彼女がそう言うのは当たり前だ。俺は今まで、誰にも自分から別れを告げたことがないのだ。傷ついた自分と重なるのを避けるために……。
 でも、もうそんな自分とは、訣別することを決めたのだ。
 彼女も別れを切り出されるのは分かっていたのか、執拗な態度を示さなかった。
でも最後と分かっているにも関わらず、彼女なりの必死な抵抗が、胸元で光っていたのは引っ掛かった。
それは、俺が彼女の誕生日にあげた小さなペンダントだった。
 だから少なからず、彼女を傷つけたことには変わりない。
 でも、そんなもやもやした気持ちを、深桜に悟られたくなくて、俺は気持ちを切り替えて、話題を逸らした。
「そんなことより、俺に何か用があったんじゃないのか?」
「えっ……でも今じゃなくても」
「俺は、別に今でも構わないけど。どうせ深桜が、俺に用があることって、ピアノか相談だろ? だったら俺、今から弾きにいくつもりだったから、ついてくるなら好きにしろ」
てっきりついてくると踏んでいた俺は、深桜の方に振り返った。
でも、彼女は立ち止まったまま動こうとせず、何か言いたそうに眉を寄せている。
 こんなときは、だいたい俺が嫌がることなのだろう。彼女は、それを分かっているが故に、言い淀む。
「あの先輩。もちろん、ピアノも聴きたいんですが、お願いがあるんです。きいてくれますか?」
「内容によるけど、何?」
ちぐはぐな言葉を並べて、視線を外していた深桜の瞳が、真っすぐ俺に向けられる。ますます嫌な予感が頭の中を過ぎ去っていく。
「藤沢翔奏の歌を聴かせてくれませんか?」
そう断言した深桜の意図が分からず、俺はどう答えていいのか迷った。
 生の歌声を聴きたくて、俺に願っているのだろうか。
もしかしたら、俺がチケットを貰ったことを知っているのだろうか。
 いろいろな考えが頭を駆け巡った。
「それどういう意味だよ。深桜全部CD持ってんじゃん」
「いえ、そういうことじゃなくて。先輩の歌を聴きたくて」
恥ずかしそうに微笑む彼女の願いが、ようやく理解できた。つまり、俺に翔奏の歌を歌ってほしいということだ。
だが、そんなことは、絶対にしたくはない。
「断る!!」
「えっ? どうしてですか?」
 俺ははっきりと言い放ち、おろおろする彼女をおいて、足早に歩いた。後ろから慌てた様子で、深桜が追いかけてくる。
 冗談じゃない!