「退院の日にはお母さん来れそう?」
「はい」
「手が必要なら言ってね。この子のことも好きに使ってちょうだい」
 聡の頭を小突いておばさんは言ってくれる。そんなの、今だって十分すぎるほど助けてもらっているのに。

「なんだか郁子ちゃん、顔が明るくなったくわねえ」
 頬に手を当てておばさんは感心したようにつぶやく。
「そうですか……?」
「うん、うん。郁子ちゃんが起きなくなっちゃったーなんて聞いたときには、おばさんも胸がつぶれる思いだったけど、こうやって今郁子ちゃんの顔だけ見てみれば、冬眠するのもいいかもしれない。リセットというか、気分転換というか」
「不謹慎なこと言うなよ」
「あら、いいじゃない」

 思い切り顔をしかめる聡の横でおばさんはどこ吹く風だ。
「なんでもいいほうに捉えればいいのよ。たとえ悪いことでも終わってしまったことは仕方ないでしょう。あれはあれで良かったって思えばそれでいいじゃない。ほら、あれ、あれよ。サイオーガウマ」
「無理矢理すぎるのはどうかと思うぞ」
「いいのよ。なんだって。郁子ちゃんの顔見たら、おばさんそう思っちゃった」
 からから笑う姿はどっしりしていて頼もしい。中庭のおばあちゃんも言っていた。
 ――心の中はいつもお天気でいればいいのさー。

 それはおそらく、この世でもっとも難しいことのひとつであるかもしれないけれど。
 ――こうなりたいって憧れを持つこと。
 自分の理想像を持つのなら、おばさんみたいな人になりたいと郁子は感じた。朗らかで優しくて、いつも上手に相手を気遣ってくれる。そんな人になれたなら、どんな人のことも受け止めてあげられるようになるのではないか。今の郁子では無理なことも、きっとできる気がする。

「じゃあ、今日は母さんと一緒に帰るよ」
「うん」
「明日、持ってきてほしい物とかあったら連絡して」
「もう退院だし……」
「そうだな」
「じゃあ、またね。郁子ちゃん」
「はい。ありがとうございました」

 エレベーターの前で聡とおばさんを見送って、郁子はふたりに手を振った。エレベーターの扉が閉まり、階を降りていく赤い表示をしばらくの間見守る。それから、スリッパのつま先を修司の病室がある方向に向けてみた。