サガリバナ。これが一番好きな花だと君は言った。

 それを見に行く約束はもう叶わないと思った。途轍もなく長く感じ三日経った今日。彼女は心筋梗塞が再度発覚したと伝達が来た。

 僕にはもうできることは何もない。君にして挙げれること、君のワガママに答える事。君を最後まで笑顔でいさせること。そんな願望も全て散ったと思った。

 閉めていたカーテンを開けると、外は夜に満ち。

 時刻は日付替わりの境目。サガリバナは夜中にしか咲くことのない花。日出る頃には全て散る。まるで幻だ。そうなると、今が絶好のピークという。

 僕がなぜ外を見ているのか考えるだけで鼓動が震え始め、それが指先に全身へと伝わってくる。きっと取返しつかないことになる。僕の見える未来だった。今にも自分を止めたいほど反吐が出そうなくらい、今までの自分では絶対考えれないことだった。

 それでも押し殺し、胸に手を添える。どうにかこの心情を無理やり落ち着かせた。

 ――――ヘルメットを二つ。家を飛び出した。今から君と永遠の別れをしに行く。


 人も車もいなくなったこの街は、まるで地図から消された場所かのよう。それでも君との見た光景がヘルメットを通して映し出される。君との全ての思い出が今、ここに。

 圧倒される暴風にも退くことなくアクセルを捻り、急ぎに急ぎ、急げと、急いだ。

 建物の外観は全て電気が消え去り、暗くなって人が薄れた病院にかまう事なく侵入し、響く廊下の中今にも重い足を速めた。

 病棟へ上がり、彼女の病室であった個室に足を止めるが、そこには彼女の名札が消えていた。

 再び足を速め、必死に探し周り、一つだけ病室内から廊下へこぼれている明かりを見つけた。どうやらまだ隔離はされていないようだった。

 そしてその明かりに照らされているシルエットを見つけた。そこには玲奈さんがまるで僕が来るのを知っているかのように立っていた。目の前で走った代償で息を切らし膝に手を当て、言葉がまだ出ない僕に玲奈さんは言った。

「どうして…来ちゃったの」

「…」

 すると何も答えれない僕に対し、玲奈さんは眉をしかめた。

「私の妹に、どうして会いに来たのかと聞いてるの。早く答えて」

「…………妹…?」

 衝撃の事実のあまり、思わず息切れよりも声が優先し聞き返してしまう。突然と言われ思考が乱れる僕を、待つことなんてなかった。

「あの子は私の義理の妹なの。あの子に……実の家族なんていないのよ」

 更に衝撃を述べた。でもまるで言いたくなかった事のように自ら毒を吐くような、言動。それにまだ思考が追い付けるような状態ではない。信じられないという言葉が並ぶ前に、それでもと悟り、一つわかったことがある。彼女が病気であるのにも関わらず、ここまで自由を駆使し、実行できたのは、それを見逃さない親という存在。

 彼女がバス停で取ったあの一瞬の消えた表情が、振り返り当てはまる。彼女には家族がいないんだ。

 玲奈さんの雲ががる表情からは微塵も嘘がない。そしてその緊迫とした表情が彼女を一刻を争う状況なのだとわかる。僕は再び。―――――玲奈さんの横へ、通りすぎるよう一歩踏み出した。

 あの子を殺すつもり…?

 横から吹かれたその一言で、完全に意を突かれた。足の神経ごと止まってしまう。

 言われる通りなんだ。今から僕がする事はいわば彼女を殺す、事には変わらない。生きていてほしいと願望なのにまるで逆の事をしている。君を見に行くなんて、傍から考えれば所詮綺麗事にしか過ぎないんだ。玲奈さんは、本気で妹に生きてほしい。彼女の過去を僕は把握しきれていないが、僕よりも何年も共にいた。だから僕を止めるんだ。僕のアヤマチをこれ以上起こさないようにと。

「私は看護師である以上、あなたをもうあの子に近づけるわけにはいかない。もうお願いだから帰って。あの子にこれ以上深傷を負わせたくないの。会わないで」

 必死に何かを堪えながらもこれは玲奈さんからの本気の一言だ。僕の足が後ろへ引いたそんな時だった――――。

 ………………………お姉ちゃん

 病室の暗闇に包まれた先から、突如と声がした。玲奈さんが振り返り、僕も横から覗くと、廊下の手すりに必死に支え、息を切らして幾場もない姿の彼女が。目元も零れ落ちそうなほど、酷く見ていて、悲しくなった。今にも消え入りそうな声、暗い照明でもわかる青ざめた表情。彼女はやっぱり僕に隠していたんだ。

 咄嗟に僕よりも先に、玲奈さんが動き、彼女の前に駆け寄り歩かせるのを止めた。

 片膝を降ろし、彼女の肩を掴んで、必死に声を上げる。

「何してるのよ! 外に出たらダメってあれほど言ったじゃない! それに酸素マスクは? 点滴は? どうしてそういつも嫌がるの? どうして言う事、聞いてくれないのよ……」

 廊下に響きわたる罵声。彼女を加減なしで叱った。でもそれが彼女に対する本心なんだ。愛情なんだ。

 玲奈さんが一番怖いんだ。慌てながらも彼女の行動にも僕の行動にも、どのみち結果が繋がるという事が見えているのだ。

「今は大人しく寝て、ね? お願い………お願いだから。最後くらいお姉ちゃんの頼みを聞いてよ。お願い……」

 哀れもない姿に悲観してしまい唇をかみしめる事しかできない僕。玲奈さんのもう片方の膝が崩れた。そして彼女を自分へと引き寄せた。

「私は…あなたを失いたくない…。まだ逝かないで。私の傍にいて」

 うねり声と、共に裏声さえ交ざるその悲願である本音が、僕の心臓をつぶす勢いで握り占めた。

 拳を強く握り、見ているだけいけなく、彼女を病室へ返そうと思った。これは僕らのとんだ間違いなんだ。

 首をわずかに上げると彼女と目が合った。いや、彼女が、合わせてきた。その瞳の奥には、燃え尽きそうな状態でも小さな命が強く、宿っているのを感じる。彼女はまるで意を決した。

「お姉ちゃん…」

 再び腕の中にある嗚咽を流す玲奈さんへと言葉を落とした。

 すると玲奈さんは声を出せずに彼女を見る。玲奈さんの頭に額を乗せ背へと腕を回した。

「大好き。お姉ちゃんが一番大好きだよ」

 この声は僕には曖昧だっただろう。玲奈さんいだけ聞こえるよう口が開くことしかわからなかった。彼女は玲奈さんを今出せる力で必死に抱きしめた。そこから芽生える愛情も感情もここで、収めるかのように。

 二人とも僕に隠すよう涙を流した。

「ごめんなさい。お姉ちゃん一人にさせて、ここまでずっとワガママばっかでごめんね。でも私行かないと―――――」

 しばらくしてから、ゆっくりと。玲奈さんを包んだ優しい腕を解放し、玲奈さんをその場で置いていくように、僕へと近づいてきた彼女に息を呑んだ。

 彼女の瞳から覚悟が伝わった。しかし、彼女が手すりを滑らせ、前にこけそうになり僕が支えた。もう、彼女は小枝のようになっている。幾場もない状況かでもある。

 そんな彼女を歩けないと確信し、おぶるよう一度体勢を壁にもたれるようにした。そして背中に彼女を抱えた。それでも僕はまだ動けなかった。目の前に、崩れた玲奈さんの背中を見て、気持ちに同情してしまった。

「奥の非常階段から行って」

 その声に、僕は過剰に反応した。咄嗟に廊下奥を見ると、言葉通り、天井に吊り下げられた非常階段の蛍光マークが見えた。

「そこから行けば多分誰にも見つからないから…」

 地面に言葉を捨てた。僕は何も言えず、そして何も動けもしなかった。

「行ってよ…! 早く! ………うぅ………うぅ……」

 荒ぶる声と共に首を向けたその整った顔には涙という感情に一面包まれていた。そして監視の目に入らない非常階段へと、彼女をおぶる僕を進めさせた。

 歩み出した僕を玲奈さんはもう顔を向かず、膝間づいたまま地面にコトバと、涙を落としていた。

 非常階段の戸をゆっくりと開ける。玲奈さんの表情が一向に頭から離れない。その行動が、どれだけ覚悟を持ったのだろう。玲奈さんは看護師である立場で、死に幾場もない患者。ましてやそれが妹。後も引けない状況かで外出させるなんて、法を犯す事と変わらない。そして何より。ここで妹との永遠の別れをする覚悟を玲奈さんは持った。そして、二度と戻らない中野和葉の命を僕に預けてくれた。

 重心を崩さないよう、ゆっくりと、階段を降りる。

 だから僕は止まらない。後ろを向かない。

 罪悪感も何もかも捨て。本当の彼女を彼女と見るまでは―――――。

 僕は、感情というものを入れないよう自分自身強く噛みしめた。

 背面に彼女という生命を託し、託され、夜の街を駆けた。急いでいたからこそインカムの設定もせず彼女の声なんて病院で玲奈さんとの会話以降耳にしていない。この状況で残されるべく時間に必要な言葉がまだ見つからず、仮に発したとしてもこの勢いある対抗風に全部飲み込まれるだろう。

 寒いほど感じる肌と共に僕の背にはまだ彼女の体温だけ、まるで小さい燃え尽きそうな炎のように、まだ灯を消えてなかった。

 数十分経ってバイクを停める。それは最後のツーリングが終わったという事。

 そんな小さな行動ですら、一つ一つがもう彼女とは最期なんだ。

 だが僕は振り返らない。意を固めたまま再びおぶり直す。静かな夜風と共にする田舎の道を進んだ。

 市街から大分離れ、辺り一面暗闇に包まれた喉かで横から吹く涼風が彼女の体温を冷まそうとして僕が必死で背中からぬくもりを伝えた。

 彼女の見たかった花はそこにある。

 彼女は本当に眠るかのように、もういつもの活気ある声を出す事は二度とないのだとわかる。それが余計に悲しくなってしまう。それでも僕は感情を入れない。

 最後まで君には笑っていてほしいから。

 峠かのような緩やかな斜面を超え、足を止めた。数センチもない草むらの上に、ゆっくりと腰を下ろすようしゃがみそのまま彼女を置いて、そして僕も座る。僕らの目の前にはもうその光景が広がって見えていた。

 サガリバナ――――――。これが君が見たかった花だ。幻ではなく、本物だった。ここはフラワーガーデンの近くでもあり鼻の養殖が盛んだと有名だ。そして開いたビニールハウスから見える白色矮星のような一輪の花。

 それもまだ一つだけしか咲いていない。本当に、僕らを待っていたようだ。

 彼女は綺麗と言いながら、その花を見てからは元気となって夢中となった。涙やけの青ざめている顔色でも何とか笑みを浮かばせ、サガリバナと僕を度々交差し続ける。そんな様子を僕は吹く風かのように静かに、見た。

「私…お姉ちゃんに怒られるよね。悪い子だって」

 次第に変わる彼女のうねりと交ざるような声に僕は優しく言葉を返した。

「そんな事ないよ。でもきっと百年後。とかその時は一緒に怒られよう。僕も悪い人間だから」

 すると彼女は、わずかにクスと笑みを零してくれた。

「フフ、君のジョークは相変わらずだね」

 ちょっと呆れられたその笑みを僕の口角も動かした。

 何分、何十分彼女とここで笑い合っただろう。そこにはお互い肌が触れ合う事も、愛を発する言葉もなくただただいつもの日常のように彼女と笑い合うだけの時間が過ぎて行った。僕はそれが何より幸せだった。彼女もきっと、幸せだった。

 彼女が、小さい頭を、僕の肩に撫でおろすよう乗せた。

「……最期に、撮って」

 微塵もない声を耳にささやかれ、僕は慌てて自分のスマホを取り出した。そして内カメにして、今にも手が地震のように揺れているものの、頭上へと上げた。

 隣の彼女はもう涙を抑えきれなく、溢れ、崩れてた。それでも僕は揺るぎない。

 そんな彼女に向かって僕が顔を向けると―――――――ほら、笑った。

 僕は君の笑い方を知ってる。君の笑わせ方も知ってる。君の泣かせ方も、君の怒らし方も全部僕だけ知っている。

 初めて僕のスマホで撮るんだ。君との生きた証を。

 それに震えが止まらない。今にも押してしまいそうな程指の震えが収まらない。これが最初で最後。一度しかないチャンスだとわかっているから。

 こんなどの付く素人が挑むだなんて、難関すぎたのかもしれない。

 それでも彼女と、僕を―――――。

 どうにか画角へ収め。その小さいスマホの画面とは思えないほど、笑みで溢れかえった。

 指を寸前まで近づけ、その押す瞬間が彼女との本当の最後。

 何があってもその笑顔を見逃さなかった。最高の一枚、最高の笑顔。そう言っていいほど、僕と、彼女の本当の姿を記憶と共に、一緒に一生として残せた。

 シャッター音が鳴った後すぐサガリバナが、宙に逆らうよう落ちた。

 そしてもう、芽生えることはなかった。






 色のない世界にいた。日中カーテンをも開けず、部屋にこもり、誰にも観測されない日々。全てが夜に包まれているようだった。ただぼんやりと時間が過ぎるというだけ。自然と身体が脳にそう命令している。このままこの世界に溶け込んでいきそうだ。

 彼女が死去して一か月、僕はずっとこの調子だ。葬式も終え、君と関わった人々は君に数えきれない涙で包まれていただろう。僕は参加しなかった。君は僕を怒っているだろう。でも僕には、行く気力がなかった。目の前でクラスメイトが一人死んだなんて、誰がそう思うだろう。あれから、無気力というより、無力さを覚えた。

 生理現象以外ベッドから降りることもないからか、腕を上げるだけですら重みを凄く感じる。その手には、あの時の彼女の死に際の体温がまだ消えていなかった。

 母がトレイに載せて毎度持ってくる食事も、ほとんど喉が通らず、申し訳ない気持ちが故に残しているばかりだ。

 僕にはもう、何もかもが残されていなかった。

 電気もつけずにいる為、僕の視界はほんとに真っ暗だ。これは視界だけなのだろうか。心まで、もう暗さを灯した。

 すると、扉の音がした。母がこの残ったトレイを回収しに来たとそう思ったが、違った。入ってきたのは兄とその影だった。

 ゆっくりと首を途へ向けると兄は部屋の仕切りをまたいだ。

「また、食えなかったか…」

 彼女の死後以来、顔をちゃんと見たのは初めてな気がする。

 僕がゆっくり頷くと、そうかと言った。

「玲奈さん、もう実家へと帰ったみたいなんだ。相当ショックを受けててもう電話にも出てくれない」

「……………」

「一度行かないか? 俺と」

 廊下の電気が映す兄は普段の面影が消える程の唇を噛みしめ、狼狽えるような表情だった。兄のその言動で沈黙が続くことに

 玲奈さんが一番悲しいはず。目の前で妹と別れ、それを身を殺す勢いで、許したのだから。一番背負わせてしまった。僕なんかよりも、よほどだ。

 だから、僕はこの責任を、頂かないといけない。

 まだ終わっていないんだ。この一か月、僕はもう全てが終わっていると思っていたんだ。彼女が死に、僕はもう誰からも必要とされていない。目を背けていたんだ。誰からも。そう、誰からも。

 左手にある今でも忘れない彼女の感覚を握った。

「行く。でも一人で行かせてほしい。もう誰も、巻き込むわけにはいかない」

「そっか………………………」

 兄の言葉がそこで止まった。それは兄が鼻をすする音して、それ以上言葉を発せれない状態だったから。

「ごめん……な……ごめんな。俺は何も気づけいてやれなくて……」

 兄が初めて泣いた。幼少期父や母に怒られべそをかく姿とかではなく、こんなにも自分を責め、僕の心が締め付けられる必死にもがくような表情で、静かに泣く姿を。

 僕は人を傷つけてばかりなんだ。彼女も、玲奈さんも、きっとあの子もそうだった。

 初めて自発的にベッドを降りようと足をベッドから降ろした。そして、ようやく立ち上がり、涙に苦しみ自分を責める兄の傍に寄り、ようやく僕は声を掛けれた。

「あれは、誰にも言えない事情だったんだ。僕以外、知らない、秘密だったんだ。だからそんな顔しないでよ」

 僕の心はもう、今にも壊れそうだ。それでも兄の泣く姿だけは、どうしても

 僕のシャツを掴み顔を落とした。静かに、必死に泣く姿を僕の影で覆い隠した。それでも僕は泣かない。恥じない弟の姿を兄の前にさらすなんて、できない。僕には、まだやらないといけないことがある。

 上から優しく言葉を落とした。

「恥じない兄でいて。僕もそうするから」


 翌日。ひと月ぶりの外へ出た。もうどこにもあの日泣いてた蝉も、憎たらしかった太陽の猛暑も。何もなく、世間はもう長袖を着る人間もいた。昨晩泣き崩れた兄は、今やっと就寝できている。一晩中傍にいた。

 僕は昨日貰った玲奈さんがいるという場所へ向かった。電車を使い、揺られ一時間。南の果てにある田舎町だという。

 そこへ足を運び終えた時には午後なんてとっくに上回っていた。

 小さな田舎が並ぶ横には海が広がる。その場所へとメモとスマホを照合させ歩き進める。いつの間にか僕は海岸沿いまで来ていた。

 住所はここで、止まっていた。

流れてくる潮風が、初めて肌寒く感じる。辺り一面緑しかなかった樹木も、染めるように紅葉が出始めている。まるで前とは変わった世界観だ。これが、君のいない世界なのか。

 夕陽が海を照らし、黄金色に染め上げた時。

「あー、やっと来た! 遅いおそーい! こっちはずっと待ってたんだからー!」

 突如後方から吹いた声の風に、僕は咄嗟に振り返った。誰に向けた声なんてわからない。空耳かもしれない。けれども僕の鼓膜にはしっかりと届いた。

 死んだはずの活気あふれた彼女にしかない、彼女にしか出せない声。

 夕陽で反射する視界に、目を細めてみると、その矢先一つの光が存在した。

 潔白とした目立つワンピース姿の女性が。すらりと伸びたスカートが風に吹かれかすかに靡いた。

 あの服は、彼女が着ていた物だ。

 背丈もわずかに見える肩で揃えて切った髪型も全て。全てがこの前僕の目の前で死去した中野和葉に。

 ありえない。死者の声なんて。死者の姿なんて。僕は夢を見ているのか、これは現実でとらえていいのか。

 家にこもりすぎて等々幻覚にまで出会うようになったのか。久しぶりに、声を聞いたせいか一瞬で脳が錯覚を起こし、本物だと認識してしまった。

「やっと……来たね」

 その萎縮とした感傷的な声質を、僕は知っている。
 
 彼女がもういないだなんて、わかっている。

 僕の前へと二歩踏み出した。

 顔がはっきりわかった瞬間、僕の右頬に強い衝撃が走った。その反動により僕はわずか後ろによろめく。

 それでもその衝撃に驚かなかった、そうなるのだとわかっていたのかもしれない。

 次第に頬から熱が生まれ出し、ズキズキとした痛みを感じ始める僕は、打たれた反動のまま、動じず、わずか俯いてしまった。

 彼女かと錯覚したその姿は、玲奈さん。

 まるで彼女そっくりかのようにした髪型、そしてあの日着ていた服装までも同じ、そろえたその姿に少し驚いたんだ。

「これくらい、受けなさい」

 その潤った目から出る涙よりも、噛みしめながら放ったその一言は、頬なんかよりも胸に刺さった。

 唇を歪めることしかできなく、何も言葉が出せなかった。

「あれから看護師を辞めたわ。いくら揉み消しにしても、絶えられなかった。一番やっちゃいけないことをしたんだもの」

 彼女との一件は、病院内での死去として納められた。それを委ねた張本人とも言えるのが、玲奈さん。だった。その理由は、僕を守る為大ごとすら何も、起きなかったことにしたんだ。

 表情が崩れ、それを今にも堪える玲奈さんに、自然と頭が下がる。もう二度と二度と、この頭を上げるわけにはいかない。

 あの場に残ればあった彼女の数時間の命も、玲奈さんの精神も未来までも、僕は奪った。こんなの強奪すぎる。自分の欲深さに涙を引き換えに。どんな形であれこの事実だけは変わらない。僕が全て、奪い、悲しみの元凶を生んでしまった。

 その罪深さが、僕の心を責めた。

「やめて」

 玲奈さんの静かに響くような一言で僕の下がる頭が停止した。

「君は間違ったことをした? 違うでしょ? そこで謝ったりしたら、あの子はどうなると思う?」

「…」

「どんな形であれ、あの子を無駄死になんてことにはしたくないの。あの子だってそこを十分わかってるはず。取り消しなさい」

 これは優しさではない、事実。

 間違いなんて何一つもなかった。彼女はあの時、狭間にいる末、覚悟を決めた。

 あの意を決す目と表情には間違いなんてものは何も存在しなかった。下げた頭をしばし上げていくと、その間に、手の元に何かを渡すよう向かれていた。

「これを、あなたに渡したかった。私はずっとあなたを待ってた」

 震える声と手先にある、そこには宛先も宛名もない茶封筒。でも少しある膨らみは、手紙のようだ。

 受け取り、開けると、三つ折りの紙。

 拝啓 桑原樹生君へ

 彼女の字だ。その柔らかい感じが出す筆記体は、初めて彼女とかき氷を食べに行った際、記入した時に見た、彼女特有の字だと覚えていた。

 なんか性に合わないかな? 遺書みたいになるからやっぱなし! ありのままでいくね。

 やぁ元気? 君は私が死んでも、平然としていそう。図星かな…? 本当なら悲しいけど…。

 まず、君に言わないといけないことがあります。

 君を今まで悩ませ、苦しませていたのは私です。

 嘘じゃないよ、ほんと。

 中学三年の当時病気を知った私は、間もない頃に両親を不慮な事故で亡くした。
 
 私は留守番をしてた、その買い物帰り。

 信号を無視したトラックが正面衝突され、現場は跡形もなかったという。

 行ってきますと言ってそれが最期の言葉だなんて、誰が思うだろうね。君のお父さんも、そうだったんでしょ? 前言ってたよね。だから君の気持ち、わかる。

 私は凄くショックだった。病気の私を置いて行って、悲しかったし、

 おかえりがなく、家に帰っても誰もただいまがない日々が、どれだけ深刻で辛かったか。

 それからは、近所でもあり昔から家族絡みのある玲奈さんに引き取ってもらうことになった。それでも私の心は開ける状態ではなかった。病気も治療せずいた。時には友達と夜遊びして警察の補導対象となって翌日先生に怒られたり、時には学校にも行かなくもなった。

 もうお母さんとお父さんのいない飼ってた犬もいない、そんなただ色が付かない世界に私がいる存在、生きる意味なんてものはないと思い込み始めた。

 私は、もう死ぬんだと、そう感じた。

 でもそんな私を玲奈さんはいつも励ましてくれた。仕事で疲れているのにいつも家事を手伝ってくれたり、時には話相手にもなってくれて、いつも優しくそっと私に微笑む笑顔が、本当のお母さんかのようにも思った。

 でもいつの日か私はそれを嫌だと感じた。

 そしてあの晩、大喧嘩になった。治療をしない私を玲奈さんが初めて怒った。本気だった。患者である義理でもある義妹を見捨てているわけにはいかないって。

 だからって、私も本気で怒り返した。私の気持ちなんて義理の姉なんかにわからるわけないと思ってた。

 そしたら玲奈さん泣いちゃったの。そんな顔見たくなかった。そんな顔させた自分を、見たくなかった。

 咄嗟に家を飛び出した。何もかももう失うように、逃げていた。明け暮れるまでずっと、ずっと無我夢中で、走った。
 
 そして途中、倒れて動けなくなった。

 気づいたときには息すら尊くもなって、これが死なのかと錯覚したの。

 自業自得だよね。ここまで自分が犯してきたことなのに、こんなどうしようもない人間。仕方ないって。

 私は、とんでもない親不孝ものだ。最低だ―――。

 そうなるべきだと思った。

 そんな時君がいた。君が私を見つけてくれた。懸命に私を助ける姿に自分の死を願った私を

 君に言われた、『君が生きているならそれでいい』って。

 そんな言葉、生まれて初めて言われた。胸が熱くなった。だから私はもう耐え切れなかったの。人前であんなに号泣したのも初めて。初めて会った人でも恥ずかしくないほど、その言葉が嬉しくて、遂。
 
 誰かにここまで必要とされていて、自分の視野の狭さと愚かさに初めて気づけた。私は自分で心を閉ざして、被害者面してたんだって。本当に君が救ってくれて良かった。君に救われて本当に私は良かった。

 でも突然君が逃げ出しちゃったのは、あの時はわからなかったけど、今思えば私が泣きだしたせいで合っているかな…?
 
 勘違いさせちゃって、ごめんね……。

 だから私は生きると決めた。何があってもまた君に、会えるその日まで必ず生きると自分に誓った。

 その時はもっと君に惹かれる女になれるよう頑張ろうって。

 だからまずは、身なりからと! 人間は見た目で八割なんて言われるしね! 汚らしい姿で覚えられちゃったから、今度は君をビックリさせるほど、綺麗で尚且つおしとやかにそして可愛く!

 お化粧だって名いっぱい頑張ったんだから!
 
 そして高校入学してすぐ、君を見つけた。他クラスだった君は、私の目に間違いなくあの時そっくりのまま映った。偶然だと思った。でも等々身に叶う事が出来た。しかし、自分でもわかるほど変わった姿で突然君の前に現れても逆に避けられるしかないと思った。それで一年、時は待ってくれることなく過ぎちゃった。

 何もただ変わらず、進のは時間と病気のみ、悪化する一方。

 二年になって君と同じクラスになり、勇気出してようやく話しかけてみるも、君はただうんとかそんな大まかというか適当っぽい一言だけ! ビックリした。

 君は私の想像してたよりも遥かに。卑屈が多いし、ネガティブな事を時々思う。人と関わりを遮断し、自分の世界が好きなのか、全く会話に入ろうともせず興味すら持とうともしない! 

 なんてやつだ! 酷い酷い!

 私はそれからかな、自然と諦めるようになったの。君は私なんかもう覚えてないと思った。だって全然印象違いすぎるんだもん(笑) 

 必死に助けたあの面影が私にはもう見えなかった。

 そこからかな。私は自然と君には関わらないよう心掛けてた。クラスでも目を向けることもせず、友達と自分と向き合って過ごす。もう自分には僅かな命と、人より短い時間しか残っていないだからこそ名いっぱい、楽しい毎日にしようって。

 でもまた私の気持ちに変動が起きた。それはあの花火大会。前々から友達と浴衣着て行く約束して、写真撮る約束も、屋台もたくさん周るって約束もして、ずっと楽しみにしてた。

 けど、その日私の体調は良好じゃなかった。夜中も寝れないほどずっと息苦しくて、朝べっつどから起きるのもやっと。でもそれを私は何事もないかのように過ごした。
 
 玲奈さんに知れたら絶対心配かけるし、黙っておくために私はワガママを優先にした。後悔はしたくなかった。今日行かないと次はないなんて、有意義さに没頭して自分の意志を固くしちゃってさ。

 それでも限界は来た。花火が始まる直前、体調を隠すのがもうギリギリだった。私は友達に適当な嘘付いて、少しだけ別行動することにした。誰にも知られるわけにはいかなかった。心配かけたくなかった。

 立ち眩みもしてきても意識が朦朧の中でもなんとか出口に行こうって無理やり足を動かして人混みを抜けてた。でも花火の音と共に、私の足が崩れた。

 倒れた瞬間思った。罰が当たったまた同じ過ちを繰り返したんだって。目すら開けれない私の周りからは悲鳴とざわつく声しか鳴りやまなかった。

 皆私をけなしてると思った。こんな自分勝手で馬鹿な私を自分でも責めた。

 何も学習しない無知な生き物だって。

 もう声すら消え始め、眼をつぶっているはずなのに真っ白な景色が見えてきた。そこにはお父さんもお母さんがいたような気がした。

 迎えが来た。ここが諦め時だと。でも私はある声を聴いた。

 まさかと思った。目も明けれるほど気力がないけど確認できた。それがまさしく君。君だった。

 本当の運命というのを感じた。こんな事ないと思ってた。考えてもいなかった。私は君に見つけられるのが得意みたい。

 きっとこれは、神様のなけなしでもあるチャンス。だから私は、君に知られるよう、あの後からも付きまとう感じでもいいから何とか頑張った。

 君は何かと警戒しちゃったけども…。

 君と初めてたくさん話した時のあの白熊、美味しかったね。最初は私の事知ってもらうために昔からの大好物を紹介したの。私が食べたかったってのもあるよ…? でも君にあっ、白熊の女(?)だ! なんて、そうでも思わたかった。とにかく人に興味が無さそうな君の記憶に私という一ミリでもいいから存在が入りたかった。

 お買い物行った時も今思えば懐かし。あの日はとにかく充実できたなー! 君は私の着替えた姿にまんま予想通りの無関心な表情。期待したのに、気落としたよー。でもちょっとはドキッともしてほしいですね。私以外はしちゃダメなんだからね?

 その後のゲームセンター。君と何でもいいから勝負をしてみたかった。これはただの好奇心?? んーん違う、ちゃんと仲を深めていくため。

 珍しくも乗ってくれた君の勝負心燃やした時の背中。ちょっぴりカッコよく見えた。

 その後ショッピングモールに偶然いたお兄さんの率直した案で、君の家にお邪魔させてもらって。家族の温かさを数年ぶりに実感できた。何気ない会話、何気ない行動。食器の後片付けさえ私にとっては何より楽しかったし、羨ましくも思った。

 君のお母さん料理、ナンバーワン!

 旅行も、夜君がそんなことする人だとは思わなかった。思い切ってやってみたけど、君はなんとも意地悪さん。だけどもギャッパーの鏡である君は、意地悪を重ねてでも。とても男らしく私をあの晩身を張って守ってくれた。君の姿がとてもカッコよかった。凄くドキドキもし、本当に心臓止まりそうになった。あんな経験、今までにないもん。

 これは二人だけの秘密ね(笑) 

 公言禁止!!!!!! 

 あの日は二人はおバカでした。それでいい。だって………死んでも恥ずかしいんだもん。

 でもとっても楽しく、その分嬉しかったよ。私にとって寝ていたけれどもあの時間が何より宝です。

 ほんと病院抜け出した時も楽しかったね。君が初めて私の服装褒めてくれてびっくり。初め見た時は曖昧な返事で似合ってるのか不安だった。けどきっとこの日言われるため君はとっておいたのでしょう。

 そしてなんとあの君が、あの君がだよ?!
 
 サープラーイズ! 花火を用意してくれた。ほんとあの日の○○君には圧倒されすぎちゃったよ。

 お姫様抱っこ…。あれもう恋人じゃん…。私が頼んだですけれども。

 それでも君のお姫様になりたかった。なりたくてしょうがなかった。あの甘くて、淡くも感じちゃった短い時間が本当に私にとって、本物のシンデレラでした。

 こうしてみるとたっーた、二か月で充実しすぎたね。君と関わってから毎日が濃く、一日一日が最高の日々。私の黒ずんだ心に、光という色が加わった。胸張って言える。君のおかげです。

 でもこんな時になってずっと黙っててごめんね。言えなかった。言い出せなかったなんて通用しないのもわかってる。だけどもそう。君を、悲しませたくなかった。

 終業式で話してきた時初めて知った。君をそこまで苦しませていた、なんて知らずに。

 ずっと私は、君の悪魔だったんだね。

 だからもう私は、切り捨てた。君を好きになるこの気持ちにさよならを。

 でも――――それでもやっぱ、この気持ちを完全に抑えることなんてできなかった。辛かった。

 君は私を好きにならないって言ってくれたけど、嬉しかったけど、やっぱり悲しかった。

 本当は君と恋に落ちてみたかった。君ともっと色んな所へ行きたかった。

 もっと生きたかったなぁ。もっと君にも触れたかった。

 ごめんね先に死んじゃって。君を残していってしまって。お姉ちゃんまでも残しちゃって。

 本当馬鹿だ、私は馬鹿だ。人を悲しみの渦へと巻きんじゃって。

 怒っていいよ、怒って。でも嫌いにはならないで。

 もう謝りきれない。けど私はもう死にます。

 その分ありがとうもたくさん。

 あの日私を助けてくれてありがとう。君のおかげで君の選択で、私は生きた。生きれた。

 私を乗せてくれてありがとう、私を連れて行ってくれてありがとう。君と見た景色は死んでも覚える。天国にできたお友達にも話すよ。

 君がいつか、気が向いたらでもいい。また乗ることに決めたらその時はまた。私をどこかへ連れて行って。死んでも私は君と色々なところへ行きたい。観に行きたい。君と過ごしたい。傍にいたい。

 私に、体温をくれてありがとう。君のおかげで私は長く生きれました。

 だから君は生きて、私の病気にならずに誰にも支配されることなく笑って。私のように大袈裟にずっと。君は私といた時の笑顔が一番だって知ってるから。だから、笑っていて。

 大好き。私にとって誰よりあなたが一番大好き。言葉に表せないほどずっと君の事が好き。たまらないほどずっと。

 ずっと君に愛が溢れた二年間でした。

 そこを読み切る寸前から、瞼裏から何かが襲ってきた。それは今までにない感覚だった。

 目から流れた雫が、その手紙の一文字を滲ませた。

 ダメだ。抑えようと必死にぬぐおうとしたが、それはやっちゃいけない。

 君の為に、僕は今泣かないといけない。

「………あぁ…………あぁ………あぁ…」

 嗚咽と共に出る涙が、僕の視界を一気に雨に、染めあがった。

 君だったんだ、君だったんじゃないか。僕はどうして………どうして気づいてあげれなかったんだ。

 彼女の想いを、二年をも想い続けてきた気持ちを、どうして僕は理解して挙げれなかった。知れる機会なんていくらでもあったはず。どうしてあの場で言わなかったんだ。どうして、彼女がその子だと考えなかったんだ。どうして僕は、捨ててしまったんだ。

 君が想った二年の重さが、僕の胸を一気に絞め殺した。

 僕の方が馬鹿だよ。君に行ってた通り鈍感で、卑屈で、そして最低だ。

 全てはあの場で逃げ出した僕が原因なのに。君の気持ちも察せず、思わず逃げることばかりを繰り返して。

 僕の方こそ、二年も君を苦しませていた。僕が、君にとって悪魔だったんだ。

 もう君に何も伝えられない。君の想いに応えることも僕の想いも、君に知ってもらうことすら。気づいてもらえない。

 君のいない世界がこれほど残酷で、息苦しさを覚えるなんて。胸に痛むこの思いが罪悪感を増す。

 涙の粒に、君との思い出が結晶として生まれた。

「僕だってずっと、ずっと君の事」

 涙に視界に映る彼女に向かって言った。地平線よりも果てし撒く遠い。伝わらないことなんてわかってる。でも声に上げないと、ダメだった。

 そして隠すよう泣いた。君にこんな姿知られても見られたくはない。拭いても拭いても、きれる涙なんて無かった。

 僕の方こそ、ごめんね。そしてありがとうがいっぱいだ。

 ごめんね。僕がこんなにも未熟としての弱さで、君の気持ちに応えてあげらなくて。君の望む世界を描いて挙げられなくて。もっと早くから気づけばよかった。もっと早くから君を見ていれば良かった。

 でもありがとう。あの日僕に怒ってくれて、僕と仲良くしたいって本気で言ってくれて、それが無ければ今の僕はなかった。あの選択がなければ僕は腐ってた。

 あんなにたくさん笑う事も、胸がときめきそうだった気持ちも芽生えることなんてなかった。

 ありがとう、君こそ僕に光をくれたんだ。二年前、君から貰ったんだ。

 僕を思ってくれて僕に色んな事を教えれてくれて遊んでくれて、僕の心を開いてくれて、ありがとうありがとう。

 嗚咽が喉で絡まり涙のほかに、しゃっくりまで、止まらなくなった。

 絶えない涙の中、空を見た。僕は君のようになれるだろうか。君のように笑えているだろうか。何とか口の角を上げても、表情を変えようとしてもまだまだだ。君のようになれるには、まだ時間が必要みたいだ。

 玲奈さんも、彼女を想って必死に泣いた。顔を隠す手の隙間から涙は一向に止まらず、妹の死に、自分の心に傷を負った。でもそれは僕のせいなんだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい。もっと僕が彼女を想っていれば、もっと僕が幸せにしてあげればよかった」

 玲奈さんに謝った。この無念しかない自分の愚かさを無念に変え。そうでないと僕は君の事を想えていないと思ったから。

 でもそれにこたえることはなく、涙を必死に隠していた。日がもう沈む、空模様が変わるまで。僕らは涙を流した。

「これもあなたにあげるあの子からのお願い」

 玲奈さん顔を拭ききっても目元には涙の痕が酷かった。僕も同じだろう。それほど彼女という存在が強大な価値だったのだから。

 手を首の後ろに回し、付けていたネックレスを外した。そして僕へと向けた。

「あなたは、私にも気づいてやれないことをあの子に教えたの。だから受け取って」

 嗚咽は止まってもまだしゃっくりは止まらないまま、咄嗟に潤んだ目を拭き、それを受け取り、付けた。

「ほら! 似合う!」

 玲奈さんの口角は上がるのを久しぶりに見た気がする。そうだあの時だ。僕の心は自然と温かくなっていった。

 そのネックレスの首ぶら下がる小さな特器を軽く握り笑みを零した。

「僕にはもったいないほどです。そのワンピースもとても似合ってますよ」

 僕はこの温まる心を玲奈さんにも分け与えたくなった。本当に彼女本人に見えたのだから。

「まっ、そんなこと言ってどうするの? 私あの子に嫉妬されちゃうわ」

 僕がそれに微笑を見せると玲奈さんは、まるで彼女のよう彼女を思い出し、クスと笑いを見せた。

 その笑みが小さな風を起こし、一つ木から取れた、紅葉がこっちへと吹く風に乗って流れた。

 君が何か伝えにきたのかもしれない。




「ありがとう。あの子に生きる希望を与えてありがとう」





 ㎰: 

 玲奈さんと会話中ごめんね。でも読んでるってことはちゃんと受け取ったんだね。よかった。

 私はそれだけで凄く安心します。

 それはいつの日か君とお揃いにしたかったネックレス。

 チェーンの繋がれてる小さな筒っぽいのがあるでしょ? 特器っていうのかな? それ、実は中身を空けれるやつなんだ。玲奈さんにお願いして、とある物を入れておきます。

 でも何がか入っているのかは今は内緒。君が大人になる頃、きっとわかるはず。

 私は君にそばにいる。この先何年何十年。君が死ぬまでずっといる。約束します。

 どんなに辛い事が起きても、死にたいって思う事もあるかもしれない。けどそう思った時はいつでも私の事を思い出して。君と過ごした事、君といつまでも笑った事、君とたくさんいけない事し合った事。君は過去を乗り越えられる人間だから。

 最後に。

 私を見つけてくれてありがとう。

 こんな私を、愛してくれてありがとう。