ひまりはリビングで一人、落ち着かない様子で歩き回っていた。
出産から一週間弱、問題なければ母親は今日帰ってくる。そしてようやく、ひまりは灯花と対面することができる。どちらも楽しみで仕方がなかった。
壁に掛けられた時計は一時を指していた。何時に帰ってくるかを聞くべきだったと後悔したが、別に急ぐわけでもないのでこうしてそわそわと歩き回るしかない。
しばらく歩き回っていると、玄関の鍵が開いた音がした。ひまりはどたどだと家の中を走って玄関へと向かった。そして扉が開く。そこには灯花を抱いた母親の姿があった。身体を労わって、緩やかなワンピースを着ていた。
「ただいま」
母親はいつものように微笑んだ。
「おかえり」
いつもとは反対のやりとりに少し違和感を覚えたが、それは母親の方も同じだったようで「不思議だね」と笑った。その笑顔はいつになく幸せに満ち溢れていた。そんな姿を見ていると、あの時にしっかりと話し合ってよかったと思う。
それから母親は靴を脱いで、家に上がろうとした。しかし両手は灯花を抱えて塞がっており、上手く靴を脱ぐことが出来ない。それを見た内山さんは、両手いっぱいに持った買い物袋を床に置き、母親の靴を脱がせた。
「ありがとう」
「これくらいはやらないと」
そんな些細なやりとりから未来を感じた。そして家庭を感じた。
靴を脱いだ母親は、家へと上がる。すると、今までよく見えなかった灯花の顔が良く見えた。灯花はぐっすりと眠っていて、泣くことは無かったが、今にも壊れてしまいそうな灯花が自分に近づいて、思わず手を引いてしまう。
昨日のこともあって、しばらくは忘れていた人殺しのことを思い出してしまったのだ。
「お家ですよー」と甘えた声で、母親はリビングへと向かっていった。その後を追うように、両手いっぱいの荷物を持った内山さんが歩いていく。さらにその後を追うように、ひまりはリビングへと入った。
ようやく家族四人が揃った。
帰宅してから一時間ほどは準備だけで慌ただしかったが、母親にはひまりを出産した時の経験があった。結局は母親に頼りきりだった。そんな様子を、内山さんと顔を合わせ合いながら、互いに使い物になっていないと笑った。
それから少しして、今は皆が椅子に腰かけて、休憩をしている。
すると母親は灯花を抱きかかえて、ひまりの元へと近づけた。丸みを帯びた顔、この世の汚れの一切を知らない純粋無垢なその身体、まだ真っ白な肌。その全てが眩しい。
「ほら、灯花。お姉ちゃんですよー」母親が言った。
「お姉ちゃんですよ」
緊張からか、普段の口調とはかけ離れたものとなってしまった。なんとなく手を振ってみるが、自分でも分かるほどにぎこちなかった。自分では見えないが、きっと表情も引き攣っていることだろう。
それでも手を振り続けていると、母親はひまりに灯花を抱かせようとした。
「いやいや」
反応を伺うために振っていた手は、否定を意味するものとなった。
「いいのよ。さ、ほら」
そんなひまりに構うものかと、母親は灯花を抱くように促した。ひまりも断ったが、母親は抱くように言う。先に折れたのはひまりの方だった。
優しくその身体に触れた。衣服越しではあるが確かに温もりが伝わった。
自らの穢れた過去を洗い流してくれるかのように清らかで、美しい。こんな手で触れてもいいのか。こんな自分が、人を殺した自分が。ただの一瞬の感情で人を殺せる醜い自分が。
「――あ、ひまり泣いてる」
母親のその言葉で涙が流れていることに気づいた。
それを笑うかのように、灯花が声を上げた。それは言語ではなく、何と言っているか理解できない。しかしそこには一切の負の感情は含まれておらず、ただそのまま感情を表そうとしている。
灯花はひまりの腕の中では泣かなかった。自分の罪が許された気がした。こんな自分でも触れていいのだと、許された気がした。それが更にひまりの頬を涙で濡らした。その無邪気な笑みが大丈夫だよと語り掛けている気がして、尚更涙が止まらなくなる。
そんな中、ひまりの口から出たのは「ありがとう」の言葉だった。
――産まれて来てくれてありがとう。
本当に少しだけれど、親の気持ちが分かった気がした。そんなひまりを皆が微笑みながら見つめていた。その姿が家族というものなのだろう。
出産から一週間弱、問題なければ母親は今日帰ってくる。そしてようやく、ひまりは灯花と対面することができる。どちらも楽しみで仕方がなかった。
壁に掛けられた時計は一時を指していた。何時に帰ってくるかを聞くべきだったと後悔したが、別に急ぐわけでもないのでこうしてそわそわと歩き回るしかない。
しばらく歩き回っていると、玄関の鍵が開いた音がした。ひまりはどたどだと家の中を走って玄関へと向かった。そして扉が開く。そこには灯花を抱いた母親の姿があった。身体を労わって、緩やかなワンピースを着ていた。
「ただいま」
母親はいつものように微笑んだ。
「おかえり」
いつもとは反対のやりとりに少し違和感を覚えたが、それは母親の方も同じだったようで「不思議だね」と笑った。その笑顔はいつになく幸せに満ち溢れていた。そんな姿を見ていると、あの時にしっかりと話し合ってよかったと思う。
それから母親は靴を脱いで、家に上がろうとした。しかし両手は灯花を抱えて塞がっており、上手く靴を脱ぐことが出来ない。それを見た内山さんは、両手いっぱいに持った買い物袋を床に置き、母親の靴を脱がせた。
「ありがとう」
「これくらいはやらないと」
そんな些細なやりとりから未来を感じた。そして家庭を感じた。
靴を脱いだ母親は、家へと上がる。すると、今までよく見えなかった灯花の顔が良く見えた。灯花はぐっすりと眠っていて、泣くことは無かったが、今にも壊れてしまいそうな灯花が自分に近づいて、思わず手を引いてしまう。
昨日のこともあって、しばらくは忘れていた人殺しのことを思い出してしまったのだ。
「お家ですよー」と甘えた声で、母親はリビングへと向かっていった。その後を追うように、両手いっぱいの荷物を持った内山さんが歩いていく。さらにその後を追うように、ひまりはリビングへと入った。
ようやく家族四人が揃った。
帰宅してから一時間ほどは準備だけで慌ただしかったが、母親にはひまりを出産した時の経験があった。結局は母親に頼りきりだった。そんな様子を、内山さんと顔を合わせ合いながら、互いに使い物になっていないと笑った。
それから少しして、今は皆が椅子に腰かけて、休憩をしている。
すると母親は灯花を抱きかかえて、ひまりの元へと近づけた。丸みを帯びた顔、この世の汚れの一切を知らない純粋無垢なその身体、まだ真っ白な肌。その全てが眩しい。
「ほら、灯花。お姉ちゃんですよー」母親が言った。
「お姉ちゃんですよ」
緊張からか、普段の口調とはかけ離れたものとなってしまった。なんとなく手を振ってみるが、自分でも分かるほどにぎこちなかった。自分では見えないが、きっと表情も引き攣っていることだろう。
それでも手を振り続けていると、母親はひまりに灯花を抱かせようとした。
「いやいや」
反応を伺うために振っていた手は、否定を意味するものとなった。
「いいのよ。さ、ほら」
そんなひまりに構うものかと、母親は灯花を抱くように促した。ひまりも断ったが、母親は抱くように言う。先に折れたのはひまりの方だった。
優しくその身体に触れた。衣服越しではあるが確かに温もりが伝わった。
自らの穢れた過去を洗い流してくれるかのように清らかで、美しい。こんな手で触れてもいいのか。こんな自分が、人を殺した自分が。ただの一瞬の感情で人を殺せる醜い自分が。
「――あ、ひまり泣いてる」
母親のその言葉で涙が流れていることに気づいた。
それを笑うかのように、灯花が声を上げた。それは言語ではなく、何と言っているか理解できない。しかしそこには一切の負の感情は含まれておらず、ただそのまま感情を表そうとしている。
灯花はひまりの腕の中では泣かなかった。自分の罪が許された気がした。こんな自分でも触れていいのだと、許された気がした。それが更にひまりの頬を涙で濡らした。その無邪気な笑みが大丈夫だよと語り掛けている気がして、尚更涙が止まらなくなる。
そんな中、ひまりの口から出たのは「ありがとう」の言葉だった。
――産まれて来てくれてありがとう。
本当に少しだけれど、親の気持ちが分かった気がした。そんなひまりを皆が微笑みながら見つめていた。その姿が家族というものなのだろう。