俺は翔奏と比べられるのが嫌なんだ。
歌に自信がないわけじゃない。むしろ、自分で言うのもなんだけど、うまい方だと思う。
 でも、翔奏には敵わない。深桜にとっては、勝ち負けじゃないかもしれないけど、どこかで深桜は俺の歌声と翔奏の歌声を比べる。
 そして、翔奏の歌声の良さを改めて感じるのだ。そんな踏み台になるようなことは、絶対にしたくはない。
「一度でいいんです。先輩の歌声で藤沢翔奏の歌を聴いてみたいんです。前から思ってたんですけど、なんか言い出せなくて」
なおも縋りついてくる深桜を無視して、俺は黙々と歩き続ける。
 単なる思いつきで、プライドが傷つくのは嫌だ。
 本当は、今から音楽室で切り出そうとしていた話だけど、この話題を逸らすためには、今しかないだろう。
「お願いします。全曲とは言いません。一曲でもいいのでお願いします」
「その話は、もう終わりだ。そんなことより、今日は、一般発売だったんだろ? 取れたのか?」
釘をさすような言葉に、深桜はきょとんとした後、俯いてしまった。
 その姿で彼女の言葉を聞かなくても、理解できた。
 そしてその様子に、俺は少なからず安心した。これでチケットが取れていたら、二人でライブに行く口実を、考えなくてはいけないからだ。
 たぶん彼女のことだ。どんなにいい席よりも、自分で勝ち取ったチケットで行くに決まっている。
「うぅ~それが、頑張って発売時間の三十分前から、パソコンの前でスタンバってたんですけど……」
「無理だったんだな」
「はい。受付画面まではすんなりいけたんですが、発売の十時から重くなって、繋がりにくくなって、繋がったときには販売終了でした」
「そうか。じゃあ、もう打つ手なしというところか?」
落ち込む彼女に向かって、確認するように俺は訊ねた。
 彼女は俯いたまま、小さく頷いた。
「はい。あとは、遠方になるけれど、地方のライブを狙うしかないんです。でも、遠すぎると旅費が準備できないし。一番近い地方の発売は、ちょうど講義と重なってて。
……ファンとしては、サボって行くべきなんでしょうか? ただそれじゃあファンとして、悪いことまでして、チケットを手に入れても、翔奏は喜ばないような。でももしかしたら、またどこかのラジオやネットで電話予約とかあるかもしれないし」
言葉が定まらない深桜は、上目使いで俺を見つめた。