ダメ元というか、勢いで言ってしまった水族館への同行。思いの外、浅野は「いいよ」とすぐに快諾してくれた。
断られるか渋られるかと思っていたから、そんな浅野に拍子抜けをする。

ナイトアクアリウムは夕方5時から入館がスタートするそうなので、わたし達はその時間に水族館で待ち合わせをすることにした。

魚が好きで、好きなことに真っすぐ打ち込んでいる浅野だけれど、意外とフランクで人に対する壁が少ない。
そこはわたしと似ている気がして、共通点が見出せた様で少し嬉しい。

でもそう言うと浅野は、「春日井のコミュ力と俺のそれは全く違うよ」と笑った。

「俺は基本、来るもの拒まず去るもの追わずの他力本願だから。春日井は、自分から歩み寄ってくれるだろ。そこは大きな差だよ」

浅野の言う意味は今一理解できなかったが、浅野の優しい表情はわたしに自信をくれる気がした。
浅野のことをもっと知りたい、と思う様になったのはいつからだろう。
初めて浅野と出会ったあの日からだと言っても過言ではないかもしれない。

浅野がそう言ってくれるなら、遠慮なくわたしから歩み寄ろう。
そんな風に思いながら、土曜日の夕方を迎えた。


水族館は広い芝生のある公園とちょっとした商業施設に隣接していて、常日頃から賑わっている界隈にある。

待ち合わせは夕方からだったけれど、せっかくそこまで行くのだからと少し早目に現地に着いた。

芝生はファミリーやカップルでひしめき合っているので、そこは横切り商業施設の方に進む。

土曜日だからかそこそこ人は多く、お気に入りのカフェは入り口に既に数人並んでいた。
時間的にお茶休憩のタイミングなのだろう。
カフェで時間を潰そうかと思っていたけど諦めて、ファッションエリアをひやかしでぐるりと周り、それでも時間があったので本屋に足を向けた。

ファッション雑誌を立ち読みして、中間テストがあるから少しだけ(そう、ほんの少しだけ)参考書でも見てみようかな。
そんな風に思いながら本屋の棚の間を歩いていると、見覚えのあるキャップを見つけた。

あの日、水族館で被っていたそれと同じもの。
白いシャツに黒いパンツというラフな格好だけれど、意外とある身長と細身の体型が、おしゃれに見せてくれている。
普段見慣れた制服姿とは違い、少しだけ心臓が跳ねた。

わたしは軽く前髪を整えて、真剣に手に持った本に視線を落としている彼の横に、そっと近寄る。

「......何読んでるの?」
「うわっ!」

期待以上に驚いた浅野に、逆にわたしが驚く。
隣に立つわたしに目を向け、しばらく目を丸くしていた。

「......ちょっと、驚き過ぎじゃない?」
「......びっ......くり、した。え、何で?」

慌てて時計を見る浅野に、「あ、大丈夫だよ、まだ時間じゃないし」と手を横に振った。

「早目に来たからふらふらしてたの。本屋に来たら浅野がいたから」
「そっか。驚かすなよ。あーびびった」

真剣に驚く浅野にケラケラと笑い、「何読んでたの?」と浅野の手にする本を覗き込む。
この前教室では聞かなかった一言。ちょっとだけ、嬉しい。

「水生生物の飼育施設に関する本」
「......うん、なるほど」
「何一つ分かってないよね。んー、水槽のデザインとか、飼育環境とか、そうしたことについて書かれてるものだよ」
「浅野が好きな内容だってことはよくわかった」

内容はさっぱりだけれど、ここには浅野の心をワクワクさせてくれる内容がぎっしり詰まっていることはよく分かる。
浅野は軽く笑い、その本を棚に戻した。

「買わないの?」
「うん。俺もちょっと早く着いたら、時間潰してただけだし。似たような本、持ってたから」

わたしと同じ様に早目に来ていたという事実が、ちょっとこそばゆい。
楽しみにしていてくれたのかな......なんて思ってしまったけれど、よく考えたらそもそも水族館へ行くこと自体が浅野の楽しみなわけで、わたしの邪な理由とは少し意味が違うのだと考え直す。

わたしの邪な理由。
自分でそう思いながら、少し落ち着かない。
水族館自体は、別に興味がない。(なんて、浅野を前にしては言えないけど)
水族館を楽しんでいる浅野を見るのが楽しみで、浅野と土曜日に同じ時間を過ごすことが楽しみで。

楽しそうな浅野を見たい。
好きなことに夢中になってる姿を見たい。
この感情って、なんなんだろう。

友達でも誰でも、楽しそうにしている姿を見るのは好きだし、一緒に楽しむことも好きだ。
でも浅野に対する思いは、少しだけ違う気もしてる。

今日1日で、何かわかるだろうか。

浮き足立ってしまう心を落ち着けながら、浅野と一緒に本屋を後にした。

商業施設を出る直前、お気に入りのカフェの前で立ち止まる。
さっきまでは待っている人達がいたけれど、今は空いてそうだった。

「浅野、甘いもの好き?」
「甘いもの?嫌いじゃないけど」
「ほんと?ちょっと待ってて!」

わたしは小走りでお店に入り、テイクアウトで2つ、いつも頼むキャラメルラテを頼んだ。
キャラメルの甘い香りが漂って、ほくほくと心が満たされる。

「お待たせ!ここのキャラメルラテ、めっちゃ美味しいの!騙されたと思って飲んでみて!」

他のお店のキャラメルラテは甘さが強くて飽きてしまったりするのだけれど、ここのはコーヒーの苦味といい感じにマッチしていて、とても美味しい。

浅野は「いいの?」と躊躇いながら受け取って、カップに口をつけた。

「ん、んま」
「でしょ?甘いのが苦手な男の人でも結構好きっていう人多いんだよね。これ、わたし一押しの飲み物」

そういえば元彼は頑なに飲んでくれなかったな、なんて思い出しながら、水族館までの道を浅野とカップに口をつけながら歩く。
確か彼は、甘い物が好きではなかった。

「わたしさ、前も言ったけど、水族館とか魚とかそんなに興味ないんだよね」
「今から行きますけど」
「あははっ、そうだけど!でもさ、魚のことを楽しそうに話してくれる浅野を見てるのは好きなんだよね。ぜーんぜん魚のことは頭に入らないんだけど、浅野の好きって気持ちを共有できてるみたいですっごく楽しい」

苦手だな、とか、興味ないな、なんてことでも、友達や好きな人に勧められたらちょっとかじってみたくなる。
一緒に共有できたら嬉しい。そこまで好きになれなくても、幸せな顔を見ているとこっちまで幸せな気持ちになる。

わたしは浅野みたいに「これ!」ってものを見つけられていないけど、こうしてみんなの好きを共有させてもらう楽しみはあるんだ。

「だから、わたしのお気に入りもちょっと浅野に紹介してみたくなったの」

キャラメルラテのカップを持ち上げながら、浅野に笑顔を見せた。
斜め上にある浅野の表情はキャップに隠れてはっきりと読み取れなかったけれど、その口元が優しく笑っていたことはわかる。

「......そっか。ありがと」

浅野はその口元にカップを寄せる。
コクッと飲むその仕草が、思った以上に綺麗で急いで目を逸らした。

水族館まであと少し。
規則正しく鳴る自分の心臓の音に耳を傾けながら、あとは無言で歩いた。

青空と夕焼けのコントラストが、水族館の背景に映えていた。