ふわっと良い香りが僕の鼻に纏う。

香りというものに意識を向けながらも目は紙に描いてある花を見る。

ちょっとした影もついてあるから、立体的に見えてより花らしい。

僕が近づくと桜ちゃんの描く手は止まった。

なぜ描かないのだろう。

もしかしてこれが完成なのだろうか。

でも僕が思い浮かべているのはこの花ではない。

もっと、花らしいというか…。

僕は桜ちゃんの顔を見て首を振る。



「これじゃない…」

「は、はい」

「どうしたの…?」

「近いです」



桜ちゃんは僕から顔を逸らしてメモ帳に視線を向ける。

確かに近いかと僕は少し離れた。

高校生だから年頃なんだろう。

真っ赤に顔を染めている桜ちゃんを見て僕はそう思う。

僕だって桜ちゃんみたいな時もあったかもしれない。

でも記憶が霞んで思い出せないが。

そう考えてると段々と不安になってくる。

僕はどういう経緯でここに来たのだろう。

何歳で?そして現在の年齢は?

年数も日にちもわからないから計算出来ない。

僕は視線を下にすると桜ちゃんの心配そうな声が聞こえた。



「大丈夫ですか…?」

「…うん」

「体調悪いですか?」

「ううん。あの…」

「なんでしょう」



桜ちゃんに今は何年何月何日と聞きたかった。

しかし僕の口は固く動かない。

きっと桜ちゃんなら偽りなく答えてくれるはずだ。

だから怖くなってしまったのだろう。

僕の曖昧な記憶が何年前なのか知らないが、何年ここに居たかと思い出してしまうと体が震え出す。

僕は下を向いていた顔を上げて桜ちゃんを見ると、指をメモ帳に差した。



「何でも良いから、絵、描いて欲しい…」



僕が言うと桜ちゃんは笑ってメモ帳を捲った。



「希望があれば言ってください。題材があれば私も描きやすいので」

「希望?」

「描いて欲しいものです。花でも良いですし、動物も描けますよ」

「…猫」

「わかりました。モフモフな猫ちゃん描きますね!」



咄嗟に出た「猫」だったのに桜ちゃんはスラスラと絵を進めていく。

あっという間に猫とわかるくらいまで描きていた。

僕はジッと見つめて完成を待つ。

他には何が描けるのだろう。

動物も猫や犬くらいしかわからない。

花だって名前が出ない。

何にも知らないなと僕は思った。

すると桜ちゃんが「出来ました」と言って僕にメモ帳を向ける。



「凄い…」

「私がモフモフした猫ちゃんが好きなので、毛をいっぱいにしちゃいましたけど…」

「暖かそう」

「ふふっ、確かにそうですね。触ると本当に気持ちいいんですよ?」

「そう、なんだ」

「猫ちゃん好きなんですか?」

「わからない。最初に、思いついた…」

「そうなんですね。他に描いて欲しいものはありますか?」

「…犬」

「猫ちゃんの次と言ったらですね!わかりました」



桜ちゃんはまたペンを持って真剣な顔をする。

僕はそれをなんだかずっと見ていたいなと思ってしまった。

でも顔ばかり見ていたらきっと手が止まってしまうだろう。

僕はメモ帳に目を向けて、完成に近づく犬を静かに眺めていた。