小教室を出て三階から二階に下り廊下を行こうとしたところで、後からついて来ていた彼女が声をかけてきた。
「どこ行くの?」
 訝しく思って聡は振り向く。
「概論だったら今日は休講だよ」
「……」
 聡は踏み出しかけていた足を引っ込めて、そのまま階段を下っていった。

 外に出ると初夏のまぶしい日差しが聡の目をくらませた。
「確かに良い天気よね。良かったね、今日はこれで講義はないもの。今からでもどこか出かけられるんじゃない?」
 相変わらず後ろについて来ている彼女が、また話しかけてくる。聡が肩越しに視線を向けると、彼女は苦笑気味に微笑んだ。
「私ね、履修してる科目がほとんどあなたと一緒なの。よく見かけるから覚えてるの。でもあなたは私の名前もわからないでしょう」
 図星だったので聡は黙り込むしかなかった。

「別にかまいやしないけど。坂本くんてそうだものね。人のことなんてどうでもいいって感じ」
「そんなふうに見えるのか?」
 尋ねると、名前も知らない女子学生は、肩の上で切り揃えた髪を揺らしながら悪びれる様子もなく頷いた。
「ええ。何に対しても無表情・無関心・無感動」
「……」
「否定しないの?」
「そういうふうに見えるのならそうなんだろう」
「呆れた。自分のことでしょう? 何か言い分はないの?」
「別に」

 それ以上話すことはなかったので彼女を置いて歩き出した。並木を抜けてキャンパスの外へ出るとき、先ほどの言葉が頭をかすめた。
 無関心。他人のことなどまるで興味がない。まったくその通りだった。
 大学へ通い始めてから友人と呼べるものが聡にはできていない。徹底した消極的姿勢の結果だった。人と交わることを拒絶しているわけではない。ただ今は自分のことで精いっぱいで周りに目を向ける余裕などとてもない。それだけなのだ。

 自己主張する気力すら起きないほどに聡の心は沈みきったままでいる。郁子が眠りについてから。



 午後の面会時間を待って病院へ行くと、郁子の病室の前で彼女の母親と会った。
「聡くん」
 細く整えられた眉を顰めるようにして郁子の母親は聡を呼んだ。
「毎日来てくれてるのですってね。ありがたいのだけど……」
「学校帰りに寄らせてもらってます。無理してるわけじゃないですから」