浜風は兄妹の顔を見比べると、悠然と笑った。兄はむっと膨れっ面。妹は眦に涙を溜めたこまっしゃくれた顔。
ふたりを見下ろす笑みは小国の貴族にはないような、気品や風格が漂っているように、夕花姫には思えた。
つくづくこの国の人間は大味なのである。
「まず妹は母の言うことをよく聞いていた。母に言われたとおりに、野いちごを食べに来たんだから」
「うん」
妹はうんうんと大きく頷くものの、兄はあからさまに嫌な顔をして妹を睨みつけている。そりゃそうだろう。この言い分を聞いている限り、兄はお手伝いをした見返りで野いちごを食べに来たものの、妹はただのおまけなのだから。おまけに妹は兄の分まで半分食べようと来たものだから。
夕花姫は嫌な顔をする兄におろおろとしていたものの、浜風はやんわりと続ける。
「でも兄も母の言うことをよく聞いていた。お手伝いをして、妹の面倒も見て。漁の仕事は朝から晩まで忙しいのだから、そんな母を気遣って野いちごを採ってこようとしたんだろうね?」
そう浜風に指摘され、兄はビクンと肩を跳ねさせた。その反応を見て、夕花姫はようやく納得いった。
兄だから下のために我慢しなさいは、特に仕事の忙しい百姓の中では常套手段だ。でも我慢させられ続けて、下が好き勝手するのは、上からしてみればたまったもんじゃない。
それでも母が大変なのを見かねて、気分転換に甘いものを持ってこようとしたら、なにも考えていない妹が食べてしまったと……こういうことなのだろう。
その兄の優しさを、浜風は認めたのである。認められて嫌がる人間など、そうはいない
浜風はにこやかに、兄のほうに屈んで視線を合わせた。
「よく頑張ったね。残りは母君に持って帰ってあげなさい」
「う、うん……っ」
兄は少しばかり目尻に涙を溜めて頷くのに、妹は驚いたような声を上げた。
「兄ちゃん泣いてるの……?」
「な、泣いてなんか……泣いてなんかないから……帰るぞ」
「母ちゃんいちごくれるかなあ?」
「ばあか! 食べんじゃないぞ!? それだったら、まだおひいさんに半分あげたほうがマシ!」
そう言って、乱暴に残っていた籠の野いちごを、夕花姫に差し出した。夕花姫は困惑して、手をさまよわせる。
「ちょっと……これお母様に持って帰るんでしょう? そんなもの受け取れないわよ!」
「だって、母ちゃんは絶対に妹を甘やかしてあげちゃうから。オレが母ちゃんにあげたいのに。それだったらまだおひいさんが兄さんたちと食べてくれたほうがましだし」
「もう、そんなこと……」
夕花姫が受け取りを拒否しようとしたものの、布の籠はあっさりと浜風に取り上げられた。
「うんうん、ありがたくもらっておこうか」
「ちょっと……本気でそう言っているの!?」
夕花姫は悲鳴を上げるものの、浜風はにこやかで食えない顔をするばかりだ。
「この子たちがずっと兄妹喧嘩を続けて、大人に殴られるよりは大分いいと思うけどねえ……」
そう言って浜風はちらりと暁を見る。暁は別に乱暴者だから荒療治をする訳ではない。この国の解決方法で、殴るのが一番手っ取り早いからだ。
暁は憮然としたまま、「ふん」と鼻息を立てる。
「……姫様、喧嘩両成敗とは申しますが、このままいけばふたり揃って親御に殴られるのは目に見えていますから、ここは受け取るべきかと」
「そうねえ……ありがとうね、あなたたち」
「うん、おひいさん。ほら行くぞ」
「待ってよぉ」
結局は軽くなった布の籠を持って、ふたり仲良く帰っていってしまった。先程までさんざん怒っていた兄も、泣いてわがまま言っていた妹も、ご覧のあり様だ。
夕花姫は「ふう」と息を吐き出しながら、野いちごを見た。
「また牛車でお散歩しながらいただきましょう。これおいしいのよ、とっても」
「わあ……野いちごなんてほとんど見たことないから、楽しみだよ」
皆で再び牛車に乗り込むと、牛車に揺られながら子供たちからもらった野いちごを啄みはじめた。
噛んだときのプチリとした甘さに、口の中にすっと広がる酸っぱさは、この季節ならではの味だ。その優しい味を楽しみながら、簾の向こうの景色を眺めた。
平和が過ぎる小国の日常風景が、ゆっくりと流れていった。
****
緩やかな坂を降りきると、今度は牛車は浜辺へと向かっていく。
潮風のにおいがどんどんと主張していくのを、浜風はくんくんと鼻を動かしていた。
「うん、この風は不思議なにおいがするね」
「浜風は、この国の風が嫌い?」
「ううん、潮のにおいは都ではしなかったはずだから。今の内にたくさん嗅いでおこうかと思ってね」
「そう……?」
海のない土地の人間は、この風のにおいがそんなに珍しいんだろうかと、夕花姫も一緒になって鼻を動かしてみるが、彼女にとっては嗅ぎ慣れた潮の香りとしか思わなかった。
だんだん辺りにはぽつん、ぽつんと民家が見えてきた。
波の音が聞こえ、砂浜を必死で掘っている人々。男たちは船で漁に出ている間、女子供は浜辺で貝を掘っている。生まれたばかりでしゃべることも這うこともできないような赤子は、小さな子供や老人がおぶい紐で背中に括りつけて面倒を見ている。いつも見る浜辺の光景であった。
「あれはなにかな?」
「貝を掘っているのよ。魚が獲れないときでも、貝さえ採れたら誰も飢えないしね。もっとも、魚が全く獲れないことなんて滅多にないんだけどね」
「へえ……」
小さな子供が赤子の子守をしながら、海を見ながら歩いている。
てんにょさまのおわすはま
てんのめぐみをわけたまえ
てんにょさまのおわすしま
うみのめぐみをわけたまえ
はごろもひらりとまいながら
てんにょさまはやってきた
はごろもなくしたてんにょさま
かえれずどこかでないている
ちょっとひろってくだしゃんせ
ちょっとかえしてくだしゃんせ
はごろもかえしたてんにょさま
てんにかえってないている
子供たちが、老人が、赤子をあやすときに、皆同じ歌を歌っていた。
その歌を耳にしながら、浜風は不思議そうに子供たちの背中を見送った。
「てんにょ?」
「ああ、この国の伝承なの。数十年単位で天候が穏やかで、海賊が現れないのは、大昔に天女が現れて、この国を守ってくれたからだって」
「ああ……天女のことか。なるほど」
「漁師は験担ぎが好きだから、そのせいで歌になっているんでしょう」
暁が水を差すようにチクリと言うものの、浜風は面白そうに袖に口元を当てる。
「わざわざ天女を名指しで歌にしているのは面白いね。でも羽衣を失くしたというのは?」
「知らないわ。天女の持っていた羽衣にすごい力が宿っていて、それを祀っている……みたいな話は、前にさちとげんた……この辺りの漁師の子たちね……その子たちから聞いたけど」
「ふうん、羽衣か。それって、まだこの国にあるのかな」
そう言った途端に、暁がまたも口を挟んできた。
「そんなものは迷信だ。漁師の験担ぎに、わざわざ水を差すのはいかがかと思う」
「おやおや……君は天女の存在を頑なに信じないようだねえ。でも面白いじゃないか。この子守歌が流行るようになった理由には興味があるし」
「そうねえ……」
そういえば、夕花姫は羽衣伝説のことをあまり知らない。
あまりにも当たり前に子守歌になっているものだから、そんな歌があるんだな程度にしか思っていなかったし、伝承も普通に聞き流して、深く考えたことがなかったのである。浜風に指摘されるまで、羽衣の存在がまだどこかにあるということにも考えが全く及ばなかった。
気候が常に穏やかで、誰ひとりとして飢えることのない生活を送れるのは天女の羽衣のおかげだとしたら、彼女に感謝してもいいのではないかと思う。
「私もちょっとは興味があるわねえ」
「姫様、お止めください。羽衣捜しだなんて馬鹿馬鹿しい」
「あら暁。あなた私の言うことは聞くんじゃなかったの? さっきもそう言ってたのに、今日は反抗してばっかりねえ」
嫌みでもなんでもなく、思ったことをそのまんま言ってみたら、暁は気まずい顔をして黙り込んでしまった。どうも図星だったようだ。
「あっ、おひいさーん!」
浜辺で貝を採っていた中から、ひょっこりとさちが現れた。籠にはぎっしりと貝が詰まっている。夕花姫も手を振って彼女のほうに寄っていった。
「こんにちは、今日も精が出るわねえ」
「うん、今日も貝がたくさん獲れたから。あれ、この間倒れてた人だ。もう大丈夫ですか?」
さちに尋ねられて、浜風はきょとんとする。暁は小さく言う。
「貴様を発見したうちのひとりだ。庶民でも恩人には感謝すべきだ」
「おやおや、君が助けてくれたんだね。どうもありがとう」
浜風は膝を折ってさちの視線に合わせて言うと、普段はしっかりしたさちは、途端に赤面して後ずさりする。
小国の人間ではほとんど見たことないような整った顔の男性に、視線を合わせられてなおかつ礼など言われようものなら、いくら気丈な娘でも狼狽のひとつやふたつするものである。
「発見したのも、助けるって訴えたのも、おひいさんだから……」
普段の幼いながらのしっかりもののさちとは思えないほどに、顔を真っ赤に染め上げてしどろもどろに言葉を紡ぐ。その様をわかっているのかわかっていないのか、なおも浜風は言葉を重ねる。
「おやおや。一生懸命働いて熱でも出したのかな? 家まで送ろうか」
「わ、私。仕事がまだありますから。おひいさん、これ持って帰って!」
そう言ってさちは、籠の中からむんずと貝を無造作に掴んで差し出すと、夕花姫は目を白黒とさせる。
「ちょっと、いくらなんでもこんなにたくさんは、さちが怒られるんじゃないの?」
「その分いっぱい採ってくるから!」
そのまま逃げ出してしまったさちに、夕花姫は目を白黒とさせて、ちらりと浜風を盗み見た。
彼は穏やかな表情で、脱兎していったさちの背中を見送っている。そこに悪意があるのかどうかまではいまいち汲み取れない。
物語に書かれていた初恋泥棒というのは、彼みたいなことを言うのだろうか。世間知らずが過ぎると自覚のある夕花姫では、どうにも判断ができなかった。
ふたりを見下ろす笑みは小国の貴族にはないような、気品や風格が漂っているように、夕花姫には思えた。
つくづくこの国の人間は大味なのである。
「まず妹は母の言うことをよく聞いていた。母に言われたとおりに、野いちごを食べに来たんだから」
「うん」
妹はうんうんと大きく頷くものの、兄はあからさまに嫌な顔をして妹を睨みつけている。そりゃそうだろう。この言い分を聞いている限り、兄はお手伝いをした見返りで野いちごを食べに来たものの、妹はただのおまけなのだから。おまけに妹は兄の分まで半分食べようと来たものだから。
夕花姫は嫌な顔をする兄におろおろとしていたものの、浜風はやんわりと続ける。
「でも兄も母の言うことをよく聞いていた。お手伝いをして、妹の面倒も見て。漁の仕事は朝から晩まで忙しいのだから、そんな母を気遣って野いちごを採ってこようとしたんだろうね?」
そう浜風に指摘され、兄はビクンと肩を跳ねさせた。その反応を見て、夕花姫はようやく納得いった。
兄だから下のために我慢しなさいは、特に仕事の忙しい百姓の中では常套手段だ。でも我慢させられ続けて、下が好き勝手するのは、上からしてみればたまったもんじゃない。
それでも母が大変なのを見かねて、気分転換に甘いものを持ってこようとしたら、なにも考えていない妹が食べてしまったと……こういうことなのだろう。
その兄の優しさを、浜風は認めたのである。認められて嫌がる人間など、そうはいない
浜風はにこやかに、兄のほうに屈んで視線を合わせた。
「よく頑張ったね。残りは母君に持って帰ってあげなさい」
「う、うん……っ」
兄は少しばかり目尻に涙を溜めて頷くのに、妹は驚いたような声を上げた。
「兄ちゃん泣いてるの……?」
「な、泣いてなんか……泣いてなんかないから……帰るぞ」
「母ちゃんいちごくれるかなあ?」
「ばあか! 食べんじゃないぞ!? それだったら、まだおひいさんに半分あげたほうがマシ!」
そう言って、乱暴に残っていた籠の野いちごを、夕花姫に差し出した。夕花姫は困惑して、手をさまよわせる。
「ちょっと……これお母様に持って帰るんでしょう? そんなもの受け取れないわよ!」
「だって、母ちゃんは絶対に妹を甘やかしてあげちゃうから。オレが母ちゃんにあげたいのに。それだったらまだおひいさんが兄さんたちと食べてくれたほうがましだし」
「もう、そんなこと……」
夕花姫が受け取りを拒否しようとしたものの、布の籠はあっさりと浜風に取り上げられた。
「うんうん、ありがたくもらっておこうか」
「ちょっと……本気でそう言っているの!?」
夕花姫は悲鳴を上げるものの、浜風はにこやかで食えない顔をするばかりだ。
「この子たちがずっと兄妹喧嘩を続けて、大人に殴られるよりは大分いいと思うけどねえ……」
そう言って浜風はちらりと暁を見る。暁は別に乱暴者だから荒療治をする訳ではない。この国の解決方法で、殴るのが一番手っ取り早いからだ。
暁は憮然としたまま、「ふん」と鼻息を立てる。
「……姫様、喧嘩両成敗とは申しますが、このままいけばふたり揃って親御に殴られるのは目に見えていますから、ここは受け取るべきかと」
「そうねえ……ありがとうね、あなたたち」
「うん、おひいさん。ほら行くぞ」
「待ってよぉ」
結局は軽くなった布の籠を持って、ふたり仲良く帰っていってしまった。先程までさんざん怒っていた兄も、泣いてわがまま言っていた妹も、ご覧のあり様だ。
夕花姫は「ふう」と息を吐き出しながら、野いちごを見た。
「また牛車でお散歩しながらいただきましょう。これおいしいのよ、とっても」
「わあ……野いちごなんてほとんど見たことないから、楽しみだよ」
皆で再び牛車に乗り込むと、牛車に揺られながら子供たちからもらった野いちごを啄みはじめた。
噛んだときのプチリとした甘さに、口の中にすっと広がる酸っぱさは、この季節ならではの味だ。その優しい味を楽しみながら、簾の向こうの景色を眺めた。
平和が過ぎる小国の日常風景が、ゆっくりと流れていった。
****
緩やかな坂を降りきると、今度は牛車は浜辺へと向かっていく。
潮風のにおいがどんどんと主張していくのを、浜風はくんくんと鼻を動かしていた。
「うん、この風は不思議なにおいがするね」
「浜風は、この国の風が嫌い?」
「ううん、潮のにおいは都ではしなかったはずだから。今の内にたくさん嗅いでおこうかと思ってね」
「そう……?」
海のない土地の人間は、この風のにおいがそんなに珍しいんだろうかと、夕花姫も一緒になって鼻を動かしてみるが、彼女にとっては嗅ぎ慣れた潮の香りとしか思わなかった。
だんだん辺りにはぽつん、ぽつんと民家が見えてきた。
波の音が聞こえ、砂浜を必死で掘っている人々。男たちは船で漁に出ている間、女子供は浜辺で貝を掘っている。生まれたばかりでしゃべることも這うこともできないような赤子は、小さな子供や老人がおぶい紐で背中に括りつけて面倒を見ている。いつも見る浜辺の光景であった。
「あれはなにかな?」
「貝を掘っているのよ。魚が獲れないときでも、貝さえ採れたら誰も飢えないしね。もっとも、魚が全く獲れないことなんて滅多にないんだけどね」
「へえ……」
小さな子供が赤子の子守をしながら、海を見ながら歩いている。
てんにょさまのおわすはま
てんのめぐみをわけたまえ
てんにょさまのおわすしま
うみのめぐみをわけたまえ
はごろもひらりとまいながら
てんにょさまはやってきた
はごろもなくしたてんにょさま
かえれずどこかでないている
ちょっとひろってくだしゃんせ
ちょっとかえしてくだしゃんせ
はごろもかえしたてんにょさま
てんにかえってないている
子供たちが、老人が、赤子をあやすときに、皆同じ歌を歌っていた。
その歌を耳にしながら、浜風は不思議そうに子供たちの背中を見送った。
「てんにょ?」
「ああ、この国の伝承なの。数十年単位で天候が穏やかで、海賊が現れないのは、大昔に天女が現れて、この国を守ってくれたからだって」
「ああ……天女のことか。なるほど」
「漁師は験担ぎが好きだから、そのせいで歌になっているんでしょう」
暁が水を差すようにチクリと言うものの、浜風は面白そうに袖に口元を当てる。
「わざわざ天女を名指しで歌にしているのは面白いね。でも羽衣を失くしたというのは?」
「知らないわ。天女の持っていた羽衣にすごい力が宿っていて、それを祀っている……みたいな話は、前にさちとげんた……この辺りの漁師の子たちね……その子たちから聞いたけど」
「ふうん、羽衣か。それって、まだこの国にあるのかな」
そう言った途端に、暁がまたも口を挟んできた。
「そんなものは迷信だ。漁師の験担ぎに、わざわざ水を差すのはいかがかと思う」
「おやおや……君は天女の存在を頑なに信じないようだねえ。でも面白いじゃないか。この子守歌が流行るようになった理由には興味があるし」
「そうねえ……」
そういえば、夕花姫は羽衣伝説のことをあまり知らない。
あまりにも当たり前に子守歌になっているものだから、そんな歌があるんだな程度にしか思っていなかったし、伝承も普通に聞き流して、深く考えたことがなかったのである。浜風に指摘されるまで、羽衣の存在がまだどこかにあるということにも考えが全く及ばなかった。
気候が常に穏やかで、誰ひとりとして飢えることのない生活を送れるのは天女の羽衣のおかげだとしたら、彼女に感謝してもいいのではないかと思う。
「私もちょっとは興味があるわねえ」
「姫様、お止めください。羽衣捜しだなんて馬鹿馬鹿しい」
「あら暁。あなた私の言うことは聞くんじゃなかったの? さっきもそう言ってたのに、今日は反抗してばっかりねえ」
嫌みでもなんでもなく、思ったことをそのまんま言ってみたら、暁は気まずい顔をして黙り込んでしまった。どうも図星だったようだ。
「あっ、おひいさーん!」
浜辺で貝を採っていた中から、ひょっこりとさちが現れた。籠にはぎっしりと貝が詰まっている。夕花姫も手を振って彼女のほうに寄っていった。
「こんにちは、今日も精が出るわねえ」
「うん、今日も貝がたくさん獲れたから。あれ、この間倒れてた人だ。もう大丈夫ですか?」
さちに尋ねられて、浜風はきょとんとする。暁は小さく言う。
「貴様を発見したうちのひとりだ。庶民でも恩人には感謝すべきだ」
「おやおや、君が助けてくれたんだね。どうもありがとう」
浜風は膝を折ってさちの視線に合わせて言うと、普段はしっかりしたさちは、途端に赤面して後ずさりする。
小国の人間ではほとんど見たことないような整った顔の男性に、視線を合わせられてなおかつ礼など言われようものなら、いくら気丈な娘でも狼狽のひとつやふたつするものである。
「発見したのも、助けるって訴えたのも、おひいさんだから……」
普段の幼いながらのしっかりもののさちとは思えないほどに、顔を真っ赤に染め上げてしどろもどろに言葉を紡ぐ。その様をわかっているのかわかっていないのか、なおも浜風は言葉を重ねる。
「おやおや。一生懸命働いて熱でも出したのかな? 家まで送ろうか」
「わ、私。仕事がまだありますから。おひいさん、これ持って帰って!」
そう言ってさちは、籠の中からむんずと貝を無造作に掴んで差し出すと、夕花姫は目を白黒とさせる。
「ちょっと、いくらなんでもこんなにたくさんは、さちが怒られるんじゃないの?」
「その分いっぱい採ってくるから!」
そのまま逃げ出してしまったさちに、夕花姫は目を白黒とさせて、ちらりと浜風を盗み見た。
彼は穏やかな表情で、脱兎していったさちの背中を見送っている。そこに悪意があるのかどうかまではいまいち汲み取れない。
物語に書かれていた初恋泥棒というのは、彼みたいなことを言うのだろうか。世間知らずが過ぎると自覚のある夕花姫では、どうにも判断ができなかった。