幻想的世界感が溢れ長蛇の提灯に沿い道を、浴衣だらけの喧騒で溢れ返った人混みを、配慮し進む中四方八方からは血の気が濃ゆい声がする。

 それは真ん前の参道から。一躍注目をする金で囲い、金で覆われた巨大な神輿を担ぐ軍団が。僕のような虚弱とは違い、生まれながらも強靭な骨格そして屈強な体格を持つ漢たち。

 罵声のように張りながら運んでいく。その飛び散る汗には、神に称える誠意を表していた。

 蒸し暑い日が落ちた今日県内一二を競う夏祭りが繁華街通りを抜けた神社で開催されている。鳥居を抜けると数々の屋台、その横には広場も存在し、人だかりも既にできている。

「どうして17にもなって、兄弟で祭りに行かないといけないんだ」

 そんな楽しい以外はないだろう祭りを何故か四つ上の兄と来ている。人を気にしながらも横を歩く兄は、左手に缶ビール。まさにアルコールで祭りの楽しさを倍にした。しかし僕の質問にまずビールを優先し、口周りに白い髭かのように泡が付きながら、プハァと感嘆を上げながら答えた。

「17だろうが71だろうが兄弟で祭り行ってなんも悪いことないだろ? むしろそれが俺らだけなら、俺らは兄弟愛が誰よりも深いってことになるじゃなぇか」

「あぁ…はいはい。深い深い」

 面倒な質問にはそれなりの適当な答えを出す。こんな聞く手によっては恥ずかしい事言えるのはきっとお酒の力なのだろう。言った後も言う前からも傲慢な態度を持つ兄は堂々としている。

 上にぶら下がる提灯のように酒で火照らす顔には、ニヤニヤという代名詞もついていた。

 本音を言うと人口密度が異常値にまで増す場所は苦手だ。一々人に気遣って歩かないといけない、それっが何より面倒。

 境内の方へと目指し足を進めると兄が通り過ぎる屋台のように突然ふらっと消えた。それに僕も遅れを取らず首を横に振ると、イカ焼きの屋台でもう既に注文をしていた。

 鉢巻を巻いた小太りの店主が、汗を垂らしながらも懸命な顔してイカを焼く。そのまん丸と身が乗った上物が使われ、少し焦げ目がつくほどに焼き。その上からソースを満遍なく塗りたくる。それを見た僕も、不意に腹の虫を鳴らした。

 しかも気前よく兄が奢ってくれた。これもお酒の力なのか。皮肉に言うが意外にも便利なのだな。

「熱いから気をつけて食え――」

「子供じゃないんだから……」

 焼きたてのイカを袋から取り出し、口へと運び、噛んだ途端弾力が歯に逆らった。まるで嚙み切れないほどの肉厚。熱さは所以ソースの味と絡み合うイカは、数十秒かけてようやくペロリと行くほど。

 兄は片手にビール、もう片方にイカ焼き追加、と。普段はもっと凛々しい姿を持つのに、今は完全に晩酌しているおじさんのようだ。

「そいえば最後にここ来たのっていつだっけ」

 僕がそう聞くと、頬を火照らし今にも重心がふらつきそうな状態で首をキョロキョロし出し、思わず心配しかけた。

「…確か小学校以来だな。相当前だしほんで久々の兄弟水入らずってことで、今日はついてるな!」

 何故か聞かなきゃよかったと思った。でも口に出すとふと脳内にその日の過去を思い返す。当時小学生であった僕らが母から貰った千円札を握り締めここへと来た記憶がある。僕が屋台でさっきのように串を買う中、兄は活発的で尚且つ計画性なしな部分がここに出て、祭りくじに全て溶け込んだ。

 そして僕に向かってよだれを垂らされ僕が一本仕方なくあげたっけ。思い出した事に深く後悔した。

 兄もしばし口が緩むほど懐かしんでいる様子。酔いはあるもの、ある程度思考を回す力は衰えてないらしい。

「稀覯に見るならまぁ、いいのかもね」

「………………………」

 また突然兄の声も気配も周りから感じなくなり、またかと咄嗟に横を見ると。それはまさかの間違いで、姿諸々この一瞬で人混みの中へ溶け込んでいってしまった。

 しまった目を離したすきに。これが世に言う迷子というやつか。

 いくら目と首を振っても見つからず思わず呆気に取られてしまう。立ち止まろうにも次々と押し寄せる人の波に僕も流され探す暇すら与えられない。仕方ないからスマホを取り出し、境内で集合とだけ送った。

 すると途端にOKOK!!と、わかっているようなわかっていないような曖昧さを感じるメッセージを受信。

 僕はもう気にせず向かった。

 すると次第に一方向にしか進まない人らの足の速度が緩みだし、はれてはチェスの駒かのように次々その場で立ち止まる。

 そして皆振り返り僕の方を見だす。その状況になんだなんだと僕も振り返ると、夜には全く持ってない空に広がる光が、僕の視界に入り込んだ。

 続き天が割れる程大きな音。振動が僕の胸に響く。真っ暗とした空一面に次々と花火が上がった。

 視界に隙間なく漫勉に空を使い、朱や海、月と色交わる花火を皆、口が開かない程眺めた。これが今日の目玉だったのだろう。

 絶えない光の山に、記念に一枚撮ろうと、握るスマホに触れカメラにし、横向きで全体が入るよう空へ構えた、その途端。

 キャァァァァァー-ー--!!!

 突然どこかからか断末魔の叫び声ようなのがした。一瞬にしてこの場の空気が飲み込まれる。

 シャッターボタンを押すのをやめ、僕も咄嗟に辺りを見渡すと周りも同じようにし出す。何何と不安な声が飛び交いパニックの中、僕は人混みをかき分け声の方向へと急ぐ。

 まさかと思った。明らかに花火で興奮するような声ではなく事件性にも比例する叫び声、まるで通り魔でもいたとでもいうのか。

 一体何かが起こったのか状況も無のまま、僕の心臓はやけにうるさく音を立てる。

 次第に息も乱れ、落ち着きのない心情と共に焦りが足を急かしてくる。

 ようやく抜け、その矢先が視界に映り込んだ瞬間すべてが照合し、大きく息を呑んだ。

 野次馬かのように囲まれたその中心いわく、紺色の浴衣姿の一人の女性が、ドラマのワンシーンかのように手に持ってたであろうブルーハワイ色のかき氷を地面にこぼし、そして這いつくばる感じで倒れていた。

 本当に通り魔なのかと胸が締め付けられそうなほど嫌な予感がよぎった。それでも刃物で刺されたような傷や、浴衣に血痕などない。四方八方雑音で騒ぎ立てる中、僕は羞恥なんて気にせず、その女性の横に周った。

 艶が多いその一本一本、首筋が見える程で綺麗に生え揃い切った黒髪が顔にほとんど垂れ、恐る恐る指で搔きわけてみると、僕の心臓が激しく動き出した。

 全く思考も何も読めないが、その人物を僕は知っていた。何故君が―――――――

 ハッと息が止まるほどだった。

 この人だかりの原因とも言える人物が、なんとクラスメイトでもある『中野和葉』だった。クラスでもよく目立つほどの活発性で、クラスの顔とも言えるような存在。

 普段誰とも話すことのない僕とは間反対の世界の住人。

 そんな彼女が倒れているのか。確かアーモンド状の目は眠るかのように閉じ、口も結ぶよう縛っている。このうるさい心臓の音を鎮めるよう首を強く横に振り、浴衣の裾から出た白くて細いしならかとした腕をにある、手首を軽く握った。周囲の野次馬や、喧騒を一切気にせずと瞳を閉じ、手首に僕の神経を全て使い、集中を費やし脈があるかを確認。

 ド……クン………ドクン…………ド…クン

 けしてこれが正常ではないであろう不定期な脈数。僕は心情を無にするよう落ち着かせた。

 次に、息はしているかだった。淡々にしようと再び彼女の顔の前でまた再び顔を確認。そして朱色でたっぷり潤った唇に手を近づけまた神経を集中させる。やはりわずかな吐息じゃ僕なんかが確認なんてできない。

 しかし、アイラインが引かれた目元が一瞬ピクリとしたのを見逃さず、意識がある事を確信できた。失神と見ていいのだろうか。

 ようやく周囲を見渡すと、僕に視線が集まっている事に気づき、それでも僕の精神は躊躇せず、その人だかりから、一人選んだ。途端視界に入った、幼少期ぐらいの子供二人連れこっちに来そうな子供を止めている中年の男性。

「あのすみません! 体勢を変えるので手伝ってもらえませんか?」

 学校の防災訓練でしか学んでいないが、今はそれを思い出そうよ必死に思考を回した。

 すると気づいた男性が「は…はい!」と動揺と共に子供の手を離さないまますぐに駆けよる。子連れで大変だろうが、体格もいいから選んだ。

 そして足と肩にお互い周り、彼女を仰向けに変えるよう慎重に、触れた。

 普段目立つ事を拒むような僕がこんな事をして、バチでもあたるかと思った。

 しかしもう遅いに近い。だから何も反応ない彼女にごめんと情けをかけながら動かしやすい、太ももあたりに触れ、一二三と掛け声でゆっくりと男性と同じ方向に転がし、仰向けに替えた。

 そして持ってきたタオルをボールのように彼女の頭部へ衝撃が加わらないようそっと敷き、男性が持っていたバスタオルのような大き目なタオルを、丸め彼女の足元の下に置き血流を良くした。

 そしてもう一人の存在が必要。また周囲を見渡し一番近くにいた、不安顔で固める女性に向かって僕はまた声を上げる。

「救急車、救急車を呼んでください!」

「…………」

「―――――早く!!」

「は、はい!」

 遂条件反射で声を荒げてしまった。自分で驚く暇なんてなかった。女性がポーチに入れたスマホを取り出し、動揺で手が震え落としそうになりながらも救急車を急いで呼んだくれた。数分で来る模様。僕は一瞥し再び彼女へ目を向ける。

 その間――――使う切り札は全て終えた。あとは彼女の状況が悪化しないように観察で、いいのだろうか?

 しかし、こんな状況下でも、彼女という人間は、こうも魅力的な面もあるのだと理解した。透き通るほどの白い肌、すらりと伸びた腕や足の他、細見のような体型。校則で罰せられる、化粧も綺麗に描かれている。

 遂凝視するかのように彼女の表情を見ている、すると彼女の目が一瞬だが僅かに開いた。そして偶然にも目が合ってしまった。

「……桑原………くん………?」

 今にも消え入りそうな、吐息に交ざるうねり声で初めて僕を呼んだ。その苦しい以外ない表情と声に、トクンと脈を打つ。

「うん……僕、だ」

 なんて答えればいいのかわからなくこんな返しとなった。初めて彼女と会話をしたような気がする。今まで席替えで彼女と前の席となって、配布物が回ってきた時の会釈くらい。それでも彼女はいつも穏やかに笑みを見せる。しかしそんな彼女がなぜこうなったのか。今はその不可解を追求したいほどでもある。

 すると彼女は再び瞳を閉じた。今の声を出すのに精いっぱいだったのだろう。周囲で騒がしい雑音に加え、救急車のサイレンである音が鼓膜にとらえた。

 音は確実にこちらに近づきそして間もないほどで、この密集に馳道ができた。

「もう、大丈夫だよ」

 さっきよりは苦しむ様子が減った彼女に上から呟いた。隣にいる女性も。中年男性も、その娘であろう幼稚園ぐらいの歳の女児二人も彼女を見ながら心配な目を向けている。

 みつあみをした一人の子が、口を酸っぱくするよう結びながら僕に訊いてきた。

「おにーさん…………おねーちゃん大丈夫?」

 この年でそんな俯く表情と寂しい目をしてくる子供に遂同情を買ってしまうが隠す。

「大丈夫だよ。このお姉さんいつもクラスでも騒がしいほどから」

 我ながらなんというか……不覚。初対面にも等しい彼女の事をこうも何気なく言ってしまう。しかし事実に近い。

 それに純粋しかまだ何も知らない子供には、そう言ってあげるのが年上としての務めなのだと思った。

「クラスメイトさんなんですか………?」

 今度は、救急車を呼んだ女性が緊迫した顔で訊いてきた。はいと頷くと、浮かない顔でそうですかと返された。

 すると担架を押しながら駆け付けた救急隊が来た。全身厚着を来た目元しか見えない救急隊員に、状況を聞かれ、僕らで答える。女性が多くを話した。なんと第一発見者だったとここでわかった。それであんな誰よりも不安顔を浮かべていたというのか。

 すると僕らを一人一人交差するよう見渡しながら言った。

「誰か、付き添いをしてくれませんか? 現場の状況もまだ全て確認できていないので」

 一間置くほどその質問にすぐに答えは出せず、僕は二人を見だし第一発見でもある女性にお願いできますかと聞いた。

 すると慌てながら手を顔の前で振った。

「でもこの場合同姓の方が良いと思って…………」

「………わかりました。私でお願いします」

 何かを悟ったような顔に変え、運ばれる彼女と共にこの場を去っていった。

 周囲の野次馬共も徐々に消え始め、とりあえずひと段落は終えたと言っていいのか一息をつくか迷った。

 すると僕に次々と見知らぬ人々が声を掛けてくる。全部は聞き覚えてないが何やら称賛というのかそんなのが。

 受け答えも碌に経験のない僕には、この目立つという行為の後付けは羞恥となるのかなんというか居場所が合わないような気が舌。あの中年男性にも礼を述べられた。その少女も、僕に笑みを浮かべ褒めてくれたが僕も辞令のように短い言葉を言った。でも何故ここまで僕が称賛の扱いを受けるのかがわからない。

 僕がやった行動は一言で述べると、当たり前の事。人が倒れているのを見過ごすなんてまれにいないであろう、だからそんなことに過ぎない――――――――

 気づけば花火なんてものもとっくに幕開けし、スマホを確認すると兄から五件も着信があった。そうだ、神社だ。すっかり忘れていた。急遽向かうと境内のベンチで堂々と横になって、いびきを立て、腹を掻きながら寝ている不届き者がいた。

 このバチ当たりめ――――ベンチに寄って、顔の傍でしゃがみでこに向かって力いっぱい指パッチンを飛ばす。すると予想以上に飛び上がった。寝ぼけながら酒臭いしゃっくりをし、さっきよりも顔が赤くなっていた。

「今何時だと思ってんだぁ!」

 突然僕を認識した途端これだ。さっきよりも気分がハイになり、完全に人柄が変わった兄。飲みすぎだ。この飲んだくれ――

「ごめんごめん。人が多すぎて時間かかっちゃった」

 無理もない言い訳だが、今なら通用する。何せこの酔っ払い、いつも大学の飲み会かなんかで帰宅しても翌日には鶏のように滑稽な顔になり二日酔いで記憶が飛んでいる。

 そんな泥酔しそうな兄を介護するよう起き上がらせ、肩を貸し帰路することに。

 神社を降りると祭りも終えるかのように人も減り、屋台も閉め始め。

 そんな中、僕は一つの屋台を目にし、僕が今日初めてお金を使った。

 段々歩くのに慣れてきた兄は、ホモサピエンスのように腕を下に突きだし、膝を曲げて歩き始めた。

 しかし僕は歩くたびに気が重い感じがする。鼓動はまだ止まってはいなかった。胸からこみあげ、急に立ち止まる。

 それを二歩通り越した兄が遅れて振りむく。カラスのように首をかしげ、ひっくと感嘆をし、どうしたーと情けない声で訊いてきた。

 僕の拳が自然と固くなり僅か震えた。そして兄に言葉を捨て思わず反対方向へ駆けす。

「ちょっと用事。先帰ってて!」

「え?! おいちょっと………………」

 引き留める兄の言葉も無視し、僕はひたすら道を駆けた。

 目的なんて明確。とある大型病院。救急隊員の会話を耳に彼女がそこに運ばれると知った。自分で今日の行動には驚かれっぱなしだ。本当にバチが当たりそう。こんな自発的いや突発が正しいか、今までも取ったことが、ない。
 
 重たい脚を無理にでも回す。まるで誰かに背中を押されているかのような感覚でどんどん加速していく。

 これを押しているのは僕自身なの影かもしれない。クラスメイトの安否が僕は気になった。

 ―――――病院へ着く。入口がまだ空いている時間だが入ると人影ない。受付もシャッター半分閉めているほど。何もわからないまま院内を周る。すると曲がり角を抜けると長椅子に一人座る女性が。
 
 同伴してくれは人だ。しかし近づこうとすると、嫌な風が吹く。横顔には俯く表情。一瞬まさかと思った。唾を軽く呑んでから一歩一歩近づく、女性が気づきゆっくりと顔を上げた。それでも雲のかかる表情。

 どうもと軽い会釈から始まり僕は座らず、その場で言葉を出すのを少しの沈黙の間考えた。

 様態は異常ないとの事でした――――と、心細い声から始まり気になっていたことを全て話してくれた。搬送中、意識が回復したとで、原因は酷い耳鳴りが起き鼓膜にダメージが入ったという。大きな音や振動での衝撃でなったらしい。それは花火が原因というのでいいのか。

 全て言い終えた女性の下には、次々と無色透明な粒がこぼれ出した。唸り声と共に鼻をすすり出し、突然泣き始めた。

「私……なんです。最初に倒れたのを見ていたのは。思わず悲鳴上げたんです。でも怖くなってその場から離れようとしました。あなたや、もう一人いた子連れな方のように賢明とした姿を見て、私………あの子になんて事したんだって」

 それが全身へと伝わり出し、過呼吸かのように吐息が荒く、乱れ、気づくころにはその拳に、透明な液体が雨漏りかのように、落ちてきた。

「もっと早く…………私動いていればよかったんだ…………」

 鼻声のままそう言い放った。無事でいるというのにどうやらこの女性は、

 女性にとって、僕もだが彼女も同然赤の他人に過ぎない。

 そんな見知らぬ人に対しここまで感傷し、ここまでひどく。罪悪感を持つだなんてそんな人まれにいない。

 僕でもあの時泣くことなんてことはしなかった。それは無事という嬉しさの一面でありこの女性は、違う。

 自分の行動に対しての責任感が重く、自分を追い込んで、責めているのであろう。

 僕なんてよほどちっぽけに感じる。僕は、ここまでの心情はなかった。

 ただ少し不安になっただけで、この場にのしのし踏み入れた。それを振り返るかのように思うと、やっすい心に、罪悪感を抱いてしまう。


 一向にして女性の涙は止まらない。



 声には出す配慮は防いでいるようだが、手で顔全体を覆うほど。手の隙間から顎に通って、涙の雫が次々にこぼれ落ちてゆく。

 そんな姿を目の前にし、胸が痛かった。

 それでも僕は、自分のできることをと考えた。

 少しでもだ。そんな自分を責めないでほしいという一心を持ち、突如口にした。

「顔を上げてくれませんか」

 言うと、すする鼻の音が徐々に止んだ後、手を外しながらもゆっくりと僕を見つめてきた。

 想像つくほどだったが目にすると、こっちにまで感傷を受けてしまいそうな、いわば可哀そうとも言える

 すすりきったかのように鼻は腫れあがり、口は縛るように結びきり。目も充血したかのように真っ赤になり、涙跡がひどかった。

 それでも動揺も同情も持たず、軽く息を吸って気を整えた。

「僕一人ではどうもできませんでした。クラスメイトという名を弁明し、ここまで無理に付き添いしていただき、本当にありがとうございました」

 言ってすぐに軽く頭を下げた。初めて話したクラスメイトなんかの弁明だなんて、自分でも変に思うし、痛くも痒くもなる。

 しかしこの下げる頭は、彼女の弁明以外にも存在する。

 最初この女性に対し、遂感情的なことを抱いた。いや深くするとあの周りに対してだ。

 いくら動揺するからって、一人くらいはなんとかしてでも動けただろって。

 正直ただの傍観者とまで思ってしまい呆気にとらえた。この人はそんなつもりじゃないことくらい、わかっていたくせに、不意にも思ってしまっただなんて、僕は人間として酷いし最低じゃないか。

 罪も何もない人を勝手にそう思い込んで、そんなのただのずるだ。

 自分が卑怯で、本当に醜く感じてしまう。

 しかしそれを、口に出すなんてことはできないのである。

 知らない方がいい。そう思った。

 女性を更に苦しませると、理解していたから。

 その意を込め情けに感じつつも、少しでも長くと、頭を上げずにいた。

 身体を起こすと、女性も落ち着いてくれたか涙顔を残しながらも微笑みを浮かべ出し、それに安堵した。

「誰だってあんな現場を見ると焦るのも無理ないです――――――」

 そう言いながら手に持っていた屋台で買ったたい焼きが三つ入った袋を渡した。

 無理言ってお願いしたからこそ、僕の少なからずの気持ちとして受け渡した。

 安否を知れたならもうここにいる意味もない、その女性に別れを告げるよう立ち去った。


 通路を引き返していると、今度はもう一人。これまた見覚えのある人物が。

 ヘルメットを外した救急隊員の一人がいた。内心驚いたが、まだ帰路していないことだと悟り、看護師になにやら伝達をしていた。

 向こうはまだ気づいていないようで、特に話しかけることなんてせず、素通りしようだなんてそんなことを考えたが、それはすぐに阻止されてしまった。

「あぁ君君…!」

 過ぎた途端、背後から呼び止められしばしば振り向いた。

「さっき一緒にいた人だよね。君も駆け付けてくれたんだね、よかった―――」

 さっきの鋭い眼差しは消え、何やら安心とした顔でいた。この隊員もひと段落着いたのだろう。

 僕はそれにはいと言った後、少しばかり心配になったのでと補足を入れた。

 横にいる看護師は、話しの輪にまだ入れていないようで少しきょとんとした顔で、僕や救急隊員を交互に見るように首を振った。

「君にどうしてもお礼が言いたかったんだ。君の咄嗟で優れた判断力と、賢明な行動に対し私からであるが、敬意を払いたい」

 そんな言葉生まれて初めて言われた。思わず震撼するほど動揺してしまい、「いえいえ滅相もないです」と慌てて言いつつ首を細かく振りながら、顔の前で両手も振った。

 十数秒そうしていた。ようやく息を吸って心を落ち着かせられ、言うべきことを一元一句抜かないまま、

「礼を言われること本当にないんです。僕はただ当たり前のことをして、一人目立ってしまっただけなんです」

「そう、か。でも本当にありがとう」

 学校名など訊かれたが、僕は答えなかった。

 きっと、謙虚だとか、そう思われているのだろう。まるで納得のいかないと言わんばかりの微妙な表情を浮かべてもらうと、こっちが納得いかなくなり、参っちまう。

 慣れなさすぎて、ほんと調子くるうよ。

 それがなんだか照れくささを生み出してしまい、遂頭を人差し指で掻きつつ、呟いて返事した。

 話も終点を迎え、それでは僕はこれでと、振り返り今度こそ歩み出そうとしたその時。

 背後からまた、僕を呼び止める今までで全く聞き覚えのない声色。

 また振り向くと、今度は救急隊員がきょとん顔となり、首を真横に向けていた。

 その視線に先には何故か。

 看護師が、僕に向かい手を伸ばし、表情も何もかも全てにおいて固まっていた。

 なぜだか深刻そうな表情を浮かべ、それに伴う寂しいような、なんていうか、一文字で表すと『悲』。

 そんな眼差しを僕に向けていた。

 表情から読み取るなんてこと全くできないほどわからないが、まるで何か思い当たるふしでもあるようだ。

「どう…されました?」

 不信に感じてそう聞くも、変わらず。補足する感じであのと。すると突如我に返ったかのように、固まった表情が溶けだした。

 咄嗟に首を横に振りだした。

「あぁ…いやなんでもないですごめんなさい。私ったら一体どうしたんだろ」

 隠すかのように、いやごまかすかのように、突如苦笑いし出し、その顔が不意にも紅潮していた。

 それを冷ますため咄嗟に両手で、顔に扇いだ。

 自分でも今の行動に理解が追い付かなかったのだろうか。それで羞恥を晒したことに気づき、顔を紅潮させているのか。

 僕はその根拠がどうもわからず、キョトン顔が映りそうなほど、首を傾げだした。

 しかし、思考よりも言葉が先に出てしまうなんてこと、特に変わったことでもないと思う。誰にだってそういう経験はあるのだと思うから。ちょっと違うかもしれないが、物覚え着きたての幼少期や、あるいは小学校。学校の先生の事を、お母さんなんて読んだりとか。

 それ以上の不信も何も持つことはやめ、そうですかと平然を保ちつつ軽く頷いた。

 顔の赤みも消え、扇ぐ手を降ろした共に、天然の微笑みを浮かばせた。

 不思議に思いつつ再び、軽い挨拶共に、僕は暗い夜道を帰路した。

 昼下がり、僕は昨日の事も少しは思考に残るまま一人で駐輪場にいた。全面コンクリートで固められ反響の良いここは自転車やバイクがずらりと並ぶ。その中でも父親だった人が、一世代ほど前の若かりし頃に乗ってた年期しかないアメリカンバイク。

 そのあとは受け継ぐように兄が乗り、そして―――――――僕は乗らずにいる。

 ただバイクの前で座っていた。

 これが何の意味をしているとかそんな事は特にない。ようするに休日の日課とでも言っておこう。傍から見れば変わり者に過ぎない。僕はもうある事により乗るよりも見る方が楽しいと感じてしまったから。

 でもただ見るだけでも飽きはきてしまうから、洗車や、部位ごとのパーツを交換なども行う。兄が今でもたまに乗るから不動車にはならないだろう。

 そして今日は、メーターを見てから決めた。オイル交換のみ―――――だがそれも今思い付きで道具は部屋に置いてきてる。取りに行かなきゃ。

「ほらよ」

 タイミング良くもいつの間にか背後に、昨日の飲んだくれが存在してた。その立ち上がる途中で見たその何もなかったかのような平常運転をしているそれにも少し驚いた。

 言葉通り、僕の行動を読んだかのように片手にラチェットレンチと、あまりのオイルを保持している。

「ど…ども」

 普段はここにいる事を知ってはいると思うがまれに来る事がない。それにより少し動揺してしまった。

 受け取った後そのまま作業を始めようとすると、兄までのその隣にのそのそしく座ってきた。

 まだ何かと面倒な視線を向けると、少しニヤっとした面を返された。

 俺に何かいう事はないのか?と図々しくも訊いてくるが、何がとわからないからそのまま質問返しをすると、ふぅんとこれまた妙にムカつくような面を取ってきた。

 そのニヤケまさかな、なんて思ったが予想以上に兄は邪魔をしてこなく淡々と済んだ。

「しっかし、いつ見ても綺麗だなぁ」

 メッキで光沢をもつマフラーや、他のハンドル周りを初めて見るかのように見始める。

「お前の後ろにもいつか乗してほしいもんだね」

「……うん」

「じょーだんだよ! でもいつか、な?」

「うんっ」

 し難い返事しか出せない。僕には乗れない理由が存在する。それは父親の事も関連が強い。しかしそれよりも最もとしての理由がある。乗ってしまったら僕は腐ると、勝手に掟という縛りを付けた。

 まさかそれが昨日の出来事によって更に掟を深めることになるとは僕ですら思わなかった――――――