でも俺は引き下がることなく、編集者に詰め寄った。沖浦さんには申し訳ないけれど、ここは譲れない。沖浦さんを押し切ったのなんて、これが初めてだ。
 その編集者はまだ若手なのか、沖浦さんの声に驚いて、気まずそうに目をさっと逸らして答えていいものか戸惑っている様子だった。
 もしかしたら沖浦さんがいなければ、教えてもらえたかもしれない。沖浦さんは今も俺の隣りで緊迫した様子で佇み、教えることを無言で拒んでいる。
「……すみません。私の判断でお教えしていいか分からないので。あの、上に相談してきても……」
沖浦さんの気迫に押されてか、編集者の子は呟くように答えて、恥ずかしそうに背中を丸めてしまった。
 そこにすかさず沖浦さんの声が覆いかぶさってきた。
「ごめんなさい。たぶんかなりこの作品が気にいっちゃったみたいで、きっと単なる気まぐれだから気にしないで」
「あっ! でも藤沢さんは審査員でもありますから、上にかけ合えば」
その子は僕をちらりと見て何かを決意したみたいに、沖浦さんにはっきりとそう告げた。でも沖浦さんの鋭い視線にすぐに負けてしまい、また背中を丸めてしまった。
「大丈夫よ。その必要はないわ。いくら審査員でも個人情報を私的に使うものではないから。もしそちらが許されても、私は許すつもりはないわ」
 きっと最後の言葉は俺に言ったのだろう。声は柔らかくしたつもりだろうけど、端々に棘がある。間違いなく彼女は、俺に警告していた。
 でも沖浦さんの言うことは正しく、俺は何も言い返せなかった。
 俺は編集者の子に謝って、沖浦さんの後ろを居心地悪い気持ちでついて行った。車まで戻る距離は無言で、まるで母親に怒られた子どものようだ。
 沖浦さんが愛用しているシルバーのスポーツカーの助手席に乗り、彼女は勢いよくエンジンをふかせて、車を走らせる。
芸能人のマネージャーが、こんな目立つ車に乗っていいものかと思ってしまう。もし誰かにつけられていたら、この音ですぐに俺がいることがばれてしまいそうだ。
 普段は仕事の移動や沖浦さんが一旦事務所に帰るときは、事務所の車だからいい。でも今日みたいに沖浦さんもそのまま帰宅する時は、彼女の車に乗せてもらい、その度に誰かにバレやしないかと気になってしまう。これでも排気音があまり響かないような車を選んでいるみたいだ。