昼間、先生が来た。僕が自殺を図ったことに対して説教はなかった。ただお前らしくない、お前に何があったのかと聞かれた。僕は、答えたなかった。
「さあ、なんででしょうね……」
 と、自分でもわけのわからない答えにもならない返事をしただけだった。
 諦めた先生はこの一か月間、クラスで何があったのか教えてくれた。教えなかった僕に教えるという罪悪感を植え付ける戦法だ。まるで、囚人になった気分だ。
 どうやら、僕が自殺を図ったことで警察が動いたらしい。まさか大ごとになるとはと思ったけどどうだっていいとさえ思えた。とくに僕とかかわりのあった中野、早川さん、藤川、あと太田だそうだ。太田は意外だった。僕は、太田と関わることは少なかった。ただ、印象的だったことはある。
『深山って男が好きだったりする?』
 いきなりそんなことを言われたのだ。びっくりした。隠していたわけじゃないし、バレていてもおかしくないとは思ってた。だけど、太田とはその前後で話したことはないし、同じ中学だったわけでもない。
 太田は、答えを聞く前に変なこと聞いたよなと謝って席に戻ってしまった。近くに誰もいなかったからよかったけど、いたらそれなりに話題に上がって大変そうだったからよかった。
 特に藤川は、警察に目をつけられているみたいでよく話を聞かれているらしい。彼は、何もしていないと一点張りだそうだ。だけど、よく聞くにも理由がある。だが、先生はその先の話はしなかった。
 中野と早川さんは、警察には積極的に答えたそうだ。中野は、自分を責める発言が多く、早川さんは、僕に対する文句が多かったらしいと先生から聞いた。
 文句とは何なのか昼も眠れん。中野には悪いことをしたと思ってる。クラスで初めてできた男友達だから変に気負わないでほしい。
 今、そんなことを言う手段はないけど。
 だって、両足、左腕、骨折してるし。体の痛みを和らげるやつもつけてるし。名前は知らん。医療関係者じゃないんで。
「学校には来れるか?」
 最後に先生がそう言った。
「さあ、どうなんでしょうね」
 僕は、聞くだけで疲れていた。学校なんか思い出したくもないし、クラスメイトとは関わりたくない。学校なんか行きたくない。
「……そっか、また来るよ」
 来るなよ。なんて、言えるはずもなく黙っていれば、出て行った。
 昨日、申請したおかげか一人用の病室に移動された。面会謝絶用の部屋が一人用なんだと勝手に思った。もし、面会謝絶室に変更したことによってお金がかかるならいくらするのだろうか。高いはずだ。何階かもわからないから、外の景色も気持ち悪いだけだ。
 もし、家に帰ったら。もし、学校に復帰することになったら。
 考えただけでも恐ろしい。骨折した足も腕も震える。恐怖を感じる。
 もう、戻れない。戻りたくはない。生きていたくもない。
 スマホに着信があった。奇跡的に何もなかった右手でスマホをタップした。父親だ。一度、電話を切った。だけど、また父親から着信が届く。
 逃げれないと思って、電話に出る。
「……海利か?返事くらいしたらどうですか」
 父親が怒ってるときはよく敬語を使う。怒っていますとみせるために。だから、敬語になった時は刺激のないように返事をしないと暴力を振るわれる可能性があるのでしっかりと聞いていないといけない。
「はい」
 そもそも、LINEから直接来てるんだから僕以外の人が出るわけがない。父親の買ったスマホなんだから。
 安心フィルターとかいう束縛アプリのせいでろくに連絡取り合えないし、八時に勝手に変更されたときは怒りを抑えるのに必死だった。家庭のストレス、学校のストレス。全部、抑えなきゃいけない。なのに、少ししたときに『安心フィルターの設定を変えました。海利は、スマホの一か月一ギガというルールを破ったので父さんは仕方なくこうしなければいけませんでした。守れるようになったらまた十時までにします』という、返事があった。僕は、声を荒げそうになったのを覚えてる。斗真の受験勉強の邪魔にならないように抑えたんだ。
 ある日、早川さんに返信が遅いことを指摘された。僕だってよくわかってる。だから、すぐに父親にLINEしようと思った。だけど、出来なかった。なんていえばいい?女子とLINEしたいのでフィルターの解除お願いします、といえばいいのか?無理だ。そんなの無理だ。だったら、ルールはちゃんと守るべきだったでしょう、と返してくる。
 結局、送り返すこともできずに僕はスマホを閉じた。バイトも頑張って探してやっていたし、コンビニの店長も優しくて、年上の女性のアルバイトの人も優しかった。だから、連絡が来るときは僕のことを気遣って早い時間に連絡をくれた。とてもやさしい人たちだった。
 だけど、ストレスをぶつける環境なんかない。今もこうやって父親が連絡をしてきているのだから。
「海利は、死にたかったんですか?死にたかったんならなんでしっかりと死ななかったんですか?なぜ、死にたいと思ったんですか?」
 答えられなかった。すぐ近くにいるように感じて声が出なかった。
「もしもし?」
「………………は、はい」
 弱弱しい声だった。
「聞こえているなら返事をしてください」
「……えっと」
「もういいです。死にたいなら、さっさと死んでください。あなたみたいな愚か者は世間で必要とされません。はっきり言って迷惑です。あなたの病院代、誰が払うと思っているんですか?誰が近所の方に謝るんですか?」
「……」
「そんなことも分からないような人、うちの子じゃありません」
 一方的に切られた。
 声が出なかった。スマホをぶん投げた。壁に当たって床に落ちる。
 こんなものさえなければ
 父親さえいなければ
 母親さえいなければ
 彼氏がいたことを姉が言わなければ
 斗真が受験勉強のストレスをぶつけなければ
 家族なんかいなければ
 藤川みたいなやついなければ
 中野と親しくしていなければ
 早川さんと出かけにいったりしなければ

 ああ、でも結局、家族を壊したのは僕で。話しかけやすかったのは僕なんだ。

 僕がいなければよかったのに。死んでしまえばよかったのに。あの時、完璧な方法がすぐに思いついて実行出来たらよかったのに。なんで、五階から飛び降りて死んでないんだよ。なんで、頭が守られてんだよ。頭からいったはずじゃないのかよ。受け身なんか一切取ってないんだぞ。
 父親だって、もう離婚したんだからうちの子なわけないだろ。いつまで家族ごっこを続けるつもりなんだよ。いつまでこんな地獄に付き合わなきゃいけないんだよ。
 気が付けば夕方。
 ああ、うっざ。こんなこと考えててもいつまでたっても終わりは見えないんだ。
 ノックオンが聞こえた。看護師か。それにしても早いことで。
 僕みたいな死にぞこないがいなければ一人分の仕事は楽できたんじゃないだろうか。ほかの患者を受け入れることができたんじゃないだろうか。
 とりあえず、適当に返事をする。ちょっとしてからドアが開いた。開いたドアから来たのは、看護師ではなくクラスメイトの早川さんだった。
「昨日ぶりだね」
 声が出なかった。父親の時とは違う。驚きで声が出ないんだ。ある意味恐怖ではあるけど、驚きが隠せない。
「暇、だよね?暇つぶしに来たよ」
 ニッコリと見せた笑顔に恐怖しながらも、無心を貫く。
「帰ってくれ」
 やっと出せた言葉がこれだ。あと、傷つけることができそうな言葉は……。
「やだよ」
「……黙れ。帰れ」
 もっと、もっと傷つけれる言葉を。
「やだ」
「いい加減帰れよ。どれだけいるつもりだ」
「まだ、一分くらいだよ」
「…………長い。帰れ」
「短いでしょ!映画でも一時間から二時間だよ!というわけで、そこの席に座らせてもらうね」
 スッと近くにあった椅子に腰おろしている。行動が早い。
「僕は、鑑賞される人じゃない」
「ハハッ!それ、面白いよ!真顔で言われると余計に!」
 と、腹を抑えながら笑っている。どうやらツボったらしい。
「帰れ」
「上映時間は何時間ですか?」
「一分」
「一時間!?やったー!」
 人の話を聞いていないのか?もういい。こういうやつは、無視するのが一番だ。
「ここ思ったより狭いね。一人だって聞いたからもっと広いのかと」
 無視だ。誰から聞いたんだという言葉は胃の中にでもしまっておこう。やっぱり膵臓にしようか。
「足とか大丈夫?」
 心配してくれているのか。ありがとう。だが、無視だ。
「ちゃんとご飯食べてる?」
 まじまじと見られている気がするが無視だ。
「お腹すいてない?」
 お前は、母親か!と言いたくなったがこれも膵臓にでもしまっておこう。
「そういえばね、おいしいスイーツ店があるからさ今度行かない?あ、でも、男子って甘いの苦手だったりするよね。深山君は、甘いの食べれる?まあ、無理なら無理でも無理やりでも連れてくけどさ」
 シレッと怖いことを言ってくるんだ。僕は、絶対についていかない。
「すごい痩せたよね。良いお店、一緒に行こうよ」
 そういう早川さんは少し、その……。ふと、顔が丸くなったような……。
「……」
「そうだ、退院したら一緒に街にでも行こうよ」
「……」
「聞いてる?」
「……」
「ちょっと?」
「……」
「ねえ!」
 ドンと腹を叩かれて電撃並みの痛みが体に広がった。
 そんなこともお構いなしにバンバンバンバン叩いてくる。
「聞いてますかー?」
 痛みで声すら上げられない。四肢の自由が利かないせいで動きにすら制限がかけられてやられるがまま。
「……き、聞いてます。はい」
「ならよろしい」
 やっとやめてくれたおかげで少し安堵した。この子、怖い。
「なんか言った?」
「何も言ってません」
「ほんとに?」
「ほんとにです」
「ふーん。あれ、それどうしたの?」
 机に置いてあったものに気が付いたんだ。
「ゼリーだってさ。斗真が、えっと、弟が見舞いに来てたらしくて、看護師から渡してもらった」
「……弟君、斗真っていうんだ」
「まあ。美女ナースって言われたーって、その看護師は喜んでたっていらん情報もらったけど」
「まあ、弟君、中学生のわりに肌奇麗だし、かっこいいもんね。それ、おいしそうだね」
 ちょっと複雑に思ったのはここだけの話。
「食べる?」
「え!?」
「一人で食べれるわけないし」
 早川さんと話さないつもりだったけどだめだった。失敗だ。今度来るときは、寝てるふりして時間をつぶそう。
「良いの?」
 上目遣いに見てくるので、目をそらした。
「好きなの選んでよ。僕は、なんでもいいし」
「じゃあ、これ!深山君も食べようよ。同じやつ」
 早川さんが手に取ったのは、よりにもよってブドウのゼリーだった。僕の嫌いなフルーツだ。
「どうかした?」
 気づかれてしまったらしい。
「いや、何でもない。いいね、ブドウ」
「でしょ!ブドウのおいしさに気づいてくれる人がいてよかったー!」
 気づいてないし、おいしくないだろ、ブドウなんて。ブドウがおいしいって脳内いかれてんのか?
「ブドウが嫌いな人っているけどさ、悪く言ったらブドウ愛護団体が許してないよねー。私も許さないし」
 変な愛護団体作るなよ気色悪いと口に出さなくてよかった。また、腹を叩かれたら気絶する気がする。できれば、せめてそのまま殺してくれ。
「ほら、食べよ」
「……」
「ブドウの良さをわからない人ってなんなんだろうねえ。おいしいのに、その良さに気づけないなんて損しているよね」
 ペリッと蓋をはがす。ブドウが嫌いですなんて口が裂けても言えない。もう、後戻りできないぞ。
「食べないの?」
 スプーンで大きな一口で食べながら聞いてくる。
「……た、食べるよ」
「あ!蓋がはがせないとか?腕、折ってるもんね。そうだ!私があーんってしてあげようか?」
 何その罰ゲーム。絶対に嫌だ。
「ちょっと、目、逸らさないでよ」
「……」
「しょうがないなぁ」
 何を勘違いしているんだ。
 僕が食べるように置いてあるゼリーの蓋をはがした。そして、使ってないスプーンで掬って僕の前に出す。しかも、ちゃんとブドウが入ってる。
 なぜ、ゼリーなんだ。せめて、羊羹にしてくれ。果物が入った羊羹とか聞いたことないけどそっちの方がいいから。
「ほら、あーんだよ」
 やっぱ、これは何かの罰ゲームだ。
 もしかして、昨日あんな風に八つ当たりしたからか?だから、僕を懲らしめようとしているのではないか?
「どうかした?」
「……あ、え、いや?」
「……もしかして、ブドウ苦手?」
 バレた。
 早川さんの顔を見ないように窓へと目を向ける。
「図星?」
 聞かなかった。そんな言葉は聞かなかったと頭の中で必死に唱える。
「ふーん。そうなんだ。深山君ってそんなことするタイプなんだぁ」
「……」
「深山君って女子に耐性ないんだね」
 何をそんなバカな。
「深山君だもんねえ。初めて話した時からそんな気がしたんだぁ」
 そんな動揺したつもりはないぞ。ただ、名前も知らない人だったから戸惑っただけだ。
「全然、私を見てくれないね」
 ここで見たら負けな気がする。負けというか今後、めんどくさくなりそう。
「……深山君って、なんで死のうと思ったの」
 思わず、早川さんを見てしまった。驚きとかそんな理由じゃなくて多分、この時は拒絶のようなものがあったのかもしれない。
「……関係ない、だろ」
「やっと見てくれたね。こういう手を使えば見てくれるわけかぁ。正直、気になるけど聞かないでおくよ。その代わり、ブドウが好きか嫌いか答えてね」
 どうやら僕は、高校に入学してから初めに話す相手を見誤ってしまったようだ。こんなんなら、塩対応でもして話しかけられないようにしておけばよかった。
 こういうタイプ、苦手なんだよ。ズケズケくるタイプ。ほんと、うざいときはうざい。
「さあ、二択だよ。好きか嫌いか」
 まじでイライラする。
「嫌い。ブドウも何もかも」
「え?果物嫌いなの?」
 自分のを大きく口を開けて大きな一口を食べながら聞いてくる。大食い野郎だ。
「嫌い」
「そう、だったんだ」
「人もブドウも」
「私も?」
 ちょっと茶化すように言ってくる。こういうところイライラする。
「あんたも、みんな、僕も」
「ふーん。じゃ、帰るね。ごちそうさま」
 ちゃっかり全部食べてしまっている。ゼリーを食べきっている。
「明日また来るね」
「……え?」
「いいじゃん。また、気持ち変わってるかもしれないし」
 じゃあね、とにっこりと笑顔を見せて帰って行ってしまった。
 気持ちが変わるって何を言ってるんだ。
 そもそも、なんでこの場所に早川さんが来れた?昨日、あんなこと言ったから来ないと思ったのに。なぜ、来れた?自力で探した?でも、場所はだいぶ変わったはずだぞ。変わりすぎて逆に見つけやすかった?それか、誰かが教えた?じゃ、誰が?斗真は、来れなかったのにどうやって早川さんを連れてくるんだよ。
 ノックオンがした。看護師だ。
「調子はどう?」
 僕の担当になっているらしい看護師だ。
「大丈夫です」
「あら、ゼリー食べたの?しかも、二つ?」
「さっき、人が来ました。それで、ゼリーを食べて。この病室に連れてきました?」
 やりかねないわけでもないけど、可能性のある人は聞いておくべきだと思った。
「ここ、面会拒絶なの。誰も連れていけるわけないでしょ」
 たしかに。
「看護師がそんなことしたら首になるわ。あなたが望んだことを出来なくて、もし仮にPTSDとかの障害があったら責任を取らなきゃならないの。そんな危険犯せないわ」
 確かに。納得。
 だが、障がいか。
 中学二年生のころだったはず。同姓と付き合ったことで父親は怒った。お前は、障がい者なのかと言い続けて、それからは別れたと嘘をついたけど結局のところ三年生になるまでは言われ続けた。テストの点数の低さから両親が喧嘩することもあった。ダメもとで塾に通わせてもらえないかというとき、母親はお金がかかると拒否。父親に言おうとすれば、血相を変えた。「あなたを守るためにいつも父さんと喧嘩になる身にもなってほしい」と。僕を守るために母親は父親と喧嘩する。だから、僕は塾には行かずに勉強した。だけど、何もかもわからなかった。できていた問題もできなかった問題も把握して自分なりに対策を取って勉強した。
 それでも、結果が良くなることはなかった。問題の一つに父親があった。そうやって試行錯誤しながら勉強しているのに「こんなやり方では公立高校には受かりません。一から問題を解き直さないと効果はありません」と、今までミスしてきた問題のメモも少ない小遣いで買った参考書もすべて没収。挙句、捨てられた。それからは、勉強に意欲が出なかった。やらないといけないんだと己を律しようとしても別の問題があった。
 両親の喧嘩だ。僕が、点数を取れてもほかの教科の点数が低いと説教された。そのたびに、母親が前に出て僕を庇おうとした。喧嘩はエスカレート。その喧嘩を近くで見るたびに怖くなる。次のテストで点数が取れなかったらまた怒られるんじゃないか。どれか一つでも点数が取れたら少しは許してくれないか。それで許されたことは一度もない。なら、無理だ。じゃあ、どうしたら……?
 思えば思うほど、僕は勉強するのが怖くなった。拒絶するようになった。机に向かっても喧嘩の様子が流れてきて、またいつかのように手を出すんじゃないかと思うと余計に動けなくなった。手も動かないし、むしろ、震えだす。
 早くやれ、早くやれ、そう思っても体は動かない。この間に、父親が部屋を覗いたらどうするんだ。もう、しゃべれない。そうなったらおしまいだ。早くシャーペンを握れ。問題集を読め。学校の教材を使って勉強しろ。
「大丈夫?」
「……っ!!」
 看護師の声に僕はハッとした。胸元に三島と書いてあった。今更だけど三島という看護師らしい。
「あ、え」
「すごい震えてたけど……寒かった?」
「あ、だ、大丈夫です」
 まさか、思い出しただけで震えるとは思わなかった。
 結局、僕は受験勉強はろくにはかどることもなく受験を迎えたんだ。
「そう?あ、このゼリー片づけるね。あれ、食べてないのは?」
「口付けてないんで、欲しければ上げますよ」
「残念だけど、今日シフト長いから」
 ブドウは食えってか。
「何か言いたいことあったらいつでも言ってね」
「……あの、ここって何階ですか?」
「…………七階よ」
 七階、か。
「あ、そうだ。明日、昼、レントゲンとるからね」
「え?」
「受け身がよかったのか飛び降りあまり問題なさそうだからね」
「……」
「よかったら、退院も早くなるかもね」
 三島ナースは病室を出て行った。