3章 楽しい無双生活

3-1. 救難依頼

 一階の食堂で朝食をとり、コーヒーを飲んでいると、ドタドタドタと、誰かが慌てて入ってくる。見ると、ギルドの受付嬢だった。
「あ、いたいた! ヴィッキーさん!」
 受付嬢はヴィクトルを見つけると、急いでやって来て、早口で続けた。
「おはようございます! 緊急の依頼がありまして、ギルドまで来てもらえませんか?」
 ヴィクトルはルコアの方を見る。
 ルコアはキョトンとしながらうなずいた。
「分かりました。支度してすぐに行きます」
 ヴィクトルは急いで立ち上がる。

      ◇

 ギルドマスターの部屋に通されると、黒いローブを着た女の子がソファーに座っていて、泣きそうな顔でヴィクトルたちを見る。
「朝早くから悪いね」
 マスターは緊張感のある声で言った。
「な、何があったんですか?」
「彼女のパーティーが落とし穴のワナに落ちてしまって、消息不明なんだ」
「すみません! お力を貸してもらえませんか?」
 魔導士の女の子が立ち上がって早口で言った。
「別に僕らでなくても……、誰でもやってくれそうですけど?」
「そ、それが落ちたのが地下三十七階からなので……」
 そう言って女の子はうなだれた。
 マスターが補足する。
「三十七階から落ちたとすると、Aクラスパーティー以上でないと難しい。そして、残念ながら今動ける心当たりは君たちだけなんだ」
「一応僕たちはCですが……」
 ヴィクトルは渋い顔をする。
「分かってるが、今は緊急なので、『一切口外しない』と約束させることでお願いしたいんだ」
 ヴィクトルはふぅ、と息をつくと、渋々言った。
「分かりました。同じ落とし穴から降りて、探せばいいですね?」
「やってくれますか!? ありがとうございます!」
 女の子は涙をポロポロとこぼしながら、ヴィクトルの手を両手で握る。
「あ、それから……」
 マスターが言いにくそうに切り出した。
「何か?」
「その……、遭難者なんだけど……。昨日君たちにヤジを飛ばしたジャックという奴なんだよね……」
「それなら私は行きません! 主さまを馬鹿にした(ばち)が当たったんです!」
 ルコアが声を荒げる。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい! それでも大切な仲間なんですぅ……うっうっう……」
 部屋には彼女の嗚咽(おえつ)が響いた。
「報酬は金貨二十枚。彼女の全財産だ。気持ちを汲んでもらえないだろうか……?」
 マスターはルコアに申し訳なさそうに言う。
 ルコアはツンとして顔をそむけたままだ。
「ルコア、行こう。僕らの強さを見せつけてやろうじゃないか」
 ヴィクトルがニヤッと笑って諭すと、ルコアはチラッとヴィクトルを見て言った。
「見せつけてやる……、それはいい考えかも……ですね」
「ついでにサイクロプスの魔石も取れるかもよ?」
「あー、それのついでならいいですね」
 ルコアはニコッと笑う。
「よし決まり!」
 ヴィクトルもうれしそうに笑った。

 ヴィクトルが女の子に声をかける。
「それでは行こうか。僕がダンジョンまで飛んで運ぶけど大丈夫……」
「ダメです! 私が運びます!」
 ルコアがさえぎるように声を荒げて言った。
 そして窓を開けると、女の子をお姫様抱っこして窓の外へピョンと飛ぶ。
「えっ!? うわぁぁ!」
 予想外の展開に慌てる女の子。
「ひゃあぁぁぁ――――!」
 女の子の叫び声が遠くへ小さくなっていく。
「悪いけど頼んだよ。ジャックはあれで結構いい所もあるんだ」
 マスターは申し訳なさそうに言った。
「はい、分かりました。でも……、一般的にはもう手遅れの時間ですよね?」
 ヴィクトルは渋い顔をする。
 マスターは目をつぶってうなずき、息をつくと言った。
「それでも彼女には必要な事なんだよ……」
「なるほど……、分かりました。全力を尽くしてみます」
 ヴィクトルはそう言うと、窓から飛び出し、ドン! と衝撃音をあげながら一気に音速を超えてルコアを追いかけた。

 












3-2. 三つの奇妙な果実

 一行は王都の近くのダンジョンにエントリーした。
 ダンジョンの洞窟は暗く、ジメジメしており、カビ臭い。
「さて、三十七階だったよね?」
 ヴィクトルはつい先日までこもっていたダンジョンを思い出し、少し懐かしく感じながら聞いた。
「そうです。急がないと……」
 女の子が泣きそうな声で言う。
 一階ずつ丁寧に降りていたら何時間かかるか分からない。さてどうしたものかと考えていると、
「今、聞いてみるからちょっと待ってて」
 そう言って、ルコアはiPhoneを出して何かをタップする。
「あ、私~、元気? うん……、うん……。それでね、王都のダンジョンに来てるのよ。……。そうなのよー」
 何やら世間話をしている。ヴィクトルも女の子も困惑した。
 ルコアはそのまま会話を続ける。
「で、三十七階の落とし穴あるでしょ。そうそう。その落ち先まで送って欲しいんだけど。……。いい? 悪いわね。はいはい」
 いきなりすごい話になって、二人とも唖然(あぜん)とする。なぜそんなことができるのか、全く理解できなかったのだ。
 ルコアは電話を切ると、
「こっちですよ」
 そう言って入り口わきの細い通路を行く。すると、純白の魔法陣が地面で光っているのが見えてきた。
「え? まさかこれって……」
「そうですよ、この先に遭難者が居ます」
 ルコアはドヤ顔で言う。
 いわゆるダンジョンの管理者、ダンジョンマスターとルコアが知り合いということなのだろう。魔物もルコアもレヴィアが創ったものであるなら、確かにそうであってもおかしくはないが……、ヴィクトルは常識がガラガラと崩れていくのを感じた。
 そして、大きく深呼吸をすると、意を決して魔法陣を踏んだ。

           ◇

 気がつくとヴィクトルはさんさんと太陽の照りつける草原にいた。
 青空の下で綺麗な水の小川が流れ、向こうには森が広がっている。自然景観型のフロアらしい。
 女の子とルコアも次々と現れる。
 索敵の魔法を展開していくと……、森の奥に三人の弱々しい人間の反応がある。どうやらまだ生きているようだ。
 しかし、近くには魔物の反応もあり、予断は許さない状況である。
「僕、行ってくるよ。二人はここで待ってて。彼らを連れて帰るから」
 ヴィクトルがそう言うと、ルコアは、
「主さま、気を付けて」
 と、ニッコリとほほ笑んだ。
 女の子は涙目で手を合わせ、ヴィクトルに頭を下げる。

 ヴィクトルは飛行魔法で一気に反応があった近くまで来ると、慎重に森の中へと降りて行った。森は巨木が生い茂り、鬱蒼として見通しはあまり効かない。
 反応の方へ歩いて行くと、三つの白い繭のような物が巨木の枝から宙づりにされているのが見えた。よく見ると、繭の下には顔が半分のぞいている。冒険者がヒモでグルグル巻きにされ、逆さづりにされているようだ。
「ん――――!」「んー、ん――――!」
 冒険者たちはヴィクトルに何かを言っている。
「助けに来ましたよ――――!」
 ヴィクトルは能天気にそう言いながらスタスタと歩く。だが、右手には魔力をこめ、鈍く赤く光らせておいた。

 シュッ!
 直後、そばの樹の上から蜘蛛の糸がヴィクトルに向けて放たれる。
 ヴィクトルは待っていたかのようにそれを左手でガシッとつかむと同時に、
炎槍(フレイムランス)!」
 と、叫んで樹上の魔物に鮮烈な炎の槍を食らわせた。

 グギャァァァ!
 断末魔の叫びを森に響かせながら、巨大な蜘蛛の魔物が火だるまになって地面に落ち、のたうち回り、最後には魔石になって消える。

 よし! と思った時だった。地中からクワガタムシのアゴのような巨大なハサミが二本、いきなり突き出して、ヴィクトルに襲いかかる。
 蜘蛛もこいつも冒険者たちを(おとり)にして、助けに来る者を狙おうとしていたのだ。

 しかし、ヴィクトルは慌てることなく、手刀でパキン! パキン!とハサミを折ると、逆にそのハサミの根元をガシッとつかみ、そのまま一気に引き抜いた。
「そんなの僕には効かないよ」
 ズボッと抜け出てきたのは全長三メートルはあろうかと言う巨大な幼虫だった。ブヨブヨとした白い肌がウネウネしながらうごめく。
 ヴィクトルはそのまま空中高く放り投げると、
風刃(ウィンドカッター)!」
 と、叫んで、風の刃で幼虫をズタズタに切り裂いた。

 ギョエェェェ!
 叫び声を残し、幼虫は魔石となって落ちてくる。
 ヴィクトルはニヤッと笑って魔石をキャッチすると、繭になってる三人に走り寄った。






3-3. ノリノリ絶対爆炎

「大丈夫ですか?」
 ヴィクトルは口元の糸を外してあげる。
「あ、ありがとうございます……、もうダメだと思ってました……うぅぅ」
 昨日、ヴィクトルをあざ笑った、薄毛の中年男ジャックはみっともなく泣き始めた。
「間に合ってよかったです」
 ヴィクトルはニコッと笑う。
「昨日はごめんなさい。まだお若いのにこんなに強いなんて知りませんでした……」
 ジャックはそう言って謝った。
「まぁ、僕は子供だからね、仕方ないよ。さぁ、仲間のところへ行こう」
 ヴィクトルは彼らを宙づりにしている糸を切ると、展開したシールドの上に繭のまま載せ、そのまま飛行魔法で一気に上空へと飛び上がった。
「うひ――――!」「ひゃあぁぁぁ!」「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
 三人は繭のまま驚き、叫ぶ。
 繭のまま運んだ方が運びやすいので、申し訳ないがそのまま飛んだのだった。

         ◇

 別れたところまで飛んでくると、黒ローブの女の子が一人で心細げに立っていた。
「あれ? ルコアは?」
「『サイクロプス!』って叫んで飛んでっちゃいました……、それでその白いのは何……? えっ!?」
 繭から顔がのぞいているのを見つけた女の子は、仰天する。
「あー、全員救出しておいたよ。早く出してあげよう」
 ヴィクトルはそう言うと、繭をベキベキベキと腕力で破り、一気に裂いた。その異常な怪力に、包まれていた人は驚愕する。自分ではビクともしなかった繭を小さな子供がまるで紙を破くようにあっさりと壊したのだ。
 僧侶の女の子を解放すると、黒ローブの女の子は抱き着いて、二人でしばらく号泣していた。正直、生きてまた会えるなんて思っていなかった二人は、お互いの体温を感じ、奇跡的な生還を心から喜んだ。

           ◇

 ドドドドドド!

 地響きが遠くの方から響いてくる。
 みんな何だろうと、不安げな顔で地響きの方を眺めた。すると、草原の小高い丘の向こうからルコアが飛んでくる。
 そして……、後ろには土煙……。

 ヴィクトルは思わずフゥっとため息をつくと、
「君たち、危ないからこのシールドの中にいて」
 そう言いながら淡く金色に光るドーム状のシールドを展開し、四人をすっぽりと覆った。

 丘を越えて現れたのは緑色の巨人、サイクロプスが何匹か、それにグリフォンにリザードマンなどの魔物が多数。みんな挑発され、ルコアを必死に追いかけてくる。

「主さま~! いっぱい連れてきましたよ~!」
 ルコアが叫びながら飛んでくる。
 四人の冒険者たちは、Aランク以上の危険な災害級の魔物が群れを成して襲ってくるさまに腰を抜かし、シールドの中で真っ青になってうろたえた。
 ヴィクトルは苦笑いすると、軽く飛び上がり、
 ほわぁぁぁ!
 と叫びながら下腹部に魔力を貯める。そして、術式を頭の中で思い描き、手のひらを魔物たちの方へ向けた。

「ルコア、衝撃に備えろ!」
 そう叫ぶと、手のひらの前に巨大な真紅の魔法陣を次々と高速に描いていく。鮮やかに光り輝く魔法陣たちは、一部重なりながらどんどんと集積し、キィィィ――――ン! とおびただしい量の魔力を蓄積しながら高周波を放つ。

 冒険者たちはその、神々しいまでの魔法陣の輝きに圧倒され、みんな言葉を無くした。見たこともない超高難度の魔法陣、それが多数重なっている。それも通常以上に魔力を充填され、音が鳴り出すくらいになるなど聞いたこともなかったのだ。

 ヴィクトルは魔物たちが全員、丘を越えたのを確認すると、

「それ行け! 絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)!」
 とノリノリで叫ぶ。
 魔法陣群が一斉にカッと輝き、鮮烈な輝きを放つエネルギー弾を射出した。
 直後、魔物たちに着弾すると、天も地も世界は鮮烈な光に覆われた。激しい熱線が草原や森を一気に茶色に変え、炎が噴き出す。
 すさまじい爆発エネルギーは衝撃波となって、白い繭の様に音速で球状に広がり、森の木々は根こそぎなぎ倒され、冒険者たちのシールドに到達すると、ズン! と激しい衝撃音を起こし、みんな倒れ込んだ。
「キャ――――!」「ひぃぃぃ!」「うわぁぁぁ!」
 石や砂ぼこりがシールドにビシビシと当たり、まるで砂嵐のような状態である。

 それが過ぎ去ると、目の前には巨大な真紅のキノコ雲が、強烈な熱線を放ちながらゆっくりと立ち昇っていく……。
 シールドで身を守っていたヴィクトルはその様を見ながら、やり過ぎたと思った。確かに見せつけてやろうとは思っていたものの、まさかここまで大規模な爆発になるとは予想外だったのだ。これを王都に向けて放ったら一瞬で十万人が死に、街は瓦礫の山になるだろう。
 そして、ここまでやっても全然MPには余裕があったし、これより強力な攻撃を何度でも連射可能だった。そんな自分の異常な攻撃力に恐ろしさを覚え、ついブルっと身震いをしてしまう。
 妲己を倒すために一年頑張ったが……、自分は開けてはならないパンドラの箱を開けてしまったのではないだろうか?
 ヴィクトルは高く高く立ち昇っていく灼熱のキノコ雲を見上げながら、言いようのない不安を感じていた。









3-4. 固まる上級魔人

 キノコ雲が霧消していくと、ヴィクトルは爆心地に飛んだ。焼けただれ、焦土と化した丘には巨大なクレーターがあり、ポッカリと大穴をあけていた。見ると、大穴の底には広大な広間が見える。なんと、ダンジョンの次の階層にまで穴をあけてしまったようだ。
 ヴィクトルはやり過ぎたことを反省し、大きく息をつく。
 その後、探索の魔法を使って魔石を探したが、サイクロプスの魔石は一つしか見つけられない。
 飛び散ったか壊れたか……、ヴィクトルはこの狩り方は止めようと思った。

         ◇

 ヴィクトルは戻ると、冒険者たちのシールドを解く。
 すると、彼らは口々に、
「ま、魔王様……」「魔王様お許しを……」
 と、焦点のあわない目で言いながら、ヴィクトルに許しを請い始めた。

「いや、ちょっと、僕、魔王なんかじゃないから!」
 ヴィクトルは強く言ったが、冒険者たちはおびえて話にならない。
 すると、ルコアは、
「主さまは魔王なんかじゃないわ。魔王なんかよりずっと強いんですよ! 頭が高いわ!」
 と、余計な事を言った。
「ご無礼をお許しください!」「大変失礼いたしました!」
 冒険者たちは土下座を始めてしまう。
 ヴィクトルはため息をつき、得意げなルコアをジト目で見ると、
「もう、帰るよ」
 と、言った。

 ヴィクトルは床にシールドを展開すると、冒険者たちを乗せ、クレーターの上まで飛ぶ。
「ねぇ、ルコア。あそこから帰れる?」
 ヴィクトルはクレーターの底を指さして聞いた。
「あらまぁ! ダンジョンの床を貫通なんてできるんですね!?」
 ルコアは目を丸くする。
「こんな構造になっていたなんて初めて知ったよ」
「私も初めてです。行ってみましょう」
 一行はクレーターの奥底に開いた下のフロアへと降りて行った。

         ◇

 降り立つとそこは広大な広間だった。いわゆるボス部屋という奴だ。
 奥の壇上には豪奢な椅子があり、そこに魔物が座っていたが……、魔物は一行におびえ、固まっている。
 いきなりとてつもないエネルギーで天井をぶち抜かれたのだ、ヴィクトルは少し申し訳なく思った。

「あら、アバドンじゃない……」
 ルコアはそう言うとスタスタと魔物に近づく。
「あ、ルコアの(あね)さん、ご無沙汰してます」
 アバドンと呼ばれた魔物は頭を下げた。どうやら知り合いらしい。
「ゴメンね、穴開けちゃった」
「あー、大丈夫です。自然と修復されますんで……」
「出口はどっち?」
「そちらです。今開けますね……」
 アバドンは手のひらで奥の扉を指し、ギギギーっと開けた。
「ありがと、また、ゆっくりとお話しましょ」
 ルコアはニッコリとほほ笑む。

 冒険者たちは驚愕した。言葉を話す魔物、それは上級魔人であり、Sクラスのパーティーでも簡単ではない魔物だ。そんな天災級の災厄がルコアに頭を下げている。
 美しく流れる銀髪に澄みとおる碧眼、見るからにただ者ではない雰囲気ではあったが、まさかここまでとは想像をはるかに超えていたのだ。
 そして、その彼女が仕える金髪の可愛い子供はさらに強いはずだ。さっきの大爆発などほんの序の口に過ぎないだろう……。
 ジャックはとんでもない人に軽口をたたいていた自分を深く反省し、改めて恐怖でガタガタと震えた。

「主さま、行きましょ!」
 そう言うと、ルコアはヴィクトルの手を引いてドアから出ていく。
 冒険者たちは、アバドンに何か言われないかビクビクしながら後を追った。

       ◇

 ドアの外のポータルから地上に戻ってきた一行。
「ここからはもう自分達で帰れるね?」
 ヴィクトルはジャックに聞いた。
「は、はい! ありがとうございました!」
 ジャックは緊張し、背筋をピンと伸ばして冷や汗を流しながら答える。
「くれぐれも今日見たことは……、わかったね?」
 ヴィクトルは鋭い目でジャックを射抜いた。
「も、もちろん! 神に誓って口外は致しません!」
 ジャックは目をギュッとつぶりながら誓う。
「約束破ったら……、王都ごと焼いちゃう……かもね? うふふ……」
 ルコアが横から物騒なことを言う。
「決して! 決して! お約束は破りません!」
 ジャックは冷や汗でびっしょりである。

 ヴィクトルはちょっとやりすぎたかなと思いつつ、トンと地面を蹴ると、一気に空に飛んだ。
 ルコアもついてくる。

「ルコア、さすがに王都は焼かないよ」
 軽やかに飛びながらヴィクトルは言う。
「うふふ、ああいう輩には強く言っておいた方がいいのよ」
 ルコアは銀髪をたなびかせながら、あっけらかんと答えた。









3-5. 龍のウロコの願い

 二人はカフェにやってきて、早めのランチにする。
 ルコアは昨日と同じくベーコンを五本である。

 コーヒーをすすりながらヴィクトルは、サイクロプスの魔石を眺めた。
「ウロコが要るのかしら?」
 ベーコンをかじりながら、ルコアがジト目でヴィクトルを見る。
「悪いねぇ」
 ヴィクトルは手を合わせた。
 ルコアは口をとがらせながら、アイテムポーチから黒く丸い板を出す。
「はい、高いわよ~」
 ヴィクトルはありがたく受け取って、そのキラキラと輝くウロコを眺める。ウロコには年輪のような微細な模様が入り、まるで黒曜石のような重厚な質感で、陽の光を浴びて不思議な光を放っていた。
「うわぁ、綺麗だねぇ……」
 思わずヴィクトルはため息を漏らすと、
「柔肌の方が……、もっと綺麗よ……」
 そう言ってルコアは、いたずらっ子の笑みを浮かべながら、胸元を指先で少しはだけさせた。
「うわ、ダメだよこんな所で!」
 ヴィクトルは頬を赤らめながら周りを見回す。
「うふふ、じゃ、後でゆっくり……ね」
 ルコアはニヤニヤして胸元を整えた。
「いや、見せなくて大丈夫だから……」
「あ、一つ言うこと聞いてもらう約束ですよ?」
 ルコアはドヤ顔でニヤッと笑う。
 ヴィクトルは真っ赤になってコーヒーをグッと飲んだ。

        ◇

「持ってきましたよ」
 食後に、ヴィクトルは防具屋へ行って、店主にウロコと魔石を渡した。
「えっ!? 本当か!? 坊主すごいな!」
 店主はウロコを明かりに透かし、ルーペで拡大し、ジッと見つめる。
「おぉぉぉ……、本物だ。質もいい。暗黒龍のウロコなんてどうやって手に入れたんだ?」
 店主は感嘆して聞く。
「ちょっと伝手(つて)がありまして……。暗黒龍の方が普通の龍よりいいんですか?」
「そりゃぁ当り前よ! 暗黒の森の王者、暗黒龍の魔力はこの世で最高クラス。ウロコにも長年かけて上質な魔力がしみ込んでるからね」
「へぇ、暗黒龍ってすごいんですね」
 そう言ってルコアをチラッと見た。
 ルコアは胸を張って得意げである。
「暗黒龍に勝てる人間なんてこの世にいないからね。その人はどうやって手に入れたんだろう?」
「龍の願い事を聞く代わりに一枚貰ったらしいですよ」
 ルコアが横から余計な事を言う。
「龍の願い事……? 一体それは何なんだ?」
「さぁ……。幸せな時間を一緒に過ごすとかじゃないですかねぇ……?」
 ルコアはそう言ってニコニコしながらヴィクトルを見た。
 ヴィクトルは渋い顔をする。

「幸せな時間? なんだか哲学的だなぁ」
「そう、愛は哲学ですね」
 ルコアは幸せそうに目をつぶって言った。
「まぁいいや、坊主! 採寸してやるからそこへ立って」
 店主はヴィクトルの身体を測り、メモっていく。
「すぐに大きくなるから、ちょっと大きめで発注しような」
 店主はニコッと笑ってヴィクトルの顔をのぞき込む。
 そして、ウロコを丁寧に布袋にしまうと、
「さっそく職人さんに出しておくよ。出来たらギルドに言付けしとくから」
 そう言ってヴィクトルの頭をくしゃくしゃとなでた。

      ◇

「もぅ、余計な事言うんだから……」
 店を出ると、ヴィクトルはむくれてルコアに言った。
「ふふっ、いいローブが手に入りそうで良かったじゃないですか」
 ルコアは悪びれもせずに言う。
「そうだけど……」
「でも、約束、忘れないでくださいよ」
 ルコアはうれしそうに言った。
「わ、分かったよ。早く決めてよ?」
「はいはい、何にしようかなぁ?」
 ルコアは銀髪をゆらしながら宙を眺め、幸せそうな表情を見せる。
 透明感のある白い肌はみずみずしく、日差しを浴びて艶やかに輝いていた。
 ヴィクトルはそんなルコアを見て、自然と笑みが浮かんでしまう。

       ◇

 二人は昼下がりの気持ちのいい日差しの中、石畳の道を歩いてギルドまでやってきた。
 ドアを開けると、ロビーのところで救出した冒険者たちとマスターが話をしている。
「お、噂をしたら何とやらだ。ありがとう」
 マスターはそう言ってにこやかに右手を差し出す。
 ヴィクトルは握手をすると、
「変な噂じゃないでしょうね?」
 そう言って四人をジロリと見た。
「い、いや、無事に戻ったという報告だけです! 本当です!」
 ジャックは必死に説明する。
「彼の言う通り、私は何も聞いてないよ。本音を言えば聞きたいが……、約束は約束だからな。ただ、君が頼もしいことだけは良く分かった」
 マスターはそう言ってニヤッと笑った。
「私は目立たずひっそりと暮らしたいので、目立たせないで下さいよ」
 ヴィクトルは渋い顔をする。










3-6. 決闘は裏庭で

 ギギギー

 ドアが開き、ドヤドヤと男が四人入ってくる。赤ラインの白シャツに金の装飾がついたジャケット、王国の騎士だ。
「ギルドマスターはいるか?」
 班長っぽい男が横柄に声をあげた。
 マスターは怪訝(けげん)そうな顔をして答える。
「私がマスターだが……、何か御用ですか?」
「ほう、君がマスターか。それにしてもギルドというのは薄汚い所だな!」
 班長は周りを見回し、馬鹿にしたように鼻で笑った。
 シーンとしたギルドの中に声が響きわたり、不穏な空気が支配する。
「わざわざ、あざ笑いに来たんですか? 騎士様はずいぶんと暇なんですね」
 マスターは淡々と返す。
「なんだ、子供までいるじゃないか。ここは保育所もやってるのかね?」
 騎士たちはゲラゲラと下卑た笑いを響かせる。
 マスターは大きく息をつくと、
「彼はこう見えてCクラス冒険者、頼りになる奴ですよ」
 そう言ってヴィクトルの肩をポンポンと叩いた。
「子供にも頼らねばならんとは……、ギルドは大丈夫なのかね?」
 班長は薄笑いを浮かべながらマスターをにらむ。
「か、彼を馬鹿にするのは止めてください! 王都の安全のためにも!」
 ジャックが血相を変えて叫んだ。
「王都の安全? 子供が王都の脅威になるとでもいうのかね? ただのガキじゃないか!」
 班長はバカにしたような眼でジャックをにらむ。
「主さまを侮辱するのは許されませんよ?」
 ルコアが黒いオーラをゆらゆらと立ち上らせながら、班長をにらんだ。
「な、何だお前は! そんなにその子が強いなら見せてもらおうじゃないか!」
「弱い犬ほどよく吠える……。主さまのお手を煩わせるわけにはまいりません。まず、私があなた達を倒して見せましょう」
「はっ! 女、言ったな! 王国騎士を馬鹿にした罪は重いぞ、決闘だ! 叩きのめしてやる!」
 にらみ合う二人……。
「ここはロビーです、決闘は裏でお願いします」
 マスターはニヤッと笑って裏庭へと案内した。

         ◇

 ルコアはスタスタと裏庭の真ん中まで歩き、くるっと振り向いた。銀髪がサラッと流れ、陽の光を反射してキラキラと煌めく……。
 そして、カッと碧い瞳を見開くと言った。
「面倒だ、全員でかかってきな!」
 騎士たちはお互いの顔を見合わせる。素手の女の子相手に一斉に斬りかかるというのはどうなのだろうか、と躊躇していたのだ。
「お前ら舐められてるぞ! 手加減不要! 叩きのめせ!」
 班長が(げき)を飛ばす。
 三人の騎士たちは剣をすらりと抜き、息を整え、中段に構えると、
「ソイヤー!」「ハ――――ッ!」「ヤ――――!」
 と、掛け声をかけながらルコアに迫る。
 ルコアはニヤッと笑うと、真っ青な瞳の中に青い炎をゆらりと揺らし、そしてキラリと光らせた。
「へっ?」「うわぁ!」「ひぃ!」
 騎士たちは急に足を止め、驚き、混乱する。
 そして、何もない斜め上に向けて必死に剣を振り回しはじめた。
「お、おい! お前ら何やってる!?」
 班長は青い顔をして叫ぶ。
「ば、化け物だ!」「何だこれは!」「うわぁ止めろぉ!」
 騎士たちは必死な形相で後ずさりながら、やみくもに剣を振り回す。
 そんな姿をルコアはうれしそうに眺めていた。
 そして、頃合いを見計らうと、右手を高く掲げ、パチン! と指を鳴らす。
「うわぁぁぁ!」「ぐぅぅ!」「くふぅ!」
 騎士たちは絶叫して次々と倒れ、気を失ってしまう。
 三人が口から泡を吹きながら、失禁し、白目をむいている姿はただ事ではない。やじ馬たちは唖然(あぜん)として無様な姿をさらす騎士たちを眺めていた。

 班長はワナワナと身体を震わせ、剣をスラっと抜くと、
「貴様! 何をした! 怪しい術を使いやがって正々堂々と勝負しろ!」
 と、吠える。
「単に幻覚を見せただけ。こんな初歩的な術にかかるなんて、騎士って日頃どんな訓練してるんですかねぇ?」
 そう言ってケラケラと笑った。
「バカにしやがって! 死ねぃ!」
 班長は顔を真っ赤にして剣を構えたまま突進し、ルコアに向けて鋭い斬撃を放った。
 目にも止まらぬ速さで振り下ろされた美しい刀剣……。

 キン!

 なぜか剣は吹き飛ばされ、クルクルと回転しながら建物の岩壁に突き刺さり、ビィ――――ン! と振動音を放つ。
 ルコアは微動だにせず、ただクールな微笑みを浮かべていただけだった。にもかかわらず、剣は勝手に弾き飛ばされたのだった。

「は!?」
 班長は何が起こったか分からず、真っ青な顔で冷や汗を流した。
 ルコアはニヤッと笑うと班長にゆっくりと近づき、耳元で、
「次、主さまを侮辱したら……、殺すわよ」
 そう言って、しゃなりしゃなりとワンピースのすそをゆらしながら、ヴィクトルの方へ歩いて行く。

「主さま~、勝ちましたよ~!」
 ルコアは無邪気に大きく手を振ってうれしそうに笑った。










3-7. 弟子の造反

 班長は(しび)れる手をさすりながら、うなだれ、言葉を失う。
 見知らぬ幻術で部下は全滅、自信のあった剣術も全く通用しなかった。強さの次元が違う……。王国最強を誇る騎士団長ですらこれほどまでの強さは無いのだ。

 班長はちらっとヴィクトルを見る。金髪碧眼の可愛い子供……、あの子は彼女よりも強いらしい……。班長はゾクッと背筋に冷たい物が流れるのを感じる。
 なるほど、『王都の脅威』としたあの男の言葉は本当だった。彼女とあの子が攻めてきたら騎士団全員を投入しても止められない。まさに王都の脅威だった。

 班長は何度か深呼吸を繰り返すと、ヴィクトルのところへと足を進め、手を胸に当て、頭を下げて謝る。
「我々の負けです。大変に失礼をいたしました」
 ヴィクトルはうんうんとうなずくと、
「大丈夫、彼女に勝てる人なんていないから」
 そう言ってニコッと笑った。
「えっ? でも、あなたは勝てるんですよね?」
 班長は不思議そうに聞く。
「あぁ、まぁ……」
 すると、ルコアがドヤ顔で言い放つ。
「主さまは別格です! 何と言っても主さまは大賢じ……」
 ヴィクトルは焦ってルコアの口をふさぐ。
「え? だいけんじ……?」
 首をかしげる班長。
「違う違う、だ、『大剣使い』ってことですよ?」
 苦し紛れの言い訳をするヴィクトル。
「えっ!? その体で大剣使うの!?」
「そうそう、剣の方が大きいんですよ。秘密ですよ、はははは……」
 何とも言えない空気が周囲に流れる。
 ヴィクトルはジト目でルコアをにらみ、ルコアは目を泳がせた。

      ◇

「ところで、君たちは何しに来たのかね?」
 腕組みをしたマスターがニヤニヤしながら、班長に聞く。
「とあるミッションに『ギルドの助力も得よ』との指示があり、相談に上がりました」
「とあるミッション?」
「ちょっとここでは……」
 そう言って班長は周りを見回す。
「おい、お前ら、見世物は終わりだ! みんなギルドに入れ!」
 マスターはやじ馬たちを追いやった。
「あ、あなたたちは残って欲しいんだが……」
 班長は、立ち去ろうとするヴィクトルとルコアに声をかける。
「えー、国の依頼なんて嫌ですよぅ」
 ルコアは露骨に嫌な顔をした。
「話だけでも聞いてくれないか?」
 班長は頭を下げる。
「話……聞くだけですよ」
 ヴィクトルも嫌そうに言った。

 班長はやじ馬が居なくなったのを確認すると、小声で話し始める。
「実は国王陛下の護衛をお願いしたい」
「陛下の護衛? そんなのあなた達の仕事ですよね?」
 ヴィクトルはいぶかしげに返した。
「それが……、テロリスト側にどうも奇怪な魔法を使う魔導士がいて、我々では守り切れない懸念があり……」
「奇怪な魔法?」
「重力魔法と火魔法を混ぜたような物という報告がありまして……」
 ヴィクトルは背筋が凍った。重力魔法と火魔法を混ぜるというのは前世時代、賢者の塔で研究していたテーマの一つである。上手く混ぜることで殺傷力を高められることは分かったが、危険なため封印していた成果だった。もし、それが使われているとなると、それは賢者の塔の関係者が加担しているということであり、自分の責任と言える。
 ヴィクトルは青ざめた顔でうつむく。弟子のうちの誰かがやっている……。一体誰がやっているのか……。
「護衛なんてやりませんよ! ね、主さま?」
 ルコアがムっとした様子で言った。
 ヴィクトルは腕組みをしてしばらく考える……。
 弟子はみんな正義感もある、しっかりとした者ばかりだった。一体誰が……。
 しかし、いくら考えても分からない。
 そして、大きく息をつくと言った。
「日程は?」
「四日後にサガイの街への移動があり、これに同行いただきたい」
 班長は真剣な目をして言う。
「え? まさか、主さまやるんですか?」
 ルコアは目を丸くする。
 ヴィクトルは大きく息をつくと言った。
「ルコア、悪いが付き合ってくれるか?」
「え――――! でも……、主さまがやるなら……付き合いますよ、そりゃぁ……」
 口をとがらせるルコア。
「悪いね、ありがと!」
 ヴィクトルはルコアの背中をポンポンと叩く。
「受けますので、条件などはマスターと詰めてください」
 ヴィクトルはそう言うと、足早にギルドを後にした。









3-8. 月旅行の気分

 部屋に戻ると、ヴィクトルは怖い顔をしてゴロンとベッドに横たわった。
「主さま、どうかしたんですか?」
 ルコアが心配そうに聞いてくる。
 ヴィクトルは言おうかどうか迷ったが、巻き込む以上正直に話そうと思った。
「襲ってくるのは弟子かも知れん……。この手で捕まえ、理由を聞かねばならん……」
 ヴィクトルは重い調子で言う。
「え? 大賢者の弟子……ですか?」
「そうだ。そんな事をやる奴が居たとは思えないんだけど……」
 ヴィクトルは目をつぶり、ため息をついた。
「主さまは傲慢(ごうまん)すぎですよ」
「えっ? 傲慢?」
「どんなに大賢者でも、他人の心の中まで支配できると考えるのは傲慢すぎです」
 ルコアは優しい顔でヴィクトルの頬をそっとなでた。
「いや、しかし、国王を殺そうとするなんて異常だよ」
「主様……。正義は人の数だけあるわ……。百人いたら百通りの正義があるの。貧困層や政敵など、国王殺すことが正義な人なんていくらでもいるわ」
 ヴィクトルは考え込んでしまった。自分は弟子たちの気持ちもしっかり理解していると思っていたが……それは幻想だったのかもしれない……。
「そんな怖い顔、主さまに似合わないわ」
 ルコアはそう言って、ヴィクトルにのしかかるようにハグをする。
「うわぁぁ 何するんだ!」
 ヴィクトルはルコアの豊満な胸に抱かれて焦る。
「こうすると落ち着くでしょ? 頭で考えずに心で感じると正解は見えるわ」
 そう言ってルコアは優しく頭をなでた。
 ルコアなりの思いやりなのだろう。ヴィクトルは観念して深呼吸を繰り返し、ただ、柔らかく温かな体温を感じる。
 例えテロリストが誰であれ、見つけ出して叩くことは変わらない。ヴィクトルは考える事を止めた。
 そして、ルコアの優しい柔らかい匂いに癒されながら、薄らいでいく意識に身をゆだねる……。

         ◇

 バシッ!
 いつものことで、またかと思いながらヴィクトルは目覚める。
 二人とも寝てしまっていたのだ。
 あくびをしながら窓際まで歩き、街の様子を眺める……。
 日が傾き、窓の外では黄色がかった光に長い影が街に伸びている。
 通りの向こうには白く上弦の月が昇ってきていた。

 ヴィクトルはボーっと月を眺める。
「綺麗だなぁ……」
 しかし、この世界が作りものだとしたら、この月も作り物だ……。
「月ねぇ……」
 ヴィクトルは月をじっと見ながら考えこむ。月に行ったら何があるのだろうか……?
 行ってみたらこの世界が作り物な証拠があったりするだろうか? 宇宙へ行くなど今まで無理だと思っていたが、レベル千相当の魔法が使えるのだ。宇宙くらい行けるだろう。
 しかし……今まで宇宙へ行った人などいない。どうやったら安全に行けるだろうか……。
 ヴィクトルはしばらく宇宙旅行について思案をめぐらした。

        ◇

「よしっ!」
 ヴィクトルは意を決すると、ベッドに戻り、
「ルコアー、寝すぎると良くないぞー」
 と、幸せそうに寝息を立てるルコアをゆらした。
「うーん、もう少し……」
 ルコアは向こう側へ寝返りを打つ。
「なんだよ、服着てても寝られるじゃないか」
 ヴィクトルが文句を言うと、
「あー、寝苦しい! 服はダメだわー」
 と、言いながらむっくりと起き上がり、大きく伸びをするルコア。
 ヴィクトルは呆れながらベッドに座って言った。
「ねぇ、ルコア、月に行った事ある?」
「へ!?」
 寝ぼけ眼で聞き返すルコア。
「月だよ、月。空に浮かんでる奴さ」
「行ったことなんてないですよ! あんなところ行けるんですか!?」
「見えるんだから……、行けるんじゃないの?」
 ルコアは腕組みして首をゆらす。
「行って……、何するんです?」
「レヴィア様が『この世界は作られた世界だ』って言うんだったら、一旦この星を抜け出すと何か証拠を見つけられるんじゃないかと思って」
 ルコアは大きくあくびをして、
「主さまが行くならお供しますけど……、見るからにつまらなそうなところですよね、月って」
 そう言って、眠そうな目でヴィクトルを見る。
「いやいや、何か面白い物あるかも知れないよ。ひとっ飛び行ってみよう!」
 ヴィクトルはうれしそうに言った。








3-9. 宇宙でランデブー

 二人は宿の上空でふわふわと浮かびながら準備をする。
 ルコアはヴィクトルの背中におぶさり、ヴィクトルは二人の周りに卵型のシールドを何枚もかけ、さらに、水中でも息が苦しくない魔法を自分たちにかけた。

「これで準備OK! じゃあ、宇宙へ行くよ!」
 ヴィクトルはワクワクしながら言う。
「本当に大丈夫ですか? 寒かったり暑かったりしないんですか?」
 ルコアは不安げだった。
「それは行ってみないと何とも……」
「大賢者様たのみますよぉ……」
「いやいや、宇宙行った人なんて誰もいなんだから仕方ないよ」
「ふふっ、二人で世界初のランデブーですねっ!」
「ラ、ランデブーって……。行くよ!」
 ヴィクトルは頬を赤らめながら飛行魔法に魔力を注入し、軽やかに宇宙へ向かって旅立った。

 夕暮れの日差しにオレンジ色に輝く石造りの街が、どんどんと小さくなっていく。やがて城壁に囲まれた王都全体が視野に入り、それも小さくなる。
「すごい、すごーい!」
 ルコアは楽しそうにヴィクトルをギュッと抱きしめた。
「おとなしくしててよ!」
「いいじゃないこれくらい……。ふぅ――――」
 ルコアはヴィクトルの耳に温かい息を吐いた。
「もう! 降ろすよ!」
「ハーイ、おとなしくしまーす」
 ルコアは棒読みのような返事をする。
「もぅ……」

 そう言ってる間にもどんどんと高度は上がり、雲を突き抜ける。
 眼下には王都を囲む山々が見え……、それも小さくなっていく。

「さて、そろそろ全力で行くぞ! つかまっててよ!」
「はーい」
 ルコアはうれしそうにギュッとヴィクトルを抱きしめた。

 ぬおぉぉぉ……!
 ヴィクトルは魔力を全力で投入する。
 二人は凄い加速を受け、一気に音速を超えた。

 ドン!
「きゃあっ!」
 ルコアが顔を伏せる。
「大丈夫だよ、どんどん行くよ!」
 二人は夕陽に照らされる中、どんどんと高度をあげた。
 シールドはビリビリと音をたて、先端は空気を圧縮し、赤く輝きだす。

 眼下には山々と、入り組んだ海岸線。地図でしか見たことのなかった国土の全貌が子細に見渡せる。
「こんな形してたんですねぇ……」
 ルコアが感慨深げに言う。
「暗黒の森はまだまだもっと西だね。もっと高度を上げるよ」

 さらにしばらく上がっていくと、シールドが静かになった。もう外は空気が無いらしい。そして、青かった空はいつの間にか真っ黒となり、宇宙へと入ってきた事が分かる。
「うちの星、丸いですねぇ……」
 ルコアがつぶやく。
 西の方には大陸が広がっており、地平線は丸く湾曲し、太陽が沈みかけている。東の方はずっと海が広がっていて、すでに真っ暗、夜になっていた。国土は細長い島のようになっていて、西側の大陸と東側の海の間に浮いている。王都の辺りはちょうど昼と夜の境目だった。
「昼と夜はこうやって作られてるんだね……」
 ヴィクトルは、昼と夜の境界線を感慨深げに眺めながら言う。
「私、こんなの初めて見ました……。すごい……幻想的……」
 ルコアは、青く美しい星に描かれる光と闇の境界線に見とれていた。

「さて……、月だけど……、これ、どうかなぁ……?」
 ヴィクトルは上空はるか彼方にある上弦の月を見ながら言った。
「全然近づいてませんねぇ……。むしろ小さくなってませんか?」
 ルコアは嫌なことを言う。
「小さく見えるのは錯覚だと思うけど……、全然近づいてる感じはしないよね」
「これ、何日もかかるんじゃないですか?」
「うーん、そうかもしれない……」
 ヴィクトルは困惑した。
「おトイレは……どうするんですか?」
 ルコアが心細げに聞いてくる。
「え? もうしたいの?」
「まだ……我慢……できるかも……」
 モジモジしながら言った。
 なるほど、長時間かかるならその辺の準備もしないとならないのだ。
 ヴィクトルは大きく息をつくと、
「月は相当に遠い事が分かった。この星も丸いし、国の形も良く分かった」
 そう言って魔力をゆるめる。
「良かった……」
 ルコアはホッとしたように、ふぅとため息をついた。






3-10. 開く地獄の釜

 二人はしばらく、夜に浸食されていく足元の長細い島をじっと眺めていた。
 やがて太陽は大陸のかなた、円弧となった地平線の向こうに真紅の輝きを放ちながら沈んでいく。
「綺麗ね……」
 ルコアが耳元でつぶやきながらヴィクトルの手を取った。
「あぁ、こんなに赤い太陽は初めて見たよ」
 ヴィクトルはそう言いながらルコアの手を両手で包む。
 すっかり冷えてきたシールド内では、お互いの体温がうれしかった。

 太陽が沈むと一気に満天の星々が輝きだす。ひときわまばゆく輝く(よい)の明星に、全天を貫いて流れる天の川。それは今まで見てきた星空より圧倒的に美しく、幻想的に二人を包む。

 下の方ではところどころに街の明かりがポツポツと浮かび、街のにぎやかさが伝わってくるようだった。闇に沈む大地に浮かぶ街の灯りは、まるで灯台のように道しるべとなってくれる。
 しばらく二人はその幻想的な風景を静かに眺めた。自分たちが何気なく日々暮らしていた細長い島。そこに訪れた夜に浮かび上がる、人々の営みの(ともしび)。それは尊い命の灯であり、人類という種が大地に奏でる光のハーモニーだった。
「素敵ね……」
 ルコアがつぶやく。
 ヴィクトルはゆっくりとうなずき、大地に生きる数多(あまた)の人たちの活動に魅入られて、しばらく言葉を失っていた。
 例えこれが作り物の世界だったとしても、この美しさには変わらぬ価値がある。ヴィクトルの心に、思わず熱いものがこみ上げてくる。

「あっ、あれ何かしら?」
 ルコアが指さす先を見ると、暗い森の中に何やら赤く輝く小さな点が見える。
「場所的には暗黒の森の辺りだね……。あの辺は人はいないはずだけどなぁ。何が光ってるのだろう……」
 ヴィクトルはそっと涙をぬぐうと、降りて行きながら明かりの方へと近づいていった。
 徐々に大きくなって様子が見え始める。
「あっ、あれ、地獄の釜だわ!」
 ルコアが驚いて言う。
「地獄の釜?」
「魔物を大量に生み出す次元の切れ目よ! きっとたくさんの魔物があそこで湧き出しているわ!」
「えっ!? それはヤバいじゃないか!」
 焦るヴィクトル。
「誰がそんなこと……」
 眉をひそめるルコア。
「妲己だ……」
 ヴィクトルは『手下を準備する』と言っていた妲己の言葉を思い出し、思わず額に手を当て、ため息をついた。
「地獄の釜を開いたとしたら……十万匹規模のスタンピードになりますよ?」
 ルコアは不安げに言う。
「この位置だと襲うとしたらユーベ……。マズいな……」
 ヴィクトルは去年まで住んでいた街が滅ぼされるのを想像し、ゾッとした。
「よしっ! 殲滅してやる!」
 ヴィクトルは大きく息を吸うと、下腹部に魔力をグッと込めた。そして両手を前に出し、巨大な真紅の魔法陣を描き始める。
 満天の星々をバックに鮮やかな赤い魔法陣が展開されていったが……途中でヴィクトルは手を下ろしてしまった。
 そして、うつむき、何かを考えこむ。
「主さま……? どうしたんです?」
 不安そうにルコアが聞く。
「これ、妲己との開戦になっちゃうよね……」
「きっと応戦されますね。でも、主さまなら余裕では?」
「いや、レヴィア様は『妲己だけじゃない』って言ってたから、うかつに攻撃はヤバいかも……」
「うーん……」
 宇宙空間に浮かぶ二人は目をつぶり、考えこむ……。

「攻撃はいったん中止! その代わり、こうだ!」
 ヴィクトルは書きかけの魔法陣を消し、今度は巨大な青い魔法陣を描く。そして、パンパンになるまで魔力を込める。魔法陣はビリビリと震えながら青いスパークをバリバリと放った。
「主さま……、これ、ヤバいですよ……」
 ルコアは不気味に鋭く輝く巨大な魔法陣を見て、青い顔をする。
「ふふっ、ヤバいくらいじゃないといざという時に役に立たないよ」
 ヴィクトルはニヤッと笑った。












3-11. 兄弟の再会

 ヴィクトルたちはそのままユーベの街へと降りていく。
 宵闇にほのかに明かりの灯る街は、王都に比べたらこぢんまりとしているが、それでも温かい灯りが一年ぶりのヴィクトルの帰郷を歓迎しているようにも見えた。
 シールドを解き、二人はヴィクトルの実家であるヴュスト家の屋敷にそっと近づく。
 木造三階建ての屋敷は、派手さはないが重厚な造りで年季を感じさせる。
 ヴィクトルは次男のルイーズの部屋を探し、窓を叩いた……。
 ルイーズはいぶかしげにカーテンを開き、ヴィクトルが手を振っているのを見て驚いて窓を開ける。
「ヴィ、ヴィクトルじゃないか!」
 ルイーズは今にも泣きだしそうな顔で言う。
「兄さん久しぶり。今ちょっといいかな?」
「もちろん! 入って、入って」
 ルイーズはそう言って、迎え入れると、
「ヴィクトル――――!」
 そう言ってギュッと抱きしめる。
 ヴィクトルも久しぶりのルイーズの匂いにホッとして、背中をポンポンと叩く。
「もう会えないかと思ったよぉ……」
 ルイーズはそう言って鼻をすすった。

      ◇

 落ち着くと、ルイーズは小さなテーブルの椅子をすすめる。

「追放を止められなくてごめん……。僕が知ったのは全て終わった後だったんだ……」
 ルイーズは深々と頭を下げる。
「いいよいいよ、兄さんが止められるような話じゃない。父さんとハンツにはそれなりの(つぐな)いはしてもらうつもりだけど」
 ヴィクトルは淡々と言った。
「ありがとう……。それで……こちらの美しい方は?」
 ルイーズは、ヴィクトルの後ろに立っているルコアをチラッと見る。
「お兄様、私は契りを交わした伴侶でございます」
 ルコアはうれしそうに言い、ヴィクトルはふき出した。
「へっ!? 結婚したの!?」
「ちょ、ちょっと! そう言う語弊のある言い方止めて! ただの仲間だよ仲間!」
「あら、つれないですぅ……」
 ルコアはそう言って、後ろからヴィクトルを両手で包む。
「ちょっと離れて!」
 ヴィクトルはルコアに飛行魔法を使って浮かせると、ベッドの方へ飛ばした。
「きゃぁ! もう、冷たいんだから……」
 ベッドで数回バウンドしながらルコアは文句を言う。
 ルイーズはヴィクトルの巧妙な魔法さばきに驚く。飛行魔法で物を操るのは相当高度なことであり、限られた者しかできないのだ。
「えっ! その魔法……どうしたの?」
 ヴィクトルは少し考え、意を決すると言った。
「兄さんにだけ言うけど……、実は僕『大賢者』なんだ」
「えっ!? 大賢者!?」
 ルイーズは目を丸くした。賢者でもかなり稀な職である。さらに大賢者といえば百年に一度現れるかどうかという極めて稀な職なのだ。
「変な小細工したのは失敗だったよ……」
「な、なぜ隠したりしたんだい?」
「僕は目立たずにひっそりとスローライフをしたかったんだよね……」
「スローライフ……? 大賢者として王都で華々しく活躍した方が良さそうなのに……」
「そういうのはもういいんだ……」
 ヴィクトルは肩をすくめ首を振った。
「……、大賢者の考えることは……、僕には良く分からないや」
 ルイーズは少し困ったような笑顔を見せる。
「まぁ、隠したら捨てられるとは思わなかったけどね」
 ヴィクトルはため息をついた。
「追放撤回を父さんに頼んでみるよ」
「いや、そんなのどうでもいいんだ。それより、スタンピードがやってくるよ」
「ス、スタンピード!?」
 雷に打たれたように目を大きく開くルイーズ。
「十万匹の魔物が暗黒の森に集結してる。そのうち津波のように押し寄せてくる」
「ま、街は壊滅……じゃないか……」
「いや、それは大丈夫。僕が全部吹っ飛ばす」
 ヴィクトルはニヤッと笑った。
「吹っ飛ばすって……、幾ら大賢者でも……十万匹だよ?」
 すると、ルコアはiPhoneを出して、動画を再生するとルイーズに見せた。
「主さまはね、こういうことできるのよ」
 iPhoneにはサイクロプスを吹き飛ばした時の絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)集中砲火の様子が流れている。
「えっ!? 撮ってたの?」
 ヴィクトルが驚いていると、ルイーズは、絶句して固まってしまった。
 ヴィクトルによって巨大な魔法陣が次々と展開され、見たことも無いような爆発が大地を焦がすその映像は、もはや人間のレベルをはるかに超えている。それは神話に出てきた魔王のような伝説の存在クラスであり、ルイーズはただ、呆然(ぼうぜん)として動画が繰り返されるiPhoneに見入っていた。









3-12. 僕らのクーデター

「これ……、世界征服でもなんでもできちゃう……レベルだよね……」
 ルイーズは気圧されながらつぶやいた。
「あー、やる気になったらできるだろうね。でも、やらないよ、スローライフを目指してるんだから」
 ヴィクトルはニコッと笑う。
「スローライフ……」
 ルイーズはそう言うと両手で顔を覆った。
「どこか景色が綺麗な田舎で、畑を耕してのんびり暮らしたいんだ」
「主さま、いいですね! 二人でそれやりましょう!」
 ルコアもノリノリだった。
 ルイーズはしばらく考えると、
「ヴュスト家にその力を少し貸して……くれないか?」
「え? 魔物なら倒すよ?」
「それはありがたいんだけど、それだけでなく、土木工事とか開墾とかに協力して欲しいんだ」
「何かあったの?」
 ルイーズはふぅと大きく息をつくと、ゆっくりと語り始めた。
「税収が落ちていて、ヴュスト家はもう借金まみれなんだ。でも父さんはぜいたくな暮らしをやめないし、ハンツ兄さんも領地の事は全く考えてないんだよね……」
「しょうがない連中だな……」
 ヴィクトルは渋い顔をする。
「力を貸してくれないか?」
「そんなの一回破綻した方がいいんじゃない?」
 ヴィクトルは冷たく言い放った。自分を追放した父たちなど到底支援する気にはならない。
「破綻したら、母さんや使用人も、親戚たちも全員路頭に迷っちゃう。それは避けたいんだ……」
 ルイーズは手を合わせて言う。
 ヴィクトルは口を一文字に結び、ジト目でルイーズを見つめた。
 部屋には嫌な静けさが広がる……。
 ヴィクトルは目をつぶって腕を組み、しばらく思案すると、ひざをポンと叩いて言った。
「じゃあ、こうしよう! 兄さん、あなたが次期当主になってよ。そしたら協力する」
「じ、次期当主!?」
「そう! 父さんとハンツを追い落とす。クーデターだよ」
 ヴィクトルは悪い顔をしてニヤッと笑った。
「そ、それは……」
 ルイーズは青い顔をする。
「一週間以内にスタンピードが来る。その際に僕がユーベを守り、父さんとハンツを追い落とし、次期当主を兄さんにすえる。それまでに協力者を水面下で集めてて、いいね?」
「そ、そんなにうまくいくかなぁ……」
 ビビってしまうルイーズ。
「やるかやらないか、今決めて」
 ヴィクトルは鋭い目でルイーズをまっすぐに見た。
 ルイーズは目をつぶり、腕組みをしてうつむいた。
 まだ十二歳のルイーズにとって、いきなり当主をやるのはさすがに荷が重い。だが、現行の体制に不満を持っている人は多い。皆、不安の中で暮らしているのだ。彼らの支持をしっかりと得られればできない事はないはずだった。特に世界征服すら可能な、ヴィクトルの圧倒的な大賢者の力を借りれるのだから、何があってもひっくり返せるだろう。
「分かった! 準備するよ!」
 ルイーズは立ち上がると、しっかりとした目で右手を差し出す。
 ヴィクトルはニコッと笑うとガッシリと握手をした。
 自分を追放した馬鹿どもにお灸をすえて、街も発展させる。実にいいプランだとヴィクトルはうれしくなった。
 そして、ヴィクトルはちょっと考えると、ルコアに言う。
「ゴメン、もう一枚ウロコ、貰えないかな?」
「え――――! あれ、痛いんですよ?」
 ルコアはジト目で不満を(あら)わにする。
「頼むよ、後で返すからさ」
 ヴィクトルは手を合わせて言う。
「後で返されても困るんですけど?」
 ルコアはしばらくヴィクトルをにらんだ。
 ヴィクトルは拝み続ける……。
「……。分かりました。じゃあ、二人ともあっち向いててください」
 ふくらんでいたルコアは根負けする。
 そして、二人の視線を避けると、
 ツゥ……
 と、痛そうな声を出す。
 同時に、強烈な魔力の波動が屋敷全体を貫いた。
「えっ!?」
 ルイーズは悪寒を感じ、青ざめる。
 ルコアは立派な暗黒龍のウロコを一枚ヴィクトルの前に差し出すと、
「大切に使ってくださいよ!」
 と、ジト目でヴィクトルを見た。
「サンキュー! 恩に着るよ!」
 そう言ってヴィクトルはルコアにハグをする。
 ルコアはプニプニのヴィクトルの頬に頬ずりをすると、
「ふふふ、主さまからハグされるっていうのもいいものですね」
 と、嬉しそうに笑う。
 何があったのか分からず、おびえぎみのルイーズに、ヴィクトルはウロコを渡して言った。
「これは暗黒龍のウロコだ。仲間を募る時に、『自分には暗黒龍の加護があるから安心して言う事を聞け』と言って、証拠としてこれを見せるんだ」
「えっ!? 暗黒龍って、伝説の暗黒の森の王者……だよね? 彼女と暗黒龍はどういう関係? ウロコは本物?」
 慌てるルイーズ。
「よく見てごらん、この精緻な模様、立ち昇る魔力、誰が見ても本物だろ?」
「確かに……、凄い迫力だ……」
 ルイーズはウロコに見入って感心する。
「暗黒龍の加護は実際、間違いないんだ。彼女は暗黒龍の使徒と考えてもらえばいい。スタンピードの時も暗黒龍は飛んでくる。自信をもって使って」
「わ、分かった……。ありがとう!」
 ルイーズは吹っ切れたようににこやかに笑うと、ヴィクトルとルコアに礼を言った。
 すると、廊下を誰かがドタドタと駆けてくる。さっきの魔力の波動が騒ぎを起こしてしまったらしい。
「それじゃまた!」
 ヴィクトルはそう言うと、ルコアと一緒に窓から静かに飛び出していった。














3-13. 圧倒的な指先

 二人は夜風をゆったりと受けながら、ユーベの街をゆっくりと飛ぶ。窓から漏れる明かりがほのかに街の情景を彩っていた。王都に比べるとこぢんまりとし、活気もそれほどではないが、それでもこの地方最大の街である。歓楽街にはそれなりに人が集まり、にぎわいを見せていた。
「夕飯はどうしよう? 何食べたい?」
 ヴィクトルはゆっくりと夜の風を受けながら飛び、ルコアに聞く。
「何って、私は肉しか食べないわよ?」
 ルコアは笑いながら答える。
「そりゃ、そうだな。その辺で軽く食べて今日はゆっくり寝よう。ちょっと疲れちゃった」
 ヴィクトルは疲弊した笑みを浮かべ、静かに路地裏へと降下して行った。

        ◇

 それから数日、ギルドの依頼をこなしながら過ごし、いよいよ国王警護の日がやってきた。

「ふぁーあ、朝早くからつまんない仕事、面倒くさいです……」
 朝露に濡れる石畳の緩い上り坂を、二人で歩きながらルコアがぼやく。
「前世の後始末につき合わせちゃって悪いね」
 ヴィクトルは申し訳なさそうに言った。
「あ、全然! 主さまのお役に立てるだけで嬉しいですよ!」
 あわててフォローするルコア。
「ありがと……」
 ヴィクトルは目を閉じて頭を下げる。ルコアのやさしさが、心を温かく癒してくれるのを感じていた。

 仕立てあがったばかりの、青地に白襟の綺麗なローブをまとったヴィクトルは、前世を思い出しながら懐かしい王宮への道を歩く。

 王宮前ではすでに騎士たちが警護の準備に追われていた。
「あー、ヴィッキーさん! 悪いですね。今日はよろしくお願いします」
 正装をした班長がヴィクトルに走り寄ってくる。
「いえいえ、僕らはどこで何をすればいいですか?」
 ヴィクトルは並ぶ馬車を見回しながら言った。
「まず団長に挨拶をお願いします」
 二人は班長につれられて、団長のところへと案内される。
 団長は騎士たちの中で陣頭指揮に当たっていた。

「団長! ギルドからの助っ人です!」
 班長は敬礼をしながら団長に言葉をかけた。
 白地に金の刺繍の入ったきらびやかなシャツに、勲章のずらりと並んだ濃紺のジャケット。団長はヴィクトル達を見ると怪訝そうな顔をする……。
 そして、馬鹿にしたように言った。
「なんだ、女子供なんて役に立つのか?」
 ルコアはムッとして、
「頼まれたから来たんです! 要らないなら帰りますよ!」
 と、噛みついた。
 班長は焦って、
「団長! 彼らは極めて戦闘力が高く、頼もしい助っ人であります!」
 と、冷や汗をかきながらフォローする。
「頼もしい? こんなのが?」
 鼻で嗤う団長。
「役立たず程吠えるのよね」
 負けじとニヤッと笑って挑発するルコア。
 しばしにらみ合う二人……。
「役立たずだと……、侮辱罪だ! ひっとらえろ!」
 団長は近くの騎士たちに指示をする。
「うわぁ! ダメですって!」
 班長は青くなって止めようとするが、五人の騎士がルコアとヴィクトルを取り囲む。そして、剣をスラリと抜き、突きつけた。
 ヴィクトルは思わず天を仰ぎ、ルコアはうれしそうに微笑んだ。

「冒険者ごときが騎士団を侮辱するなど、あってはならん事だ!」
 団長がそう吠えた直後、バン! と衝撃音が走り、五人は吹き飛ばされた。
「ぐはぁ!」「ぐぉっ!」「ギャァ!」
 周りの人は何が起こったのか全く分からなかった。素手の女の子と子供が動くこともなく五人を吹き飛ばしたのだ。

 そのただ事でない事態に団長は焦り、素早く剣を抜いて身構える。
 目を光らせニヤリと笑うルコア。

「だ、団長が抜いたぞ!」「出るぞ『神速の剣』が!!」
 観衆がざわついた。
 団長は剣さばきの素早さで今の地位まで上り詰めた男、王都随一の剣の名手だった。

 しばらくにらみ合う団長とルコア……。
 団長は大きく何度か息をつくと、素早い身のこなしでルコアに向けて突進した。

 うりゃぁ!
 目にも止まらぬ速さで放たれる斬撃。
 うれしそうに(あお)い瞳をキラリと光らせるルコア。

 ガッ!

 衝撃音を放ち、剣は途中で止まる。なんと、剣はヴィクトルが指先でつまんで止めていたのだ。そして、もう一方の手で止めていたのはルコアのしっぽ……。
 ルコアはワンピースの下から長い尻尾をニョキっと出し、剣を弾こうとしていたのだ。

「はい、ストップ!」
 ヴィクトルはにこやかに微笑みながら団長に言った。
 団長は仰天した。小さな子供に自慢の斬撃を止められる、それは想像もしなかった恐るべき事態だった。

「へぇっ!?」「な、なんだ!?」
 観衆も思いもかけない展開にざわつく……。

 団長にとってこんなのは認められない。急いで剣を取り返そうとするが、剣はビクともしない。どんなに力を込めても、小さな子供がつまんだ剣は石に刺さったかのように微動だにしない。団長は信じられない事態に焦る。
「今日の目的は陛下の護衛です。こんな所で小競り合いしている場合ではないですよね?」
 ヴィクトルは淡々と諭すように言う。

 ぬぉぉぉ!
 団長は再度全身の力を込めて剣を取り戻そうとするが……、諦め、ついには手を離した。

「くっ! 分かった」
 団長のは冷や汗をタラリと流しながら言った。
 自慢の斬撃は指先で止められ、剣を取り返すこともできない。団長はあまりにも惨めな敗北に、この恐るべき子供に対する評価が誤ってたことを、認めざるを得なくなった。少なくともこの子供に勝てる者は騎士団にはいない……。

 団長は大きく息をつくと、ヴィクトルをまっすぐに見つめ、
「バカにしてすまなかった」
 と、頭を下げた。
「では、今日はよろしくお願いします」
 ヴィクトルはニコッと笑って剣を団長に差し出す。
 強さでも器の大きさでも完敗した団長は、剣を見つめながら自らの未熟さを恥じた。そして、剣を受け取ると(さや)に納め、
「ご協力に感謝します」
 と、うやうやしく胸に手を当てて答えた。








3-14. テロリストの凶行
 
 班長に連れられ、二人は馬車へと歩く。

「主さまにはしっぽ攻撃、見切られてましたねぇ」
 ルコアが口をとがらせて言う。
「いやいや、見せてもらってたからね。初見だとあれは厳しいよ」
「さすがです~」
 ちょっと悔しいルコア。
「しっぽだけ出せるんだね」
「うふふ、どこから出るか見ます?」
 ルコアはワンピースのすそを少し持ち上げて、いたずらっ子の顔をする。
「な、何言ってるんだ! 見ないよ!」
 ヴィクトルは真っ赤になった。
「うふふ、見たくなったら言ってくださいね」
 ルコアはうれしそうに笑う。
 ヴィクトルは何も言えず、ただ首を振るばかりだった。

      ◇

 二人は隊列の最後尾、幌馬車の硬い木製の座席に乗せられて、一行は出発した。
 幌馬車はがたがたと揺れ、乗り心地は極めて悪い。
「主さま、これ、酷くないですか?」
 ルコアは不満顔だ。警備計画を作った奴がギルドを軽視している表れでもあり、文句を言いたくなるのは仕方ないだろう。ただ、ヴィクトルとしては最後尾は不意打ちを食らいにくい位置であって都合が良かった。
「飛行魔法をね、軽くかけてごらん」
 ヴィクトルはニコッと笑って言う。
 軽く浮いて、後は手すりを持っていれば振動は気にならないのだ。
「さすが主さま!」
 ルコアはうれしそうにふわりと浮いた。
「襲ってくるとしたらテノ山だ。しばらくはゆっくりしてていいよ」
 ヴィクトルは大きくあくびをする。

       ◇

 騎馬四頭を先頭に警備の馬車、国王の馬車、警備の馬車、ヴィクトルの乗った幌馬車という車列が、パッカパッカという音を立てながら川沿いを淡々と進んでいく。
 澄みとおる清々しい青空が広がり、白い雲が流れるさまを眺めながらルコアがぼやいた。
「こんないい天気の日は、のんびりと山の上で日向ぼっこが一番なのに……」
「ゴメンな。もうすぐテノ山だ。そろそろ準備して」
 ヴィクトルは警備につき合わせたことを申し訳なさそうに言った。
「大丈夫です。悪い奴捕まえましょう!」
 ルコアはニッコリと笑い、ヴィクトルはうなずく。

 その直後、ヴィクトルの索敵魔法に反応があった。
「いよいよ来なすった! ルコア、行くぞ!」
 ヴィクトルはそう言って立ち上がる。
「え? どこ行くんです?」
 同乗していた班長が慌てる。
「敵襲です。戦闘態勢に入ってください」
 そう言い残すと、ヴィクトルは馬車から飛び出し、ルコアが続いた。

 ズン!
 激しい地鳴りが響き、見上げると車列の前方上空に紫色の巨大魔法陣が展開されている。重力魔法だった。

 ヒヒーン! ヒヒーン!
 転倒した馬の悲痛な声が辺りに響く。
 騎馬の騎士と警備の馬車が重力魔法に囚われて動けなくなる。騎士は転がって這いつくばったまま重力に押しつぶされていた。
 と、そこに真紅の魔法陣がさらに重ね書きされ、炎の嵐が一帯を覆った。

「ぐわぁぁ!」「助けてくれぇ!」
 騎士たちは炎に巻かれてしまう。

 後続の警備の馬車から騎士と魔導士が出てきて対抗しようとしたが、山のあちこちから弓矢が一斉に放たれ、彼らを次々と襲った。
「うわぁぁ!」「シールドを早く!」「何やってんだ! こっちだ!」

 混乱が広がり、一方的にやられていく。敵はかなり練度の高いテロリスト集団のようだ。

「ルコアは弓兵をお願い。僕は魔導士を叩く!」
 ヴィクトルはそう言って、索敵の魔法を巧みに使って魔導士を探す。
 しかし、敵は相当な手練れだった。高度な隠ぺいでバレないように隠れている。こんな事ができる魔導士は賢者の塔でも数えるほどしかいない。ヴィクトルは気が重くなった。
 
「隠れても無駄だぞ!」
 ヴィクトルはそう言うと、緑色の魔法陣をババババッと無数展開し、
風刃(ウィンドカッター)!」
 と、叫び、風魔法を山の中腹一帯に手当たり次第に乱射した。風魔法を受けた木々は次々と枝を落とし、丸裸になり、果たして、一人の黒装束の男がシールドで身を守っているのが(あら)わになった。
 男はキッとヴィクトルを見上げると、
氷弾(アイスニードル)!」
 と、叫び、無数の氷の刃をヴィクトルに向けて放つ。
 ヴィクトルはすかさず、
炎壁(ファイヤーウォール)!」
 と、叫んで巨大な豪炎の壁を作り出し、男へ向かって放った。
 炎の壁はまばゆいばかりのその灼熱で氷の刃を溶かしながら男に襲いかかり、男は()()うの体で逃げ出す。
「逃がさないよ!」
 ヴィクトルはホーリーバインドを唱え、光の鎖を放った。
 男はシールドを展開して回避しようとしたが、ヴィクトルはそれを予測してたかのようにシールドを妨害する魔法で無効化し、光の鎖で男をグルグル巻きに縛り上げて転がす。
 車列を襲っていた魔法陣が消えたところを見ると、はやりこの男が襲っていた魔導士だったようだ。
 ヴィクトルは男の脇に降り立つ。
「お前はどこの者だ!? そんな魔法さばきができる者など王都にはいないはずだ!」
 男は喚いた。
 ヴィクトルは、大きく息をつくと、
「ただのギルドの新人だよ」
 そう言いながら男の顔を覆っていた黒い布をはぎ取った……。














3-15. 見破られた大賢者

 男と目が合う……。それは見覚えのある顔だった。
「ミヒェル……、ミヒェルじゃないか……」
 ヴィクトルは茫然(ぼうぜん)自失として男を見つめた。その男は賢者の塔第三室室長であり、前世時代寝食を共にした仲間だった。
 ミヒェルは血走った眼をしてヴィクトルをにらみ、喚いた。
「小僧……何者だ……。なぜ俺を知っている!」
「お前はこの国をもっとよくしたいと言ってたじゃないか! なぜテロなんかに手を染めたんだ?」
 ヴィクトルは叫んだ。
「何言ってるんだ。この国を(けが)しているのはあの国王だ。国王を倒し、ドゥーム教を中心とした世界を作る。」
「ドゥーム教? 新興宗教か?」
「そうだ! ドゥーム教が王侯貴族が支配するこの不平等な国をぶち壊し、新しい世界を作るのだ。何しろ我々には妲己様もついておられる。小僧! いい気になってるのも今のうちだ!」
「妲己だって!?」
 ヴィクトルは青くなった。ヴィクトルの召喚してしまった妖魔が弟子と組んで王都を危機に陥れている。それは予想だにしない展開だった。

「そう、伝説の存在さ。例えアマンドゥスが存命でも妲己様には勝てない。我々の勝利は揺るがんのだ!」
「いや、アマンドゥスなら勝てるぞ……」
 ヴィクトルはムッとする。
「ふん! 小僧には分かるまい。アマンドゥスなんて大した奴じゃなかった。ただの偉そうなだけの老いぼれジジイだったぞ」
 愕然(がくぜん)とするヴィクトル。
「お、お前……、そう思ってたのか……」
 ヴィクトルの手がブルブルと震える。
 かつての弟子が自分をそんな風に思っていたとは衝撃だった。理想的な師弟関係を築けていたと思っていたのは、自分だけだったのかもしれない……。ヴィクトルはクラクラとめまいがして額を手で押さえ、大きく息をつく。
「まぁいい、取り調べで全て吐かせてやる!」
 ヴィクトルは光の鎖をガシッとつかむ。ところがミヒェルは急に体中のあちこちがボコボコと膨らみ始めた。その異形にヴィクトルは唖然(あぜん)とする。
「アッアッアッ! な、なぜ! ぐぁぁぁ!」
 ミヒェルは断末魔の叫びを上げ、大爆発を起こした。

 ズーン!
 激しい衝撃波が辺りの木々をすべてなぎ倒し、一帯は爆煙に覆われる。
 ヴィクトルも思いっきり巻き込まれ、吹き飛ばされたが、とっさにシールドを張り、大事には至らなかった。しかし、部下の裏切りと爆殺、妲己を使う怪しい存在、全てが予想外の連続でヴィクトルの心を(さいな)み、しばらく魂が抜けたように動けなくなった。

「主さま――――! 大丈夫ですか!? こっちは終わりましたよ?」
 ルコアが、ぼんやりと空中に浮くヴィクトルのところへとやってくる。
「あ、ありがとう」
 見ると騎士たちは治療と後片付けに入っていた。
「知ってる……人……でした?」
 ルコアが恐る恐る聞いてくる。
 ヴィクトルは目を閉じて大きく息をつくと、静かにうなずいた。
 ルコアはヴィクトルをそっとハグし、何も言わずゆっくりと頭をなでる。
 ルコアの温かく柔らかい香りに癒されながら、ヴィクトルは思いがけず湧いてきた涙をそっと拭いた。

          ◇

 主力の魔導士を叩いた以上、もう脅威は無いだろう。
 ヴィクトルは陣頭指揮している団長のところへと降りていき、声をかけた。
「敵は掃討しました」
「あ、ありがとう。あなたがたは本当にすごい……。助かりました」
 団長は感嘆しながらそう言うと、頭を下げる。
 ヴィクトルはドゥーム教信者による襲撃だったこと、連行する途中に爆殺されてしまったことを淡々と説明した。
「ドゥーム……。やはり……。ちょっとついてきてもらえますか?」
 そう言うと、団長は国王の馬車に行って、ドアを叩き、中の人と何かを話す……。
「陛下がお話されたいそうです。入ってもらえますか?」
 団長は手のひらでヴィクトルに車内を指した。

 恐る恐る中に入るヴィクトル。豪奢な内装の車内では、記憶より少し老けた国王が座っていた。六年ぶりの再会だった。
「少年、お主が余を守ってくれたのだな。礼を言うぞ」
 国王はニコッと笑う。
「もったいなきお言葉、ありがとうございます」
 ヴィクトルはひざまずいて答えた。
「そのローブ、見覚えがあるぞ」
 国王はニヤッと笑う。
「えっ!?」
「そのお方はな、魔法を撃つ直前にクイッと左肩を上げるのだ。久しぶりに見たぞ」
 ヴィクトルは苦笑いしてうつむく。まさか感づかれるとは思わなかったのだ。
「あれから何年になるか……」
 国王は目をつぶり、しばし物思いにふける……。
 そして、国王はヴィクトルの手を取って言った。
「また……。余のそばで働いてはもらえないだろうか?」
 まっすぐな瞳で見つめられ、ヴィクトルは焦る。しかし、今回の人生のテーマはスローライフである。ここは曲げられない。
 ヴィクトルは大きく息をつくと、
「僕はただの少年です。陛下のおそばで働くなど恐れ多いです。ただ、陛下をお守りしたい気持ちは変わりません。必要があればギルドへご用命ください」
 そう言って頭を下げた。
「そうか……。そなたにはそなたの人生がある……な」
 国王は寂しそうにつぶやく。そして、
褒美(ほうび)を取らそう。何が良いか?」
 と、少し影のある笑顔で続ける。
 ヴィクトルは少し考えると、
「辺境の街ユーベに若き当主が誕生します。彼を支持していただきたく……」
 そう言って頭を下げる。
「はっはっは! お主『ただの少年』と言う割に凄いことを言うのう。さすがじゃ。分かった、ユーベだな。覚えておこう」
 国王は楽しそうに笑い、少し寂し気な笑顔でヴィクトルを見つめた。

 こうして警護の仕事は無事終わったが、予想もしなかった妲己たちの暗躍にヴィクトルの胸中は穏やかではなかった。









3-16. 魔物の津波

 翌日、ギルドに行くと、ロビーでジャックたちと談笑してたギルドマスターが、うれしそうに声をかけてきた。
「ヘイ! ヴィッキー! 噂をすれば何とやらだ。大活躍だったそうじゃないか!」
「ギルドの名誉を傷つけないように頑張りました」
 ヴィクトルは苦笑しながら返す。
「いやいや、さすが、頼もしいなぁ!」
 マスターはヴィクトルの背中をパンパンと叩いた。
「主さまは素晴らしいのです!」
 ルコアも得意げである。
「あー……。それで……だな……」
 急にマスターが深刻そうな顔をしてヴィクトルを見た。
「何かありました?」
 ただ事ではない雰囲気に、ヴィクトルは聞いた。
「実は暗黒の森が今、大変なことになっててだな……」
「スタンピードですか?」
 ヴィクトルは淡々と聞く。
「へっ!? なんで知ってるの!?」
 目を丸くするマスター。
「奴らが襲ってきたら殲滅(せんめつ)してやろうと思ってるんです」
 ヴィクトルはこぶしをギュッとにぎって見せた。
「いやいや、いくらヴィッキーでも殲滅は……。十万匹もいるんだよ?」
 眉をひそめるマスター。
「十万匹くらい行けるよね?」
 ヴィクトルは横で話を聞いていたジャックに振る。
「ヴィ、ヴィッキーさんなら十万匹でも百万匹でも瞬殺かと思います……」
 ジャックは緊張した声で返す。
「へっ!? そこまでなの?」
 絶句するマスター。
「主さまに任せておけば万事解決なのです!」
 ルコアは鼻高々に言った。

「百万匹でも瞬殺できる……、それって、王都も殲滅できるって……こと?」
 圧倒されながらマスターはジャックに聞いた。
「ヴィッキーさんなら余裕ですよ」
 ジャックは肩をすくめ首を振る。あの恐ろしい大爆発をあっさりと出し、まだまだ余裕を見せていたヴィクトルの底知れない強さに、ジャックは半ば投げやりになって言った。

 マスターは、可愛い金髪の男の子、ヴィクトルをまじまじと見ながら困惑して聞いた。
「君は……、もしかして、魔王?」
 ヴィクトルはあわてて両手を振りながら答える。
「な、何言ってるんですか? 僕は人間! ちょっと魔法が得意なだけのただの子供ですよ! ねっ、ルコア?」
「主さまは世界一強いのです! でも、残念ながら人間なのです」
 ルコアはそう言って肩をすくめた。
「残念ながらって何だよ!」
 ヴィクトルは抗議する。
 マスターは真剣な目でヴィクトルに聞いた。
「世界征服しようとか……?」
「しません! しません! 僕はスローライフを送りたいだけのただの子供ですって!」
 ヴィクトルは急いで首を振り、苦笑いを浮かべながら言った。
 マスターは腕組みをして眉をひそめ……、しばらく考えたのちに、
「人類の脅威となる軍事力がスローライフをご希望とは……世界は安泰だな」
 と、肩をすくめた。
 ヴィクトルは話題を変えようと、冷や汗をかきながら聞く。
「スタンピードはいつぐらいになりそうって言ってました?」
 マスターは宙を見あげながら答える。
「えーと……、早ければ明後日。王都からは遠征隊が計画されていて、もうすぐギルドにも正式な依頼が来るみたいだけど……」
「来なくても大丈夫ですよ。片づけておきますから」
 ヴィクトルはニコッと笑った。
 マスターはヴィクトルをじっと見て……、相好を崩すと、
「活躍を……、期待してるよ」
 そう言って右手を出し、ヴィクトルはガシッと握手をした。

      ◇

 二日後、ユーベに十万匹の魔物が津波のように押し寄せてきた。土ぼこりを巻き上げながら麦畑をふみ荒らし、魔物たちは一直線にユーベの街を目指してくる。

「うわぁぁぁ、もうダメだぁ!」
 この街を治める辺境伯、ヴィクトルの父でもあるエナンド・ヴュストは、押し寄せてくる魔物の群れを城壁の上から見て絶望した。無数の魔物たちの行進が巻き起こす、ものすごい地響きが腹の底に響いてくる。
 やがて先頭を切ってやってきたオークの一団が城門に体当たりを始めた。城門はギシギシときしみ、いつ破られてもおかしくない状態である。兵士たちが城門の上から石を落とし、魔導士がファイヤーボールを撃ったりしているが、圧倒的な数の暴力の前に陥落は時間の問題だった。









3-17. 若き領主

「お父様! 逃げましょう!」
 長男のハンツは半泣きになりながらエナンドに訴えるが、安全な逃走ルートなどもう無い。数万の住民と共に魔物たちのエサになる予感に、エナンドはうつろな目で打ちのめされていた。

 絶望が一同を覆う中、誰かが叫ぶ。
「ドラゴンだ!」

 エナンドが空を見上げると、漆黒の龍が大きな翼をゆったりとはばたかせながら近づいてくる。
「暗黒龍!? も、もう……終わりだ……」
 エナンドはひざから崩れ落ちた。
 かつて王国を滅亡の淵まで追い込んだという、伝説に出てくる暗黒の森の王者、暗黒龍。その圧倒的な破壊力は、街を一瞬で灰燼(かいじん)に帰したと記録されている。

 暗黒龍は一旦上空を通過し、照りつける太陽を背景に巨大な影をエナンドたちに落とした。そして、旋回して再度エナンドたちに接近すると、

 ギョエェェェ!

 と、血も凍るような恐ろしい咆哮(ほうこう)を放つ。
 大地に響き渡る暗黒龍の咆哮は、エナンドたちを震え上がらせ、皆動けなくなった。

 暗黒龍は厳ついウロコに覆われ、その鋭い大きな爪、ギョロリとした真っ青に輝く瞳、鋭く光る牙は圧倒的な存在感を放ち、エナンドたちを威圧する。

 次の瞬間、暗黒龍はパカッと巨大な恐ろしい口を開き、鮮烈に輝く灼熱のエネルギーを噴き出す。かつて街を焼き払ったと伝えられるファイヤーブレスだ。
 エナンドたちは万事休すと覚悟をしたが、焼かれたのはなんと城壁の前のオークたちだった。
「えっ!?」
 驚くエナンド。
 そして、暗黒龍をよく見ると背中に誰かが乗っている。それは青い服を着た少年のように見えた。
 暗黒龍は上空をクルリと一周すると、バサバサと巨大な翼をはばたかせながら城壁の上に着陸する。
 そしてみんなが呆然(ぼうぜん)とする中、降りてくる少年。

 とてつもない破壊力を持つ伝説の暗黒龍を幼い少年が使役している、それは信じがたい光景だった。
 すると、ルイーズが少年に駆け寄って抱き着く。
「ヴィクトル――――!」

 少年とルイーズはにこやかに何かを話し、二人は笑いあう。

 エナンドは一体どういうことか分からず、ただ、呆然(ぼうぜん)と二人を見ていた。
 少年はカツカツカツとエナンドに近づくと、無表情のまま、
「父さん、久しぶり」
 と、声をかけた。

「父さん……? ま、まさかお前は本当に……ヴィクトル?」
 うろたえるエナンド。
「よくも俺を捨ててくれたな」
 少年ヴィクトルは鋭い視線でエナンドを射抜いた。
「わ、悪かった! 許してくれぇ!」
 エナンドは必死に頭を下げる。
「許すわけないだろ」
 ヴィクトルはパチンと指をならした。
 すると、エナンドは淡い光に包まれ、ゆっくりと浮かび上がる。
「な、何をするんだ!」
 ぶざまに手足をワタワタと動かし、慌てるエナンド。
 ヴィクトルはニヤッと笑うと暗黒龍の方に指を動かす。するとエナンドは暗黒龍の真ん前まで行って宙に浮いたまま止まった。
「や、止めてくれ――――!」
 鋭い牙がのぞく恐ろしい巨大な口に、ギョロリとした巨大な瞳を間近にみて、エナンドは恐怖のあまりパニックに陥る。
 暗黒龍は、グルルルルルと腹に響く重低音でのどを鳴らした。
「ひぃ――――!」
 エナンドは顔を真っ赤にして喚く。

「父さんに何するんだ!」
 兄のハンツが飛び出し、ヴィクトルに殴りかかってくる。
 ヴィクトルは無表情で指をパチンと鳴らす。
 直後、ハンツは吹き飛ばされ、石の壁に叩きつけられるとゴロゴロとぶざまに転がって動かなくなった。

 ヴィクトルは、自分を陥れた愚かな兄の間抜けな姿を見下ろしながら、ため息をつく。1年前、自分を死のサバイバルに放り込んだクズを叩けばスカッとするかと思ったが、何の感慨もわいてこなかった。ただの哀れな愚か者など幾ら叩いても心は満たされない。

 ヴィクトルはエナンドのそばまで行って声をかけた。
「父さん、あなたには恩もある。選択肢を与えよう。このままドラゴンのエサになるか……、ヴュスト家を改革するかだ」
「か、改革って何するつもりだ?」
「ハンツは廃嫡(はいちゃく)して追放、父さんは全権限没収の上隠居、次期当主はルイーズにする」
「ル、ルイーズ!? あいつはまだ十二歳だぞ!」
「国王陛下にはもう話は通してある」
「へっ!? 陛下に?」
 唖然(あぜん)とするエナンド。

 すると、ルイーズが騎士団長と宰相を連れてやってきた。
 騎士団長は、
「エナンド様、私はルイーズ様を支持したいと思います」
 しっかりとした目でそう言った。
「私もルイーズ様を支持します」
 宰相も淡々と言う。
「お、お前ら! 今までどれだけよくしてやったと思ってんだ!」
 真っ赤になって怒るエナンドだったが、暗黒龍がギュァオ! と重低音を響かせると青い顔になって静かになった。

「これより、ヴュスト家当主はルイーズとなった!」
 ヴィクトルは、周りで不安そうに見ている兵士や騎士たちに向けてそう叫ぶ。
 すると、一瞬兵士たちは戸惑ったような表情を見せたが、一人がオ――――! と叫んで腕を突き上げると、皆それに続く。

 ウォ――――! ワァ――――!

 上がる歓声。そして騎士団長と宰相はそれぞれ胸に手を当て、ルイーズにお辞儀をした。
「ルイーズ様万歳!」「ルイーズ様ぁ――――!」
 あちこちで歓声が上がり、ルイーズは手を上げて応える。
 ユーベ存亡の危機の土壇場で見出した希望。騎士も兵士も熱狂的に新領主を歓迎する。

 ルイーズは彼らの期待の重さをずっしりと感じながら、それでも自分が街を良くしていくのだという理想に燃え、大きく深呼吸をすると再度高く拳を突き上げた。
















3-18. 天地を焦がす子供

 ルイーズは暗黒龍のウロコを出し、ヴィクトルに返す。
「これは凄い役に立ったよ。さすがヴィクトル」
「迫力が圧倒的だからね」
 ヴィクトルはニヤッと笑った。

 ギュアァ!
 暗黒龍がドヤ顔っぽいしぐさで重低音を発する。
「本当にありがとうございました」
 ルイーズは暗黒龍に深々と頭を下げた。
 暗黒龍はうれしそうにゆっくりとうなずく。

 ヴィクトルは満足げに微笑み、大きく息をついた。
 そして、胸に手を当て、ルイーズに向かってひざまずいた。
「さぁ領主様、ご命令を!」

 兵士も騎士も静かになり、みんなが二人をじっと見つめる……。
 ルイーズはそんな様子を見回すと、背筋をピンと張って魔物の群れを指さし、やや緊張した声で命じる。
「ヴィクトルよ、魔物を一掃するのだ!」

「かしこまりました。領主様!」
 ヴィクトルはそう言って一歩下がり、顔をあげた。
 二人はじっと見つめ合い、そしてニコッと笑い合う。

 ヴィクトルはローブの袖をバッとはためかせながら振り返り、暗黒龍を見て言った。
「ルコア! 出撃だ! シールドは任せた!」
 ゆっくりとうなずく暗黒龍。

 ヴィクトルはニヤッと笑うとタンっと跳び上がり、そのままツーっと上空に飛んでいった。
 パタパタと風に揺れる青いローブをそっと押さえ、これから始まる激闘の予感にブルっと武者震いをするヴィクトル。

 ルコアも飛び上がり、天に向かって ギュウォォォォ! と叫ぶ。その恐ろしいまでの重低音の咆哮(ほうこう)は辺り一帯に恐怖を巻き起こし、襲いかかってくる魔物たちですら足を止める程だった。

 直後、オーロラのような金色の光のカーテンが天から降りてきて街の外周を覆った。
「うわぁ~!」「すごいぞ!」
 歓声が上がる。
 その光のシールドはキラキラと光の粒子をまき散らし、厳粛なる神の御業のように見えた。

 ヴィクトルは押し寄せる津波のような魔物たちを睥睨(へいげい)すると、フンッ! と全身に気合を込め魔力を絞り出した。ヴィクトルのMPは二十万を超え、魔術師千人分の規模を誇る。その圧倒的魔力が青いローブ姿の子供の全身を覆い、激しい輝きを放つ。
 ヴィクトルは両手を大きく広げると魔法の術式のイメージを固め、緑色の精緻で巨大な魔法陣をババババッっと数百個一気に展開した。

 見たこともない複雑で巨大な魔法陣が一気に多量に出現し、見ていた兵士たちはどよめく。

 ヴィクトルはさらに魔法陣に通常以上の魔力を注ぎ込み、オーバーチャージしていった。魔法陣たちはギュイィィ――――ンと響きはじめ、パリパリと細かいスパークをはじけさせる。あまりの魔力の集積に周囲の風景は歪み始め、一触即発の緊張感で皆、息をのんだ。

 さらにヴィクトルはその魔法陣群の手前に今度は真紅の魔法陣を同様に数百個展開させる。

 緑に輝く魔法陣群と真紅に輝く魔法陣群は、お互い共鳴しながらグォングォンと低周波を周りに放った。

 巨大なエネルギーの塊と化した緑と赤の巨大な魔法陣群、そのただ事ではない威容に、見ている者の目には恐怖の色が浮かぶ。

 ヴィクトルは最後に緑の魔法陣群の角度を微妙に調節すると、城壁の上の兵士たちを振り返り、
「総員、衝撃に備えよ!」
 と、叫んだ。兵士たちはこれから起こるであろう恐ろしい猛撃に怯え、みんな頭を抱えうずくまる。

 ヴィクトルは麦畑を覆いつくす十万匹の魔物たちを指さし、

爆裂竜巻(グレートトルネード)!」
 と、叫んだ。
 緑色の魔法陣は一斉にはじけ飛び、強烈な嵐を巻き起こし、一気に魔物たちを襲う。
 それは直径数キロはあろうかと言う巨大な竜巻となり、魔物たちを一気に掃除機のように吸い上げていった。
 大地を覆っていた十万匹もの魔物は、超巨大竜巻の暴威に逆らうことができず、あっという間に吸い集められ、宙を舞う魔物の塊と化した。

 それを確認したヴィクトルは、
絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)!」
 と、叫ぶ。
 真紅の魔法陣は一気にはじけ飛び、次々と激しいエネルギー弾が吹っ飛んで行った。
 直後、天と地は激烈な閃光に覆われ、麦畑は一斉に炎上、池も川も一瞬で蒸発していく。
 白い繭のような衝撃波が音速で広がり、小屋や樹木は木っ端みじんに吹き飛ばされ、金色のカーテンにぶつかるとズーン! という激しい衝撃音をたててカーテンがビリビリと揺れる。
 その後に巻き起こる真紅のキノコ雲。それはダンジョンで見た時よりもはるかに大きく、成層圏を超えて灼熱のエネルギーを振りまいていった……。

 ルイーズたちも兵士たちも、そのけた外れの破壊力に圧倒され、見てはならないものを見てしまったかのように押し黙り、真っ青になる。そして、はるか高く巻き上がっていく巨大なキノコ雲をただ、呆然と見つめていた。
 あの可愛い金髪の子供が放ったエネルギーは、街どころかこの国全体を火の海にできる規模になっている。今は味方だからいいが、これは深刻な人類の脅威になりかねないと誰もが感じ、冷や汗を流していた。









3-19. 妲己襲来

 十万匹の魔物は消し飛んだはずである。しかし、ヴィクトルの表情は険しかった。
 ヴィクトルはMP回復ポーションをクッとあおり。キノコ雲の中の一点を凝視する。

 ヴィクトルは何かを感じると、急いで金色のシールドの魔法陣をバババッと多重展開する。直後、キノコ雲の中から飛んできたまぶしく光輝く槍『煌槍(ロンギヌス)』がシールドをパンパンと貫き、軌道がずれてヴィクトルの脇をすり抜け、そのまま光のカーテンを貫くと城壁に直撃した。

 ズーン!
 城壁が大爆発を起こし、大穴が開く。
 渾身の多重シールドがあっさりと突破されたことに、ヴィクトルは冷や汗がジワリと湧いた。やはりレベル350オーバーはなめてはならない。伝説にうたわれた全てを貫く奇跡の槍、『煌槍(ロンギヌス)』は本当にあったのだ。

「ルコア! 妲己が来たぞ!」
 ヴィクトルが魔法陣を次々と展開しながら叫ぶ。

 ギュアァァァ!
 暗黒龍は咆哮をあげると、巨大な金色のシールドの魔法陣を次々と展開して妲己の猛攻に備えた。

 ルイーズは新たな敵の出現に驚愕する。
「だ、妲己だって!? 伝説の妖魔じゃないか! なぜそんな奴が……」
「に、逃げましょう」
 宰相はルイーズの手を取り、そう言ったが、ルイーズは首を振り、
「弟が我が街を守ってくれてるのです。見守ります!」
 そう言って、青いローブを風に揺らす小さな子供を見上げた。

 兵士たちも逃げることもなく、暗黒龍を従える人類最強の子供と、伝説の妖魔の戦いを固唾(かたず)を飲んで見守った。

風刃(ウィンドカッター)!!」
 ヴィクトルは、そう叫ぶとキノコ雲に向けて無数の風の刃を放った。ブーメランのような淡く緑色に光る風の刃は、まるで鳥の大群のように編隊を組んで紅蓮(ぐれん)のキノコ雲へと突っ込んでいった。
 すると何かがキノコ雲の中から飛び出し、風の刃を次々と弾き飛ばしながら高速で迫ってくる。

 ヴィクトルは真紅の魔法陣をバババッと無数展開すると、
炎槍(フレイムランス)!!」
 と、叫んで一斉に鮮烈に輝く炎の槍を放った。
 激しい輝きを放ちながら、炎の槍の群れが一斉に敵に向かってすっ飛んでいく。
 しかし相手は金色の防御魔法陣を無数展開しながら構わずに突っ込んでくる。
 炎槍(フレイムランス)は魔法陣に当たり、次々と大爆発を起こすが、相手は速度を緩めることなく爆炎をぶち抜きながら一直線にヴィクトルを目指して飛んだ。
 そして、手元には閃光を放つエネルギーを抱え、目にも止まらぬ速さで撃ってくる。
 ヴィクトルは慌てずに銀色の魔法陣を展開し、飛んできたエネルギー弾を反射し、逆に相手へ向かって放った。
 相手は急停止すると、手の甲であっさりとエネルギー弾を受け流す。
 エネルギー弾は地面に着弾し、大爆発を起こした。

 立ち昇るキノコ雲をバックに、相手はヴィクトルをじっと品定めするように眺め、

「小童! たった一年でよくもまぁ立派になりしや」
 と、嬉しそうに叫んだ。

 黄金の光をまとい、ゆっくりと宙を舞う黒髪の美しい女性、それはやはり、一年ぶりの妲己だった。赤い模様のついた白いワンピースに羽衣は、初めて会った時と変わらず上品で優雅な雰囲気を漂わせている。

「あなたに勝つために一年地獄を見てきましたからね。しっかりとお帰り頂きますよ」
 ヴィクトルはそう言って平静を装いながら、秘かに指先で何かを操作した。
「ふん! たった一年でなにができる!」
 そう言うと妲己は何やら虹色に輝く複雑な魔法陣を並べ始めた。それは今まで見たことのない面妖な魔法陣。ヴィクトルは顔を引きつらせながら必死に指先を動かす……。
 直後、妲己の髪飾りに空から青い光が当たる。それを確認したヴィクトルは叫んだ。

殲滅激光(エクスターミレーザー)!」
 
 激しい真っ青な激光が天空から降り注ぎ、妲己を直撃する――――。

 ズン!

 妲己は真っ青な閃光にかき消され、同時に激しい爆発が巻き起こり、吹き飛ばされた。
 地上二百キロの衛星軌道に設置された魔法陣から放たれた青色高強度レーザーは、全てを焼き尽くす爆発的エネルギーを持って妲己の頭を直撃したのだ。伝説の妖魔といえども無事ではすむまい。
「よしっ!」
 ヴィクトルは確かな手ごたえを感じていた。

 爆煙が晴れていくと、地面にめり込んだ妲己がブスブスと煙をあげながら黒焦げになっている。

「やったか……?」
 ヴィクトルは恐る恐る近づいて行く……。

 ボン!
 いきなり妲己が爆発し、爆煙が巻き上がる。

 何が起こったのか呆然とするヴィクトルの前に、爆煙を突き破って巨大な白蛇が現れた。なんと、第二形態を持っていたのだ。

「よくもよくも!」
 白蛇は鎌首をもたげ、ギョロリとした真っ赤な瞳でヴィクトルを凝視すると、巨大な口をパカッと開け、ブシャー! と、紫色の液体を吹きかける。
 ヴィクトルはあわててシールドで防御する。しかし、液体は霧状になり、ヴィクトルの視界を奪った。
 その間に白蛇は真紅の魔法陣を次々と展開していく。
 ヴィクトルは視界を奪われた中でその動きを察知した。チマチマとしたやりあいではらちが明かないと感じたヴィクトルは、イチかバチか間合いを詰める魔法『縮地』で瞬時に白蛇の目前まで跳んだ。
 目の前には真紅に輝くたくさんの魔法陣、そして真っ白な大蛇……。
 ヴィクトルはすかさず、巨大な銀色の反射魔法陣を展開した。
 同時に放たれる白蛇の究極爆炎(エクストリームファイヤー)……。
 果たして白蛇渾身の火魔法は、発射と同時に跳ね返され白蛇自身に着弾した。

 ぐわぁぁぁ!

 強烈な閃光が天地を覆い尽くし、爆発のエネルギーが周囲を焼き尽くす。
 妲己は断末魔の叫びを上げながら自らの炎で焼かれていったのだった。

 ヴィクトルは焼かれて消えていく妲己の魔力を感じながら、この一年の辛かった地獄の修業を思い出す。何度も何度も殺されて、殺される度に妲己を倒す一念で立ち上がっていたあのダンジョンの日々……。そう、この瞬間のために耐えてきたのだった。
 ヴィクトルは静かにこぶしを握り、唇を真一文字に結ぶとグッとガッツポーズをする。
 ステータスは圧倒的にヴィクトルの方が上だったが、レベルは妲己の方が上であり、思ったより危なかった。さすが伝説の妖魔である。
 ヴィクトルは妲己の見事な戦いっぷりに敬意を表し、黙とうをささげた。