俺はその声を聞いた瞬間、すぐに後ろを振り返った。懐かしい響きがこもった声。
 振り返ったら、ライブのときは、手が届かないところにいたちぃが、すぐ傍に立っていた。
「えっ! 嘘! 本当に藤沢翔奏さんですか?」
 彼女は俺と目が合うと、その目をまん丸にして、歓喜の声をあげた。
 親しい人と再会した喜びではなく、ずっと憧れていた人に出逢えたみたいな反応だ。
 その反応で智歌が言っていたことが、本当だと確信した。疑っていたわけではない。あの時嘘をついても意味がないからだ。
でも、その事実を信じたくないという思いが邪魔をして、本当は記憶は消えてないんじゃないかっていう期待が、少しばかり心に残っていた。
 でも、智歌が言っていたことは本当だった。
 ちぃの記憶から俺が消えているのだ。俺の知っている千歳深桜は、俺をそんなふうに呼んだりはしない。
「わぁ。本当に智歌先輩と翔奏さんがお知り合いだったなんて……信じられないです」
彼女は俺の前で目を丸くしたまま、開いた口を両手で隠すように手をあてた。
でも、その手では隠しきれない笑みが零れている。
「ちぃ」
 俺は少しでも自分のことを思い出してほしくて、彼女を昔、呼んでいたように呼んだ。
でも彼女は俺を思い出したりはしなかった。
 どうして、こんなに時間があいてしまったんだろう。
 どうしたら、彼女は俺のことを思い出してくれるんだろう。
「翔奏さん? どうされたんですか? もしかして私、何か嫌なことしてしまいましたか?」
俺が黙っていたら、ちぃは不思議そうな顔をした後、気まずそうに俯いてしまった。
 俺は、そんな顔は見たくない。
 彼女には、笑っていてほしい。
 昔みたいに、俺をカナって呼んでほしい。
「あのさ、俺、ずっと君に逢いたかったんだ。智歌に頼んでさ。それで一緒に見たいものがあるだけど、こっち来てくれる?」
 俺は彼女に微笑みを向けて、そっと彼女の手を握った。
 それにちぃは驚いたみたいで、彼女は信じられないものを見ているように固まったけど、手を振りほどきはしなかったし、素直についてきてくれた。
 月明かりが、木々に遮られて、どんどん辺りが闇に溶けて行く。
 そんな中をゆっくりと、彼女の手を引いて歩いた。
 砂が擦れる音と、風で木々がざわめく音以外、何も聞こえない。
「ここに立ってくれるかな?」
「ここですか?」