先程入れたお茶はすっかりぬるくなっている。獏は娘の分も茶を入れると、引き出しを開けて、丸めた紙を取り出した。紐を解き、するすると広げる。
紙に大きく大書された文字を覗き込み、娘は首を傾げた。
「なんと、書いてあるのですか?」
獏は娘に手渡すと、紙のひと文字ひと文字を指でなぞる。木簡が主流の時代。貴重な紙になにを書いたのか。
「これは〈夢〉。その下が〈夜〉」
「はあ」
意味がわからず、首をひねる娘へ、獏はほほ笑んだ。
「〈夢夜(ゆめよ)〉。・・・私が選んだ、そなたの名だ」
なま、え・・・?
娘は目を丸くした。
「わたしに、なまえ・・・を、あたえてくださるのですか?」
名前。それは家畜でも、自然物でもない、人であるあかし。
家畜にも劣る存在と言われた日々。
はらりと散る木の葉のように、軽い命だと。使い古しの道具のようにあつかわれてきた。
重い鎖で繋がれ、いつも主人に手綱をにぎられていた。笞(むち)で打ち据えられ、絶対服従をなんども体に教え込まれてきた。
自由の意味さえ知らなかった。カゴの鳥よりもっと、心まで束縛されて。
――その首輪が、いま、彼の手によって引きちぎられた。
「ゆめよ」
ゆめよ、ゆめよ、夢夜・・・・・・。
娘は・・・夢夜は、何度も、愛しい人からの最高の贈り物を繰り返す。
夢夜はうつむき、胸をおさえる。息が苦しかった。突然の自由、開放されたという実感は、簡単にはわかない。
それでも、魂が清められていくような気がした。
窓の外から運ばれてくる花のかおりが、鉄の拘束具で痛めつけられた体中を甘く包んでくれる。
(――これが、わたしが望んでいた、自由のにおい・・・?)
うつむき、とまどいに瞳が揺れている夢夜の様子に、獏は勘違いした。
「気に入らなければ」
返せ、と続けようとし――獏は、目を見張った。
ふわり、娘はわらったのだ。
それはあの時、ホタルの飛び交う泉で見たほほえみとも違う、本当に幸福そうな笑みだった。
「わたし、は、〈人〉になれたのですね」
紅葉(こうよう)をおもわせる、どこか儚く寂しげな美しさ。
同時に、赤々と実りはじめた幸福。
獏はその瞳に魅入った。
――・・・ああ、懐かしい香りがする。
もうずいぶん長い間忘れていた。あまい胸の高鳴り。
――これは・・・恋の香り。
紙に大きく大書された文字を覗き込み、娘は首を傾げた。
「なんと、書いてあるのですか?」
獏は娘に手渡すと、紙のひと文字ひと文字を指でなぞる。木簡が主流の時代。貴重な紙になにを書いたのか。
「これは〈夢〉。その下が〈夜〉」
「はあ」
意味がわからず、首をひねる娘へ、獏はほほ笑んだ。
「〈夢夜(ゆめよ)〉。・・・私が選んだ、そなたの名だ」
なま、え・・・?
娘は目を丸くした。
「わたしに、なまえ・・・を、あたえてくださるのですか?」
名前。それは家畜でも、自然物でもない、人であるあかし。
家畜にも劣る存在と言われた日々。
はらりと散る木の葉のように、軽い命だと。使い古しの道具のようにあつかわれてきた。
重い鎖で繋がれ、いつも主人に手綱をにぎられていた。笞(むち)で打ち据えられ、絶対服従をなんども体に教え込まれてきた。
自由の意味さえ知らなかった。カゴの鳥よりもっと、心まで束縛されて。
――その首輪が、いま、彼の手によって引きちぎられた。
「ゆめよ」
ゆめよ、ゆめよ、夢夜・・・・・・。
娘は・・・夢夜は、何度も、愛しい人からの最高の贈り物を繰り返す。
夢夜はうつむき、胸をおさえる。息が苦しかった。突然の自由、開放されたという実感は、簡単にはわかない。
それでも、魂が清められていくような気がした。
窓の外から運ばれてくる花のかおりが、鉄の拘束具で痛めつけられた体中を甘く包んでくれる。
(――これが、わたしが望んでいた、自由のにおい・・・?)
うつむき、とまどいに瞳が揺れている夢夜の様子に、獏は勘違いした。
「気に入らなければ」
返せ、と続けようとし――獏は、目を見張った。
ふわり、娘はわらったのだ。
それはあの時、ホタルの飛び交う泉で見たほほえみとも違う、本当に幸福そうな笑みだった。
「わたし、は、〈人〉になれたのですね」
紅葉(こうよう)をおもわせる、どこか儚く寂しげな美しさ。
同時に、赤々と実りはじめた幸福。
獏はその瞳に魅入った。
――・・・ああ、懐かしい香りがする。
もうずいぶん長い間忘れていた。あまい胸の高鳴り。
――これは・・・恋の香り。

