「もう、こことはお別れになっちゃうのか」
図書室で独りごちる。
高校三年間で一番愛着のある場所だ。
入学式の日に貸出カードを作って、新着図書から話題の新作を借りて読んだ。
その小説がすごく面白くて、不安な高校生活に明るい光を差してくれた気がした。
その本とはまったく関係なく、普通にクラスで友達もできたし、いじめな仲間はずれもなく平穏に過ごせたのはありがたかった。
最初に借りた記念すべき小説は、ハードカバーのを借りて読んだのだけど、最近上下巻で文庫化されたから思わず買ってしまった。
私の高校生活はこの作品で始まり、この作品で終わるのだ。
そんな風に気取ってみたりしてみる。
入学式以降は毎日放課後図書室に通っている。
一日一冊。
そんなノルマを自分に課した三年間がもうすぐ終わる。
と言っても、県立の図書館や家の近くの町立図書館、高校の近くの市立図書館でも借りて読んでいるので、一日一冊どころでない読書をしてきた。
正直どうしてそこまで本を読めたのかわからない。時間の使い方が上手いわけではない。
勉強は……まあ、そこそこしてきた。
現代国語や古文のテストなんかでは学年トップレベルだ。えっへん。
理数科目については聞かないでほしい。中学時代から数学は怪しかったが、高校では理解することを脳が放棄し始めて焦った。公式だけ暗記してテストを乗り切っただけなので、正直何一つ身に付いていない。
さらば数学。もう二度と会いたくないよ数学。あなたを心から愛してくれる人のところで幸せに暮らしてね……。
一応部活も入ってみたこともあった。新入生歓迎会で演奏が素敵だった箏曲部だ。「『さくら」を演奏します」と言っていたから、お琴の定番曲『さくらさくら』のことかなと思ったら、JPOPの曲が始まって周囲がざわめいたのを覚えている。部活動は週三回で、自主練もなくて性に合っていた。
だけど段々みんなが上手になってきちゃって、全国大会を目指そうとか週五部活動をしようとか言い出すガチ勢が出てきた時は気まずかった。
出たくない人は今まで通り週三回でいいと言われたのに、週三回しか出席しなかったら白い目で見られるようになったので、結局二年生になってすぐに退部しちゃった。
その後、箏曲部は全国大会入賞したり、いろいろな賞を取りまくって、この高校を代表する部活になった。
そんなキラキラした部活になる前に辞めちゃってちょうどよかった。
定期演奏会とか、高校の近所の公園の満開の桜の下での演奏会とかは聴きに行ったし楽しかった。
演奏するよりも聴く方が向いていたみたいだ。
私は、部活を辞めてからずっと放課後図書館でゆったりした静かな時間を過ごした。
誰と交流するわけでもなく、一人で本と向き合って。
ぼっちで何が悪い。
図書館で毎日同じ席に着き、借りて帰るには重そうな本を堪能する日々だ。
そんな日々も残すところあとわずか。
進学先も無事に決まり、三年生は自由登校だから、遊びに来ている生徒以外は登校もしない。
図書室の司書の先生が、いっぱい本を借りてくれた生徒に借りた本の記録冊子を作ってくれた。
私は自分の読んだ本は全部ノートに記録しておいてあるし、感想は読書記録アプリで書いていたりする。
だから改めて、日付け、書名、作者名、出版社、なんてまとめられて印字してホチキスで留められた冊子なんて必要はなかった。
だけど、本に対する情熱が半端じゃなくて、生徒たちに本を好きになってもらいたくていろいろ画策していた司書の先生のことは尊敬しているし、パソコンが苦手なのに頑張って表計算ソフトで作ってくれたのは心から嬉しかった。
記念に「表紙に一言もらえますか?」とお願いしたら、「人生は読書と共に」なんて達筆で書いてくれた。すごく嬉しかったし、一生大事にする。
そんな私の高校生活になかったものは、ずばり恋だ。
小説以外の本もいろいろ読んだけれど、小説が圧倒的に多かった私の読書歴の中、高校生の時の恋人を将来殺したいほど恨むようになる、とか、高校時代恋愛もせず鬱屈して性犯罪者になる、とか、高校生の時の恋の恨みで社会人になってから同窓会で殺人事件を起こす、とか、高校時代に自殺した恋人をいじめていた犯人を大人になってから順番に殺していく、とかそんな本をたくさん読んだ気がする。
人間は、高校時代に恋愛を求めるのだ。
私の周囲にも、付き合い始めたと思ったら別れたり、浮気したり、三角関係だったと思ったら四角関係だったり、本気で付き合っていると思っていたらセフレ扱いだったり、妊娠したかもと焦ったり、彼女を妊娠させて逃げたり、いろんな恋愛模様が繰り広げられていた。
もっと純情なエピソードが聞きたかったのだが、本当にピュアなカップルはお互いの胸に秘めておく傾向があった。幸せアピールうざい、などと嫉妬されたりして恨まれたくないからだろう。
私の友人だった「男子なんてお話しするの怖いよ」なんて言っていた子も、彼氏ができたら急に自信に溢れかえるようになって、彼氏のことを「あいつ粗チンのくせに偉そうなんだよ」とか派手目な女子のグループの子たちと盛り上がっていた。
私も高校デビューしてみたかった気はしないでもない。
オシャレに興味はないし、別に好きな男子がいるわけでもないし、男に飢えているわけでもないし、お金と時間は本に使う主義だ。
こんな私みたいな女が、大学で変な男に引っかかって、輪姦されたり、無理やりAVとかに出演させられたり、カネ稼いでこいと風俗で働かされたりする運命を辿るかもしれない。
そんな小説をたくさん読んだ。
まあ、怪しい新興宗教やねずみ講なんかには引っ掛からないように気を付けよう。
世の中、この人となら上手くいくと思った相手と結婚するが離婚する人たちもいる。
とりあえず、怪しい人には絶対に着いていかないように心掛けておく。
「あ、あの……、桜庭先輩……」
「え?」
誰もいないと思っていた図書室の奥から声を掛けられた。
そこには二年生の男子生徒がいた。制服の襟についている学年章でわかる。見覚えもなしい、多分初対面だと思う。
まあ放課後だし、誰がいても不自然ではない。
「桜庭先輩……、あの、図書室に貼ってある読書感想文すごくよかったです」
生真面目そうな眼鏡君も読書好きなのだろう。司書の先生に頼まれて、図書館の片隅の「生徒の読書感想文コーナー」用に書いたことがあったが、本当に読んでくれた人がいるなんて感激だ。
「ありがとうね。それで、あの小説は読んだ?」
「読みました。すごくよかったですし、読後に先輩の感想文を読み返したらネタバレしないようにすごく気を遣っているところとかも見えてきて、さらに楽しめました」
きびきびと話す眼鏡君は、きっと次に司書の先生のお気に入り候補だろう。
「わかってくれて嬉しいよ。そこまで理解してくれる人がいるなんて思ってなかったから」
「……桜庭先輩」
緊張した声で名前を呼ばれた。
「なあに?」
これはもしや、私が高校時代にやり残したことがスタートするのではないか。
見た目は並だし、胸は小さいし、気が利くわけでも、優しいわけでもないし、自己中心的で自分の時間を何よりも大事にする私だけれど。
そんな私でもいいと言ってくれる人がいればいい、なんて生意気なことを言ってもいいだろうか。
真剣に私を見る眼鏡君は、背は私より少し高いくらいで、顔立ちはすっきりとしていてイケメンと分類する女子もいるだろう。
そんな後輩君が……。
「連絡先、交換してくれませんか? 先輩の好きな本、もっと知りたいです……」
後輩君はそう言って顔を真っ赤にする。
これは告白なのだろうか。
告白未満で恋愛未満の甘酸っぱい若き日の思い出になる何かなのか。
「うん。いいよ。あなたの好きな本も教えてほしいな」
「は、はい!」
図書室で独りごちる。
高校三年間で一番愛着のある場所だ。
入学式の日に貸出カードを作って、新着図書から話題の新作を借りて読んだ。
その小説がすごく面白くて、不安な高校生活に明るい光を差してくれた気がした。
その本とはまったく関係なく、普通にクラスで友達もできたし、いじめな仲間はずれもなく平穏に過ごせたのはありがたかった。
最初に借りた記念すべき小説は、ハードカバーのを借りて読んだのだけど、最近上下巻で文庫化されたから思わず買ってしまった。
私の高校生活はこの作品で始まり、この作品で終わるのだ。
そんな風に気取ってみたりしてみる。
入学式以降は毎日放課後図書室に通っている。
一日一冊。
そんなノルマを自分に課した三年間がもうすぐ終わる。
と言っても、県立の図書館や家の近くの町立図書館、高校の近くの市立図書館でも借りて読んでいるので、一日一冊どころでない読書をしてきた。
正直どうしてそこまで本を読めたのかわからない。時間の使い方が上手いわけではない。
勉強は……まあ、そこそこしてきた。
現代国語や古文のテストなんかでは学年トップレベルだ。えっへん。
理数科目については聞かないでほしい。中学時代から数学は怪しかったが、高校では理解することを脳が放棄し始めて焦った。公式だけ暗記してテストを乗り切っただけなので、正直何一つ身に付いていない。
さらば数学。もう二度と会いたくないよ数学。あなたを心から愛してくれる人のところで幸せに暮らしてね……。
一応部活も入ってみたこともあった。新入生歓迎会で演奏が素敵だった箏曲部だ。「『さくら」を演奏します」と言っていたから、お琴の定番曲『さくらさくら』のことかなと思ったら、JPOPの曲が始まって周囲がざわめいたのを覚えている。部活動は週三回で、自主練もなくて性に合っていた。
だけど段々みんなが上手になってきちゃって、全国大会を目指そうとか週五部活動をしようとか言い出すガチ勢が出てきた時は気まずかった。
出たくない人は今まで通り週三回でいいと言われたのに、週三回しか出席しなかったら白い目で見られるようになったので、結局二年生になってすぐに退部しちゃった。
その後、箏曲部は全国大会入賞したり、いろいろな賞を取りまくって、この高校を代表する部活になった。
そんなキラキラした部活になる前に辞めちゃってちょうどよかった。
定期演奏会とか、高校の近所の公園の満開の桜の下での演奏会とかは聴きに行ったし楽しかった。
演奏するよりも聴く方が向いていたみたいだ。
私は、部活を辞めてからずっと放課後図書館でゆったりした静かな時間を過ごした。
誰と交流するわけでもなく、一人で本と向き合って。
ぼっちで何が悪い。
図書館で毎日同じ席に着き、借りて帰るには重そうな本を堪能する日々だ。
そんな日々も残すところあとわずか。
進学先も無事に決まり、三年生は自由登校だから、遊びに来ている生徒以外は登校もしない。
図書室の司書の先生が、いっぱい本を借りてくれた生徒に借りた本の記録冊子を作ってくれた。
私は自分の読んだ本は全部ノートに記録しておいてあるし、感想は読書記録アプリで書いていたりする。
だから改めて、日付け、書名、作者名、出版社、なんてまとめられて印字してホチキスで留められた冊子なんて必要はなかった。
だけど、本に対する情熱が半端じゃなくて、生徒たちに本を好きになってもらいたくていろいろ画策していた司書の先生のことは尊敬しているし、パソコンが苦手なのに頑張って表計算ソフトで作ってくれたのは心から嬉しかった。
記念に「表紙に一言もらえますか?」とお願いしたら、「人生は読書と共に」なんて達筆で書いてくれた。すごく嬉しかったし、一生大事にする。
そんな私の高校生活になかったものは、ずばり恋だ。
小説以外の本もいろいろ読んだけれど、小説が圧倒的に多かった私の読書歴の中、高校生の時の恋人を将来殺したいほど恨むようになる、とか、高校時代恋愛もせず鬱屈して性犯罪者になる、とか、高校生の時の恋の恨みで社会人になってから同窓会で殺人事件を起こす、とか、高校時代に自殺した恋人をいじめていた犯人を大人になってから順番に殺していく、とかそんな本をたくさん読んだ気がする。
人間は、高校時代に恋愛を求めるのだ。
私の周囲にも、付き合い始めたと思ったら別れたり、浮気したり、三角関係だったと思ったら四角関係だったり、本気で付き合っていると思っていたらセフレ扱いだったり、妊娠したかもと焦ったり、彼女を妊娠させて逃げたり、いろんな恋愛模様が繰り広げられていた。
もっと純情なエピソードが聞きたかったのだが、本当にピュアなカップルはお互いの胸に秘めておく傾向があった。幸せアピールうざい、などと嫉妬されたりして恨まれたくないからだろう。
私の友人だった「男子なんてお話しするの怖いよ」なんて言っていた子も、彼氏ができたら急に自信に溢れかえるようになって、彼氏のことを「あいつ粗チンのくせに偉そうなんだよ」とか派手目な女子のグループの子たちと盛り上がっていた。
私も高校デビューしてみたかった気はしないでもない。
オシャレに興味はないし、別に好きな男子がいるわけでもないし、男に飢えているわけでもないし、お金と時間は本に使う主義だ。
こんな私みたいな女が、大学で変な男に引っかかって、輪姦されたり、無理やりAVとかに出演させられたり、カネ稼いでこいと風俗で働かされたりする運命を辿るかもしれない。
そんな小説をたくさん読んだ。
まあ、怪しい新興宗教やねずみ講なんかには引っ掛からないように気を付けよう。
世の中、この人となら上手くいくと思った相手と結婚するが離婚する人たちもいる。
とりあえず、怪しい人には絶対に着いていかないように心掛けておく。
「あ、あの……、桜庭先輩……」
「え?」
誰もいないと思っていた図書室の奥から声を掛けられた。
そこには二年生の男子生徒がいた。制服の襟についている学年章でわかる。見覚えもなしい、多分初対面だと思う。
まあ放課後だし、誰がいても不自然ではない。
「桜庭先輩……、あの、図書室に貼ってある読書感想文すごくよかったです」
生真面目そうな眼鏡君も読書好きなのだろう。司書の先生に頼まれて、図書館の片隅の「生徒の読書感想文コーナー」用に書いたことがあったが、本当に読んでくれた人がいるなんて感激だ。
「ありがとうね。それで、あの小説は読んだ?」
「読みました。すごくよかったですし、読後に先輩の感想文を読み返したらネタバレしないようにすごく気を遣っているところとかも見えてきて、さらに楽しめました」
きびきびと話す眼鏡君は、きっと次に司書の先生のお気に入り候補だろう。
「わかってくれて嬉しいよ。そこまで理解してくれる人がいるなんて思ってなかったから」
「……桜庭先輩」
緊張した声で名前を呼ばれた。
「なあに?」
これはもしや、私が高校時代にやり残したことがスタートするのではないか。
見た目は並だし、胸は小さいし、気が利くわけでも、優しいわけでもないし、自己中心的で自分の時間を何よりも大事にする私だけれど。
そんな私でもいいと言ってくれる人がいればいい、なんて生意気なことを言ってもいいだろうか。
真剣に私を見る眼鏡君は、背は私より少し高いくらいで、顔立ちはすっきりとしていてイケメンと分類する女子もいるだろう。
そんな後輩君が……。
「連絡先、交換してくれませんか? 先輩の好きな本、もっと知りたいです……」
後輩君はそう言って顔を真っ赤にする。
これは告白なのだろうか。
告白未満で恋愛未満の甘酸っぱい若き日の思い出になる何かなのか。
「うん。いいよ。あなたの好きな本も教えてほしいな」
「は、はい!」