二〇二四年、十二月二十四日、クリスマスイヴのこと。
一生忘れられない日になった。
その日は低気圧の影響で例年以上の雪が降り、窓から見える景色をたった一日で白く染め上げた。ホワイトクリスマスではあるものの、度の過ぎた積雪だった。
交通機関に遅れが発生し、町の除雪も追いついていない。
親父はあんななので、仕方なく俺が家の前の除雪をした。流石に買い物に行けないのは困ったからだ。尽きた食料を買い足すために、重たい足を動かして一キロ先のスーパーまで歩いて向かう。
いつもならば、非日常の始まりである雪は好きだ。しかし今ばかりは、この膝下近くまである雪が嫌いになりそうだった。
一歩進むごとに雪がぎしぎしと踏みつぶされ、長靴の中に雪が入り込む。長靴は役割を果たせていない。暖かな靴の中は、侵入した雪によって急速に冷やされていく。どれだけ服を重ねようと、コートを着ていようと、足先が冷える事には敵わない。俺の体温をじりじりと奪っていく。
雪というものはふわりと浮きながら降り注ぐのに、いざ地面に積もればまるで岩のように重たくなる。一歩一歩に力を入れなければ、上手く歩くことができなかった。
いくら雪国とはいえ、ここまでの雪を体験したことは無かった。昨年と一昨年の暖冬が、雪の感覚を鈍らせたのだろう。その暖冬は異常気象のせいだという。ならば、この豪雪も異常気象のせいなのだろうか。
そうして歩いていると、だんだんと息が切れてきた。運動不足の俺にとって、たった一キロの道のりが雪道に変わることで大運動になっていた。
クリスマスだというのに町は薄暗く、普段以上に静かだった。しんしんと降る雪は視界を真っ白に染め、手前五十メートルほどまで視界を制限していたが、遠くで光るイルミネーションだけはよく見えた。何かの店かと思えば、ただの一軒家だった。
そんな幸せそうな景色を見て居たくなくて、視線を空に向ける。
白い空から白い雪が降り注いでいた。ため息をつくと、吐息が白く空気に溶け込んでいく。そんな白だけの世界が、頭上にはあった。
キラキラしたイルミネーションや、夢を運ぶサンタクロースは存在していない。
自分の全てを雪で染め上げて、全てなかったことには出来ないだろうか。そうしたら、また一からやり直せるのに。
誰も知らない土地で一人きり。大金なんて要らない。アルバイトでもしながら楽しいことを見つけて、日々の些細な幸せを生きがいにして、細々と暮らしていきたい。
ニ十歳の無職の男は、サンタクロースにそう願った。
たった一キロの道のりを一時間かけて辿り着いたスーパーは、外の大雪を忘れ、普段とは全く異なる様相を呈していた。
中ではよく耳にする定番クリスマスソングを、ベルで演奏したものが流れていた。
スーパーは、服屋や飲食店などがあるショッピングセンターの中にあった。田舎の中ではそれなりに大きな店舗だ。こんな大雪では誰も外に出ていないと高を括っていたが、実際に来てみれば、カップルや子供連れの夫婦などでごった返していた。
失敗したなとは思いながらも、人をかき分けながら食品売り場の方へと進んでいく。幸せそうな人を見ると気分が落ち込むので、できるだけ顔を伏せながら歩いた。
途中、通行人と何度も肩と肩がぶつかり、その度に訝しげな表情を向けられたが、そのどんよりとした俺の雰囲気を見ると、次第に憐れむ表情へと変わっていった。
浮浪者のように首元まで伸びた髪。くたびれたコートに、濡れた長靴。とてもクリスマスには似合わない格好だ。
クリスマスケーキ売り場を通りすぎ、おもちゃ売り場を通りすぎ、カップルの集う休憩スペースを通りすぎて、ようやく食品売り場へと辿り着く。
世間はクリスマスでも、俺の家にはクリスマスなんか訪れない。チキンやポテトには目もくれず、食パンとお茶、それから料理で使う卵や野菜なんかをまとめて購入した。
そうしてまた、一時間かけて家に戻ろうとした時、視界の横を見知った顔が通った。
金髪に染まっていたが、その顔を見ればすぐに分かった。高木ひまりだった。
彼女はテレビで見るモデルのような体型をしており、彼氏と思われる男性と腕を組んで、仲睦まじく歩いていた。彼女はカップルにまみれたこの場所で、一際輝いて見えた。きっと人生の中で、苦労なんてしたことはないのだろう。
そんな彼女から目を逸らすように、足早に立ち去る。
やっぱり幸せな人生を送っているのだと、嫉妬に似た、しかしどこかずれた感情を抱いた。
家に帰ると、親父の車が無かった。どうやら雪かきをして車を出したようだった。
それから玄関を開いて、冷蔵庫に購入したものを入れるためにキッチンへ向かう。相変わらず、顔をしかめたくなるような嫌な匂いがした。俺が小学五年生の頃から積み重ねたこの酒とたばこの匂いは、深く染み付いて取れない。
全て冷蔵庫に入れ終えた俺は、自室へ戻ろうとする。
すると、リビングが少しだけ片付いていることに気づいた。いつもは散乱している酒のボトルや缶が、今日は端に寄せられていた。
普段見せない足場が顔を覗かせていたため、気づくことが出来たのだが、親父がわざわざ片付けた理由が分からなかった。誰かを家に上げるわけでもないだろう。
しかし俺の知ったことではない。考えることをやめ、二リットルのペットボトルを片手に、二階にある自室に戻った。
*
一生忘れられない日になった。
その日は低気圧の影響で例年以上の雪が降り、窓から見える景色をたった一日で白く染め上げた。ホワイトクリスマスではあるものの、度の過ぎた積雪だった。
交通機関に遅れが発生し、町の除雪も追いついていない。
親父はあんななので、仕方なく俺が家の前の除雪をした。流石に買い物に行けないのは困ったからだ。尽きた食料を買い足すために、重たい足を動かして一キロ先のスーパーまで歩いて向かう。
いつもならば、非日常の始まりである雪は好きだ。しかし今ばかりは、この膝下近くまである雪が嫌いになりそうだった。
一歩進むごとに雪がぎしぎしと踏みつぶされ、長靴の中に雪が入り込む。長靴は役割を果たせていない。暖かな靴の中は、侵入した雪によって急速に冷やされていく。どれだけ服を重ねようと、コートを着ていようと、足先が冷える事には敵わない。俺の体温をじりじりと奪っていく。
雪というものはふわりと浮きながら降り注ぐのに、いざ地面に積もればまるで岩のように重たくなる。一歩一歩に力を入れなければ、上手く歩くことができなかった。
いくら雪国とはいえ、ここまでの雪を体験したことは無かった。昨年と一昨年の暖冬が、雪の感覚を鈍らせたのだろう。その暖冬は異常気象のせいだという。ならば、この豪雪も異常気象のせいなのだろうか。
そうして歩いていると、だんだんと息が切れてきた。運動不足の俺にとって、たった一キロの道のりが雪道に変わることで大運動になっていた。
クリスマスだというのに町は薄暗く、普段以上に静かだった。しんしんと降る雪は視界を真っ白に染め、手前五十メートルほどまで視界を制限していたが、遠くで光るイルミネーションだけはよく見えた。何かの店かと思えば、ただの一軒家だった。
そんな幸せそうな景色を見て居たくなくて、視線を空に向ける。
白い空から白い雪が降り注いでいた。ため息をつくと、吐息が白く空気に溶け込んでいく。そんな白だけの世界が、頭上にはあった。
キラキラしたイルミネーションや、夢を運ぶサンタクロースは存在していない。
自分の全てを雪で染め上げて、全てなかったことには出来ないだろうか。そうしたら、また一からやり直せるのに。
誰も知らない土地で一人きり。大金なんて要らない。アルバイトでもしながら楽しいことを見つけて、日々の些細な幸せを生きがいにして、細々と暮らしていきたい。
ニ十歳の無職の男は、サンタクロースにそう願った。
たった一キロの道のりを一時間かけて辿り着いたスーパーは、外の大雪を忘れ、普段とは全く異なる様相を呈していた。
中ではよく耳にする定番クリスマスソングを、ベルで演奏したものが流れていた。
スーパーは、服屋や飲食店などがあるショッピングセンターの中にあった。田舎の中ではそれなりに大きな店舗だ。こんな大雪では誰も外に出ていないと高を括っていたが、実際に来てみれば、カップルや子供連れの夫婦などでごった返していた。
失敗したなとは思いながらも、人をかき分けながら食品売り場の方へと進んでいく。幸せそうな人を見ると気分が落ち込むので、できるだけ顔を伏せながら歩いた。
途中、通行人と何度も肩と肩がぶつかり、その度に訝しげな表情を向けられたが、そのどんよりとした俺の雰囲気を見ると、次第に憐れむ表情へと変わっていった。
浮浪者のように首元まで伸びた髪。くたびれたコートに、濡れた長靴。とてもクリスマスには似合わない格好だ。
クリスマスケーキ売り場を通りすぎ、おもちゃ売り場を通りすぎ、カップルの集う休憩スペースを通りすぎて、ようやく食品売り場へと辿り着く。
世間はクリスマスでも、俺の家にはクリスマスなんか訪れない。チキンやポテトには目もくれず、食パンとお茶、それから料理で使う卵や野菜なんかをまとめて購入した。
そうしてまた、一時間かけて家に戻ろうとした時、視界の横を見知った顔が通った。
金髪に染まっていたが、その顔を見ればすぐに分かった。高木ひまりだった。
彼女はテレビで見るモデルのような体型をしており、彼氏と思われる男性と腕を組んで、仲睦まじく歩いていた。彼女はカップルにまみれたこの場所で、一際輝いて見えた。きっと人生の中で、苦労なんてしたことはないのだろう。
そんな彼女から目を逸らすように、足早に立ち去る。
やっぱり幸せな人生を送っているのだと、嫉妬に似た、しかしどこかずれた感情を抱いた。
家に帰ると、親父の車が無かった。どうやら雪かきをして車を出したようだった。
それから玄関を開いて、冷蔵庫に購入したものを入れるためにキッチンへ向かう。相変わらず、顔をしかめたくなるような嫌な匂いがした。俺が小学五年生の頃から積み重ねたこの酒とたばこの匂いは、深く染み付いて取れない。
全て冷蔵庫に入れ終えた俺は、自室へ戻ろうとする。
すると、リビングが少しだけ片付いていることに気づいた。いつもは散乱している酒のボトルや缶が、今日は端に寄せられていた。
普段見せない足場が顔を覗かせていたため、気づくことが出来たのだが、親父がわざわざ片付けた理由が分からなかった。誰かを家に上げるわけでもないだろう。
しかし俺の知ったことではない。考えることをやめ、二リットルのペットボトルを片手に、二階にある自室に戻った。
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