俺はネクタイを捲って、縫い目を見つめた。そこには細かい縫い目とは違い、手縫いでしたような、縫い糸が覗いていた。
 俺はその糸を引っ張って解くと、中を開いた。
「……何考えてんだよ。あいつ」
そこには、近所にある神社の小さなお守りが入っていた。
 就職の合格祈願だろうか。確かこれを渡すとき、彼女は『うまくいくようにおまじないをした』とか言っていたはずだ。
 今になって、その言葉の本当の意味を理解した。俺はそのまま綺麗に箱に入れて、仕舞った。きっともうあの箱は開くことはできないだろう。
 階段と違って、木々で遮られることのないこの場所に、月の光がほんのりと差し込む。俺は今、とてつもなく情けない顔をしているに違いない。どうせなら照らさないでほしいのに、月がどこかへいってしまうことなんてないし、ここから移動する気力も、俺自身に残っていない。
 道行く人が俺に気づいたら、その陰鬱な雰囲気に驚くだろう。
 でも、この静けさの中に、人が通る気配は全くなかった。
 幽霊のようにただそこに居座って、俺はずっと塞ぎこんでいた。
 俺は世界最後の生き残りみたいに、世界から切り離されたこの階段で、力を振り絞る様に、ゆっくりと首を動かして空を見上げた。
 都会では見れないくらいの星が輝いて、季節の星座を形作っている。
 でもその星たちも、目がじんわりと潤うと、ぼやけて見えてしまう。
 こうなることは望んでいたはずだ。深桜と翔奏が一緒になることを誰よりも願ったはずだ。
 では、心を蝕むようなこの悔しさと切なさは、いったい何なのだ。
 息が詰まるようなこの苦しみは、後悔とか悲痛ではない。自分のことなのに、自分の気持ちが分からなくなっていた。
 翔奏と深桜の幸せを望んでいるのに、深桜が俺のところに帰ってきてほしいなんて祈っている自分がいるのだ。
 望みは嘘ではないのに、素直に受け入れているはずなのに、納得していない自分が自身を蝕み続けている。
 歯を食いしばり、ぎゅっと目を瞑った。
「先輩」
 その時、背中から隙間風が通り抜けたように、微かな寒気が俺を包み込んだ。
俺はどうすべきか迷った。背中から彼女の視線を感じる。とても落ち着いた彼女の声が、何度も耳に響いて離れない。
 深桜は、翔奏のことを思い出したのだろうか。
 もしそうなら、俺はもうこの二人の傍にはいられない。二人が許しても、耐えられない。