梅雨の合間、束の間の非日常が訪れた。
久しぶりの快晴は思わず目を細めてしまうほど眩く、その暑さがやがて到来する夏を予感させた。閉じたままのカーテンから漏れだす光は、薄暗い部屋を暖めている。
今日は物凄く目覚めが良かった。しゃきっとした身体を起こして、リビングへと向かう。今日は土曜日のようで、家族全員が揃っていた。まだ八時なのに早起きだった。
いつも通り、なんてことない休日の朝だった。その時までは。
いかに目覚めがいいとはいえ、することがないと眠たくなる。
ソファには内山さんと母親がおり、灯花を抱きかかえていたため、ひまりはリビングのフローリングで昼寝をした。
しかし目が覚めると、部屋の電気は付いておらず薄暗かった。さらに部屋には誰の気配もなく、ひまりは一人きりだった。どうしたものかとリビングをぐるりと回ってみるも、影一つ見当たらない。みんなはどこか買い物へ行ったのだと諦めたとき、玄関の扉が開く音がした。様子を見に行ってみると、靴を脱いでいる内山さんがいた。
家に上がった内山さんはひまりの姿を見ると、すぐさまこちらへ向かってきた。
「丁度良かった。見せたいものがあるんだ。少し目を瞑ってくれないか?」
「見せたいものって何?」
「見せないために目を瞑るんだよ」
それはそうだと思い、言われるがままひまりは目を瞑った。すると、内山さんは腕を掴んで、先導するように歩き出した。廊下を真っ直ぐ進み、そしてその手は少し下がった。目で見なくても身体は覚えている。その先がどこに繋がっているかをひまりはよく知っている。
外だ。ひまりは懸命に抵抗した。
「内山さん、離して!」
と言っても手を離してくれる様子はない。そして知らぬ間に、足にはサンダルが履かせられていた。いよいよ本格的にひまりを引きこもりから脱却させようというのか。
「心の準備とか、色々あるから! 離して! ねぇ! ねぇ!」
それらしい理由をつけて、懸命に抵抗した。泣きわめく赤子のように身体を暴れさせたが、内山さんの前には敵うはずもなく、以前苦労して開けた扉の向こうへと、あっという間に誘われた。視界が明るくなった。この間逃げ出した外の世界だった。
あの記憶が、それ以前の記憶がフラッシュバックして、目を背けるように顔を下げた。
「さあ、前を見てごらん」
内山さんの声が妙に頭の奥まで響いて、剝き出しになりかけた理性が沈んでいく。
耳を澄ますと、夏の匂いがした。
それから言葉の通り、顔を上げてみた。
そこには灯花を抱いた母親の姿があった。
「ひまり、久々に遊ぼうよ」
母親はほほ笑んだ。状況が呑み込めず、言葉が出ない
「ひまりが頑張って家を出ようとしてたこと、ママは知ってたよ。あの頑張りを見て、ひまりがそこまで苦しんでるのを初めて知った。でも――一人じゃないから。私たちがいるから」
母親はひまりへと近づいた。そしてひまりの手をぎゅっと握った。それに重ねるように内山さんも手を重ねた。さらに灯花までもが、その小さな手を重ねた。
「ひまりを入れた四人が私たちの家族だから。もっと私たちを頼っていいのよ」
……あぁ、そうか。自分はずっと、一人で解決しようとしてきたのか。前にも『一人じゃない』と言われたではないか。
ひまりたちの後ろを自転車が通りすぎた。その後、小学生の集団が不思議そうに足を止めてこちらを見ていた。彼らの視線はひまりに集まる。
でも、それだけだった。
ずっと嫌な事だからと避けてことがあった。それは次第に頭に刷り込まれ、身体が拒絶するようになった。しかしそれは自分の都合だ。家族のことを想えば、そんなものはまるで嘘だったかのように消え去った。
三十三年も生きてきて、ようやく気付いた。自分がどれだけ自分の事しか考えていなかったかを。人の為と言いながら、自分はとんでもない自己中心的な人間だった。
それは誰一人として欠けてもそれは成立しない。どこかに偏っても成立しない。四人が均等にもたれかかって、初めて私たちは家族になる。一人ではなく、四人で、なのだ。
人生は一人のものじゃない。そう気付けただけで、世界は色を帯びていった。
「――そうだね。私たちは家族だもんね」
皆に笑いかけた。
人に触れられないというのは、結局は自己暗示に過ぎない。そこに『人殺し』というもっともらしい理由を付けて、自分が醜くあることを仕方がないと言い聞かせた。正当化した。
でも、それも今日で終わりだ。家族に支えられて、少しずつでもいいから前を向こう。だって支えてくれる人がいるではないか。
今日は三十三年の人生の中で、何よりも大切なことを学んだ日になった。
ようやくひまりは、人生の第一歩を歩み始めた。
何かの始まりに遅すぎる、なんてことはない。
「さ、行こうか」
母親と手を繋いでみた。気恥ずかしい。でも、体温以上に暖かなものを感じた。左手には父親の温かさも感じた。年頃の女の子ならば恥ずかしがることも、今はやってみたかった。
ようやく家族の意味を知った気がしたのだから。
久しぶりの快晴は思わず目を細めてしまうほど眩く、その暑さがやがて到来する夏を予感させた。閉じたままのカーテンから漏れだす光は、薄暗い部屋を暖めている。
今日は物凄く目覚めが良かった。しゃきっとした身体を起こして、リビングへと向かう。今日は土曜日のようで、家族全員が揃っていた。まだ八時なのに早起きだった。
いつも通り、なんてことない休日の朝だった。その時までは。
いかに目覚めがいいとはいえ、することがないと眠たくなる。
ソファには内山さんと母親がおり、灯花を抱きかかえていたため、ひまりはリビングのフローリングで昼寝をした。
しかし目が覚めると、部屋の電気は付いておらず薄暗かった。さらに部屋には誰の気配もなく、ひまりは一人きりだった。どうしたものかとリビングをぐるりと回ってみるも、影一つ見当たらない。みんなはどこか買い物へ行ったのだと諦めたとき、玄関の扉が開く音がした。様子を見に行ってみると、靴を脱いでいる内山さんがいた。
家に上がった内山さんはひまりの姿を見ると、すぐさまこちらへ向かってきた。
「丁度良かった。見せたいものがあるんだ。少し目を瞑ってくれないか?」
「見せたいものって何?」
「見せないために目を瞑るんだよ」
それはそうだと思い、言われるがままひまりは目を瞑った。すると、内山さんは腕を掴んで、先導するように歩き出した。廊下を真っ直ぐ進み、そしてその手は少し下がった。目で見なくても身体は覚えている。その先がどこに繋がっているかをひまりはよく知っている。
外だ。ひまりは懸命に抵抗した。
「内山さん、離して!」
と言っても手を離してくれる様子はない。そして知らぬ間に、足にはサンダルが履かせられていた。いよいよ本格的にひまりを引きこもりから脱却させようというのか。
「心の準備とか、色々あるから! 離して! ねぇ! ねぇ!」
それらしい理由をつけて、懸命に抵抗した。泣きわめく赤子のように身体を暴れさせたが、内山さんの前には敵うはずもなく、以前苦労して開けた扉の向こうへと、あっという間に誘われた。視界が明るくなった。この間逃げ出した外の世界だった。
あの記憶が、それ以前の記憶がフラッシュバックして、目を背けるように顔を下げた。
「さあ、前を見てごらん」
内山さんの声が妙に頭の奥まで響いて、剝き出しになりかけた理性が沈んでいく。
耳を澄ますと、夏の匂いがした。
それから言葉の通り、顔を上げてみた。
そこには灯花を抱いた母親の姿があった。
「ひまり、久々に遊ぼうよ」
母親はほほ笑んだ。状況が呑み込めず、言葉が出ない
「ひまりが頑張って家を出ようとしてたこと、ママは知ってたよ。あの頑張りを見て、ひまりがそこまで苦しんでるのを初めて知った。でも――一人じゃないから。私たちがいるから」
母親はひまりへと近づいた。そしてひまりの手をぎゅっと握った。それに重ねるように内山さんも手を重ねた。さらに灯花までもが、その小さな手を重ねた。
「ひまりを入れた四人が私たちの家族だから。もっと私たちを頼っていいのよ」
……あぁ、そうか。自分はずっと、一人で解決しようとしてきたのか。前にも『一人じゃない』と言われたではないか。
ひまりたちの後ろを自転車が通りすぎた。その後、小学生の集団が不思議そうに足を止めてこちらを見ていた。彼らの視線はひまりに集まる。
でも、それだけだった。
ずっと嫌な事だからと避けてことがあった。それは次第に頭に刷り込まれ、身体が拒絶するようになった。しかしそれは自分の都合だ。家族のことを想えば、そんなものはまるで嘘だったかのように消え去った。
三十三年も生きてきて、ようやく気付いた。自分がどれだけ自分の事しか考えていなかったかを。人の為と言いながら、自分はとんでもない自己中心的な人間だった。
それは誰一人として欠けてもそれは成立しない。どこかに偏っても成立しない。四人が均等にもたれかかって、初めて私たちは家族になる。一人ではなく、四人で、なのだ。
人生は一人のものじゃない。そう気付けただけで、世界は色を帯びていった。
「――そうだね。私たちは家族だもんね」
皆に笑いかけた。
人に触れられないというのは、結局は自己暗示に過ぎない。そこに『人殺し』というもっともらしい理由を付けて、自分が醜くあることを仕方がないと言い聞かせた。正当化した。
でも、それも今日で終わりだ。家族に支えられて、少しずつでもいいから前を向こう。だって支えてくれる人がいるではないか。
今日は三十三年の人生の中で、何よりも大切なことを学んだ日になった。
ようやくひまりは、人生の第一歩を歩み始めた。
何かの始まりに遅すぎる、なんてことはない。
「さ、行こうか」
母親と手を繋いでみた。気恥ずかしい。でも、体温以上に暖かなものを感じた。左手には父親の温かさも感じた。年頃の女の子ならば恥ずかしがることも、今はやってみたかった。
ようやく家族の意味を知った気がしたのだから。