この青く澄んだ世界は希望の酸素で満ちている




「それじゃあ、
 ものすごく名残惜しい気持ちでいっぱいだけど、
 あなたたちは、そろそろ現実の世界に戻らないといけません」


 私も。
 名残惜しい、ものすごく。


「ブレスレットが緑色の場合、
 日付が変わる前に現実の世界に戻らないと、
 二度と現実の世界には戻れなくなってしまいます」


 驚いた、ものすごく。
 惺月(しずく)さんの言葉を聞いて。





 本当は。
 いたい、少しでも長く。
『心が呼吸できる世界』に。


 だけど。
 ある、タイムリミットが。

 それは、どうにもならない現実。



 今だけではない。

 これからも。
 ならない、向き合わなければ。
 どうにもならない現実と。
 ある、そういうときも。


「惺月さん、
 大変お世話になりました。
 それから本当にありがとうございました」


 名残惜しい、ものすごく。
 そういう気持ちを抱きながら。
 そう言った、私たち五人も。


 本当に感謝している、惺月さんに。
 伝えたかったから、どうしても。


「私は何もしていないわ。
 みんなの努力が実ったのよ」


 思った、改めて。
 惺月さんは本当に心の大きい人だと。


 そんな惺月さんに出会えて。
 本当に幸せ者。
 そう感じる、改めて。



「それでは惺月さん、
 お元気で」


「みんなも元気でね」


 惺月さんの言葉に。
 私たち五人は会釈をする。
 感謝の気持ちを込めて。





 歩いている、今。
『心が呼吸できる世界』と現実の世界。
 二つの世界を繋ぐ出入り口の中を。


 その中を歩く時間。
 長くなっている、いつもよりも。



 私たち五人は。
 振り向いている、後ろを。
 何度も何度も。

 歩きながら。
 見つめている、惺月(しずく)さんのことを。
 そうしているから。





 遠くなっていく、『心が呼吸できる世界』。

 小さくなっていく、惺月さんの姿。















 そうしているうちに。
 来た、目の前に。
 現実の世界。


 進む、一歩前に。

 そうすれば。
 戻る、現実の世界に。

 きている、そういうところまで。












 それなのに。
 揺らいでしまう、気持ちが。



 できない、二度と会うこと。
 惺月さんと。

 それは。
 やっぱり悲しいし辛い。


 だからといって。
 帰らない、現実の世界に。
 いかない、そういうわけには。





 二つの思い。
 それらが心の中を駆け回り。
 それは次第に激しくなっていく。

 あまりの激しさに。
 本当に走っているわけではなくても。
 苦しくなっていく、呼吸をすることが。







 ある、目の前に。
 現実の世界は。

 それなのに。
 そこに踏み出す一歩。
 そのことが、こんなにも戸惑い躊躇をするなんて。










 一体どうすれば———。





「みんなで一緒に帰ろう、現実の世界に」


 悩んでいる、どうすればいいのか。





 そのとき。
 空澄(あすみ)の左手。
 触れた、私の右手に。

 そうして。
 繋いでくれた、やさしく。


 空澄の顔を見ると。
 やさしく微笑んでいる。



 聞く、空澄の声を。
 見る、空澄の笑顔を。

 そのおかげで。
 落ち着いてきた、気持ちが。


「空澄の言う通りだ。
 帰ろう、みんなで」


 凪紗も。
 繋いでくれた、やさしく。


「うん、
 みんなで帰ろう」


 心詞(みこと)が。
 繋ぐ、凪紗の手を。


「みんなで帰ろう」


 響基が。
 繋ぐ、空澄の手を。





 私たち五人は手を繋ぎ。
 並んでいる、一列に。



 伝わってくる。
 みんなの優しさや思いやり。

 できた、感じることが。


 だから。
 踏み出せそう。
 一歩前に。


「帰ろう、みんなで現実の世界に」


 みんなと一緒に。
 その一歩を。
 思いきり踏み出す———っ‼





「あっ‼」


 入った、現実の世界に。

 その瞬間。
 スッと消えていった。
 私たち五人が身に付けているブレスレットが。



 私たち五人は繋いでいる手を離し。
 振り向いた、後ろを。


 そこには。
 見えなかった、もう。

『心が呼吸できる世界』と現実の世界。
 二つの世界を繋ぐ真っ白に光る出入り口は。


「見えない……な」


 まずは。
 凪紗が口を開いた。


「あぁ……」


 次は空澄(あすみ)


 私と心詞(みこと)と響基は。
 頷く、静かに。



「そういえば、
 私ら全員のブレスレットが緑色になってたっていうことは、
 お前らが抱えている問題も解決の方へ向かってるってことだよな」


「まぁ、そうだな、
 良い方へは向かっているだろうな」


 凪紗の言葉に。
 そう返答した、空澄。


 私と心詞と響基も。
 頷く、深々と。


「なんかさ、すげぇ余韻が残ってるし、
 今日の学校のことも含めて、
 いろいろ話したいこともあるけど、
 明日も学校があるし、
 詳しいことは近いうちにということでどうだ」


 空澄の言葉に。
 私、凪紗、心詞、響基は。
 頷いた、大きく。


「それからさ、
 俺たち、こうして仲良くなることができたから——」


 空澄が言うこと。

 もう、わかっている。


 私も。
 思っているから。
 空澄と同じことを。

 それは——。


「連絡先交換しよ」


 私や空澄だけではない。

 凪紗、心詞、響基も。
 同じ思い。


 全員ほぼ同時だった。
 その言葉を言ったのは。



 こうして。
 私たち五人は連絡先を交換し。
「連絡する」
 そう言い合い。
 帰っていった、それぞれの家に。





 七月の初旬。

 今日は土曜日。


 今、会っている。
 空澄(あすみ)、凪紗、心詞(みこと)、響基と。



 凪紗、心詞、響基は。
 卒業した、『心が呼吸できる世界』を。
 それ以来、会うのは初めて。


 空澄は同じ学校。
 それから……恋人同士。

 なので。
 会っている、ほぼ毎日。



「久しぶりだな。
 元気だったか」


 カフェに入り。
 している、お茶を。

 そのとき。
 凪紗が私たちのことを順番に見ながらそう言った。


「久しぶりって、
 まだそこまで日にちは経ってないだろ」


 空澄は淡々としている様子。


「いいだろ、久しぶりの感覚は人それぞれなんだからさ。
 それだけお前らに会えたことが嬉しいってことだよ」


「確かに、このメンバーと会えるのは嬉しいな」


 凪紗の言葉に。
 空澄も納得していた。

 私、心詞、響基も。
「そうだね、嬉しいね」
 そう言いながら頷いた。



 そのあと。
 私たち五人は話を始めた。

 久しぶりに学校に行った日のこと。
 それから『その後』のこと。


 話す順番は。
 凪紗、心詞、響基、空澄、私の順になった。




 ❀ ❀ ❀


 凪紗の話。


 ❀ ❀ ❀



 久しぶりに学校に行った日。



 財布を盗まれたクラスメートが。
 謝った、凪紗に。

 財布を盗まれた。
 そのことは自作自演だった、と。


 そうした理由は。
 凪紗に対しての嫉妬心。
 そこからくるものだったらしい。










 凪紗は。
『財布を盗まれたクラスメート』
 そう呼ぶのも、あれだから。
『彼女』
 そう呼ぶ。
 そう言った。







 戻る、話の続きに。





 凪紗は。
 決まっていた。
 文化祭のクラスでやる演劇で主役をすることが。

 将来、役者志望の彼女にとって。
 それは屈辱でしかなかった。


 思った、彼女は。
 悪くなる、凪紗の評判が。
 そうすれば凪紗は主役から降ろされる。

 凪紗が財布を盗んだことにしよう。
 そう思ったのは軽い気持ちだった。



 だけど。
 凪紗が何日か学校を休んでいる。
 その間に彼女の気持ちは罪悪感へと変化していった。

 凪紗が学校を休んでいる。
 それは自分のせいなのではないか。


 彼女は。
 自分が犯した罪。
 できなくなった、抱えることが。

 そうして。
 彼女は。
 謝った、深々と。
 凪紗に。





 謝った、彼女が。
 凪紗に。


 そのとき。
 思った、凪紗は。





 彼女のこと。
『許す』か『許さない』か。

 その二択でいうならば。
『許さない』だろう。


 だけど。

 決められる、簡単に。
 その二択で。

 そういうものでもない。



 ただ。

 決して、してはいけないこと。

 嫉妬心からくるもの。

 それだからといって。
 犯人に仕立て上げる。
 そういうことは。







 悩んだ、凪紗は。
 彼女にどう返答すればいいのか。


 悩んで悩み……。

『もういいよ。
 正直に謝りにきたわけだし。
 ……ただ、これだけは言わせてくれ。
 世の中には思い通りにならないことはたくさんある。
 世の中のほとんどの人たちが、そういう思いをしているだろう。
 それでも、その人たちは必死に生活している。
 そのことだけは忘れるな』

 凪紗は彼女にそう伝えた。



 そのとき。
 凪紗のブレスレットが緑色に。












 そして、その後。

 クラスの雰囲気は。
 戻っている、普段通りに。










 それから。
 演劇の主役は。
 凪紗に返り咲いた。





 凪紗が。
 休んでいる、学校を。

 その間、彼女が主役に抜擢された。



 だけど。

 凪紗が。
 戻ってきた、学校に。

 そのときに。
 申し出た、彼女の方から。
 主役を降りることを。


 そのことを聞いた凪紗は言った。
 主役は彼女でいい、と。

 だけど。
 彼女の主役を降りる意思。
 それは変わらなかった。







 こうして。
 進めている、演劇の準備を。
 凪紗とクラスメート全員で。















 これが凪紗の近況報告。





 ❀ ❀ ❀


 心詞(みこと)の話。


 ❀ ❀ ❀



 久しぶりに学校に行った日。







 心詞は。
 話をした、勇気を出して。
 心詞のことを集団無視するように仕向けた女子たち三人に。

 幼なじみの光居(みつい)くん。
 彼とはこれからも仲良くしていく、と。



 心詞の勇気ある言動。
 それを見て聞いていたクラスメートたちの反応。 
『佐穂さん、かっこいい』とか。
『大人しそうに見えて、なかなかやるじゃないか』など。
 好評だったようで。

 そんな中。
 心詞が仲良くしている女の子二人も。
『心詞ちゃん、ごめんね』
 そう言った。


 許した、心詞は。
 その女の子二人のことを。





 そのとき。
 心詞のブレスレットが緑色に。










 そして、その後。

 クラスの雰囲気は。
 戻っている、普段通りに。



 ただ。
 一つだけ普段と変わったことが。

 それは。
 噓のように大人しくなっている。
 心詞のことを集団無視するように仕向けた女子たち三人の態度が。





 やっぱり。
 よかった、勇気を出して。

 心詞は。
 そう思った、しみじみと。












 これが心詞の近況報告。





 ❀ ❀ ❀


 響基の話。


 ❀ ❀ ❀



 久しぶりに学校に行った日。










 響基は。
 話をした、勇気を出して。
 響基と一緒に行動しているクラスメートの男子三人に。
『今まで貸したジュース代、返して』と。

 だけど。
『なんのこと?』
 そう言われてしまった。





 それでも。
 諦めなかった、今の響基は。
『さんざんジュース代を借りておいて酷いじゃないか‼』
 そう言った。
 教室中に聞こえるような大声で。



 いつもと違う響基に。
 戸惑っている、男子三人。


 それと同じタイミングで。
 見ている、クラスメートたちが。
 冷ややかな視線で男子三人のことを。

 そういうのもあり。
 ついに。
『今までごめん。
 少しずつ返していくよ』
 そう言った、男子三人。
 参ったような表情(かお)をしながら。







 そのとき。
 響基のブレスレットが緑色に。












 そして、その後。

 男子三人からジュース代の全額返金も済み。
 今まで通り一緒に行動している。



 ただ。
 一つだけ今までと違うことが。

 それは。
 男子三人から。
『ジュース代、貸して』
 そう言われなくなった。





 やっぱり。
 よかった、勇気を出して。

 響基は。
 そう思った、しみじみと。















 これが響基の近況報告。