「俺が一押しのやつ。よかったら感想聞かせて」
先輩は最後にそう言い残して、振り返りもせず音楽室を出て行ってしまった。
 口喧嘩みたいなことをした後、いきなり音楽を聴いて感想をほしいなんて言われても、言えるわけない。でも頭の中がぐちゃぐちゃで、何もやる気が起きず、私はしばらくの間、先輩が机にそっと置いていったそのCDをじっと見つめていた。
 夕暮れの明るさが徐々になくなり、辺りが薄暗くなるまで私はそこに座っていた。
 チャイムが鳴り響き、誰もいない音楽室で聞くその音はどこか寂しげに聞えた。
 先輩と別れたあの彼女は、もう帰っただろうか。
 鉢合わせしたら、どうしていいのか分からない。
 でもいつまでもこうしていても仕方がない。
 私はゆっくりと顔を上げて、辺りを見渡した。
 小学校の頃は怖かった音楽家の肖像画も、もう怖くはない。
 先輩が「そこに本人はいないけど、作曲者に俺の音を聴いてもらってるみたいで、いいプレッシャーになる」って言ってた。それから作曲者にまつわるいろいろな話もしてくれた。
 そのおかげで怖くなくなったんだと思う。その言葉や話を聞いて「この人たちがこんな素晴らしい曲を創ったんだ」って思うと、見方が変わったのだ。
 私はCDを握り締め、音楽室を後にした。
 帰り道、また先輩のことを考えている自分が嫌になった。あんなに誰かのことを傷つけている先輩を疎ましく思ったのに、自分はまた先輩の曲を聴きたいなんて思っている。
 先輩に抱く思いは、単なる尊敬でしかないのだ。
 先輩はあんなに軽やかに音を奏でることができる。それが羨ましくて、でもその曲を聴くたびに自分には何もできないことを痛感していた。
 私は何も弾けないし、歌えない。ただ誰かの曲を聴くことしかできない。
 家に帰っても、自分の非力に嘆くことしかできなかった。
 そしてまた私は誰かにすがりたくて、先輩からもらったCDをセットして、音楽を聴こうとしている。音楽の力で、何もできない自分を助けてほしくて、誰かに助けを請うことしかできない。
 そんな大嫌いな自分に腹を立てながらも、私はヘッドホンをして、再生ボタンを押した。またこうやって先輩から逃げて、別の誰かに助けてもらおうとしている。
 そしてまた自分には何もないと傷つき、音楽を聴いて慰めてもらって、でもまた傷つくことを繰り返す。この曲を聴くまでそう思っていた。