「あいつさ、おれの好きな相手のこと、おまえに話したんだってな」
「うん……」
「それ聞いて、あいつにとってどんだけ郁子が特別かはわかった。だからって、ふたりがムリして付き合うことはないと思う」
「無理だなんて……」
「おれさ」
 そこで達也はやっと郁子に顔を向けた。
「告白して振られたんだ。向こうが結婚する前に。最後だからって、当たって砕けろって思ってさ。……なんて、少しは期待もしててさ。気持ち、感じないわけじゃなかったから。でもはっきり言われた。幸せになりたいから結婚するんだって」

 目をしぱしぱさせて達也は郁子を見つめた。
「恋愛だってそうだよ。幸せになりたいから人を好きになるんだろ。わかってんだろ、修司といたってシンドイだけだ」
「…………」
「あいつにはおれたちも姉ちゃんもいる。おまえが心配することないから」

「なあにー? なんの話?」
 戻ってきた朱美に背後から声をかけられたが、郁子は振り向くことができなかった。
「べつに」
「なにさ、スカシて」
 ちょうどエレベーターの扉が開いて、朱美は達也をどつきながら乗り込んだ。
「ここでいいよ。じゃあね。また来るからね」
「うん……」
 手を振る朱美につられて郁子はかろうじて笑った。扉が閉まるまで手を振ってから腕を下ろす。
「…………」

 そこから、修司の病室がある方の廊下に首を曲げた。スリッパの裏が床にこびりついたみたいで体が動かない。でも、もし、まだ、繋がっているのなら……。
 鉄のスリッパを引きずっているような緩慢さで郁子は足を運ぶ。酷いことをして傷つけたのは自分の方。合わせる顔なんかない。顔を見るのが怖い。なのに願ってる。気になって、会いたいと思ってる。怖いと思う気持ちもあるのに。

 自分の病室とは逆方向に歩き出す。ゆっくりゆっくり、壁のネームプレートを見ながら進む。やがて修司の名前を見つけて郁子の心臓は跳ね上がった。
 病室の扉は隙間が開いていて、声がもれて聞こえてきた。
「……郁子って女の子が同じ症状で入院してるって知って」

 自分の名前が聞こえ、郁子はまた心臓を跳ね上がらせた。それから無意識のうちに体を寄せて耳を澄ませてしまう。
「寂しさを埋める相手を探すにしても自分とは違う人の方が良いんだよ。私はそう思う」