目の前のコーラの方が、美月にはずっと重要なのだろう。彼女はワインをテイスティングするように、香りを楽しみ、舌の上で転がすようにコーラを味わった。
「どう?」
「素晴らしいよ。人を惹き付ける味だ」
 美月は満足そうにして、フライドポテトに指を伸ばす。
「あぁいいな。こんなに最高の組み合わせはないよ」
「僕も、そう思うよ」
 最高の食材を、最高の状態で。それが美月のいつもの食事だ。
 自宅療養になってからは、より細心の注意を払われるようになった。甘い炭酸飲料なんて、もってのほか。
 けれどこれは、美月の身体ではなく、心を癒やすための食べ物なのだ。
 コーラを、ポテトを、美月はひと口ひと口、時間を掛けて食べた。こんなにも美しく丁寧な食事を、僕は後にも先にも見たことがない。
 紙コップと紙皿が空になってから、僕は鞄の中から丁寧に包装された箱を取り出す。
「はい、これ」
「え?」
「プレゼント」
「コーラとポテトで十分なのに」
「わかってる。でも僕がそうしたかったから」
 美月は箱を受け取り、リボンを解いた。中に入っているのは、万年筆だ。彼女の好きな深い藍色の。
「嬉しいよ。文豪にでもなったみたいだな」
 美月は指先でくるんと万年筆を回し、ふたを取ってペン先に触れた。しばらくそうしていたかと思うと、彼女は躊躇うように下を向き、遠慮がちに尋ねた。
「小説の方は、どうなってる?」
「出版する方向で、話は進んでるよ」
 受賞した以上、当然の流れだ。美月もそのくらいはわかっているだろうが、旦那様のことが気がかりなのだろう。
「大丈夫、なのか?」
「名前も歳も性別も非公表ならと、伝えてあるよ」
「そう、か」
「出版は、反対?」
 美月は軽く首を横に振って言った。
「反対するなら、護が出版社に送ろうと言った時にしてるさ。ただ、そうなると手直しが必要になるんじゃないかと思って」
「実は、お願いされてる」
 病身の美月には負担かも知れない。わかってはいたが、僕は彼女の小説を多くの人に読んでもらいたかった。
 担当の編集者には時間がかかることは伝えてあった。美月の意向を忠実に反映させるために、可能な限りサポートはするつもりだった。
 なのに美月は、思いがけないことを言った。
「護に任せていいか」
「え?」
 あの小説は美月が書いた、美月の小説だ。
「僕にそんな資格ないよ」