1-1. 最弱大賢者、オーガとの死闘

 グガァァァ――――!
 暗黒の森の奥、オーガは金色に光る恐ろしい眼で少年をにらみつけると、筋骨隆々とした赤い巨躯(きょく)を打ち震わせながら雄叫びをあげた。

 オーガは(いにしえ)の時代より森の暴君として恐怖の象徴であり、その狂猛さは『オーガを見たら輪廻の幸運を祈れ』と語られるほど絶望的な存在だった。オーガを怒らせて、生き延びられた人間などいないのだ。
 まだ幼い、瞳のクリッとした金髪の少年は、血の凍りつくような恐怖に身震いをしながら、それでも歯を食いしばるとオーガへと突っ込んで行く。
 少年の足ではオーガからは逃げられない。であれば、イチかバチか特殊アイテムの効果に命運をかけたのだ。

 少年はオーガに飛びかかり、直後、目にも止まらぬ速さで繰り出されるオーガの右ストレートをまともに受けた。

 ゴリゴリッ!

 嫌な音を立てながら、少年のか弱い身体はぐちゃぐちゃにつぶされ、宙を舞う。
 少年は身体中をほとばしる激痛に思わず目の前が真っ白になり、意識が飛んだ。
 そして体液を飛び散らせながらやぶの中に転がっていく……。
 しかし……、

 グォォォ!
 オーガも苦悶の表情を浮かべ、ヒザをついた。

 少年が持っていたのは、

倍返しのアミュレット レア度:★★★★
特殊効果: 受けたダメージを倍にして相手に返す

 と、

光陰の(たま) レア度:★★★★
特殊効果: HPが10以上の時、致死的攻撃を受けてもHPが1で耐える

 の、二つ。つまり、攻撃を受けても一撃だけなら死なないし、それをダメージとしてオーガに倍で返せるのだ。

 果たして、少年の身体は淡い光に包まれ、やがて傷も治されてまた生き返る。
 しかし、いくら治ったといっても、内臓をぐちゃぐちゃに潰されたショックは大きい。少年は朦朧(もうろう)として視点の定まらぬ目で森を見上げていた。

 ギヒヒヒ……。

 不気味な声が聞こえる。少年は急いで起き上がり、やぶの向こうに光る目を見つけた。ゴブリンだ!
 狡猾(こうかつ)なこの魔物は、オーガのおこぼれを狙っている。
 少年はあわててポケットから回復のポーションを出し、一気飲みする。
 これでもうポーションは無い。さっきの自爆攻撃はもうあと一回しか使えないのに魔物は二匹。詰んだ。少年は真っ青になる。

 少年はまだ五歳、ゴブリンにも勝てないレベル1の最弱な存在だった。しかし、中身は稀代(きだい)の大賢者の生まれ変わり。知恵だけは世界一である。ゴブリンを木の棒でけん制しながら必死に頭を動かす。

 グガァァァ!

 オーガの咆哮(ほうこう)が森にこだまし、ドスン! ドスン! と近づいてくるのが聞こえる。もはや猶予はない。
 少年は木の棒をゴブリンに投げつけ、挑発すると走り出した。
 そして、追いかけてくるゴブリンをうまく誘導しながら、再度オーガへと突っ込んでいく。
 オーガは激しい怒りで真っ赤に燃え上がる眼を光らせ、右腕を引いて少年に照準を絞った。

 追いかけてくるゴブリン、飛びかかる少年、そして、今まさに拳に力を込めるオーガ。

 さっきよりも激しい右ストレートが再度少年を打ち抜き、少年の身体はまるで弾丸のように吹っ飛ばされた。そして、それに巻き込まれるゴブリン。

 少年の身体はぐちゃぐちゃになりながら何度もバウンドして、またやぶへと突っ込んだ。
 直後、少年は淡い光に包まれて復活を果たしながら、

 ピロローン!

 と、頭の中で鳴り響く効果音を聞いた。ゴブリンを倒したことになってレベルが上がったのだ。この世界では魔物を倒して経験値を得るとレベルが上がり、少し強くなる。

「や、やったぞ……」

 少年は朦朧としながら弱弱しいガッツポーズを見せた。

 レベルが上がればHPは満タンに戻る。これでもう一度だけオーガの攻撃を受けられる。

 少年はフラフラと起き上がり、やぶからそっとのぞくと、オーガは口から血をたらしながら苦しんでいた。さすがにあの強烈なパンチたちの二倍のダメージを受けたらそうなるだろう。
 『今なら逃げられるかもしれない』という思いがふと頭をよぎったが、この暗黒の森で生き残るには安全策など取っていてはダメだ。攻めて攻めて勝ち残る、その道しか残されていない。
 少年は、何度か大きく深呼吸をし、覚悟を決めると、

 ウォォォォォ!

 と、叫びながらオーガに突っ込んでいき、オーガの繰り出す最後の渾身の一撃を受け、吹き飛んだ。

 ピロローン!
 ピロローン!
 ピロローン!

 膨大な経験値を得てどんどん上がるレベル。鳴りやまない効果音を聞きながら、少年は九死に一生を得たことに満足し……、そして、こんなバカな事態に陥ってしまったことを憂えてため息をついた。
 少年の名はヴィクトル、稀代(きだい)の大賢者アマンドゥスの生まれ変わりである。それがなぜこんな無謀な戦闘をする羽目になってしまったのか?
 話は五年前にさかのぼる――――。









1-2. 目指せスローライフ!

 五年ほど前のこと、王都中心部にひときわ高くそびえたつ賢者の塔の寝室で、大賢者アマンドゥスは最期の時を迎えていた。
 若き国王は枕もとでアマンドゥスの手を取り、涙を流す。
 すでに齢百三歳を数えるアマンドゥスの身体は、ありとあらゆる延命の魔法を駆使してきたものの限界を迎えつつあった。
「陛下、いよいよ最期の時が……来たようです……」
 息を絶え絶えにしながらか細い声で言った。
「アマンドゥス……、余は稀代の大賢者に学べたことを誇りに思っておる」
「こ、光栄です。先に……休ませていただ……き……」
 アマンドゥスはガクッとこと切れた。
 直後、かけてあった魔法がすべてキャンセルされ、赤、青、緑の鮮やかな光の輪たちが次々と現れてははじけていく。
「アマンドゥス――――!」
 美しい光が踊る中、国王は涙をポロポロこぼし、部屋には弟子たちのすすり泣く音が響いた。
 塔の鐘がゴーン、ゴーンと鳴り響き、街中に大賢者が身罷(みまか)ったことが伝えられた。多くの人は周りの人と目を見合わせ、そして塔に向かって黙とうをささげる。
 みんなに愛された心優しき不世出の大賢者は、こうして一生を終えた。

        ◇

 アマンドゥスが気がつくと、純白の大理石で作られた美しい神殿にいた。随所に精緻な彫刻が施された豪奢な神殿は、どこまでも透明な美しい水の上にあり、真っ青な水平線がすがすがしい清涼感をもたらしている。
「ここは……?」
 不思議な風景にとまどいながら、辺りを見回すアマンドゥス。
「お疲れ様……」
 振り向くと、そこには純白のドレスをまとった美しい女性がいた。魅惑的な琥珀色の瞳に透き通るような白い肌、アマンドゥスはその美貌に思わず息を飲む。
「あなたの功績にはとても感謝してるわ。何か願い事があれば聞いてあげるわよ」
 女性はニッコリとほほ笑みながら言った。
「あ、あなたは……?」
「私は命と再生の女神、ヴィーナよ」
 ヴィーナはそう言いながら、美しいチェストナットブラウンの髪の毛をフワッとゆらす。
 アマンドゥスはその神々しい麗しさに圧倒され、思わず息をのんだ。
「な、何でも聞いてくれるんですか?」
「まぁ……、社会を壊すようなものじゃなければね」
 ニコッと笑うヴィーナ。
 アマンドゥスは考えこむ。何を頼もう?
 自分の人生は大成功だった。才能をいかんなく発揮し、王国を豊かに発展させ、みんなに愛された。もはや非の打ちどころのない人生だった……はずだが、なぜか心が満たされないシコリのような違和感を感じる。

「ヴィーナ様……。私の人生は大成功だったと思うのですが、何かこう……満たされないのです」
「ふふっ、だってあなた仕事中毒(ワーカホリック)なだけだったからねぇ」
 ヴィーナはちょっと憐みの目で軽く首を振った。
仕事中毒(ワーカホリック)……?」
「朝から晩まで仕事仕事、心を温める余裕もない暮らしじゃ心は死んでしまうわ」
 アマンドゥスは絶句した。自分は数多(あまた)の仕事を成し遂げ、多くの人を幸せにしてきたが、自分の心を温めるという発想が無かったのだ。
「えっ、えっ、それでは平凡に結婚して、子供を儲けてる人たちの方が正解……なんですか?」
「人生にこれっていう正解の道はないわ。でも、仕事中毒(ワーカホリック)は失敗よね」
 ヴィーナは肩をすくめた。
「そ、そんな……」
 アマンドゥスはうなだれる。自分はみんなが喜んでくれるから一生懸命働いた。仕事を優先して心の扉を閉ざし、恋や結婚は考えないようにしていた。それを正解だと信じて疑ったことなどなかったのだが、死後にそれをダメ出しされてしまう。

 ふぅぅ……。
「何が大賢者だ、大莫迦(バカ)者だったのだな、自分は……」
 アマンドゥスはうつむいてため息をつき、自然と湧いてくる涙を手の甲で拭った。

「やり直して……みる?」
 ヴィーナは弱弱しいアマンドゥスの背中をポンポンと叩き、優しく聞く。

 アマンドゥスは目をつぶり、考え込む。自分の心を大切にする生き方、そんなこと自分にできるのだろうか? 相思相愛の相手を見つけ、愛のある家庭を築く。そんなこと不器用な自分には不可能の様にすら思える。
「怖い……」
 アマンドゥスはついボソッと本音が漏れ、うなだれる。そこには威厳ある大賢者の面影はなかった。

「ふふっ、本来人生とは怖い物よ。どうする? それでも転生してみる?」
 ヴィーナはニコッと笑う。
 そうなのだ、人生は怖いから生きる価値が出るのだ。困難やチャレンジのない人生など生きる価値などない。
 アマンドゥスは大きく息をついた。そして、意を決する。次の人生では愛する人を得てスローライフを実現してやると誓った。
「やります! お願いします! スローライフができそうな人生に転生をお願いします」
 アマンドゥスは決意のこもった目でヴィーナを見た。

 ヴィーナはニコッと笑うと、
「分かったわ。じゃあ、いってらっしゃーい!」
 そう言って、うれしそうに手を振った。










1-3. 大賢者ヴィクトル
 チチチチ……。
 小鳥の声がする。
 澄み切った爽やかな日差しが、モスグリーンのカーテンをふんわりと暖かく照らし、朝を告げている。

 アマンドゥスは違和感を感じて目を覚まし、バッと起き上がると、その瞬間、雷に打たれたように膨大な記憶と経験の洪水に脳髄を貫かれた。
 ぐわぁぁぁ!
 思わずベッドでのたうち回るアマンドゥス。それはいまだかつて経験したことのない知の奔流(ほんりゅう)だった。
 しばらくして落ち着くと、手足が小さくつやつやしていることに気づく。
「へっ!? 子供!? ここはどこだ……? わしは……どうなった……?」
 キャビネットの上の手鏡を奪うように取って見ると、そこには可愛い金髪の男の子が映っていた。
「おぉ……、そうだ……そうだった……。わし……、じゃない、僕はヴィクトル、辺境伯の三男坊だった」
 アマンドゥスは全てを思い出す。賢いと評判の可愛い五歳の少年ヴィクトルは、百三歳の大賢者の知恵と経験を取り戻したのだった。
「やった! 女神様ありがとう!」
 ヴィクトルは両手を高く掲げ、ぴょんぴょんと跳ねる。
「今度こそスローライフだ! 満喫するぞぉ!」
 可愛い男の子はこぶしをぎゅっと握り、うれしそうに笑った。

 コンコン!
 ドアがノックされ、メイドが入ってくる。伝統的なメイド服に身を包んだ清潔感のある若い女性は、
「お坊ちゃま、朝食のお時間でございます!」
 と、事務的な口調で言いながら、カーテンを次々と開けていく。

「お、おはよう」
 ヴィクトルはぎこちなく挨拶をする。
 メイドはいつもと違う反応にカーテンを開ける手を止め、ジッとヴィクトルを見つめた。
「お坊ちゃま、何かありました?」
「な、何でもないよ! わ、わしは……じゃない、僕はいつも通りだよ!」
 焦って返すヴィクトル。
 メイドはいぶかしそうにヴィクトルを見つめ、
「まぁいいわ、今日は大切な神託の日ですよ。キチッとしたシャツを着てくださいね」
 そう言うと、上質なシャツと短パンを持ってきてヴィクトルを着替えさせた。
 ヴィクトルは一瞬何のことだか分からなかったが、教会で自分の職業を教えてもらう日だということを思い出す。
 ヴィクトルは急いでステータス画面を出した。これは自分の状態を空中の画面に表示させるスキルで、アマンドゥスの時の物がそのまま引き継がれていた。どうやら職業に紐づいているスキルは子供になっても使えるらしい。

 ヴィクトル 女神に愛されし者
 大賢者 レベル 1

 ヴィクトルは思わず宙を仰いだ。マズい、大賢者であることがバレてしまう。二度目の人生は平凡なスローライフが目標である。大賢者だなんてバレてしまったらまた前世と同じように王都に連れていかれ、一生重責を負わされてしまう。絶対にそれだけは避けないとならない。
 前世のアマンドゥスだったら職業をごまかす事など容易だったが、ヴィクトルのレベルは1、使えるのは基本的なスキルだけで、高度な魔法など一切使えず、とても教会の神託をごまかせない。できるとすると『隠ぺい』のスキルで職業を見えなくすることくらいだ。しかし、そうなると無職扱いになってしまう。無職は無能の証として人間として最低の扱いをされる最悪なステータスだ。ヴィクトルは頭を抱えた。

            ◇

 何とか突破口を見出したいヴィクトルは、朝食後、宝物庫に忍び込む。入り口は厳重なカギがかけられてあったが、大賢者にとってみたらオモチャ同然である。針金一つであっさりと突破する。
「記憶が戻って最初にやる事が鍵開けとは前途多難だ、トホホ……」
 ヴィクトルは暗い表情でドアをそっと開け、中に忍び込んだ。

 飾り棚の中には宝剣や魔剣、杖や(たま)が所狭しと飾ってあったが、思っていたよりもショボい。
 何とか神託をごまかせるアイテムはないかと、必死に『鑑定』スキルを繰り返すヴィクトル。しかし、残念なことに使えそうなアイテムは見つけられなかった。
 ふと脇を見ると、『未鑑定』と書かれた木箱の中にジャンクなアイテムがゴロゴロと入っている。
 ヴィクトルが当たり前のように使っている鑑定も、使える人は稀で、かなり高い鑑定料がかかるのだ。だからパッと見ショボそうなものは木箱に入れられているようだった。
 ヴィクトルはそれらを鑑定し、使えそうなレア度の高い二つのアイテム、「光陰の(たま)」と「倍返しのアミュレット」を見つけ出す。ヴィクトルは少し考え、そっとポケットに忍ばせた。











1-4. 襲いかかる悪意

 午後にヴュスト家総出で教会を訪れる。
「おまえの職業はなんだろうな? 賢いから『賢者』かも知れないぞ!」
 父エナンドは浮かれていた。
「『大賢者』だったらどうしましょう?」
 母エルザは上機嫌で返す。
 ヴィクトルはただ苦笑いをして受け流すしかなかった。

 長男のハンツは親の死角でバシッとヴィクトルを蹴り、
「ケッ!」
 と、ヴィクトルをにらむ。
 三男坊が可愛がられるのが気に喰わないのだ。

 この街、ユーベにある最大の教会の聖堂はゴシック調の豪奢な造りで、尖塔がいくつも立ち、その威風堂々たる風格は街のシンボルになっている。
 中に入ると煌びやかなステンドグラスがずらりと並び、陽の光を受けて赤、青、緑の色鮮やかな模様を床に浮かび上がらせ、神聖な雰囲気を醸し出していた。
 聖堂の壇上には神託の水晶玉が置かれ、司教は金と純白の豪奢な祭服を着て、一行を待ちわびて立っている。優秀だと噂の辺境伯の三男の神託と聞いて、周りには司祭を始め教会関係者がズラりと並び、ヴィクトルの神託を楽しみに待ちわびていた。

 ヴィクトルは目をつぶり、大きく息をつくと壇に上がり、司教の言われるがままに水晶玉に手を置いた。そして、司教が何かをつぶやく。ピカピカと点滅しだす水晶玉。しかし、点滅はいつまでも止まらなかった。
 いぶかしげに水晶玉をにらむ司教。しかし、点滅は止まらない。
 前例のない事態に静まり返る聖堂。

 司教はバツの悪い表情をしてエナンドのところへ行き、何かを耳打ちした。
「む、無職!?」
 エナンドは絶句する。
 由緒ある辺境伯において、無職の子供を輩出してしまったことは大いに恥ずべきことであり、事によっては辺境伯自身の地位すら脅かしかねない深刻な事態だった。
 エルザは失神して倒れ込み、長男のハンツは大声で嘲笑(あざわら)う。

 気まずい表情で壇上から降りてきたヴィクトルを迎えたのは、次男のルイーズだけだった。
「気にすることはないよ、後で職業が分かる事もあるしさ」
 そう言って、ルイーズはヴィクトルの背中をポンポンと叩く。

 するとハンツはいきなりヴィクトルを蹴り飛ばした。
「ぐわっ!」
 ゴロゴロと転がるヴィクトル。
「お前はヴュスト家の面汚しだ! 追放だ! 出ていけ!」
 と、口汚く(ののし)った。
「兄さん、暴力はダメだよ!」
 ルイーズはヴィクトルをいたわり、引き起こしながら言う。
「何がダメだ? 無職というのはもはや人間とは呼べんのだ。暗黒の森に捨てるしかない」
「なんてこと言うんだ!」
 ルイーズは自分のことのように怒る。
 しかし、ヴィクトルは、ルイーズを制止して、
「兄ちゃん、僕は大丈夫。早く帰ろう」
 そう言って、ルイーズの手を引いて聖堂を出て行った。

        ◇

 その午後、ヴィクトルはエナンドに呼び出される。
 エナンドの隣には腕を包帯で巻いたハンツとメイドが立っていた。
「ヴィクトル、お前、ハンツを階段から突き飛ばしたんだって?」
 いきなり身に覚えのないことを言われ、ヴィクトルは困惑した。
「え? 僕はずっと自分の部屋にいましたよ?」
「ウソをつくな! メイドが証人としているんだぞ! 無職だった腹いせに兄をケガさせ、さらにウソまでつくとは許し難い! お前は追放だ!」
 エナンドは激昂して叫んだ。
「えっ!? そ、そんな」
 ヴィクトルは焦る。追放された五歳児がマトモに生きていく方法などない。
「じゃあ、自分の罪を認めるか?」
 エナンドはヴィクトルを鋭い視線でにらみつけて言った。
「僕はやっていません。二人が嘘をついているんです!」

 パン!

 エナンドはヴィクトルを平手打ちし、
「追放だ! 連れていけ!」
 そう執事にアゴで指示した。
「後悔するぞ! いいんだな?」
 そう叫ぶヴィクトルを執事は強引に引きずる。

 はっはっは!
 ハンツはいやらしい顔で笑い、メイドは(うと)ましい表情でその様を眺めていた。








1-5. 捨てられた大賢者

 執事はヴィクトルを麻袋に入れ、馬車を走らせる。
 連れてこられたのは暗黒の森。そこは多くの魔物が棲む恐ろしい死のエリアだった。

 執事は鬱蒼(うっそう)とした森の少し開けたところに馬車を止め、ヴィクトルを麻袋から出すと、ザックを一つ渡して言った。
「坊ちゃんには申し訳ないが、ワシができるのはこれくらい……、ここでさよならだ」
冤罪(えんざい)です! 何とかとりなしてもらえませんか?」
 ヴィクトルは必死にすがりつく。
 執事は大きく息をついて言った。
「それは知ってます……。ですが、無職を受け入れられるほど、ユーベの貴族社会は器が大きくないのです」
「そ、そんなぁ……」
 思わずポロリと涙がこぼれた。
「私も仕事なので」
 執事は事務的にそう言うと、馬車に乗って戻って行ってしまった。
 ヴィクトルは呆然(ぼうぜん)としながら、去っていく馬車をいつまでも目で追っていた。無職を理由に追放なんて王都では聞いたこともない。ヴィクトルは自らの読みの甘さを悔やんだ。これではスローライフどころではない。せっかく転生したのにもう終わりである。
 ヴィクトルは急いでザックの中をあさってみたが……、大したものは入っていない。パンが一つに着替え……そして申し訳程度のポーションが一式。どう考えても生還は絶望的だった。
 くぅぅぅ……。
 ヴィクトルはひざから崩れ落ち、両手で顔を覆い、これから訪れるであろう死の恐怖にただ涙をポトポトと落とす。

 日が傾いてきた暗黒の森は、まさに死の香り漂う恐怖の世界だった。
 前世のアマンドゥスのレベルだったら恐れるに足らない森も、レベル1のヴィクトルには全てが恐怖になる。

 ホウホーウ!
 どこかで恐ろしげな叫び声がした。
 ヴィクトルはゾクッと背筋が凍る思いをしながら急いで『隠ぺい』のスキルを使う。このスキルを使えば雑魚の魔物であれば欺くことができる。しかし、強い魔物には効かない。あくまでも応急措置に過ぎなかった。

 グルグルグル、グワァ!
 魔物が叫んでいる。間もなく森は闇に覆われてしまう。こんな所で野宿などできない。ヴィクトルは急いで身を隠せそうなところを探すことにした。
 前世の記憶ではこの先にガケがあって、洞窟もいくつか開いていたはずだ。残された時間もあまりない。ヴィクトルはそこへと向かうことにする。
 魔物に見つからないように慎重に慎重に進む。

 ガサガサッ!

 向こうの茂みで音がした。何かがいる!
 ヴィクトルはしゃがんで身を隠し、鑑定スキルで音のあった方をしらみつぶしに調べた。
 目の前に青白い画面が浮かび上がり、魔物の情報が表示される。

ゴブリン レア度:★
魔物 レベル10

 ゴブリンだ! ヴィクトルは思わず息をのむ。レベル1のヴィクトルにしてみたら、例え最弱のゴブリンでも見つかったら死を意味する。
 緑の肌をして尖ったデカい耳の小柄な魔物、ゴブリンはやぶの中で息を殺すヴィクトルのすぐ前をノソノソと歩き、

 ギュアグルグル……。
 と、何かをつぶやき、立ち止まった。
 『隠ぺい』のスキルが効いているはずなのに、なぜ立ち止まるのか。
 ヴィクトルは冷や汗をたらしながら『早く通り過ぎてくれ』と必死に祈るが、ゴブリンはなかなか動かない。命のかかったヴィクトルには長い長い時間のように感じられた。

 やがて、ゴブリンは周囲を見回し、

ギュギャッ!

 と、叫ぶと、走り去っていった。
 
 ふぅ……。
 ヴィクトルは大きく息をつき、思わず地面にペタンと尻をついた。が、そこは落ち葉の吹き溜まりだった。ヴィクトルは後ろにゴロンとでんぐり返しになって転がり、さらにその先の斜面へと落ちて行く。

「うわぁっ!」
 落ち始めた体はなかなか止まらない。斜面をゴロンゴロンと転がり、最後には穴にストンと落ちた。
「ひぃ!」
 そこは洞窟だった。小さなヴィクトルの身体はバン! バン! と洞窟のあちこちにバウンドしながら、最後に硬いゴムのようなところで止まった。

「いててて……」
 あちこちをさすりながらゆっくりと体を起こす。
 硬いゴムは温かかった……。
「何だろうこれ……?」
 と、思って顔を上げると、薄暗がりの中で奥にギョロリと光る二つの眼光が光る。

 グァォォ!
 叫びながら起き上がったのは筋骨隆々の巨大な赤い身体、オーガだった。

「うぁひぃ!」
 ヴィクトルは声にならない声をあげて飛びのき、洞窟の出口へと走る。

オーガ レア度:★★★★
魔物 レベル70

 視界の端で鑑定結果が表示されていたが、オーガがヤバい奴だというのは確認しなくても知っている。ソロならAクラス冒険者でないと倒せない強敵である。レベル1のヴィクトルには逆立ちしたって(かな)いっこない、最悪の相手に見つかってしまった。

 ヴィクトルは死に物狂いで走る。やぶを抜け、小川を飛び越え必死に走った。しかし、オーガの追いかけてくるズシンズシンという地響きは、すぐそばに迫ってきている。

 逃げられない……。ヴィクトルは悟った。
 そして、開けたところで立ち止まり、クルッとオーガの方を向く。
 オーガは足を緩め、今晩のごちそうを見つけたかのように、うれしそうにニヤッと笑った。

 はぁはぁはぁ……。
 肩で息をするヴィクトル。
 ゆっくりと近づいてくるオーガ。

 ヴィクトルは右手を開いてオーガの方を向け、
「ファイヤーボール!」
 と、叫んだ。
 すると、電球みたいなショボい火の玉が飛び、オーガに当たった。しかし、オーガには全く効かず、(あざけ)(わら)っている。
「ファイヤーボール! ファイヤーボール!」
 ヴィクトルはそれでもMPが切れるまで連射する。
 オーガはさすがにウザいと感じたのか、火の玉を手でパンパンと払いのけると襲いかかってきた。
 ヴィクトルの目的はオーガに強烈な一撃を放たせる事だった。適当なショボい攻撃では『倍返し』もショボくなってしまうから困るのだ。本気の一発を食らうこと、それが生き残りの条件だった。
 ヴィクトルは引きつった笑顔を見せながらオーガに飛びかかる。
 そして、右ストレートを思いっきり浴びて潰され、吹っ飛んだのだった。











1-6. 魔石の秘密

 結局死闘の末、三回殺されながら、何とかアイテムの効果でオーガを倒すことに成功したヴィクトルは、ステータスを確認する。

 ヴィクトル 女神に愛されし者
 大賢者 レベル 15

「おぅ! やったぁ!」
 思わずピョンと跳ねるヴィクトル。
 なんと、レベルは一気に15まで上がっていた。これで少なくともゴブリン一匹にはおびえなくて済みそうだ。暗黒の森で初めて見えた光明。ヴィクトルはグッとガッツポーズをして薄氷を踏むような死闘の勝利を味わった。
 しかし、何とか見出した活路ではあったが、それでも五歳の少年には前途多難な状況に変わりはなかった。
 街に戻っても入れてくれないだろうし、他の街に行ってもただの浮浪児として乞食扱いだ。何とかこの暗黒の森の中で生活していくしかない。だが、それは少しレベルが上がっただけで解決できることではない。
 ヴィクトルは現実の厳しさに気が重くなり、大きく息をつくと、
「強く……。ならなきゃ……」
 と、ギュッとこぶしを握った。

 薄暗がりの中には二つの光る魔石が転がっている。真っ赤に光るオーガの魔石と緑色に淡く光るゴブリンの魔石。魔物は倒すと身体は消え、こうやって魔石を落とす。
 ヴィクトルは魔石を拾い、ジーッと眺めた。
 魔石には魔力が含まれていて、普通はギルドが買い取って燃料にしたり道具に加工したりしている。しかし、街へ行けないヴィクトルにしてみたら宝の持ち腐れだった。

「お腹すいたなぁ……」
 思い返せば昼から何も食べていない。しかしパンは一個しかないのだ。気軽には食べられない。
 何か食べ物を探さねばならなかったが、日も暮れてきて今から探すのは難しそうだった。
「これ、食べられないかな?」
 ヴィクトルは魔石を見つめながらつぶやく。
 魔石には毒が含まれていて、なめたりしてはいけないというのは常識だった。だが、アマンドゥス時代に解毒方法は見つけている。魔石には結晶の方向があり、その方向に沿って解毒剤を染みこませていくと解毒はできる。とは言え、解毒できたからと言って口に運ぶ気も起こらず、そのままになっていたのだ。
「食べて……、みる?」
 ヴィクトルはやぶの中を少し歩いて『毒けし草』を見つけると、その葉っぱでオーガの魔石をくるみ、結晶の方向に沿ってゴシゴシとこすった。
 すると不透明に鈍く光るだけだった魔石は、透明となって向こうが見えるようになり、ラズベリーのような爽やかな芳香を放ちはじめる。
 ほのかに赤く輝く美味しそうな石。
 ヴィクトルはその香りに()かれるようにペロッと舐めてみる。
「あっ、甘い!」
 なんと、魔石は美味しかった。
 急いでチューッと吸い付いてみると、エキスがジュワッと湧き出して果物のようなジュースが口いっぱいに広がる。
 思わずゴクンと飲み込むヴィクトル。
「お、美味しい……」
 ブワッとヴィクトルの身体が淡い赤い光に包まれる。ヴィクトルは満面の笑みでこの死闘の果実を満喫した。芳醇で豊かな味わいが空腹のヴィクトルに恍惚の時間をもたらす。
 その時だった。
 ポロロン!
 頭の中で効果音が鳴り響き、空中に黄色い画面がパッと開く。

 HP最大値 +5、強さ +1、攻撃力 +1、バイタリティ +1

「へっ!?」
 ヴィクトルは唖然(あぜん)とした。なんとステータスが上がっている。
 ステータスを上げる方法など今までないとされていたのだが、そんなことは無かった。魔石を食べればよかったのだ。
 これはすごい発見だった。今までステータスを上げるには経験値を上げてレベルを上げるしかなかったが、これには上限がある。アマンドゥスですら一生上げ続けたのにレベルは二百に行かなかった。しかし、魔石はいくらでも食べられる。魔物を狩り続けるだけでステータスが上がり続ける、まさに人間離れしたステータスへの道が開けたのだった。

「行ける! 行けるぞ!」
 ヴィクトルはこぶしを握り、世紀の大発見に狂喜した。
 魔物を倒し、レベルアップしながら魔石を食べ続ければ世界一の強さを得ることができる。前世の知識も合わせたらまさに無敵になれる。
「やったぞ! ざまぁみろ! ()れ者どもめ!!」
 自分をこんな所に捨てたあの馬鹿どもに、お灸をすえてやる!
 ヴィクトルは湧き上がってくる高揚感にガッツポーズを繰り返した。









1-7. 深夜の攻防

 ヴィクトルは倒したオーガの寝床に戻る。
 そこは洞窟となっていて雨露はしのげるし、周りからはなかなか見つからない非常に都合の良い場所だった。

 日が暮れ、やがて森は漆黒の闇に包まれる。
 ヴィクトルはゴブリンの魔石を出し、薬草でこすって透明になったのを確認し、吸った。抹茶オレのような濃厚な味わいのフレーバーが口の中いっぱいに広がる。
 ヴィクトルは恍惚とした表情を浮かべ、癒されながらじっくりと味わった。

 ポロロン!
 効果音が鳴って画面が開く。

 HP最大値 +1、攻撃力 +1

 オーガに比べたら相当にショボいが、それでもステータスは上がった。やはりこれは相当に使えそうだ。
 空腹もしのげたし、実は魔物だけ食べて暮らすこともできるのかもしれない。ヴィクトルはオーガの寝床にゴロンと大の字に転がり、満足げににっこりと笑った。
 明日は弱い魔物を狙ってステータスを上げよう。一匹ずつ慎重に倒していけばそのうち安心できる強さにまで行けるに違いない。

 オーガの寝床は思いのほか快適だった。ヴィクトルは激動の一日を振り返りつつ、明日からの逆転劇を楽しみに、すぐに眠りへと落ちて行った。

        ◇

 ガサガサッ……。

 深夜に物音で目を覚ます。

 何かいる!?

 ヴィクトルはいきなりやってきた死の予感に、眠気もいっぺんに吹き飛んだ。
 静かに身を起こし、暗闇の中、震える手で木の棒を探し、握る。
 レベルアップで使えるようになった索敵の魔法を使ってみた。
 何やら二匹ほどの魔物が入り口近くを徘徊している。明らかにヴィクトルを探している動きだ。匂いか何かが漏れてしまっているのだろう。
 強さはよく分からないが雑魚ではなさそうだ。さらに、二匹はマズい。二匹では自爆攻撃は使えない。生き返った瞬間を狙われたらアウトだからだ。
 入り口を見つけられるのは時間の問題である。
 ヴィクトルは背筋が凍り、冷や汗が噴き出した。
「ま、まずいぞ……」
 ヴィクトルは奥へと静かに移動する。この洞窟には出入り口の他に天井の穴があった。最初にヴィクトルが落ちた小さな穴である。
 ヴィクトルは魔法でろうそくのような淡い光を浮かべると、壁面にとりついて登り始めた。
 穴に手が届いた時、入り口の木の枝がバーン! と吹き飛ばされ、

 ブフッ! グフッ!
 と、鼻を鳴らす音が洞窟内に響いた。オークだ!
 筋骨隆々とした巨躯にイノシシの頭。口からは凶悪な牙が鋭く伸び、鈍く光っていた。

 グァァ――――!
 叫びながら突っ込んでくるオーク。
 ヴィクトルは必死に穴を登り、ギリギリのところで逃げ切る。
 しかし、オークは諦めない。

 ゴァァ――――!
 巨体を穴に突っ込み、穴の割れ目を広げて迫ってくる。

オーク レア度:★★★
魔物 レベル35

 あまりの迫力に気おされるヴィクトルだが、逃げて逃げ切れるような敵じゃない。ここで二匹とも倒す以外生き残るすべはなかった。しかし、レベルはオークの方がはるかに上。闇夜の森でいきなり突き付けられた命の危機に、ヴィクトルの心臓は激しく鳴り響く。
 直後、オークが穴を押し広げ、上半身が露わになる。目が血走ってよだれを垂らす醜いオークの顔が灯りで浮かび上がり、ヴィクトルの心に絶望的な恐怖を巻き起こした。
 ひぃぃ!
 殺られる……。

 しかし、諦める訳にもいかない。スローライフで愛する人と第二の人生を満喫すると心に決めたのだ。馬鹿どもに復讐もせねばならない。こんなところで終わってなるものか。
 
 ヴィクトルはぐっと歯を食いしばり、今できる最高の攻撃が何かを必死に考える。
 叩こうが魔法撃とうがとても効くとは思えなかったが、もしかしたら……。

「よしっ!」
 ヴィクトルは腹を決め、棒をぎゅっと握りなおし、構えた。

 グガァ!
 オークは叫ぶ。
 ヴィクトルはその瞬間を見逃さず、木の棒を素早く口に突っ込む。

 グッ! ガッ!
 慌てるオーク。
 そしてヴィクトルは、木の棒をこじって、開いたすき間めがけて手を当てて叫ぶ。
風刃(ウィンドカッター)!!」
 シュゥン!
 と、空気を切り裂く音が響いて、緑色の閃光が走り、オークの(のど)の奥へ風魔法が放たれた。

 グホゥ!!
 オークは声にならない悲鳴をあげながら落ちていく。
 そして、

 ピロローン!
 ピロローン!
 と、効果音が鳴り響いた。
 風魔法が内臓をズタズタに切り裂いたのだ。さしものオークも体内に直接撃たれた魔法には耐えられなかったようだ。
 しかし、まだ一匹いる。依然としてピンチには変わりない。

 ガサガサッ!

 もう一匹は外をまわってヴィクトルの方に走ってくる。
「ヤバい、ヤバい!」
 ヴィクトルは急いで穴に降りた。
 オークはズーン! ズーン! と、近くの木に体当たりを繰り返し、バキバキバキ! ズズーン! と木が倒れる音が響く。
 ヴィクトルはその意味不明な行動をいぶかしく思っていたが、直後、穴から木の幹が落とされる。何と、穴がふさがれてしまった。ヤバいと思って外に逃げようとした時、オークと目が合う。オークは周到にヴィクトルを追い詰めたのだった。













1-8. 執念のダブルノックダウン

 万事休すである。自爆攻撃は一回は使えるが一回で倒しきるのは不可能だろう。穴はもう使えない。真っ青になるヴィクトルに、オークはニヤニヤしながら近づいてくる。

 グホォォォ――――!
 オークは雄たけびを上げると、ヴィクトルに向かって全力で突っ込んできた。
「ひぃ!」
 オークの猪突猛進なダッシュはすさまじく、一瞬でヴィクトルに迫る。
 避けるなんて到底できず、ヴィクトルは鋭い牙に貫かれ、そのまま奥の壁に激突し、ぐちゃぐちゃに潰された。

 カハッ!
 多量の血を吐きながらボロ雑巾のように倒れ込むヴィクトル。
 そして、オークも『倍返し』のアイテムの効果を食らい、血を吐きながら吹き飛ばされ、ゴロンゴロンと転がり、倒れ込んだ。
 地獄のダブルノックダウン。
 洞窟には両者の苦しむ喘ぎ声が静かに響いた。
 ヴィクトルは何とか意識を取り戻したが、HPは1、大ピンチである。
 再度生き返りアイテムを使うためにはHPを10以上に上げねばならないが、ポーションも何もない。
 何か使えるものはないかと洞窟をあちこち見回すと、脇に何かが立てかけてある。よろよろと歩いて行ってみるとそれは槍だった。オーガが倒した冒険者の戦利品なのだろう。
 しかし、槍で立ち向かっても勝ち目などない。どうしよう……。
 ヴィクトルは必死に考え、意を決すると、槍の刃を脇に挟み、柄の尻を洞窟のくぼみにはめ、ファイティングポーズをとった。

 ブフゥ!
 オークが肩で息をしながらゆっくりと立ち上がる。その目に宿る怒りの輝きがヴィクトルにかつてない恐怖を与える。
 こんな急ごしらえの罠なんか本当に役に立つんだろうか?
 だらだらと流れる冷や汗。
 しかしもう他に策はない。ガクガクと震えるひざを何とか押さえながら改めてファイティングポーズをとる。

 グァァァァ――――!
 オークの恐ろしい雄たけびが森に響き渡る。
 オークはヴィクトルを血走った目でにらみ、助走の距離を取り、もう一度体当たりの体制に入った。
 槍の刃を奴の鼻先に当てたらヴィクトルの勝ちだ。少しでもずれてたらアウト……。ヴィクトルは心臓がバクバクと激しく打つのを感じていた。
 奴は胸のあたりを狙ってくる。直前で少しずらして槍の刃先を当てるだけ……当てるだけだがそんな事本当にできるのだろうか……?

 しかし、もうやり遂げる以外生き残る道はない。ヴィクトルは覚悟を決めた。

 グホォ!!
 オークが叫びながら全速で突っ込んでくると同時に、ヴィクトルが叫んだ。
「来いやぁ!」

 予想通り胸のあたりに突っ込んでくるオーク。命のかかった局面でヴィクトルはゾーンに入った。ヴィクトルにはまるでスローモーションのようにオークの動きが見て取れる。ヴィクトルは二十センチ横にずれ、そのままオークを迎えた。
 果たして槍の刃先はオークの鼻っ面にうまく当たり、オークは自らの勢いで槍に貫かれた。

 グホッ!!

 オークは体液を飛び散らせ……、そして、ヴィクトルの上に落ちてくる……。

 ぐふっ!
 オークのゴワゴワとした毛皮にプレスされ、ヴィクトルがもだえた。
 直後、オークの身体は徐々に消えていく。

 果たして、ヴィクトルの頭の中に効果音が鳴り響いた。

 ピロローン!
 ピロローン!

 意識がもうろうとする中、ヴィクトルはギリギリの勝利を知り、心から安堵するとそのまま気を失った。
 死闘の決着がついた暗黒の森には、また静けさが戻ってくる。(ほの)かに青い優しい月光が血まみれのヴィクトルの頬を照らしていた――――。

        ◇

 チチチッ、チュンチュン!

 まだ霧に沈む暗黒の森に小鳥のさえずりが響き、朝の訪れを告げる。

「ハウッ!?」
 ヴィクトルは目を覚まし、バッと起き上がって周りを見回した。バキバキに壊された入り口と丸太を突っ込まれた奥の穴が、あの戦闘が夢ではなかったことを物語っている。

 ヴィクトルはしばらくその荒れた状況を呆然(ぼうぜん)と見つめ、ふぅっと大きく息をついた。
 勝てたのはたまたまだった。何か一つでもしくじれば自分はオークのエサになっていただろう。ヴィクトルはブルっと身震いをした。

 朝食代わりに、床に転がっている二つのオークの魔石を拾い、食べてみた。
 茶色に光る魔石はコーヒーのような芳醇な香りを立て、ヴィクトルは目をつぶってひとときのアロマを楽しむ。そして一気にゴクッとのんだ。まるでモーニングコーヒーのようなホッとする充足感が心にしみてくる。

 ポロロン!
 画面がパッと開いた。

 HP最大値 +3、強さ +1、バイタリティ +1

 まぁまぁの成果である。

 オーガにしてもオークにしても勝てたのはラッキーだっただけである。次あんな目に遭ったら今度こそ死んでしまう。ヴィクトルは何にもまして強くなることを目指すと決めた。
 レベルは19に達し、もう雑魚であれば余裕で倒せるようになっている。であればなるべくたくさんの雑魚を安全に倒し、魔石を食べまくること、これが今の最善策に違いなかった。

 ヴィクトルは血だらけの服や体を生活魔法で綺麗にすると、靴ひもを結びなおす。
 そして、両手でほほをパンパンと叩いて気合を入れると、
「よしっ!」
 と、叫ぶ。
 自分の逆転劇はこれから始まるのだという高揚感でブルっと武者震いをすると、槍をギュッと握り、ビュンビュンと振り回した。







1-9. 爽やかスライム

 索敵の魔法をかけながら慎重に森を進むと、何か反応がある。ソロの雑魚のようだ。丁度いい。
 鑑定をかけてみると、

コボルト レア度:★
魔物 レベル12

 と、浮かび上がった。格好の獲物である。
 ヴィクトルは忍び足で見通しの良い所まで行くと、まだ気がついていないコボルトの方に手のひらを向け、
魔弾(マジックミサイル)!」
 と、叫んだ。
 直後、手の平に閃光が走り、まばゆい光の弾が一直線に走った。
 声に驚いたコボルトだったが、直撃を食らい、爆発で吹き飛ばされる。
 すかさずヴィクトルは、倒れたところに土魔法を使う。
土槍(アースニードル)!」
 コボルトの下の地面から三本、土の槍が突き出て、白い毛皮に覆われたコボルトの胸や腹を貫いた。

 ギャゥッ!
 コボルトは断末魔の悲鳴を上げ、ビクビクと痙攣(けいれん)する。
 そして最後には消えて、魔石となって転がった。

「よしっ!」
 ヴィクトルは狩りの初成功に機嫌を良くし、魔石を拾いに行く。
 本来、遠距離から魔法なんてそう簡単に当たるものではない。しかし、ヴィクトルは稀代の大賢者なのだ。その有効射程距離は世界トップクラスであり、雑魚一匹であればもはや何の不安もない。ただの楽しい狩りである。

 魔力ポイント(MP)が自然回復する間、木の根に腰かけ、朝食代わりに魔石を食べる。
 アイボリーに鈍く光る魔石は、ちょっとミルクセーキっぽい濃厚な味がしてヴィクトルに活力を与えた。

 朝もやも消え、木々のすき間から朝日がチラチラと輝いている。森の空気は爽やかな木々の香りに満ちていて、神聖な清浄感が心を洗う。
 暗黒の森がいつ生まれたのかヴィクトルは知らないが、本来はただの森林だったように思えた。それだけ魔物の存在には森の生態系と相いれない違和感がある。
 そもそも魔物とはいったい何なのだろうか? 倒すとなぜ魔石になってしまうのだろうか? 大賢者として長年生きてきたヴィクトルもこの点だけはいまだに分からない。
 しかし、あの美しい女神と出会ったことで、ヴィクトルはこの世界の仕組みに迫れそうな手掛かりを得た思いがあった。まだ言語化はできないが、女神の存在と魔物の存在、それは聖と魔で反対ではあるものの、根源には似たものを感じていたのだ。

       ◇

 午前中、ヴィクトルは魔法を駆使してトレントやスライムなど含めて十匹程度魔物を倒した。しかし、レベルは一つしか上がらない。やはり雑魚を幾ら狩ってもレベルアップは厳しいのだ。ただ、魔石を食べたおかげでステータスだけはどんどんと上がっている。思った通り魔石を食べるのは効果絶大だった。

 ヴィクトルは樹齢数百年はありそうな重厚な巨木にやってくると、ボコボコしてる苔むした樹皮にとりつく。木登りなんて何十年ぶりくらいだろうか? 慎重に持ち手を選びながらゆっくりと登る。そして、居心地の良さそうな枝を見つけるとそこに座った。
 顔を上げると森の木々が見渡す限り広がり、気持ちよさそうな雲が青空にぽっかりと浮かんでいる。

 おぉぉ……。
 ヴィクトルは、見事な風景に思わず声をあげる。
 爽やかな森を渡る風がツヤツヤな可愛い頬をなで、金髪を揺らす。ヴィクトルは気持ちよさそうに目をつぶった。

「さーてランチは何にしようかな?」
 そう言いながら、魔石をポケットから出して見比べた。
 水色に輝くのはスライムの魔石。ヴィクトルは魔石をかざして見る。どこまでも続く森がまるで水に沈んだように真っ青に染まって見える。
「よし! スライム、お前だ!」
 そう言うとヴィクトルはチュルッと吸った。

 ポロロン!
 MP最大値 +1、魔力 +1

 口の中に広がるのは爽やかなサイダーの味……。疲れをいやす爽快感がヴィクトルを満たし、恍惚とした表情で、ふぅと息をついた。
 魔石はどれも凄く洗練された味をしていて極上の癒しとなる。それに、力も湧いてくる。まるでエナジードリンクだった。
 ヴィクトルは試しに次々と魔石を食べてみたが、お腹がいっぱいになるわけでもなく、全部楽しむことができた。もしかしたら上限は無いのかもしれない。












1-10. 禁断の魔法陣

 ぼーっと森の風景を見ていたら、何やら遠くの木々の間に影が動いた。
 ヴィクトルは索敵の魔法を絞って当ててみる。すると、驚くべきことに数百匹の魔物の反応があるではないか!
「な、なんだあいつら……」
 数百匹は異常だ。近づくべきではない。近づいちゃいけない、とは思うものの、大賢者としては好奇心が押さえられない。魔物が大勢集まって何かをやっている。そんな話はいまだかつて聞いたこともなかったのだ。
「そっと様子を見るだけ……ね」
 ヴィクトルは慎重に魔物たちに近づいて行く。
 木々の間に様子が分かるところまで近づくと、そっと様子をうかがった。すると、石造りの構造物が見える。
 さらに近づいて観察すると、大木の根に破壊された石造りの建物が見えてきた。周りには精緻な石像があちこちに転がっている。なるほど、ここは遺跡なのだ。
 そして、ゴブリンが二匹、遺跡の入り口で槍を持って並んでいる。どうやら警備兵のようだ。
 索敵の魔法によると、あの遺跡の地下に数百匹がいるらしい。つまり、遺跡の地下の空間で祭りか何かが開かれているに違いない。しかし、魔物が祭りなんてするのだろうか?
 ヴィクトルはいぶかしく思ったが、ここまで来て手ぶらでは戻れない。
 遠くからしっかりと照準を見定め、風刃(ウィンドカッター)からの土槍(アースニードル)で警備兵を一気に倒す。
 そして、警戒しながら遺跡の入口へと駆け寄った。
 入り口をそっとのぞくと下への階段になっており、その先に地下の広間がありそうだったが、暗くて良く分からない。
 ざわざわとする魔物たちの声や熱気が上がってくる。何かをやっていることは間違いなかったが、さすがにこれ以上は近づけない。
 ヴィクトルは意を決すると、
「ポイズンフォグ! ポイズンフォグ! ポイズンフォグ!」
 と、毒霧を階下に向けて連射し、遺跡を毒漬けにした。
 そして最後に、
「ホーリーシールド!」
 と、叫んで出入り口をふさぐ。
「逃げろ――――!」
 ヴィクトルは全力で駆けた。
 見つかったら最後、命に関わる。きっと雑魚だらけだろうが数は力だ。こういう時は逃げるに限る。

 はぁはぁはぁ……。
 ヴィクトルは息を切らしながら巨木のところまで戻ってくると、また枝に登って様子を見た。

 ピロローン!
 ピロローン!

 レベルアップの音が鳴り響く。
「やったぁ!」
 思わずヴィクトルはガッツポーズ!
 ところが……

 ピロローン!
 ピロローン!
 レベルアップの音が鳴りやまない……。
 ヴィクトルは不安になった。
 ゴブリンが数百匹いたってレベルアップなんて三つが限度だろう。一体自分は何を殺してしまったのか……。

 索敵の魔法をかけてみると魔物の反応は一つも残ってなかった。全滅させてしまったらしい。
 ポイズンフォグの殺傷力はそんなに強くないはず。もしかしたら、出口に殺到した魔物たちがパニックになって、折り重なって大惨事になってしまったのかもしれない。
 倒したのは魔物とは言えヴィクトルはちょっと心が痛んだ。

「さて……。申し訳ないが魔石を回収させてもらうか……」

 ヴィクトルは遺跡まで戻ってくると、慎重に階段を下りて行く。
 しかし、魔石は一つもなかった。
「えっ? 魔石……どこ行っちゃったんだろう……」
 明かりの魔法を使って遺跡内を照らしながら進むと、広大な広間が見えてきたが、異臭が鼻を突いた。
「な、何の臭いだ……?」
 見ると、壇上に台が置いてあり、何かが飾られている。いぶかしく思って近づき、
「ひぃ!」
 ヴィクトルは思わず悲鳴を上げた。
 そこに並べられていたのは人間の生首だったのだ。
 周りには装備や手足が無造作に転がされている。どうやら冒険者を捕まえてきて首をはねたらしい。
 ヴィクトルは顔面蒼白となり、胃液がこみ上げてくるのを必死に抑えた。
 と、その時、広間の中央部がボウっと光る。
 何だろうと、よく見るとそれは巨大な魔法陣だった。
「えっ……!? 何の魔法陣……、ひっ!!」
 ヴィクトルは再度悲鳴を上げた。その魔法陣に見覚えがあったのだ。それは深遠なる闇から太祖の妖魔を召喚する禁断の魔法陣だった。
「と、止めないと!」
 ヴィクトルは必死に足で魔法陣をゴシゴシとこすって消し、召喚を停止しようとしたが、時すでに遅し。
 広間は鮮烈な金色の輝きに覆われ、もはや目を開けていられなかった。
















1-11. 最凶最悪の妖魔、妲己

 ぐわぁぁ!
 尻もちをつくヴィクトル。

「フハハハハ!」
 広間には不気味な若い女の笑い声が響いた。

 クッ!
 見ると、黄金の光をまとい、ゆっくりと宙を舞う美しい女性が黒髪をふんわりと波打たせながら楽しそうに笑っている。女性は赤い模様のついた白いワンピースを着て、腕には羽衣をまとわせて、うれしそうに腕を舞わせる。ワンピースには脇にスリットが入っており、美しい肌がのぞいていた。

 ヴィクトルはすかさず鑑定を走らせる。

妲己(だっき) レア度:★★★★★★★
太祖妖魔 レベル 354

「ヒェッ!」
 ヴィクトルは絶望に打ちひしがれた。レア度7は前世でも見た事が無い振り切れた値なのだ……。
 伝説では国をいくつも滅ぼしたとされる、最凶最悪の妖魔、妲己(だっき)が今、目の前で舞っている。ヴィクトルは心の奥底から湧きおこる恐怖を押さえられず、ガクガクと震えた。

「余を呼びしはお主じゃな? どこを滅ぼすんじゃ?」
 妲己はニヤッと笑う。

「え? わ、私ですか?」
「何言っとる、生贄(いけにえ)はお主がくれしものじゃぞ? 最初ショボい生贄でやる気など出なんだが、お主がたくさん用意し事で来る気になったのじゃ」
 ヴィクトルは驚いた。殺した魔物は全部生贄として使われてしまったらしい。
「そ、それは手違いです」
 ヴィクトルは冷や汗を垂らしながら答えた。
「へぇ……? 手違いで余を呼びしかっ!」
 妲己から漆黒のオーラが噴き出し、不機嫌そうな視線がヴィクトルを貫く。
「お、お鎮まりください!」
 ヴィクトルは必死に怒りを鎮めようとしたが、妲己は、
「不愉快なり! 死をもって償え!」
 そう叫ぶと、腕を光り輝かせながらブンと振る。
 直後、光の刃が目にも止まらぬ速さで飛び、ヴィクトルを一刀両断に切り裂いた。

 ガハッ!
 地面に崩れ落ちるヴィクトル。
 妲己に、バシッ! という音が走ったが、妲己は平気な顔をしている。
「怪しきアイテムを持っとったな? 小賢しい奴じゃ。じゃが、効かぬぞよ」
 妲己はニヤリと笑った。ここまでレベルが高いと『倍返し』のアイテムは効かないようだった。

 ヴィクトルは朦朧とする意識を必死に立て直し、
「ヒ、ヒール!」
 と、回復をかけながら妲己を見上げる。

「ほぅ? 小童(こわっぱ)、あれで死なぬか……ほぅ」
 と、興味深げにヴィクトルを眺めた。

「お、お帰り頂くことはできませんか?」
 ヴィクトルはよろよろと立ち上がりながら聞く。

「はぁ!? たわけが!」
 妲己はブワッと漆黒のオーラを巻き上がらせ、そのままヴィクトルにぶち当てた。

 グハァ!
 吹き飛ばされるヴィクトル。

「ただで帰れと言うか! 街の一つや二つ滅ぼさんと気が済まぬ!」
 妲己はそう叫んでにらんだ。

「わ、分かりました。そうしたら、三年……三年待ってください。私が強くなって妲己様の満足のいくお相手をします」
「小童、お主がか? はっはっは! 言うのう……。ふむ……、一年じゃ。一年だけ待ってやろう! 余も手下の準備が要りしことじゃしな」
 妲己はそう言うと優美に腕を舞わせ、鮮烈な光をまとった。

 うわっ!
 思わず腕で顔を覆うヴィクトル。

 フハハハハ――――!
 妲己は楽しそうに笑うと、一気に飛び上がり、広間の天井をぶち抜いて飛び去って行く。
 やがて広間には静けさが戻ってきたが、ヴィクトルの耳には、忌々しい笑い声がいつまでも残っていた……。

「い、一年……」
 ヴィクトルはひざから崩れ落ちる。
 とんでもない事態を引き起こしてしまった……。
 自分は昨日までレベル1だったのだ。たった一年鍛えた位で、レベル三百五十を超える伝説上の化け物に勝てる訳がない。
 どう考えても無理だった。
 しかし、放っておいたら手あたり次第街を襲うだろう。そして妲己を倒せる人間など誰もいない。多くの人が死んでしまう……。
 これは自分の責任だ……。
 ヴィクトルはうなだれる。
 もはやできること全てをやってみる以外なかった。














1-12. 三分に一匹

 ヴィクトルは大きく息をつき、よろよろと立ち上がると、生贄とされてしまった冒険者たちに近寄る。そして、虚空をうすぼんやりと映す瞳を指先でそっと閉じ、

「レストインピース!」
 と、鎮魂の魔法をかけた。
 冒険者たちの遺体は光に覆われ、やがて蛍のように無数の光の粒となり、飛び立って宙へと消えていく。
 ヴィクトルは志半ばで魔物に倒されてしまった冒険者たちを思い、黙とうをささげた。
 いつ、自分がこうなってもおかしくない……。他人事とはとても思えなかった。

 後には衣服と装備が残っている。
 認識票を見れば赤茶の銅色だ。これはCランクを表す。かなり優秀なパーティだったはずなのだが……、それを倒せる魔物がここにはいたのだろう。かなりレベルの高いゴブリンシャーマンかもしれない。もしくは卑劣な罠を使ったのか……。だが、今となっては何もわからない。

 床に転がる武器を鑑定してみる。

青龍の剣 レア度:★★★
長剣 強さ:+2、攻撃力:+30、バイタリティ:+2、防御力:+2
特殊効果:経験値増量

疾風迅雷の杖 レア度:★★★
魔法杖 MP:+7、攻撃力:+10、知力:+3、魔力:+10
特殊効果: MP回復速度向上

 そこそこ良い武器だ。特に特殊効果が嬉しい。
 また、アイテムバッグにはポーション類も揃っていた。アイテムバッグは四次元ポケットのように、多くの物を小さなカバンに収納できる魔法のバッグであり、とても便利なものだ。冒険者のルールとして(かたき)をとった者は所持品を譲り受けられる。申し訳ないがありがたく使わせてもらうことにする。

 ここまで準備していてもやられてしまうとは……。ヴィクトルは改めて魔物との戦闘の無慈悲さにため息をついた。

              ◇

 ヴィクトルは『疾風迅雷の杖』を装備してみる。短めのステッキだが、柄のところに青色に光る宝石が埋め込まれており、握るとフワッと体中に力が満たされるような感覚があった。
 防具も装備したかったが、さすがに五歳児が装着できるものはない。

「さて……、どうするか……」
 ヴィクトルは考え込んだ。今までみたいなチマチマとした魔物狩りでは効率が悪すぎて到底妲己には勝てない。もっとアグレッシブに命がけの戦いに身を投じるしかない。
 魔物が一番いるのはダンジョンだ。この暗黒の森の奥にも悪名高いダンジョンがある。ワナや仕掛けがえげつなく、出てくる魔物も凶悪揃いで冒険者たちからはあまり人気のないダンジョンだった。
 しかし、ヴィクトルにもう選択肢はない。そこへ行く以外なかった。よく考えたら効率を考えれば、人気が無いのはむしろ都合が良いかもしれない。

 ヴィクトルは過去の記憶を頼りにダンジョンへと急いだ。レベルはもう三十なので少し余裕がある。

 一体どのくらい鍛えたら妲己に勝てるだろうか?
 ヴィクトルは暗算をし、十万匹くらいと見当を付ける。十万匹を一年で狩るには三分に一匹のペースが必要だ。起きている間中ずっと三分に一匹ずつ狩り続ける……、ヴィクトルは思わず宙を仰いだ。それは地獄にしか思えなかった。
 また、単純に数をこなせばいいという物でもない。雑魚だけではレベルが上がらない。レベルが足りなければ使える魔法も制限されてしまい、到底妲己には勝てない。つまり、それなりに強い敵を三分に一匹ずつ狩り続けなければならないのだ。これは正攻法では不可能だ。アイテムを使った自爆攻撃を繰り返すしか道はない。
 一体何回殺されるのだろうか……、十万回?
 ヴィクトルは思わず足を止め、しゃがみこんでしまった。
 十万回殺され続ける修行、そんな話聞いた事が無い。狂ってる……。ヴィクトルはあまりにも常軌を逸した修行に思わず気が遠くなり、うなだれた。

 しかし、レベル三十の子供が、世界最強の妖魔にたった一年で勝つためには他に方法などなかった。
「調子に乗って余計な事しなきゃよかった……」
 ポタポタと涙が落ちる。

 そもそも、『愛する人とスローライフを楽しむ』というこの人生の目標はどこへ行ってしまったのか? 前世の稀代の大賢者時代ですら勝ち目のない妲己に、一年で勝たねばならないとは、前世よりもよほどハードモードではないのか……?
 ヴィクトルは頭を抱え、首を振った。

 しかしこうしている間にも時間は過ぎていく。
 ヴィクトルは大きく息をつくと、涙をぬぐってグッとこぶしを握り、立ち上がる。そして、この過酷な運命を受け入れる覚悟を決めた。

       ◇

 ダンジョンの入り口にたどり着いた時には、すでに陽は傾いていた。
 崖の下の方にポッカリと開いたダンジョンは人気(ひとけ)もなく、雑草が生い茂っており、知らなければここがダンジョンとは気づかないだろう。
 来る途中、何匹か魔物を狩り、魔石を食べながら来たのでそれほど疲れてはいない。
 ヴィクトルは魔法のランプを浮かべ、洞窟の中を照らした。湿った岩肌がテカり、カビ臭いにおいが漂ってくる。
 目をつぶり、何度か深呼吸をすると、ヴィクトルはダンジョンの奥をキッとにらみ、小走りにエントリーしていく。何しろ三分に一匹なのだ、休んでいる時間などなかった。

























1-13. 骸骨襲来

 ワナに注意しながら暗くジメジメした洞窟の中を進むと、さっそく魔物の影が動いた。
 
 ヴィクトルはアイテムバッグから『青龍の剣』を取り出すと、装備する。大賢者としては魔法連発で行くのが王道であったが、そんなことしたらMPの回復待ち時間が必要になってしまう。そんなロスタイムは許されない。
 ヴィクトルは継続回復魔法『オートヒール』を自分にかけた。これはしばらくの間HPを毎秒十ずつ回復してくれる便利な魔法である。これなら殺されてもすぐに次の攻撃を食らっても大丈夫にできる。
 そして、『青龍の剣』を構えると、魔物へ向けて駆け出した。
 見えてきたのはスケルトン、骸骨のアンデッド系魔物である。
 スケルトンはヴィクトルを見つけるとカチカチと歯を鳴らし、棍棒を振り上げて走ってくる。
「そいやー!」
 ヴィクトルは慣れない剣を力任せに振り下ろす。
 青龍の剣は、口を開けた間抜け顔のスケルトンの肩口にヒットした。

 グガッ!
 スケルトンは断末魔の叫びを上げ、ガラガラと崩れ、骨が散らばり、最後に魔石なって転がった。
 よし! と思ったのもつかの間、さらに三匹が襲いかかってくる。
 骸骨の化け物が、カチカチと歯を鳴らしながら駆け寄ってくる不気味さに、ヴィクトルは顔をしかめ、奥歯をギリッと鳴らすと体勢を取り直した。
 そして、スケルトンが間合いに入るのを待ち、大きく振りかぶった剣を力いっぱい振り下ろす。
 あっさりと砕け散る先頭のスケルトン。
 しかし、次のスケルトンの棍棒が予想以上に伸びてきて、殴られてしまうヴィクトル。
 グハッ!
 口の中を切ってしまい、血がポタポタと垂れる。
 しかし、ひるんでいられない。
 ヴィクトルは歯を食いしばると、力いっぱい剣を振り上げてスケルトンの胴体にヒットさせて砕いた。が、同時に三匹目の棍棒をまともに浴びた。

 クゥッ!

 たまらずゴロゴロと転がってしまうヴィクトル。
 HPにはまだ余裕があるが、痛いものは痛い。
「チクショー!」
 ヴィクトルはよろよろと立ち上がると、振り下ろされてくる棍棒をギリギリのところで避け、剣を野球のバットのように横に振りまわした。

 ガキッ!

 いい音がしてスケルトンの背骨が砕け、バラバラと全身の骨が崩れ落ちていく……、そして最後には魔石となり、コロコロと転がる。

「ふぅ……」
 無様な緒戦ではあったが、なんとか三匹同時でも剣で対処できたのは大きかった。

 それにしても防具は欲しいし、剣の扱い方も真面目に学んでおけば良かったと、思わずため息が漏れる。準備不足の状態で突入してしまった地獄の修行。ヴィクトルは魔石を拾いながら、前途多難な道のりに気が遠くなった。

          ◇

 それから一週間、ヴィクトルは起きている間中剣を振り続けた。五歳児の腕ではすぐに痺れ、限界に達してしまうが、治癒魔法で治しながらだましだまし戦闘を続ける。
 すでに倒した魔物は二千匹。レベルは五十七に達していた。ただ、パラメーターは魔石を食べる事で異常に上がっており、実質レベル百相当の強さにまで成長していた。
 自分のレベルより強い敵を倒せるということは経験値的には大変美味しいことであり、レベルの上がり方も異常に速かった。

 その日、ヴィクトルはダンジョンの地下47階に来ていた。そこは地下のはずなのに、階段を下りたらなんと青空が広がっていた。
 広い草原には爽やかな風が吹き、草のウェーブがサーっと走っている。さんさんと照り付ける太陽はポッカリと浮かんだ白い雲の影を草原に落とし、ゆったりと流れていく。
 なんて気持ちのいい風景……、しかしここは地獄のダンジョン。どこにどんな罠があるかもわからないのだ。
 早速索敵の魔法に反応があった。
 そこそこの強さの魔物が草原をこちらに駆けてくる。その数七匹。剣では分が悪い。ヴィクトルは杖に持ち替えると魔法の詠唱を始めた。
 空中に真紅の円が描かれ、続いて中に六芒星、そして書き上げられていくルーン文字……。
 草むらから飛びかかってきたのはウォーウルフの群れだった。灰色の巨体に鋭い牙、金色に光る瞳が並んで襲いかかってくるさまに気おされ、ヴィクトルの背筋にゾクッと冷たいものが流れる。
 しかし、ひるんでもいられない。ヴィクトルは気を強く持って魔法陣を完成させると、
灼熱炎波(フレイムウェーブ)!」
 と、叫ぶ。
 魔法陣から爆炎が噴き出し、あっという間にウォーウルフたちを飲み込んだ。













1-14.潰された子供

 キャンキャン!
 叫び声が上がる。
 やったか!? と思ったのもつかの間、四匹が構わず突っ込んできた。
 やはり、まだ火力不足である。
 ヴィクトルは往年のアマンドゥス時代の火力を懐かしく思いながら、剣に持ち替え、ギリッと奥歯を鳴らした。
 果たして、次々と飛びかかってくるウォーウルフ。
 ヴィクトルは一匹目を一刀両断にするも、次のウォーウルフの爪の餌食となって切り裂かれ転がった。

 グハァ!
 同時に攻撃したウォーウルフもアイテムの効果を受けて転がる。
 後続のウォーウルフはお構いなしに血まみれのヴィクトルの腕に噛みついた。ヴィクトルは自由になる手で口元に向けて、
風刃(ウィンドカッター)!!」
 と、叫び、ウォーウルフの内臓をズタズタに切り裂いた。
 しかし、まだ一匹残っている。
 ヴィクトルはヒールをかけ、体勢を立て直すと、ウォーウルフに対峙した。
 はぁはぁと肩で息をするヴィクトル。
 仲間をやられた怒りで金色の瞳の奥を赤く光らせるウォーウルフ……。
 にらみ合いながら、ジリジリとお互い間合いを計る……。
 直後、覚悟を決めたウォーウルフが飛びかかってきた。
 ヴィクトルは鋭く剣を走らせるが、ウォーウルフは巧みに前足で剣の軌道をそらしヴィクトルの喉笛に鋭い牙を食いこませた。

 グフッ!
 ヴィクトルは真っ赤な血を吐きながらウォーウルフと共に倒れ、ゴロゴロと転がる……。
 直後、ウォーウルフはギャン! という断末魔の叫びを上げながらアイテムの効果で絶命し、ヴィクトルは朦朧(もうろう)としながら草原に転がった。

「七匹は……無理だよ……」
 そうつぶやき、しばらく大の字になってぼーっと空を眺める。
 青空には真っ白な雲がぽっかりと浮かび、爽やかな風がサーっと草原を走った。

        ◇

 さらに一カ月たち、一万匹の魔物を倒したヴィクトルのレベルは91にまでなっていた。魔石を食べる効果で強さはレベル200相当にまで達している。

 暗黒の森のダンジョンに来ていた冒険者のパーティはその日、信じられないものを目撃した。
 パーティで巨大な岩の魔物、ゴーレムと対戦するも、予想以上に硬い防御に苦戦していた時のこと――――。

「ダメ――――! もうMP切れだわ!」
 黒いローブをまとった女性が叫ぶ。
 直後、ゴーレムは、

 グォォォォ!
 と、叫びながら全身を光らせ、鋭いパンチを盾役に浴びせる。

 ぐはぁ!
 盾役はたまらず転がった。
「ダメだ! 撤退! 撤退! シールド張って!」
 剣士が叫んだが、
「あれっ!? ごめんなさーい! もうMP切れ――――!」
 僧侶が泣きそうになりながら答える。
「バッカ野郎! どうすんだよぉ!」
 剣士は真っ青になって喚く。
 パーティは崩壊寸前だった。
 走って逃げてもゴーレムの方が足は速い。逃げるのにシールドは必須なのだ。

 すると、小さな子供がやってきてニコニコと可愛い顔で剣士に聞いた。
「僕が倒しちゃっていいですか?」
 子供はあちこち破れたズタボロの服を着ているだけで、装備らしい装備もしていない。
「え!? 倒す……の? お前が?」
「うん!」
「そ、そりゃ……倒してくれたらありがたいけど……」
「じゃぁ、やっちゃうね!」
 子供はそう言うとテッテッテとゴーレムに近づいて、
「ファイヤーボール! ファイヤーボール! ファイヤーボール!」
 と、巨大な火の玉を次々とぶち当てた。
「お前ら! 逃げるぞ!」
 剣士はメンバーに声をかけると駆け出し、安全な距離を取る。
 そして、物陰からそっと戦いの様子をのぞいた。
 しかし、ゴーレムはファイヤーボール程度ではビクともしない。
 岩でできた巨大な腕をグンと持ち上げると、子供に向けて振り下ろした。ところが、子供は逃げるそぶりも見せず、そのまま潰される。

 グチャッ!
 嫌な音が広い洞窟に響いた……。
「あぁぁ! ……。あの子……、やられちゃったぞ……」
 剣士は青い顔で言う。
 しかし、同時にゴーレムもなぜかダメージを受け、ズシーン! とあおむけに倒れた。
「へ!?」
 黒ローブの女性が驚く。
 すると、潰されたはずの子供が光をまといながら立ち上がり、再度ファイヤーボールを唱え続けた。

 ドーン! ドーン!
 洞窟にはファイヤーボールの炸裂する爆音が響く。
 ファイヤーボールを受けながらも、ゆっくりと立ち上がるゴーレム。
 直後、子供は
「ウォーターカッター!」
 と、叫び、鋭い水しぶきを放った。
 真っ赤に熱されたゴーレムは水を受けてビシッ! と亀裂が走る。
「おっ! あいつすげぇぞ!」
 剣士は声をあげた。
 しかし、与えたダメージは亀裂止まりでゴーレムは止まらない。
 ゴーレムは足を持ち上げると、子供を一気に踏みつぶした。

 ブチュ!
 聞くに堪えない音が再度洞窟に響く……。
「きゃぁ!」
 黒ローブの女性は思わず耳を押さえ、悲鳴を上げた。

 が、次の瞬間、ゴーレムは、

 グァゴォォォ!
 と、断末魔の叫びを上げ、消えていった。
 なんと、子供がゴーレムを倒したのだった。
「はぁ!?」「へ?」
 剣士も女性も信じられなかった。自分達でも倒せなかったあの頑強なゴーレムが、何の装備もない、可愛らしい子供に倒されたのだ。
 やがて、子供は起き上がり、魔石を拾うと、何事もなかったようにテッテッテと駆け出して、階段を下りて行った。
「おい! あの子、下へ行ったぞ!」
 剣士は仰天した。この下にはもっと強い魔物が居るというのに、何の躊躇もなく、休む事もなく下へ行ったのだ。
 パーティの面々は(いぶか)しげにお互いの顔を見合わせながら、無言で首をかしげるばかりだった。








1-15. 歓喜の超音速

 さらに十カ月、ヴィクトルは地下九十八階で手あたり次第に魔物を狩っていた。
 HPやMPは二十万を超え、ステータスもレベル千相当以上の強さに達するヴィクトルはもはやダンジョンでは敵なしである。それでも使える魔法のバリエーションを広げる意味で、レベルは上げておきたい。
 ヴィクトルはダンジョン内の広大な森の上を飛びながら魔物を物色し、見つけ次第魔法の雨を降らせて瞬殺していく。
 その様はまさに地獄からの使徒、魔物たちは逃げる間もなく断末魔の悲鳴を上げながら燃え盛る魔炎の中、魔石を残し、消えていった。 

 そしてついにその時がやってくる……。

 ピロローン!
 レベル二百を告げる効果音がヴィクトルの頭に響く。
 その瞬間、地獄の修行は終わりを告げたのだった。

「や、やった……」
 ヴィクトルはそうつぶやくとしばらく目をつぶり、疲れ果てた体のままただぼんやりと宙に浮かぶ。その体にはもうマトモな服も残っていない。上半身は素っ裸で(すす)だらけ、ボロボロの短パンだけが唯一人間らしい文化の名残を残していた。

 ヴィクトルは最後に倒したキメラの魔石を拾いに地面に降りる。そして、黄色に輝く魔石に解毒の魔法をかけ、透明にすると一気に吸った。ほろ苦い芳醇な味わいが一気に口の中に広がり、爽やかなハーブの香りが鼻に抜けていく……。まるでエールのようだった。
「カンパーイ!」
 ヴィクトルは空になった魔石を空へと掲げた。それは一年にわたる死闘の終結を祝う、至高の一杯だった。

 ステータス画面を開くと、レベル二百で解放された偉大な魔法の数々が並んでいる。ヴィクトルは前世アマンドゥス時代をはるかにしのぐ力を手に入れたのだった。
 これなら妲己にも勝てるだろう。あの美人の姉ちゃんをコテンパンにしてやる。
 ヴィクトルは興奮しながらこぶしをぎゅっと握った。

            ◇

 ヴィクトルは十一か月ぶりに地上に戻ってきた。
 洞窟を出ると、赤紫に輝く朝の雲が目の前に広がっている。思わず見とれ……そして、幸せいっぱいに目をつぶると大きく深呼吸をした。
 朝の風が森の爽やかな香りを運び、ヴィクトルの伸びきった髪をゆらす。ヴィクトルは無事地獄の修行を終え、地上に戻ることができた。何度も何度も、それこそ何万回も殺され、それでも妖魔から人々を守るために歯を食いしばり、ピンチを脱出してきた。
 ヴィクトルはつい涙をポロリとこぼす。
 もう止めようと思ったことも、絶望の中で心が折れそうになったことも数えきれないほどある。それでも大賢者としての矜持(きょうじ)がそれを許さなかった。
「やったぞ! チクショー!」
 ヴィクトルはそう叫びながら右手を突き上げると、真紅に輝く魔法陣を瞬時に描き、覚えたばかりの最強の火魔法絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)を朝焼けの空へ向けて放つ。絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)は空高く大爆発を起こし、激しい閃光を放つと森一帯に衝撃波を放った。
 ズン!
 衝撃波で大きく揺れる木々。それは地獄の修行に成功した祝砲だった。
 ヴィクトルは初めて使った究極の火魔法絶対爆炎(ファイヤーエクスプロージョン)の性能に満足し、ニヤッと笑うと飛行魔法で飛び上がる。

「ヒャッハ――――!」
 レベル千を超えるステータスは異常だった。ヴィクトルが加速するとどこまでも上限なしに速度は上がっていく。
 グングンと高度を上げていくと、いきなりまぶしい光に照らされた。真っ赤な朝日が東の空、茜色の雲の向こうに昇ってきている。
 一年ぶりの本物の太陽。ヴィクトルはうれしくなって太陽に向かって飛んだ。
「帰ってきたぞ――――!」
 ヴィクトルはクルクルとキリモミ飛行をしながらグングンと速度をあげた。
 どんどんと小さくなっていく暗黒の森。あんなに恐ろしかった死の森も今やヴィクトルにとってはただの楽しい狩場である。
「クックック……」
 ヴィクトルは嬉しくて嬉しくて仕方なかった。もはや世界最強。誰も自分を止められる者などいない。そして前世と違って何のしがらみもない。自由だ! 早く妲己の姉ちゃんをギャフンと言わせて念願のスローライフを満喫するのだ!
 どこに住もうかな? 王都? 無人島? 森の奥で畑を耕すのもいいかも……?
 ヴィクトルは妄想を膨らませながら、朝の爽やかな空気の中さらに速度をあげた。

 上空の空気は冷たい、上半身裸のヴィクトルは徐々に寒くなってくる。
「そうだ! 服を買いに行こう! 髪の毛も切らなきゃね」
 ヴィクトルは長い髪の毛を手でつかみ、野生児のような身なりをちょっと気にし、そして、自分の周りにシールドを張り、風防とした。

「これ、どこまで速度上げられるんだろう?」
 ヴィクトルは好奇心で魔力を思いっきりかけてみる。
 グングンと上がっていく速度。シールドはビリビリと振動してくる。
 眼下の景色は森も山も川もまるで飛んでいくように後ろへと消えていった。
 ヴィクトルはグッとこぶしを握り、さらに魔力をつぎ込んだ。

 するとまるで浮き輪をしたように、ドーナツ状の雲が自分を囲むように湧いてきた。
「これ……なんだろう?」
 いぶかしく思いながらさらに加速した時だった。

 ドーン!

 激しい衝撃音がシールドをゆらした。
「え?」
 見るとシールドが赤く光っている。
 そう、音速を超えたのだ。ヴィクトルはこの星で初めて音速を超えた人になった。
「す、すごいぞ!」
 理屈では知っていたものの、まさか音速を超えられるとは思わなかったヴィクトルは、思わずガッツポーズをした。

 森が山がどんどんと音速で後ろへと飛んでいく。ヴィクトルはその不思議な光景に思わずにんまりとしてしまう。大賢者として未知の現象は珠玉の甘露(かんろ)だった。

 やがて向こうの方に大きな山が見えてきた。綺麗な円錐(えんすい)形をして、山頂には雪も見えている。
 さらに近づいて行くとその山は火山で、上の方が吹き飛んだような形をしていることが分かった。横から見ると台形で、崖の稜線が連なって見える。
 ヴィクトルはその美しい自然の造形に魅せられて、速度を落とし、その山の上空をぐるりと回る。
「おぉ、綺麗だなぁ……」
 思わずウットリとするヴィクトル。
 こういう所に住むのもいいかもしれない。でもそれじゃまるで仙人みたいだな……。ヴィクトルはボーっとそんな事を考えていた。
















1-16. 美しき暗黒龍

 と、その時だった。激しいエネルギー反応を感じ、ヴィクトルはあわてて回避行動を取る。
「危ない!」
 鮮烈な火炎エネルギーがヴィクトルをかすめて上空へと消えていった。

 見ると、巨大な魔物が大きな翼をバッサバッサと羽ばたかせながら近づいてくる。鑑定をかけると、

ルコア レア度:★★★★★★
暗黒龍 レベル 304

 なんと伝説に聞こえた龍らしい。確か(いにしえ)の時代にこの龍の逆鱗に触れて街が一つ滅ぼされた、という話を聞いたことがある。

小童(こわっぱ)! 断りもなく我が地を飛び回るとはどういう料簡(りょうけん)じゃ!」
 厳ついウロコ、鋭いトゲに覆われた恐竜のような巨体が重低音で吠え、大きく開いた真っ青に光る瞳でギョロリとにらむ。
「これは失礼。そうとは知らなかったもので。でも、いきなり撃ってくるというのもどうですかね?」
 ヴィクトルはにらみ返した。
「生意気な小僧が! 死ね!」
 そう言うと暗黒龍ルコアはファイヤーブレスを吐いた。鮮烈に走る火炎放射はまっすぐにヴィクトルを襲う。
 ヴィクトルは直前でかわすと、間合いを詰める魔法『縮地』でルコアのすぐ横に迫った。
「へっ!?」
 驚くルコアの横っ面を、思いっきりグーでパンチをする。

 ギャゥッ!
 悲鳴を残してルコアはクルクルと回りながら落ちて行く。
「暴れ龍め! 僕が食ってやる!」
 ヴィクトルは全力の飛行魔法で追いかけると、音速の勢いのまま、どてっぱらに思いっきり蹴りを入れた。

 ドーン!
 蹴りの衝撃音はすさまじく、山にこだまする。

 グハァ!
 蹴り飛ばされた龍の巨体は崖にぶち当たり、めり込んで止まった。
 ルコアはヴィクトルをにらみ、
「き、貴様ぁ……」
 と、言うと、真紅の魔法陣をヴィクトルに向けて展開する。
 それを見たヴィクトルは、それに比べて二回りも大きな銀色の魔法陣をルコアに向けて同時に展開した。
「へっ!?」
 ルコアが気がついた時には、すでに真紅の魔法陣から鮮烈なエネルギー波が発射されており、それはヴィクトルの魔法陣に反射され、そのままルコアを襲った。

 ウギャ――――!!
 重低音の悲鳴と共にルコアは大爆発を起こし、爆炎が崖や周りの森を焦がす。
 ブスブスと辺りが立ち上がる煙にけぶる中、ルコアは崖から落ちてくる。

 ズーン!
 地響きを起こしながら巨体が岩場に転がった。
 ヴィクトルはルコアの脇に降り立つと、ニコニコしながら言う。
「魔石になるか、僕の手下になるか選んで」
 ルコアはボロボロになった身体をヨロヨロと持ち上げ、チラッとヴィクトルを見て、目をつぶって言った。
「わ、我を倒しても魔石には……、ならん。我は魔物では……ないのでな……」
「ふぅん、じゃ、試してみるね!」
 そう言うとヴィクトルは腕に青色の光をまとわせ、振り上げた。
「ま、待ってください!」
 ルコアはそう言うと、ボンッ! と爆発を起こす。
 そして、爆煙の中から美しい少女が現れたのだった。
「えっ?」
 ヴィクトルは唖然(あぜん)とした。
 少女は白地に青い模様のワンピースを着て、流れるような銀髪に白い透き通るような肌……、そして、碧眼の澄み通った青がこの世の者とは思えない美しさを放っていた。
「手下……になったら何をさせる……おつもりですか?」
 少女は不安そうに聞く。
「え……? 何って……、何だろう……?」
 ヴィクトルは、あまりにも美しい少女の問いかけにドギマギとし、言葉に詰まる。
「エッチなこととか……、悪いこととか……」
 少女はおびえながら上目づかいで言う。
「そ、そんなこと、やらせないよ!」
 ヴィクトルは真っ赤になって言った。
「ほ、本当……ですか?」
「手下って言い方が悪かったな……。仲間……だな。一緒に楽しいことする仲間が欲しかったんだ」
 ヴィクトルはちょっと照れる。

 少女はホッとしたように笑顔を見せると、ひざまずいて言った。
(ぬし)さま、ご無礼をいたしました。かように強い御仁には生まれてこの方千年、会ったことがありません。ぜひ、喜んで仕えさせていただきます」
 少女はずっと山の中ばかりでさすがに飽き飽きしていたのだ。もちろん、たまにちょっかいを出しに来る輩もいたが、弱すぎて話にならない。そこにいきなり現れた異常に強い少年、しかもその強さを欲望の手段にしない高潔さを持ちながら、仲間にしてくれるという。少女にとってはまさに渡りに船だった。

「あ、ありがとう。君は……暗黒龍……なんだよね?」
 ヴィクトルは、龍が美しい少女になったことに驚きを隠せずに聞く。
「うふふ、この姿……お嫌いですか?」
 そう言ってルコアはまばゆい笑顔を見せる。
「い、いや、こっちの方が……いいよ……」
「これからは主様のために精一杯勤めさせていただきます」
 ルコアは胸に手を当て、うやうやしく言う。
「あ、ありがとう」
 ヴィクトルは、裸とボサボサの髪を気にして恥ずかしそうに言った。