「雨、降ってきそうですね。中、入った方が良くないですか?」
「あ、うん……」
「私はこれで帰りますから」
「え。修司くんのお見舞いは?」
 立ち上がった後輩に素で尋ねてしまった郁子を、彼女は眉を顰めて見下ろした。
「確かに、先輩ってバカですねー。天然の方の」
「ええ?」
 思わず郁子が笑うと、彼女も明るい表情でふきだした。
「あの人の顔はもう見たくないんです」
 そういうものかと郁子は頷いた。自分は修司に会いたくて仕方ない、でも怖い。彼女が「見たくない」と言うのも、そういうことかもしれない。

 郁子も彼女の後についてレンガ貼りの歩道に向かう。先程会った場所で彼女は郁子に言う。
「じゃあ、ここで」
「うん。さよなら」
 郁子に背中を向けた彼女は、なかなか歩き出さない。不思議に思い始めた頃、思い詰めた様子で郁子を振り返った。
「先輩……私、言おうかどうしようか迷ったんですけど……」

 そのままの口の形で彼女はぎくりと固まる。
「どうしたの?」
 あまり見たことのない様子に郁子は心配になる。
「いえ、先輩なら大丈夫ですよね」
 小さな声で早口に言って、彼女は「それじゃあ」と挨拶を残しバス停へと走っていった。

「郁子」
 声がして、聡が建物の方から歩いて来た。
「今のって、うちの後輩か?」
「うん。お見舞いに来てくれて……」
「ふーん……」
 いつもは突っ込んだことは訊いてこない聡も、不審そうな顔をしている。

「戻るぞ。雨、降ってきそうだし、うちの母さんが来てる」
 それを聞いて郁子は頷く。
「おばさんに会うのも久し振り」
「そうだな」



 聡のお母さんは相変わらず朗らかな様子で、戻ってきた郁子を迎えてくれた。
「郁子ちゃんが元気になって、おばさんほっとしたよ」
「はい」
 ごめんなさい、と言いそうになって郁子は思い留まる。違う。この場合には……。
「ありがとうございます」
「うん。退院したらうちにも遊びに来てね。おばさん、唐揚げとケーキ作っちゃう」
「ありがとうございます」
 きちんと顔を合わせながらその言葉を言えて、郁子は泣きそうになってしまった。やっとまともにお礼を言えた気がして。