今日は早いんだね」

「ああ。ここ1週間は遅かったからな。午後から休みを取った」

「そうなんだ」

「良い子だな。和賀那くんは」

「まぁ人見知りしないからね。友達も沢山いる」

「あの子はきっと社会に出てもちゃんとコミュニケーションとっていけるはずだ」

「そうだね」

「……ひとまずリビングに戻ろう」



お父さんは踵を返してリビングに入っていく。

私も食器の片付けがあるので一緒に戻った。

テーブルにある食器をおぼんに乗せているとお父さんは台所に立つ。

何が始まるんだろうと思って私もおぼんを持ち台所へ向かうと、お父さんは洗剤を出していた。



「私がやるよ」

「桜ばかりに任せっきりだと申し訳ない。ほら食器をこっちに置きなさい」

「うん…」



やはりおかしい。

自分から食器を洗う行動はお父さんらしくない。

もちろん遅く帰って私が寝ている時は自分で片付けはする。

しかし私が居る時は、家事は全て私に頼むのだ。

男性だからやって来なかったとわかっている。

それに頼られるのは嬉しかったから私はいつもお願いを聞いていた。

1人の時は自分。

2人の時は私がという暗黙の了解だったのに。

熱でもあるのか。

もしかしたら疲労でおかしくなってるかもしれない。

私はどう尋ねようか考えて台所で突っ立ってしまった。



「どうした?」

「えっと…」

「そういえば夕飯は何食べたい?出前を取る」

「特に要望はないかな」

「なら寿司でいいか?」

「うん。それでいい」



聞くタイミングを逃した私はいつまでも台所にいるわけにもいかないのでリビングのソファに座った。

持っていたスマホを取り出してメッセージアプリを開く。

才田さんからは何も無かった。

もしかしたら体調不良で早く帰ってきた可能性だって考えられる。

お父さんは私に隠し事をするのは得意だ。

それでも才田さんから連絡がないことは体調で問題はないのだろう。

次に私は涼とのトーク欄を開いた。
まだ帰っている途中なのか、涼からも連絡は来ていない。

私はとりあえずもう1回お礼を言おうとメッセージを打つ。

海の日から止まっていたトークは私からの送信で動き出した。



【今日はありがとう。お父さんも涼のこと褒めていたよ】

【いいよ別に。俺も悪いことしちゃったし】



相変わらず既読と返信は早かった。

私も早い方だけど、涼はもっと早い。

きっと四六時中スマホを片手にしているに違いない。

私はポチポチと文を打って送信。



【もう大丈夫】



涼が言う悪いことは告白の件だろう。

大丈夫と言えるほど、大丈夫では無い。

むしろ今もどうして良いかわからない。

しかしそんなこと言ったら涼が余計に思い詰めてしまいそうだったのであえて言わなかった。



【本当?】

【本当】

【OK】



ちゃんと私の言葉に納得してくれたかは涼しか知らない。

でも文面では納得したようだった。

涼は続けて送信する。



【桜のお父さん、初めて見たけど優しいんだな】



今日がおかしいだけだよ。

そんな事は言えずには私はどう返信しようか迷う。

するとお父さんが台所から帰ってきた。



【ごめん。また後で】

【りょーかい】



私はメッセージアプリを閉じて向かい側のソファに座るお父さんをスマホ越しに見る。

ジッと見つめるよりもスマホという壁があった方が見やすいからだ。

特に変な様子はなく、いつもの無表情。

涼の会話マジックが解けたらしい。

私は表情を伺いながらお父さんに話しかけた。



「あの、お仕事はどうなの?」

「その話も含めて早く帰ってきた」 

「そうなんだ…」

「結局今回はお前に頼りっぱなしになってしまう」

「私は全然良いよ?お父さんの役に立てるなら」

「ありがとうな。……でも、桜。お前は少し父親離れした方がいい」

「えっ?」

「私のために自分の力を使わないでくれ」

「なんで?だってお父さんの頼みだし…」

「今日、和賀那くんに聞けてよかった。桜の話を。しかしちゃんと本題を話す前に聞いたから、心が揺らいでしまった」

「お父さん?」

「思えば私は桜をどこにも連れて行ってあげなかったし、学校行事も参加してあげれなかったな」

「…まぁそうだね」



お父さんはソファに背中をつけてくつろぐろうな姿で話し始める。

やっぱり何かあったんだ。

言われなくても、私は確信に近いものを得てしまった。
「私は桜に話しておきたい事が2つある。母親のこと、そして研究室にいる彼のこと」



私は軽く口を開けてしまう。

お父さんが言った2つのことは全て私が聞きたいことだからだ。

私は頷くとお父さんは座っている1人用ソファの向きを変えて窓の外から見える庭の景色に顔を向けた。



「私は小さい時に桜から母親の事を聞かれると、お前を産んで亡くなったと言っていた」

「うん」

「でもそれは嘘だ。桜の母、私の妻の秋菜(あきな)は私が殺した」

「お父、さんが…?」

「私は秋菜と出会う前から科学者で、秋菜と繋がったきっかけは彼女の体に入っている新種の病原菌の研究でだ。私を含め数人の研究者は秋菜の体を使って血液採取などで薬の調合などを始めた。…そんな中、ひょんな事で話すうちに私達は惹かれ始め愛に至りお前が生まれた」

「…」

「桜を産んだ直後の検査で、お前には秋菜の体にある病原菌は無いとわかった時は2人で安心したよ。でも、本当の不幸はこれからだった。出産が終わった秋菜の体が急変したんだ。もがき苦しむ妻の姿は今にも目に焼き付いている。その時点では菌を死滅させる薬は出来ていなかった。あれだけ時間をかけたのに、だ」



お父さんは顔を下げて軽く俯く。

初めて知ったお母さんの事実。

私は何も話せぬままお父さんの言葉を聞いていた。



「唯一わかっていた事は、このままだと死ぬ運命しかないということ。私は青白くなった秋菜の顔を見て耐えられなくなり、安楽死用の注射を打った。……その後はわかるだろう?秋菜はピクリとも動かなくなった。秋菜の死因は病死となっているが…実際は私の手によって終わったのだ」

「それじゃあ、お父さんは……」

「殺人犯だな」



私は手に力を込める。

信じられない。

今まで一緒に過ごしてきたお父さんに罪があるなんて。

この話は無かったことにしたい。

でも過去の罪なんて消えない。

ただ体に力を入れることしかできなかった。



「そしてこの話は彼にも繋がる」

「なんで…?」

「研究室にの彼も、同じ病原菌を持っているからだ」

「そ、それじゃあ、お父さんは…また同じことを…」

「…そうだな」

「な、なんで!?」



私はソファから立ち上がりお父さんに怒鳴りつける。

その拍子でスマホが落ちた。

割れてても仕方ない音がする。

でも今はお父さんに問い詰める方が先だ。



「お母さんの死で学ばなかったの!?」

「秋菜の死を無駄にしたく無かったんだ」

「どういうこと…」

「研究をやめれば全てデータは無くなる。秋菜の体を使ったデータ全てだ。そんなこと…私が許せなかった」



少し震えるお父さんの声は私を黙らせると同時に脱力させた。

落ちるようにソファに座り込む。

もう、怒って良いのか泣いて良いのかわからなくなってしまった。

私はお父さんを見たくなくて顔を下げる。



「続きは」

「…トラブルの話は才田から聞いただろう?そのトラブルは、秋菜と同じように彼も苦しみ始めた」



力が完全に抜け切った。

お父さんはまた同じ道を歩み、同じ結果に辿り着いたのだろう。



「安楽死させるの…?」

「その予定だ」

「そしたらどうなるの?」

「彼は死ぬ。…私は警察に全てを話して自首する」



下を向いた私の太ももには1粒の雫がシミを作った。
「桜は私の実家へ引き渡そう。この家には用がなくなる」

「なんで、そんな…」

「桜」

「私は、本当にお父さんに何もしてもらってない!最後の最後は自分勝手で…!結局何もしてくれないじゃん!おかしいよ!頭おかしい!!」

「……」



涙のストッパーが切れたように流れ落ちる。

鼻がツンとして痛かった。

それでも私はお父さんに対して叫び続けた。



「ごめん…」

「謝るなら最初からやらないでよ…!お父さんは私のことちゃんと考えてくれたの…?」

「ごめん」



お父さんは立ち上がって私に頭を下げる。

私はもうどうしていいかわからずに顔を手で覆った。



「もう、、やだぁ………」



私の力ない声がリビングに響き渡った。

お父さんはもう何も言わない。

私の鼻を啜る音と、嗚咽だけが2人の耳に通って行った。