彼女が高校1年生であった頃に、時間は遡る。

「痴漢です!捕まえて下さい!」

駅のホームに響く声を聞いた瞬間、彼女はほとんど反射的に動いていた。

「『伝令神の象徴(タラリア)』。最小出力(スモールレンジ)

トゥリングとして装備している霊具、簡単に言うと加速能力を持つ装置を起動させ、周囲の利用客を突き飛ばさんばかりに走るスーツ姿の男に彼女は肉迫する。同時に取り出していた同様の霊具『ゲイ・ボルグの槍』を、これまた最小出力(スモールレンジ)で起動させた。

『ゲイ・ボルグの槍』と名を付けているが、外見は完全にただの万年筆だし、彼女は日常においては万年筆として使用している。しかし内実は対妖魔用の白兵戦兵器。つまり実体が無い存在を斬る為の武器だ。如何に出力を抑えていても、普通の人間に使用した場合、瞬時に気力体力を削がれる。

傍目から見れば、いきなり近付いてきた女子高生が相手の胸を万年筆で突いたようにしか見えない。しかし男は突然動きを止めたかと思うと、白目を剥いて昏倒した。彼女はその背を片足で踏み付け、「大丈夫ですかー?」と声の方向に呼びかける。少女と、少女に寄り添う声の主と思しき女性が進み出てきた。

「すみませーん!どなたか駅員さん呼んで下さいませんかー!もしくは駅員さんいませんかー!?駅員さーん!」

彼女は思い切り声を張り上げつつ、空いている片手でスマートフォンを取り出し、電話帳から母の番号を呼び出した。数回のコール音後、『どうした?』と母の声がする。

「もしもし。お母さん?いきなりごめんね。私、ちょっと警察の世話になる事になった」
『え!?何!?何があったの!?大丈夫!?』

ざわつく周囲をよそに、彼女は電話口の向こうの母の慌てた声に「大丈夫だよー」と答えた。

「うんとね。痴漢を捕まえた。あ。痴漢『で』捕まったんじゃなくて、痴漢『を』捕まえただよ?」
『貴方がそんな事するとは思ってないから!大丈夫!?怪我は無い!』

慌てた声に彼女は「無いよ」と答えた。

「被害に遭ったのは別の人で、私は捕まえただけ。犯人は…まあ生きてはいるよ。『ゲイ・ボルグの槍』でぶすっとやっただけだから」
『ぶすっとやった!?』
「気絶させただけだって。流血沙汰は起こしてないよ。実体は斬らない仕様だからね」

彼女としては、この手の人間は殺処分で構わないと思っているのだが、対象が生物的及び社会的そして法的に『知性を持った同じ人類』とされている以上、現代社会のルールに則った対処及び対応をしなければいけないと理解してはいる。これは至って穏当かつ無難な対処なのだ。
慌ただしく駆け寄ってくる駅員達に視線を向けつつ、彼女は続けた。

「これからお巡りさんも呼んでもらって色々訊かれると思うから、帰りが遅くなると思う。でも心配しないで。きちんと一人で帰れるから、お母さんはいつも通りお仕事してて」
『…わかったけど、報告は逐一してね』
「家族のLINEグループに送るよ。あ。あと、面接先にも遅れるとか日にちずらしてもらうとか、自分で連絡するから」
『気を付けてね』

彼女は「うんー」と頷き電話を切った。駅員達に「こいつです」と片足の下の男を指して背を踏み付けていた足をどかし、

「起きろ」

その足で、男の局部を渾身の力で蹴り付けた。濁音だらけの悲鳴がホームに響き渡った。
かくして意識を取り戻した、というより取り戻させられた男は駅員達に連行された。少女と女性に彼女も当然の如く同行する。警察も呼ばれ、それぞれ別室で話をする事になったが、その前に彼女は断りを入れた。

「すみません。その前に電話していいですか?バイトの面接先に、遅れるか日にちをずらしてもらうか相談したいので」

構わないとの事だったので、面接が決まった時点で控えておいた代表の電話番号をプッシュする。
途端に、少女に寄り添う女性のスマートフォンが鳴り出した。

「…あれ?」

コール音が響く中、彼女と女性は互いを見合った。