職場の保育園は、家から徒歩二十分ほどの場所にある。
 車で通勤するには近すぎる距離ではあるが、徒歩で通勤するには少し遠い。悩んだ末に結局徒歩で通勤することにした。健康のために歩くのも悪くないと思ったからだ。
 街灯が切れかかっている夜道を歩く。お化けが出そうで怖い。
 徒歩二十分の帰路は一時間に感じる。疲労で足取りが重たくなっているのもあるが、それよりも夜道が怖いのだ。
 すぐそこの電柱から得体の知れぬものが現れてもおかしくない。背後から誰かが覗いていてもおかしくない。自分の足音にさえ恐怖を抱く。
 そうして家に到着する頃には、仕事で減らされた体力とは別の体力が削られている。
 玄関の扉を開くと「おかえり!」と灯花が出迎えてくれた。頭を撫でて「おかえり」と言うと、えへへと嬉しそうに笑う。
 今年で七歳になり、小学校の入学を考え始める頃だ。毎日見ているのに、大きくなったなぁと感慨深く思う。
 それから母親の作った料理を頂く。その頃に丁度内山さんが帰宅をする。
 今まで感じなかった、家に帰るとご飯があるありがたさと、毎日懸命にお金を稼いでくれた内山さんの苦労が、今頃になってようやく理解できた。
 つまり、社会人とはこういうことなのだと。
 これから振り込まれるであろう初任給の額を見て、内山さんの凄さが身に染みて分かる。それと同時に、母親がこの人と再婚して良かったなとも思う。
 本当に恵まれた。
 だからこそ恩返しをしたい。
 どんな形であれ、これまで育ててくれた二人に。
 働くようになってそう常々思うようになった。
 そんな風に考えていると、一日が終わる。毎日が充実していて、家に引きこもっていたあの頃には、絶対に感じることのできない喜びだ。
 ふと、あの問いのことを思い出す。人生の幸福の形は様々で、まだその答えが分からないが、少なくとも今の生活に幸福を感じているのは確かだ。
 誰かのために生きていくことが、私にとっての人生の幸福の形かもしれないと、ひまりは思い始めていた。