*
「じゃんっ」
美花が背中からのぞかせたのは、手持ち花火だった。
「今日は晴れてよかった。一緒にやろ、東悟君」
「言ってたやりたいことって、これ?」
問うと、美花はうんっ、と嬉しそうに頷いた。
「花火って……夏じゃないのに。どこで買ったの?そもそもこの時期に売れてるの?」
「秘密〜」
唇に人差し指を当てて、美花は無邪気に笑った。僕の返事を聞かずに、美花は花火を開封し始める。
……というか、学校の屋上で花火をしても良いのだろうか。いや、絶対にいいはずないのに、有無を言わさない美花の圧に、僕の小さな良心は簡単に消えた。
どうせもう卒業なんだから。
もっと言えば、あの日、僕達が出会った日に終わっていたような命なのだから。
もう、仕方がない。もし神様がいるのなら、今日くらいは許してほしい。
「東悟君は水、バケツに入れて持ってきて!」
「ったく、人づかいが荒ぇな」
「はやく、はやくっ」
「……無視かよ」
苦笑しつつ、バケツを取りに校舎に戻る。
春始めに花火なんてしたことがなかった。というか、しようとすら思わなかった。
彼女はたまに突拍子もないことを言う。けれど、その突拍子もなさに、面白味を感じている自分がいることは確かだった。
「おまたせー」
「おっ!待ってたよ!」
水が入ってもさして重くないバケツを片手に持って戻ると、美花はにこりと笑って手招きをした。
彼女の足元には二人でするには十分過ぎる程の花火が用意されていた。
「どれからやろっかなぁ」
「え、もう始めるの?」
辺りはまだ明るい。太陽がまだ沈んでいないというのに、もう始めるのだろうか。
意気込む美花に問いかけると、彼女は「どうして?」と首を傾げた。
「だって花火って、基本、夜でしょ。こんなに明るいのにもうやるの?」
「そうかもしれないけど。夜まで待つわけにいかないでしょ。君も私も、帰らなきゃいけないし」
天真爛漫でいつも何を考えているか分からないような彼女だが、一応常識人らしい。いや、立入禁止の屋上で花火をしようとしている時点で常識的ではないのだが、それでも夜の学校で花火を、などという考えには至らないようだ。
「なんか意外って顔してない?私が夜まで学校にとどまるようなことすると思う?」
「……」
「あ!その顔は絶対思ってたね?心外なんですけどー!」
美花は、むっと眉を寄せて僕の腕を叩く。
「ちょっと、水こぼれるって!」
慌ててバケツを地面に置く。なんとかこぼれずにすんだことに安堵する。それから二人して顔を見合わせ、互いに吹き出した。
「さぁ、始めよっか!」
笑いがおさまったところで、美花がそう言って花火を持った。あらかじめ火をつけておいた蝋燭に花火の先端をかざすと、一気に噴射してシュワシュワと花火特有の音を立てる。
着火したところの付近は赤いのに、飛び散る火花はオレンジだった。名の通り綺麗に花を咲かせ、しばらくすると、すうっと溶けるように消えてしまう。
こうして花火をするのは、何年ぶりだろうか。小学生くらいの頃は好んでやった気もするが、中学生……ましてや高校生になってからは花火をした記憶などない。
ふと美花を見ると、彼女は宝石を宿したように瞳をキラキラと輝かせて、まっすぐにその花を見ていた。ドクッと心臓が跳ねる。弾けるような花火の音が消えたような気がした。それくらい、彼女の姿しか見えていなかった。僕の意識の中には、彼女しかいなかった。
唐突に、その華奢な身体を抱きしめたい衝動にかられる。こんな経験は初めてだった。一歩足を踏み出しかけ、ふと我に返り頭を振る。
……だめだ。己の勝手な欲望は、抑えなければならない。
僕はこうして、楽しそうに笑う彼女を見ているだけで幸せなのだ。そんな僕の視線に気付いたのか、美花はこちらをパッと振り向いた。
「なにそんな真剣な顔してるの?笑って、東悟くん」
「あ……うん」
はは、とぎこちない笑みを作ると、彼女は満足げにうなずいて、すっかり火の消えた花火をバケツに入れる。じゅわっと音がした。美花はまた二本花火をとって、そのうちの一本を僕に差し出してくる。
「はい、次の花火。たくさんあるから、どんどんやろ」
うん、とうなずいて受け取る。
だんだんと日が落ち、辺りはゆっくりと暗色に包まれつつある。屋上には、美花の軽快な笑い声が響いていた。
*
赤、オレンジ、黄色と変化しながら火花を散らす花火にカメラを構える。
花火にピントを合わせる僕の耳が、美花の声を拾った。
「ちゃんと綺麗に撮ってよ、東悟くん」
「当然だろ。なにせ僕は、君のお墨付きを貰ったんだから」
「ふふ、まあね」
次々と色を変えて変化していくようすをじっと見つめたまま、美花は「ねえ、東悟くん」とやけに小さな声音で僕の名前を呼んだ。
「ん?」
「卒業までの間にさ……やっぱり、夜会おうよ、ここで」
「え、何か卑猥なこと考えてる?」
「バカ、そんなわけないでしょ。ていうか、そういうこと言う時点で東悟くんの方が変態じゃん」
「はは、ごめんごめん」
頬を膨らませる美花の手元で、しゅわしゅわと音を立てる花火。床に落ちていく火花は何度見ても綺麗で、カメラから目を離してしばらく肉眼で見つめる。そうして、先程の彼女の発言を思い出してすぐさま問いかけた。
「夜会うって、忍び込むってこと?」
「ん、そう。無理、かな」
「……無理、ってことは、ないと思う」
鍵の感じからしてこの屋上には長い間教員の意識は向いていないはずだから、たとえ忍び込んでもばれないだろう。現に、僕たちがこうして屋上にいる今ですら、気づかれていない。もう一週間が過ぎたというのに、誰もこの屋上に来ることはなかった。
「できるの!?すごく楽しみ」
「美花が上手くやってくれたらね。絶対にばれないでよ」
「任せて!」
美花が嬉しい時にゆらゆらと身体を揺らすのが癖だということを、この一週間で知った。今身体を揺らしているということは、嬉しがってくれているということだろう。
そのことが、なんだか無性に嬉しかった。