【完結】君は僕のストーリーテラー

お姉ちゃんと話しながらショッピングモールへ着くと早速僕の誕生日プレゼント探しが始まる。

洋服、文房具、スポーツ用品店などを探し回ったけどこれと言ってピンと来るものはなかった。

それでもお姉ちゃんは僕に付き合ってくれる。

暇つぶしというのもあるかもしれないけど、嫌な顔せずに付き合ってくれるのは嬉しかった。

僕はその時間を噛み締めながら過ごす。

別にわざと買っていないわけじゃない。

それでもお姉ちゃんと一緒に買い物を出来るという時間が長くあって欲しかった。

次の日からはまた僕は部活が始まるし、お姉ちゃんも学校がある。

時間を合わせられるチャンスはしばらく巡って来ないだろう。

いつになるかわからない『次』。

だから僕は今の時間をゆっくり大事にしたい。

中学生ながらキザな事を思っていた。



「どうしようね」

「最後に書店行って無かったから今回はいいよ」

「そう?まぁネットショッピングもあるから、納得いくものにしな」

「うん」



お姉ちゃんは僕を連れて書店まで行く。

入り口に掲載されているおすすめ本を見たけど、特に欲しいとは思わなかった。

僕達は奥に行って漫画、小説を見ていく。



「んー」



優柔不断だな。

1発でこれがいいと決めれればお姉ちゃんも安心するはずなのに。

それでも僕は本達と睨めっこして向き合っていた。

ふと、後ろを振り返るとお姉ちゃんが居ない。

他のコーナーを見ているのかなと思い僕はキョロキョロと頭を動かす。

1人が怖いわけじゃ無い。

ただ気になるだけだ。

すると身長が高いお姉ちゃんの頭が見えると、僕はそっちに向かって歩き出す。



「お姉ちゃん」

「ん?見つかった?」

「ううん。何見てるの?」

「これ」



お姉ちゃんの元に辿り着いた僕は読んでいた本の表紙を見せてもらう。

それは花の図鑑だった。

図鑑と言っても分厚いものではなく、季節の花のまとめた物。

僕はお姉ちゃんが持っていた本を手に取ってジッと見つめる。



「これがいい」

「え?別に気を遣わなくていいよ?もう少し他のを見てみたら?」

「いや、これが欲しい」

「わかった…。それじゃあ貸して。お会計してくる」

「ありがとう」



お姉ちゃんに本を渡すとそのままレジへと向かった。

花なんてそこまで興味はない。

でも表紙を見た瞬間にビビッと来てしまった。

僕はお姉ちゃんが会計する後ろ姿を見る。

次はお姉ちゃんの誕生日に僕が何か買ってあげたい。

僕がそう思っているとお姉ちゃんはレジから戻ってきて、ラッピングした袋を僕に向けて



「誕生日おめでとう」



と言ってくれた。

僕の嬉しさは最高潮に達して笑顔になる。



「ありがとう、お姉ちゃん」



わざわざラッピングまでしてくれたんだ。

勿体なくて開けられないよ。

でも開けないと逆に悲しむよね。

僕は大事に手渡しされた袋を持つとお姉ちゃんは嬉しそうに笑う。



「そろそろ帰ろっか」

「うん。誕生日プレゼントも貰えたし」

「ふふっ、喜んでもらえてよかった」



お姉ちゃんは僕の隣に並んでまた歩き出す。

するとお姉ちゃんが軽く咳をした。



「お姉ちゃん?風邪?」

「うーん、わからない。でも熱とか無いし…」 

「薬、家にあるかな?」

「そんなに心配しなくて大丈夫だよ。本当に心配性だなぁ〜」



僕の頭をくしゃくしゃ撫でながら何ともなさそうな顔でお姉ちゃんは言った。

僕は少し眉を下げながらも、意外と元気そうなお姉ちゃんの顔を見たら安心する。



「そういえばさ、何でこの本にしたの?」

「表紙の花が凄く綺麗だったからかな」

「その花の名前知ってる?」 

「わからない」

「わからないんかい。コスモスだよ。ちょうどこの季節にも咲いてるんじゃないかな」

「何で知ってるの?」

「だって通学路に沢山咲いてるから。なんか隣のおばちゃんが咲きすぎて困ってるって言ってた事あったよ」

「そうなんだ」

「その時ーーも居たけど」

「え?いつ?」

「私が中2くらいの時」 

「結構前じゃん」



僕は頭の中で思い出そうと記憶の引き出しを探るけど、そんな覚えがない。

僕がずっと考え込んでいる姿が真剣そのものらしくお姉ちゃんはずっと笑いを堪えていた。
「「ただいま」」



ショッピングモールから帰ってくると僕とお姉ちゃんはすぐに店の方にいるお母さんとお父さんに顔を出す。

なるべく厨房を見ないようにして、お母さん達に話しかける。



「お姉ちゃんに本買ってもらった」

「よかったね。それじゃあ後はお母さん達からのプレゼントを待ってて」

「うん!」

「少し今日は早めに食べるぞ。ケーキもあるからな」 

「わかった。それじゃあ私はーーと家に居るね」

「出来上がったら呼ぶから」

「「はーい」」



お母さん達と離れた僕とお姉ちゃんは隣にある家の中に入る。



「厨房いい匂いだったね」

「本当に楽しみ!まぁメインはーーなんだけどさ」



食材などを見ないようにお母さん達の元へ行ったが、鼻に通り抜けるいい匂いは隠せなかった。

まだ僕の鼻には濃厚なソースの匂いが纏わりついている。

ずっと嗅げる匂いだ。

出発した時にお姉ちゃんも言っていたけど、期待値と言うものが時間に経つに連れて上がっていく。

楽しみで仕方ない。

毎日が誕生日で良いのになと思ってしまった。



「それじゃあ私は部屋に居るね」

「わかった。僕はリビングでゲームやってる」

「りょーかい」



お姉ちゃんは僕に手を振るとそのまま階段を上がり、2階にある自分の部屋へ戻っていく。

僕はリビングに入り持っていたバッグをソファに投げ捨てすぐさまラッピングに入っている本を取り出すと、丁寧にリボンを解いて、中の本が破れないように扱う。

上に引っ張ると表紙一面を埋め尽くすコスモスが現れた。



「綺麗…」



僕は本をラッピングから全て出して自分の太ももの上に置く。

お姉ちゃんが言った通り、この花はコスモスらしい。

一輪の花ではなく、何輪もの花達が身を寄せ合うようにして映っていた。

思わず僕は指を伸ばして写真のコスモスに触れる。

花弁をなぞるように指を動かすと、まるで自分がコスモスを生み出しているかのような気分になれた。

ページ内でコスモスはあるかなと、表紙を広げて捲り出す。

すると目次の次のページにコスモスの写真が何枚も載っていた。

撮る向きや、日差しの角度が違う写真の数々。

その下には手書きのコスモスの絵が描かれていた。

そこまで本物に近い絵ではないけど、パッと見てコスモスとわかる。

意外と簡単に描けるのだなと思い、僕は近くにあったチラシとペンをテーブルの上に置いた。



「花びらは、8枚」



ポイント3倍!と書いてあるチラシの裏に僕はコスモスの絵を描き始める。

8枚って意外と多いんだな。

僕はゆっくり丁寧に、写真と絵を見ながら描いた。

そして小さく細い葉っぱのようなものを描いて完成。

我ながら上手くいったのではないだろうか。

でも流石に1輪のコスモスだけでは寂しいしつまらない。

この絵も写真も沢山のコスモスで彩られている。

僕は続けて、2輪、3輪と描いていった。
「出来た…!」



絵を描かない初心者には5輪が限界。

それでも最初よりは上手く描けているし、何よりコスモスだとわかる。

ゲームをやる予定をそっちのけで描いていたがとても楽しかった。

お姉ちゃんに見てもらおうと思って、チラシと本を持ってリビングから出る。

リズミカルに階段を登るとお姉ちゃんの部屋に直行した。

部屋をノックしてお姉ちゃんの返事を待つ。

すぐに返事が返ってきて僕は扉を開けた。



「お姉ちゃん、見て」

「ん?何……」

「お姉ちゃん!?」



ベッドの横に座っていたお姉ちゃんが立ち上がった瞬間、ふらついて斜め前に倒れる。

間一髪、顔が床に当たるのは避けられたけど、僕は一瞬でパニックになってしまった。



「お姉ちゃん!大丈夫!?」

「あ……」



苦しそうな表情で僕の服を掴んで耐え始めるお姉ちゃん。

すると次の瞬間、お姉ちゃんの口から赤い花弁が散った。

その花弁は僕の手に付いて生暖かく滴る。

何も考えられなくなってしまった。

次々と花弁は散っていく。

僕が書いたコスモスは真っ赤になって見えなくなってしまう。

僕はその光景にハッとして涙を流したながらお母さんとお父さんを呼んだ。



「お母さん!!!お父さん!!!」

「うぁ、、ゲホッ」

「誰か!!誰か!!」



声変わりで低くなりつつある喉が痛くなっても僕は声を出し続けた。

いつも守ってくれるお姉ちゃんが死んでしまうと思った。

そしたれ僕を1番近くで守ってくれる人がいなくなってしまう。

怖い。

僕は腕の中で横たわっているお姉ちゃんに声をかけながら抱きしめる。

また服を掴む力が弱まった気がした。
まるで時間が進んで、僕だけ置いて行かれたようだった。

お母さんとお父さんが病室で先生と話している中、僕は外の硬い長椅子に座らされている。

思考は全てお姉ちゃんの顔と散った花達だった。

まだ自分の手には感覚が残っている。

正直気持ち悪いと思ってしまう。

けれどそんな事思ったらお姉ちゃんを否定してしまいそうで考えるのを辞めた。

俯いて自分の太ももを見ながら、勝手に時間が経ってくれるのを待つ。

僕はただここに居ろと言われただけで何も聞かされてない。

つまりお姉ちゃんが無事か、そしてどんな病気かもわからないのだ。

時刻は夕飯にする予定だった時間を過ぎている。

病院内も薄暗くて、まるで悪魔がやってきそうだった。

もし悪魔が本当に来てお姉ちゃんを連れ去ってしまったら?

想像するだけで震えが止まらない。

あれだけ泣いたのにまた視界が滲んできた。

僕の体の水分を全て流してしまうのではないか。

一滴、また一滴と次々に服を濡らしていく。

お母さん達はまだ出てこない。

少し顔を上げて病室の扉を見ても閉まったままだ。

僕は視線を戻すと、静まった病院の廊下が足音で響く。



「やぁ。君のお父さんはここにいるのかい?」

「あっ……」

「ーーくんだね。怖がらなくていい。私はお父さん達の知り合いさ。今から病室に入るけど、君も入るかい?」

「でも、ここで待っていろって…」

「そうか。ちゃんと躾されているみたいだ。それじゃあ失礼するよ」



スーツ姿の男性は僕に軽くお辞儀をしてお姉ちゃんの元へ行った。

お父さんの友人だろうか。

僕は全く面識がない。

するとお父さんの怒鳴り声が病室から聞こえた。

僕の肩はビクッと上がる。

初めてこんな声を聞いて僕の体は一層震えを増した。

さっきの男性が何かしたのだろうか。

静かだったはずの空間が大きな声で満たされる。

話の内容はわからないけど、深刻な状況なのは理解できた。

もしかしてお姉ちゃんが…?

僕は立ち上がって病室の扉を叩く。



「お父さん?お母さん…?大丈夫?」

「入るな!!」

「ひっ…!」



僕はお父さんの声に思わず手を引っ込める。

すると知らない男性の声が聞こえてきた。



「酷いですね。息子と言えどそんな態度をとるなんて」

「うるさい!ーー!お前は帰ってろ!」

「おと、う、さん….」

「今はお話出来る状態じゃなさそうですね。それなら私は失礼します」



立ちすくむ僕の目の前の扉が開く。

男性は僕の肩を優しく押すとそのまま腕を引いてどこかへ連れて行かれる。

お姉ちゃんの様子を見ようと思っても扉は既に閉じていた。



「ーーくん。私が送ろう。ちょうど車で来ているんだ」

「で、でも」

「お父さんは君に帰れと言った。それに従うしか今は選択肢が無いよ」

「……」

「ああ。それなら私の家にでも来るかい?流石に1人であの家に居るのは怖いかな?」



確信をつかれて僕は表情を固くする。

まだお姉ちゃんが咲かせた花の処理はしていない。

それに僕の隣の部屋であんな事があったと思うと、怖くなる。

休むなんて出来ない。

男性の言う通りだった。

しかし知らない人の家に上がって良いものなのか。

お父さんの知人とは言え、僕は全く知らない。

それにさっき聞こえたお父さんの怒鳴り声からしてそこまで親密な関係じゃなさそうだ。

だけど家には帰りたく無い。

僕は迷っていると。

掴まれた腕を離された。



「私の家に行きづらいならホテルでも取ろう。君1人の空間だ。家とは違ってそこでなら1人でもいれそうだが……どうだい?」



僕は話さずに頷いた。

すると男性はスマホを取り出してどこかへ電話をかける。  



「……私だ。ホテルの予約をしてほしい。…ああ今日泊まる。いつものホテルで構わない。それに相手は私のお客様だ。なるべく良い部屋を取ってくれ。頼んだぞ」



男性はそう言うと一方的に電話を切る。そんな男性に慌てて僕は話した。



「ふ、普通の部屋でいいです」

「遠慮はしないでくれ。さっきも言った通り、君は大事な人だ。相応のもてなしはさせてほしい。さぁ、行こう」



僕の背中を叩いて男性は歩き出す。

僕は一瞬後ろを向いたらそのまま男性の背中を追った。
連れて来られたホテルはシャンデリアが天井から下がって、周りを見渡せばソファからテーブルまでもが高級だとわかる場所だった。



「こっちだ」



男性は僕の隣を歩いて部屋へ向かう。



「食事はルームサービスを使うといい。後はゆっくり休んでくれ。お父さんには連絡しておくから。明日の朝、部屋に迎えに行くよ」



エレベーターが上昇する。

旅行でホテルに泊まった事は何回かあるけど、こんな高級なホテルは初めてだ。

その前に僕は高級という場所を知らない。

なんだか場違いな気がして肩に力が入る。

目的地に着いた音がすると同時な扉が開くと、男性はもうこの場所を知りきっているように迷わず歩き出した。



「ここが君の部屋だ。今日は色々あっただろう。疲れが取れると良いのだが…」



部屋の鍵を開けると男性は僕を先に中に入れるように横に立つ。

僕は軽く頭を下げて部屋に足を踏み入れた。



「す、凄い…」

「この部屋は夜景が綺麗なんだ。嫌なことも忘れさせてくれるはずだ」



目の前に広がるのは大きな窓の夜景。

そこから見える景色は自分がどれほど高い場所にいるのかわかるくらいに小さかった。



「あの、ありがとうございます…」

「良いんだ。それじゃあ私は失礼する。良い夜を」



僕の右肩をポンと叩くと男性は部屋から出ていく。

色々と不思議な人だなと思った。

僕は靴を脱いで早速大きなベッドに飛びつく。



「なんだこれ…!」



体がゆっくり沈んでまるで僕を包み込んでくれるようだった。

備え付けの枕も肌触りが良くてずっと摩っていられる。

もうこのまま寝てしまおうかと思うが今の自分の格好に気づく。

まだ着替えもしてなかった。

僕は首を振って考えてしまった事を振り払う。

しかし着替えは持ってきてない。

僕は部屋着がないからそこらじゅうのクローゼットや棚の扉を探るとバスローブが出てきた。

こんなの大人になる前に着て良いのだろうか。

でも今は着替えるしかない。

服を脱いでそこら辺にぶん投げると僕はバスローブに腕を通した。

ベッドのように僕を包む優しい感覚。

少し立ったまま余韻に浸っていると、部屋に音が響き渡る。

インターホンが鳴って僕は慌てて部屋の扉へ向かった。

男性が戻ってきたのだろうか。

僕はゆっくり扉を開けるとワゴンと共に来た男性がいた。



「えっ」

「ルームサービスを届けに参りました。それと海辺様からの注文の品もお持ちしました」

「は、はい…」



よくわからず扉を開けるとワゴンを押した男性が入ってくる。

しかし完全に中には入らないで、入り口の手前でお辞儀をするとすぐに去って行った。

僕もお辞儀をして扉を閉める。

ルームサービスなんて頼んで無い。

もしかしたら男性が頼んだのか。

それに海辺様…。

男性の苗字かもしれない。

僕はワゴンを押して部屋の中心まで戻ると、綺麗なテーブルの前に置いた。

蓋がしてあってそれを取ると、僕の目が大きく開く。  


「わぁ…!」



サラダ、スープ、パン、そしてステーキが乗せてあった。

何より凄いのはその隣にあるミニケーキ。

上に乗っているチョコには



『ーーくん。誕生日おめでとう!』



とチョコペンで書かれていた。

なんで僕の誕生日を知っているのだろう。

その前に今日が僕の誕生日っていうのがすっかり抜けていた。

嬉しくなって口角が上がる。

僕はこれまた高級な椅子に座り、料理をテーブルに並べる。



「いただきます……お誕生日おめでとう。僕」



美味しい。確かに美味しい。

全てが良い素材を使っているのが丸わかりだ。

でもなんだろう。心は満たされなかった。

お腹も味覚も嗅覚も全てが一流の虜になっている。

それでも心だけは何故か空っぽに感じた。

僕は次々と食べ進めながらも、よくわからない心情に頭を悩ませていた。
目が覚めると見慣れない光景に頭がおかしくなったかと勘違いしてしまう。

しかしすぐに覚醒して、ここは高級ホテルだと言うことに気づいた。

夢ではなかった。

正直夢であって欲しかった。

そうすればお姉ちゃんの事も全てが夢オチで終わってくれたはずだから。

でも現実は現実。

僕は1人で家にいるのが怖いから男性に連れてきてもらったホテルにいる。

慣れないバスローブがはだけていて上半身は裸同然の格好だった。

ふかふかのベッドを降りて時刻を確認する。

朝の7時前だ。眠れたと言えば眠れた。

しかしぐっすり眠れたわけではない。

でもこのベットじゃなければここまで寝れなかっただろう。

高級ベッドに感謝した。

そして僕はまた時計を見ると、目が大き開きシワが寄る。

今日は平日だ。そして学校だ。

どうすれば良いのだろう。

スマホなんて持ってないからお母さんに連絡ができない。

それに学校の電話番号だって知らない。

僕は慌て始める。

とりあえずバスローブを脱いで昨日の服に着替えよう。

急いでシャワールームに入り、昨日脱ぎ捨てた服達を着る。

連続して着るのには抵抗感があったけど、こればかりはしょうがない。

変えが無いのだから。

一瞬と言って良いほどの速さで着替えを終えると、インターホンが鳴る。

もしかして昨日のようにルームサービスの方が来たのかなと思って僕はシャワールームから扉へ移動した。

伺うようにゆっくりと開けるとそこにはスーツ姿の男性。



「あ…」

「おはよう。よく眠れたかな?ちょうど来た時にスタッフと出会したのでこれを運びに来たよ」



男性はワゴンを引いて僕の部屋に入る。

扉が閉まらないように抑える僕の横を通ると、部屋の中のテーブルまで運んでくれた。



「ありがとうございます」

「良いんだ。私の事は気にせずに食べてくれ」



何から何まで頼りっぱなしだ。

男性はテーブルに食事を並べてくれる。

僕は昨日の夕食と同じ椅子に座ると、その向かい側の椅子に男性が座った。



「昨日はよく眠れたかな?」

「ま、まぁ…」

「状況が状況だ。ぐっすりは眠れないか」



笑って男性は僕を見る。

そんなにジッと見られると食べづらい。

僕はそれを誤魔化すように男性に話をした。



「あの、昨日ケーキありがとうございました」

「せめてものお祝いさ。気に入ってくれたかな?」

「はい。とても美味しかったです。でもなんで僕の誕生日を…」

「前に君のお父さんから聞いたんだ。それなのに昨日は大変だったね…」

「い、いえ。お姉ちゃんが悪いわけじゃ無いので」

「今日は君をご両親の元へ送り届けよう。学校の事は心配しなくて良い。そう言うのは大人に任せておきなさい」

「はい」



僕が今質問したい事を全て言ってくれる男性にゾワっとする。

まるで心を見透かされたようで気味が悪くなってしまった。

僕は苦笑いをしながら食事を頂く。

朝食もとても美味しかった。

いつも食事を作ってくれるお母さん達には申し訳ないけど、素材が良いとどんな料理でも美味しいのだな。

僕はコーンスープを飲みながら、目の前に座る男性を見る。

今日も昨日と変わらずのスーツ姿。

今はジャケットを脱いでいるけど、ワイシャツもシワひとつない。

現在は足を組んで外の景色を眺めていた。



「あの…」

「ん?なんだい?」

「海辺さん…であってますか?」

「そうだ。海辺博貴(うみべ ひろたか)だ。スタッフから聞いたのかな?」

「はい。ケーキを持ってきてくれた時に」

「そうか。まぁ好きに呼んでくれ」

「はい」



海辺さんは微笑むとまた景色を見始める。

僕はチラッと景色を見て、また食事に戻った。
豪華な朝ご飯を食べ終えると、僕は海辺さんの後ろをくっ付いてホテルを出る。

海辺さんはもっとゆっくりして良いと言ってくれたのだが、僕は1秒でも早くお父さんとお母さんに会いたかった。

お姉ちゃんの状況を知りたくて。

ホテルを出ると真っ黒な車に乗せられる。

僕は助手席に乗るとまた緊張が走ってしまった。

僕は何回高級を味わうのだろう。

肩に自然と力が入りそうなのを抑えて僕は前を見た。



「それじゃあ出発するよ」

「はい。お願いします」



海辺さんは僕の返事に頷くとすぐに車を発進させる。

車なのに凄く静かなのが印象的だった。



「ーーくんのご両親は病院ではなく別の場所にいる。そこに向かうからね」

「はい。…お姉ちゃんの事って何かわかりますか?」

「生憎、私からは何も言えない。でも安心して欲しい。ご両親は君を待っている」



一瞬だけ僕の方を向いてそう言ってくれた海辺さん。

お母さん達が僕を待ってくれているという嬉しい感情の反面、お姉ちゃんの状態がどんなのかわからない不安が奥底から湧き上がっていた。

車は道路を進んで行く。

平日の朝なので、多少は混んでいる。

それでも海辺さんは安全運転のお手本と言えるくらいに丁寧に走っていた。

ちょっとした信号無視をするお父さんとは大違いだ。

それに運転姿はなんだかカッコいい。

僕の周りにはスーツを着る人がいないからなのか。

ピシッと決まった姿でハンドルを握るのは大人の男性だ。

僕はひっそりと憧れを持ってしまった。

いつか僕も社会に出たらこんな風に乗りこなしてみたい。

サングラスをかけてみたり、洋風の音楽に耳を傾けながら運転してみたり。

妄想は止まらなかった。



「海辺さんはお父さんのお友達なんですか?」



でも今の僕は優雅に程遠い。

静かには耐えられなくて、隣で運転している海辺さんに話しかけた。

僕の急な質問でも海辺さんは答えてくれる。



「友達と言っても親友とは言えないかな。感覚で言えば学校で同じクラスの人間くらいの距離だね」

「そうなんですね」

「ーーくんには親友と呼べる子はいるかい?」

「親友…。居ないですね。その前にそこまで親しい友達は…」

「そうか。失礼な事を聞いてしまった。でもそれも良いかもね」

「友達が居ないことがですか?」

「ああ。だって自分のことだけと向き合えるだろう?結局は友達と言えど他人になる。それに君はもう……」

「え?」



海辺さんの最後の言葉は前の方のクラクションで掻き消される。



「朝は困るね。イライラした人が音を鳴らす。こっちだって朝と言うものを頑張っているのに」

「そうですね…」



僕は最後の言葉を聞かなかった。

視線を斜め前にずらすと制服を着た学生が歩いている。

1人でいる人も、友達といる人も、これから学校に向かうのだ。

海辺さんが大人に任せろと言った意味はよくわからないけど、きっと今日は休むことになると言うのは理解できた。

色んな問題があるが、僕は登校している知らない人達に心の中でマウントをとる。

「今日、僕は学校には行かないんだぞ」と。
海辺さんが運転する車は大きくて白い建物の駐車場に止まった。

シートベルトを外して車を降りる海辺さん。

僕も同じように助手席から降りた。



「こっちだ」

「はい」  



案内してくれる海辺さんに着いて行き、建物の中に入ると受付には2人のお姉さんがいる。

綺麗なお辞儀をして迎え入れてくれた。

海辺さんは軽く手を上げてお姉さん達の前を通ると、エレベーターに乗り込む。

僕も置いていかれないように慌てて後を追った。



「もうお母さんとお父さんは来てるんですか…?」

「ああ。既に着いていると連絡があった」



エレベーターの表示が5階になると同時に音が鳴って開く。

スタスタと海辺さんは歩き出す。

すると長い廊下の1部にある扉を開けて後ろを歩く僕に手招きをした。

僕は入り口から顔の覗かせる。

そこには長テーブルの椅子に座っているお母さんとお父さんがいた。



「お母さん!お父さん!」

「ーー…」

「さぁ君はこっちに座りなさい」



駆け寄ろうとしたけど、海辺さんに静止されて僕はお母さん達の向かい側に座る。

その隣には海辺さんが座った。

こんなに長いテーブルなのになぜこの位置なのだろうと疑問に思ったが、どうでもよくなる。

だって会えたのだから。

向かい合ったため、2人の顔がよく見えるが顔色は悪かった。

僕は急に心配になって眉を下げる。



「結論は出せたかい?」

「……ああ」

「勿論、条件は従うさ。一方的に借りるのは良くないことだからね」

「……」



お父さんと海辺さんが僕にはわからない話をし出す。

すると海辺さんがスーツの懐から1枚の紙と万年筆を取り出した。

それをお父さんとお母さんの手元へ差し出す。



「サインを」



なんのサインだろう。

僕は目を凝らして紙の内容を読み取ろうとしたがよく見えない。

お父さんは差し出された紙をジッと見ていた。

海辺さんにサインを書けと言われても手は一向に動かない。



「お父さん…?」



僕がそう声をかけると一瞬肩を震わせ、僕を見た。

釣られてお母さんも僕を見る。

なんでそんな悲しそうな顔をするのだろう。

何を考えているかわからずに首を傾げた。

するとお父さんは僕から目を離してようやく万年筆を待つ。

そんなお父さんを心配する目で見るお母さん。

隣いる海辺さんは最初から表情を変えずに一点だけを見つめていた。



「書いたぞ」

「……確かに受け取った。それじゃあ2人はここで待っていてくれ。少ししたら案内役がくるから、その人について行ってほしい」

「わかった」

「ーーくんは私と一緒に」

「えっ、でも…」

「とても大事な話があるんだ」



先程まで無表情に近い顔だった海辺さんが僕に話しかけた時は少し柔らかい表情になる。

でも言葉には僕の意見を言わせないくらいに力があった。



「ーーくんのお姉さんの話なんだ。お父さん達は今混乱しているから私が代わりに話そう」



お姉ちゃんの話。

僕はその単語が出てきた時点で頷かずにはいられなかった。

しかしそれならば何故車に乗った時点で教えてくれなかった?

もしかしてさっきの紙に関係するのだろうか。

難しい話はわからない。

とりあえず僕は席を立って海辺さんと部屋を出る。

扉を閉める時、お父さんとお母さんの目が僕の姿を捉える。



「またね」

「……ああ、また」

「待ってるね」



僕は軽く手を振ってお父さんとお母さんがいる部屋の扉を閉めた。

海辺さんとエレベーターに乗って下に降りていく。

電光掲示板は地下まで下がっている事を教えてくれた。

もしかしたらこの時点でおかしいと気づけば結末は変わったのかもしれない。

でも今の僕の頭の中にはお姉ちゃんで埋め尽くされている。

さっきの部屋でお父さん達と居なかったのなら今は病院だろう。

それでも僕は聞きたかった。

なんの病気なのか。

お姉ちゃんはこれから普通に過ごせるのか。

海辺さんから逃げる選択肢なんて僕には1ミリもない。

地下に着くとエレベーターが無機質に開く。

出た先には1本の廊下だった。

真っ白な壁。

奥には扉が1つだけある。

海辺さんは僕を見ると人差し指を差してこっちだと教えてくれた。

僕は頷いて足を踏み出す。

海辺さんは隣をゆっくり歩いてくれる。



「……本当に聞いて良いのかい?」

「え?何がですか?」

「これからの話をだ。君にとっては酷い話になるかもしれないよ」

「酷い話なんですか?」

「それは受け取り方しだいだ。逆に嬉しい話に聞こえる場合だってある。どう思うかは人それぞれだよ」

「…聞きます。だってお姉ちゃんの事ですから。家族として、弟として、聞きたいです…」

「わかった。君のその純粋な気持ちに応えよう」



奥に佇む扉の前に来ると海辺さんはパスワードを入力する。

この時点でも全く疑わなかったのは、馬鹿を通り越すくらいの鈍さだろう。

僕はただ話を聞きたいだけなんだ。

開いた扉を2人で潜ると中はパソコンが何台も置いてある部屋だった。

人は誰もいない。

けれども1人で仕事をするには台数が多すぎるし、部屋も広い。

今は居ないだけだろう。

海辺さんはそんな部屋を見向きもしないで進んでいく。



「この部屋で待っていてくれるかな?」



パソコンが置かれた部屋のまた奥。

頑丈な鉄で出来た扉が僕を待っていた。



「私は準備がある。なに、心配する事ない。ちゃんと話すから」

「わかりました」



海辺さんを見てしっかりと頷く。

そんな僕を見て頭を撫でてくれた。

お父さんが撫でる時とはまた違う感覚だ。

優しくて、まるで壊れ物を扱うような触り方。

僕は重く開かれた扉と部屋の境界線を跨ぐ。

その部屋は一面が白の部屋だった。

さっきのパソコン部屋と比べて明るく感じる。

その中央にはテーブルと2つの椅子があった。

ここで話すのかと理解できた僕は片方の椅子に座る。



「……」  



海辺さんはまだ来ない。

それにしても眩しいな、この部屋。

なんでこんな部屋を選んだのだろう。

僕は机に肘を着いて手に頬を乗せる。

足をぶらぶらと揺らし待っていると、この部屋に海辺さんの声が響き渡った。



「やぁ。気分はどうかな?」 

「えっ、海辺さん…?」



扉は開いていない。

ピッタリと閉められている。

どこから声がするのだろう。

僕は周りをキョロキョロ見渡すが、姿は全く見えない。



「これは放送さ。スピーカーから流れている。面と向かって話すよりも、こうして話したほうが冷静で居られるからね」

「え……」  



その時、僕は初めて恐怖を持った。

思わず立ち上がってしまう。



「ーーくん。大丈夫。座りなさい」  



海辺さんの声はまるで強制的に命令をするかのように僕の耳を通る。

僕はそれに従うように座った。



「そうだ。話をするならリラックスが大事。それではトーク会を始めよう。ひとまず私の話を聞いてくれるかな?」



声も出なくなってしまった僕はゆっくりと頷いた。

それを見た海辺さんは



「良い子だ」



とまるで耳元で囁くように喋り出した。