「うわあ……」

朝、登校したら靴箱に上履きがなかったので探していたら、園芸部用の物置の脇に置いてあったバケツに湛えられた水の中に突っ込まれていた。寒空の下、びしょびしょの上履きを救出してあかねは小さなため息を吐く。

そもそも学校でモテてた光輝と仲がいいことで恨まれていたあかねは、ここへきて玲人の件もあり、再び嫌がらせを受けるようになっていた。
……とはいえ、光輝の時はここまではやられなかった。上履きだったら、せいぜい隠されるくらいのものだった。

(しかたない。先生に話して、スリッパ借りよう……)

びしょぬれになった上履きを持ってあかねが校舎へと向かうと、丁度登校してきた玲人とバッタリ会ってしまった。

「おはよう、あかねちゃん。どうしたの、その上履き」
「おはよう、玲人くん。いや、これは何でもないから」

サッと上履きを背後に隠したけど、それが玲人の不信を買ったようだった。眉を寄せて、誰かにやられたの? と心配そうに窺ってくる。

「あー、まー、こういうのは慣れてるから。先生に言っても無駄だよ。またか、って顔されるだけだし。しかしやることがずるいのよねー。恋すると人間ちっさくなるのかな」

そんな感情もつなら、私だったら恋なんてしたくない。玲人の信者に相応しくあるべく、人にやさしく穏やかで居たい。
そんな気持ちで歴戦の戦士みたいな台詞を言うと、玲人はあからさまに落ち込んだ。

「あかねちゃんが困ってるのに、僕、なにもしてあげられないんだね……」
「それを言うなら、私なんかじゃなくって、もっとみんなが納得するような子と付き合ってくれれば、私への意地悪は少なくなると思うんだけど」

あかねは一縷の期待を込めて玲人に言ってみたが、玲人は首を振るだけだった。

「そんなの無理だよ。あかねちゃんが良いんだもん」
「じゃあさ。私が良いって思ってくれたのって、なんで?」

玲人と距離を取って歩きながら、そもそも論だが、玲人の言い分も聞いておく。

「なんでって、そりゃあ、僕の事一生懸命考えてくれたことだよ。自分の欲求に負けないで、僕の事尊重してくれたところ」

(あっ、閃いた!)

玲人の言葉に、頭の中でスラスラと脚本が出来上がった。滾る! 玲人の、『普通の高校生としての恋人』が出来るかもしれない!! 推しの!! ハッピースクールライフ!!

「じゃあ、私以上に玲人くんのことを尊重して、一生懸命考える女の子が居たら良いのね!?」

あかねの言葉に、玲人が大きなため息を吐いて肩を落とした。

「だからなんでそんな無茶を言うのかなあ」
「だって、私は無理なんだもん。そうすると、玲人くんの『普通の高校生』としての恋愛が出来ないでしょ? だから私は、玲人くんに普通の高校生として充実したハッピーラブライフを送ってもらえるように、色々考えるのよ」

あかねの力説に、玲人は逆に、じゃあさ? とこう問いかけた。

「どうしたら、あかねちゃんは僕のことを推しとしてじゃなく、一人のクラスメイトとして見てくれるの? 
これ言うとなんだけど、他の子たちだって今までは画面を隔てて僕を応援してくれてたんでしょう? だけど、みんな僕のことを恋愛の対象として見てくれてるよ? 
あかねちゃんだけがそうならない理由って、なに?」

うーん。何故だと問われると、ちょっと分からない。だって、推しは推しとしてしか見れないじゃないか。
今なおあかねの心の中に流れる大河には滔々と玲人への崇拝の念が溢れかえっている。その川の崇拝成分を変えることは不可能だ。崇拝成分がなくなったら、あかねは玲人をどう見て良いのか分からない。

「っていうか、こうやって二人で話してるところだって、みんなに見られたら不満の原因になるんだよう。私は職員室に行くから、玲人くんはしれっと教室に行ってて欲しい!」

あかねはそう言うと、びしょぬれになった上履きを持って職員室へ急いだ。玲人がちょっと不満そうな顔をしていたのが見えたけど、仕方ないのだ。

(だって、十年も推し活やってるんだよ? それ以外の目でなんて、見れないに決まってるじゃん!!)

あかねの内心の叫びは、玲人には届かなかった。