記憶が戻ったのだろうか。彼女は何度も俺の名を呼びながら、腕を背に回して、胸に顔を埋めてきた。
「ちぃ。俺のこと覚えてる?」
 俺は彼女を抱きしめたまま、そう訊ねた。
 すると彼女は何度も頷いて、腕に力を込めた。
「何言ってるの? 覚えてるよ。カナ」
 俺はその一言に安心して、その奥から込み上げてきた喜びに任せて、ますます腕に力をこめた。あの頃のちぃが、戻って来たのだ。
「カナ。痛いよ」
くすぐったいような声を上げるちぃの声は、可愛らしく、子どもっぽい。
「ごめん。ごめん。つい嬉しくて」
俺はそっと力を緩め、ちぃの顔を見た。
 ちぃはその声にふさわしい笑みを浮かべていた。
「カナ。私も……っ!」
「ちぃ!」
 ちぃが、いきなり頭を押さえてふらついた。
 俺は、ズキっと走った胸の痛みを感じながらも、彼女の腕を掴んだ。
 ちぃは何とか踏みとどまり、そっと顔を上げた。
 その顔を見た瞬間、先ほどよりも鋭い痛みが心の中に刻まれた。
「ごめんなさい。何だかふらついてしまって。翔奏さんに逢えて嬉しいのに。私どうしたんだろう」
その言葉が、また俺の知る彼女ではないことを物語っていた。
 どうして記憶が戻ったはずなのに、また俺の知らないちぃに戻ってしまったんだろう。
 あの日、怖くて逃げ出して、掴み損ねた身体を、今度はちゃんと触れることができたのに……。
「翔奏さん。あの……」
気がつけば彼女の手を思いっきり握っていたみたいで、彼女の顔が苦痛を隠した戸惑いの色を滲ませていた。
 でも、その手を離したくなくて、俺は力だけを緩めて、彼女の指に自分の指を絡めた。
 今なら言えるだろう。
 伝わらなくてもいい。ただ伝えたいのだ。
 今まで溜めてきた想いを……。この場で叶えられなかった想いを伝えるのは、今しかない。
 俺はまたちぃを抱きしめて、彼女の唇にそっと指先でなぞった。
「目瞑って」
気づいたら、そんなことを呟いていた。彼女は戸惑いながらも、そっと目を閉じた。
 記憶がなくても、俺を受け入れてくれたようだ。緊張しているのか、彼女の手は震えていて、瞼もよく見たらぴくぴく動いている。
 そのままそっと、唇を重ねればいい。ただそれだけで、自分の想いは伝わるだろう。
 少し強引ではあるが、俺はそっと彼女の顔に自分の顔を傾けた。