私はまた飛び立つことができたのだ。

 次の日から私は先輩を探し回ったけど、結局会えたのは一週間後の放課後だった。場所はもちろん音楽室で、先輩が先に中にいてピアノを弾いていた。
 こうやって先輩の姿を見ると、ひるんでしまったけど、先輩は私の視線に気づいたのか、そっと微笑んで軽く手招きをした。
 その笑みには憐れみも情けも浮かんでいない。あんなことがあったのに、屈託のない笑みで私を迎えてくれた。
 先輩は一週間前のことを覚えていないみたいに、いつもと変わらない接し方だった。
 それはきっと先輩の優しさで、私を見つけたらそうするように心得ていたみたいに見えて、それが無性にありがたかった。
「今日は少し早いな」
「はい。本を返しに行っただけだったので。あの先輩。これありがとうございました」
私は手に握りしめていた藤沢翔奏のCDを差し出した。
「私、この歌を聴いてたくさん元気もらったんです。それで先輩にお礼が言いたくて、先輩のことを探したんですけど、結局返すのが遅れてしまいました」
「別に返さなくていいよ。深桜にあげる」
先輩は何でもないようにそう言うと、そっと鍵盤の上に手をのせた。
 私は先輩の言った意味が分からず、呆然と数秒そのまま立ち尽くして、我に返って思わず声を上げた。
「えっ!? いいんですか? でも……」
「もともと深桜にあげるつもりだったから。それに俺は礼を言われるようなことしてないし」
「でも藤沢翔奏に出逢わせてくれたから」
「だったら藤沢翔奏に礼を言うべきだ。俺は何もしてないんだから。ただCD渡しただけだ」
先輩は吐き捨てるようにそう言うと、鍵盤を軽やかに舞うように指を踊らせて、音を奏で始めてしまった。
 先輩はこれ以上、私にお礼を言わせないように、間が開かないような少しテンポの速い曲だった。
 お礼を言いたくても言わせてくれないのなら、せめてあのことだけは先輩に伝えたい。
 私はピアノの音に混じる様に、ぽつりぽつりと呟くように言葉を紡いだ。
「……先輩。私、作家になります」
急に先輩の音が止まり、目を見開いた先輩と目が合う。
「……今、作家になるって言った?」