そしてその後、小さな嗚咽が聞こえてきて、私はいたたまれず、できるだけ音をたてないようにその場を離れた。ちらっと窓ガラス越しに見ただけだけど、出てきた彼女は私を呼びだした人で間違いない。
 怪我をさせられたのにあんなふうに小さな嗚咽を聞いてしまったら、やっぱりどこか胸が痛む。自分のせいで彼女を傷つけたのだろうかと、気が沈んでしまいそうだ。
「深桜」
トイレから出てすぐ、階段の上から先輩の声が聞こえた。私は反射的にそちらに振り向いた。
「先輩」
階段の踊り場に立っていた先輩と目が合い、そのままじっと見上げていたら先輩が手招きをしてきた。
 先輩のところに行こうか迷ったけど、どうしたらいいのか分からず、結局私は階段を上っていた。
「深桜。怪我大丈夫?」
「このくらい平気です。それより先輩」
「別れたよ」
私が訊こうとしたことが伝わったのか、私の言葉を遮って先輩は先に答えた。
 重い沈黙が二人を包み込み、先輩に導かれるまま音楽室へと入った。「どうして別れたんですか?」とは訊けなかった。自分のせいだと何となく分かっていたからだ。
 でも先輩は、私に背を向けて歩を進めながら、その答えを口にした。
「深桜を傷つけたことを咎めたら、向こうが別れようって言ったんだ。だから別れた」
私は何も答えることができずに、ただ彼の背中についていくことしかできなかった。
「ここに座って」
 先輩がすっと椅子を引いて、何もなかったみたいに私にそっと微笑んだ。どうして自分のことなのに、先輩はこうして笑っていられるのだろう。
 自分のことではないのに私は、先輩の淡々とした声が突き刺さって、心がズキズキと痛んでいるに……。
 トイレで小さく泣いていた彼女がかわいそうで、先輩にじわりと怒りが湧いてきた。私のせいで別れてしまったのに、虫がよすぎるだろうか。
 それでもほんのり赤く染まった先輩の頬をまともに見ることもできず、私は先輩に言われるがまま席についた。
「深桜は悪くないよ。悪いのは全部俺なんだ」
先輩はそう言って、いつものようにピアノの前に座った。でもピアノの蓋を開けることはなかった。
 先輩は今、どんな表情をしているのだろう。でもその声は、とても切なくて悲しそうな響きだった。
 だからだろうか。心の中は沸々と熱くなっていくのに、顔を上げて先輩の顔を見ることが、私にはできない。