「えっと、名前を教えてくれないかな」
春風が、彼女の茶髪を揺らす。毛先が少しくるんとしている彼女の髪が、躍るようにさらりと肩に落ちた。
「……美花」
心の中で「美花」という響きを反芻する。
改めて聞いてみると、彼女───美花の声は少しハスキーだった。けれど、聞き取りづらいということは一切なく、むしろそこがまた彼女を魅力的にしていた。
「君は?」
問い返されて、「東悟」と小さく名乗る。美花は、良い名前、と微笑んで寝転がった。
「東悟君も寝転んでみなよ。綺麗だよ、空」
目を伏せた美花は、そう言って口角を上げた。さらっと名前を呼ばれ、鼓動が大きく跳ねる。促されるまま、ゆっくりと地面に背をつけると、ひんやりとした感触が背中に伝わった。
「……なんであんなことしたの?」
責めるわけでもなく、問い詰めるわけでもなく、ただ包み込むような声音で問われる。叱るとか怒るとかそういうことをするためではなく、純粋に知りたいから訊ねた、そんな口調だった。
「……つまんなかったから、かな。生きる意味なんてないし」
「そっか」
何事もないように僕の言葉を流した美花は、しばらく黙っていたけれど、「じゃあ」と言って目を開いた。
硝子玉のように澄んだ瞳と視線が絡み合う。どきりと心臓が音を立てたような気がした。
「生きる意味、見つけようよ。私と」
「は……?」
突拍子もないことを言う美花に思わず声が洩れる。
彼女は目を丸くする僕を気にすることなく、むくりと身体を起き上がらせて、自身ありげににっこりと笑った。
「卒業までのあと二週間。私と楽しいこといっぱいして、生きる意味を探そうよ」
「生きる、意味……?」
「そう。生きるって楽しい、生きててよかった、って東悟君が思えるように、私頑張るからさ。どうせなら二週間楽しいことしてみない?」
悪戯っぽい笑みを浮かべる美花には、何か考えがあるようで。
寝転んだまま呆然とする僕の肩をトンと叩き、ヘーゼルの瞳でまっすぐに僕を見つめながら微笑んだ。
「君の二週間を私にください」
いつの間にか赤やオレンジが滲み出した空に、彼女がすうっと溶けていくような錯覚に陥る。
会ったこともない、存在さえも知らなかった人の言葉を聞いて思いとどまるなどどうかしている。
そう自分でも思ったけれど。
『生きる意味、見つけようよ、私と』
その言葉が、まっすぐな視線が、僕の心を掴んで離さない。
どうせ死ぬのなら、二週間を彼女と過ごしてからでもいいのではないか。
そんな思いが小さく胸の内に生まれて、どうしていいか分からなくなる。
「気の迷いだったら、東悟くんは絶対に後悔する。人生は、世界は、つまらなくなんてないよ。それを私が証明するから。私と卒業までの二週間を過ごして、それでも死にたいんだったら、私はもう止めないよ。だから、ね?」
彼女は僕が死ぬことを否定しなかった。ただ、死ぬまでの期間を少しだけ延ばそうとしただけ。
その事実だけで、心が少しだけ軽くなるような気がした。
「東悟くん。二週間、よろしく」
もう僕が首を縦に振ることが決まっているようなそんな物言いに、思わず笑みがこぼれる。
美花の言葉にゆっくりと頷くと、美花はまた嬉しそうにゆらゆらと身体を揺らしながら笑う。
「あ、でも最初の一週間は、ちょっと私の好きなことをさせて」
「好きなこと?」
「うん。私は毎日この屋上にいるから。気が向いたら、遊びに来てよ」
人は、出会うべき時に出会うべき人と出会うという。
この出会いが、僕の人生を大きく揺るがすことになるとは、このときの僕は思いもしなかった。