彼女は俺に導かれるまま、俺の前に立った。
 今はもう、その先に入ることはできないけれど、フェンスの向こうには李の木に、グラジオラスなど様々な植物があるはずだ。
 俺たち三人が、過ごした秘密の場所。
 今は暗くてよくは見えないけれど、かろうじて町の明かりが届いて、李の木だけが浮かび上がって見える。
 ちぃはフェンスをぎゅっと握って、その先を見つめていた。俺は、ちぃの後ろから静かに、彼女が見据える先を同じように眺めた。
 これでちぃは、思い出してくれるだろうか。
 智歌は大丈夫だって言ってくれたけど、もしこれで彼女が思い出さなかったら、どうすればいいのだろう。
「ここ、昔俺たちがよく遊んでたところなんだ」
「そう……ですね。とても何だかいい香りがする。それに町が綺麗」
彼女は穏やかな顔で、静かにそう呟いた。
 とても大人っぽく微笑んで、どこか懐かしんでいるようにも見える。
「えっ!? 翔奏さん!!」
俺は、どうしようもない想いに駆られて、思わず後ろから彼女をぎゅっと抱きしめた。
 彼女の長い黒髪から、シトラスの香りが、ふわりと鼻をくすぐった。
 彼女が今どんな表情をしているのかは、俺からは見えない。
でも嫌がることなく、俺の腕を振り解こうとはしなかった。
 俺は、そのまま小さな背中を包みこむように、腕に力を込めた。
「翔奏さん。あの……どうかされましたか?」
彼女は、そっと俺の腕に触れた。声が緊張しているのか、少しぎこちない。
 でもそんな彼女の全てが愛おしくて、俺はそっと彼女の髪に顔を埋めた。
「あっ! うっ……翔奏さん!!」
「カナって呼んで。昔みたいに」
 俺は、彼女の耳元でそっと呟いた。幼い頃から彼女を想い続けて、やっとこうやって話せた。声も見た目も大人になった彼女だけど、何もかもが懐かしくてあの頃に戻りたかった。
 あの頃のように呼び合いたい。
 ちぃと過ごした日々は、たった数日だったけれど、俺は彼女のことが忘れられなかったのだ。
 あの日々に少しでも近づけるなら、どんなことでもしたかった。
「……カナ?」
その一言は戸惑いではなく、何かを確かめるような声だった。
俺は彼女の両肩を掴んで、彼女をこちらに向けた。
「カナ! やっと逢えた!」
「ちぃ!」
俺は、あの頃のように朗らかに笑う彼女をまた抱きしめた。