彼女はきょとんとしたあと、恥ずかしそうに俯いてしまった。
 前髪で隠れて顔は見えないけれど、その様子が子どもっぽくて、昔のちぃのことを思い出した。
「君の小説読んだよ。すごく懐かしくて、心が和んだ。思い出すのは苦しかったけど、小説を読んでいるときだけは、ちぃとの思い出が浮かんできて、なんて言うのかな。……幸せだった。だから君に逢いたくなったんだ」
「……ごめんなさい。なんか辛いこと思い出させてしまったみたいで」
彼女ははっとして一度顔を上げたけど、すぐさま項垂れてしまった。声も沈んでいて、絞り出すような声で、もう一度謝った。
「ううん。こちらこそごめんね。いきなり抱きしめたりして。ちぃのことが懐かしくなって、君と重なって……つい。だから謝らないでほしいんだ。それに、今では君に感謝してるんだ。思い出せて、……少しでも思い出してくれて本当によかった」
できれば嘘は吐きたくなかったけど、知らなくていいこともあるし、昔のことを思い出しても、彼女の中にある気持ちは変わらない。
 でも、俺はそのことを分かっていながら、ちゃんと確認したかった。
「智歌のことは好き?」
「えっ? えっとそれは……」
彼女は小さく声をあげて、もじもじと身体を動かして、視線を俺に合わせようとはしなかった。やはりそうなのかと、納得したのと同時に、ちくりとした痛みを感じた。
「図星なんだね。でもよかった。他のやつになんか渡したくないし。智歌ならいいや」
その言葉に嘘はない。智歌ならきっと、彼女を幸せにできる。
 だからちゃんと、彼女も彼も自分の気持ちに正直になってほしい。
 俺は一歩彼女に近づいて、諭すような声で彼女に語りかけた。
「でも、ちゃんと想いは伝えた方がいいよ。俺みたいにならないように。俺もうまくいうように応援してるから」
「あっ、ありがとうございます。……でも、翔奏さんには、いつも励まされてますよ。歌をたくさん聴いて、落ち込んだ時とか悲しい時とか。それ以外のときでも、たくさんたくさんお世話になってます」
彼女は一度頭を下げると、穏やかで幸せそうな顔を俺に向けて、耳を澄ますようにそっと目を閉じた。
 俺の歌ってきた声は、彼女にちゃんと伝わっていたんだ。
 そのことが何より嬉しくて、ほっと胸の中が温かくなる。
「そっか。じゃあ思い残すことはないよ。ちゃんと気持ちも言えたから」