「前から思ってたんです。誰かのために何かできる自分になりたい。誰かの役に立ちたいって。……だから作家になって、物語をえがきながら自分の思いや考えを誰かに伝えて、読んでくれた人に何かを感じてほしいって。自分の小説を読んで、影響を受けて、何かの糧になればって。大それたことかもしれませんけど、そういうことをしてみたいんです」
 誓いをたてるように、片手をぎゅっと胸の前に握りしめて、私は先輩をまっすぐと見つめた。ちらりと私の方を見た先輩と目が合ったけど、揺らぐことのないこの気持ちと同じように、ただ先輩をまっすぐ見つめ続けた。
 先輩はそっと目を瞑り、今度は低音が響くゆっくりとしたテンポの曲を弾き始めた。右手はただ添えるだけのような曲で、左手がどちらかというと忙しい曲だった。
「……そっか。叶うといいな。その夢」
小さな先輩の声がはっきりと聞こえた。
 その一言で満たされた気持ちになり、それからは何も言葉を交わすことなく先輩の音に耳を傾けた。
 あれから何年か過ぎたけど、私は未だに先輩にお礼が言えていない。あの頃からもう一度ずっと言いたいと思っているのに、言うタイミングがもう分からなくなってしまった。
 いまさら何を言っているんだって思われそうだし、またきっと前みたいにあしらわれてしまうに違いない。
 でも藤沢翔奏に出逢わせてくれたおかげで、今の私があるのだ。創作をここまで続けられたのも先輩が傍にいてくれたからだ。
 周りの子のように得意な分野があるわけではない私にとって、小説がかけるのが、唯一の取り得だと思って頑張ってきた。
 でも小説の新人賞で、一次も通らないとやはり才能がないって、思い知らされている気がしてやめたくもなった。たった一つの取り得さえ、否定されているような気になるのだ。
 でも藤沢翔奏の歌も先輩の曲も挫けそうになった私を、何度も立たせてくれた。
 そのお礼も兼ねて言いたいのに、先輩の背中に、いつも私は言えずに立ち止まり続けている。

 一日休暇をとって俺は昔住んでいた田舎を訪ねた。沖浦さんは一つ返事でOKを出したけど、きっと何人かの人に頭を下げてくれたに違いない。
 そのせいか、明日からのスケジュールはぎっちりだった。嵐の前の静けさみたいに、ここはそういう世界とは切り離されたみたいに静かで長閑だった。