「そんなことより、自分のこと考えた方がいいよ。直に退院でしょう」
「はい……」
「修司のことはもういいから。それじゃあ、元気でね」
 別れの挨拶をされたけど、郁子は返事ができなかった。修司のお姉さんは気を悪くするふうもなく微笑んで、郁子を残して中央廊下の方へ行ってしまった。



 翌日、午後のいつもの時間におばあちゃんは来ていなかった。郁子はひとりベンチに座ってくちなしの花を眺める。先週には緑が多かったはずの生垣は、今は花の白い色の方が勝っている。香りはますます匂い立つようだ。

「やっぱりいたね」
 声に顔を上げると、おばあちゃんの息子さんだった。
「いつも相手をしてくれてありがとう。母さんは当分ここには来れない」
 まさか容体が悪くなったのだろうか。郁子は顔を青くする。だが息子さんは微笑して首を横に振った。
「いや。体はまだ大丈夫なんだけど。梅雨どきだから雨に降られると大変だろう。そろそろ暑さが体に障るし」
 確かに今日は蒸し暑いし、空模様も雲が黒くてあやしい。

「若い子がおばあさんと話していてもおもしろくないだろう」
「そんな……」
 郁子がベンチの端の方に腰をずらすと、息子さんは会釈して隣に座った。
「すごく……勉強になります」
「勉強?」
 郁子を馬鹿にしたわけではないだろうが息子さんは破顔する。
「旦那さんがお酒が好きで大変だったって……それでも許して一緒にいるってすごいなって……」

「ははあ、母さんもよく言うよ。許すも何も、あの人もすごかったんだから。親父が暴れる度に自分は包丁を持って応戦してたんだから」
 郁子はびっくりしてぽかんと口を開けてしまう。それは凄い。夫婦喧嘩の度にヒステリックに物を投げつける郁子の母親だって刃物を持ちだしてはいない……はずだ。
「そういう人だから耐えられたんだよ。親父も体を壊したのをきっかけに酒はぱったり止めて、晩年は穏やかなもんだった。あの時期エネルギーを使い果たしたのかもしれないなあ」
「おばあちゃん……逞しかったんですね……」