楽しくない。何をやっても楽しくはなかった。小学校も中学校もどこにいても誰といても楽しいと思うことはなかった。
 それは、なぜなのか考えては夜は眠れない。授業中に寝ることもあった。
 なぜ楽しくないのか。小学生の時は、昼休みを学級で遊ぶこともあった。体を動かすのは好きだから特に嫌なことはなかった。だけど、楽しくない。
 小学校高学年になりクラスからハブられるようになった。なんでも、俺はみんなと感覚が違うらしく、俺のやってることに不満を持つものもいた。意味が分からない。俺は、楽しもうとしているのだ。お前らも、楽しめるはずだ。
 それでハブられたから今度はそいつらを省くように仕向けた。そうすると、今まで弱者でいたやつらは強者であった人たちへ報復を始める。その滑稽な様を見ているのは楽しかった。これだと思った。
 だから、俺は、気に食わないやつをつぶすために、弱者の導火線に火をつけて気に食わないやつに攻撃するように仕向けた。その時も、これだと思った。
 これが俺は楽しいと思うのだ。これが俺の楽しみの一つだと思った。
 それからは、弱者を唆して気に食わないやつに攻撃させる。そして、今度はその弱者を別のやつにつぶさせる。そうやって、遊ぶようになった。
 俺が誰かに声をかければ返事を返す。それが、当たり前のように行われるようになった。それが、本来は当たり前なんだと思った。ハブられることはなくなっていた。
 俺は、クラスを盛り上げようとしている。クラスはそれを良しとしている。だって、クラスは俺のやっていることに何も言わないのだから。なら、見てるだけのやつらはそのまま傍観者であればいい。
 やりたいことをやる。自分が楽しいと思ったことをやる。
 休みの日に遊びに誘う。当然、誘えば呼んだ奴らはみんな来る。来なかったら、次の日からそいつを的にする。たまに、誘ってもないけど弱者を攻撃させることも、まあ、あった。ようは、気分だ。
 だが、それも長くは続かない。
 ある日、俺は中学の教師に呼び出された。一年生の三学期だ。俺は、遊ぶことが楽しくなりテストはほぼやってないに等しかった。その時は、まだ塾には通わされてなかったし部活があるからと言い訳をしていた。部活中に遊ぶこともある。弱者でも強者をつぶすことはできる。弱者なんてその気になれば、死ぬことも殺すこともできる。どこかで聞いたことがある。日本人はその気になると死ぬと。俺は、もったいないと思った。自分の命ではなく他者の命を葬ればいいのにと。殺してしまえばいいのにと。
「聞いてますか?藤川さん?」
 クラスの担任は、怒った顔で俺を睨んでた。全く話を聞いてなかった。
「何スカ?」
 俺は、先生に対して何かした覚えはないし、クラスとはうまくやってる。
 なぜなら、クラスは誰かが遊ばれているとそこに集中するんだ。僕はああはなりたくない、私はこうなりたくない、そんな思いが募ってそいつを的にし続ける。誰が何と言わなくても団結力が生まれるのだ。
「あなたがいじめていると生徒から報告がありました。本当なんですか?」
 この先生はバカなんだろうか。俺は、何もしていない。いや、してないわけじゃない。遊んでいるのだ。俺になにか危害を加えたものに対して、わざわざ遊んでやってんだ。それをいじめ呼ばわりなどされる筋合いはない。むしろ、そう思われることに苛立ちを隠せない。先に危害を加えたのは相手側だ。ならば、相手側がいじめの発起人ではないのか。
 しかし、相手は先生だ。親にバレて説教されるのは俺のプライドが許さない。
「わかりません」
 俺は、出来るだけ下からすまなそうに言った。
「わかりませんって、藤川さんがいじめていると生徒から話があったんです。あなたがクラスをいじめる方向にもっていっていると」
 俺の行為がいじめ扱い?そんなわけがないだろう。これはただの時間つぶしの遊びだ。
「……すみません」
「それを聞いているんじゃなくて」
「すみません!俺、正直、分かってなくて。いじめなんて抽象的な言葉で言われても分からなくて。でも、そんな風に思われてるなら謝りたいです。だから、先生。その人の名前、教えてもらえませんか?」
「……本当に?」
 ちょろい。この女教師はやっぱちょろい。騙すのは楽だ。息を吐くような嘘にさえ騙されるんだ。いや、息を吐くような嘘だから騙されたのか。なんて、心の中で嘲笑してしまう。
「はい。だから、その人の名前、教えてもらえませんか?俺は、そんなつもりなかった。だけど、そう思われてるのもそう思わせたのもきっと俺です。ダメですか?」
 中学生らしく泣きそうな顔で先生を見やる。
「わかった」
 先生は、俺にそいつの名を教えてくれた。
 バカだなと思う。そんなことしたら俺がどうするかわかるだろうに。
 だから、俺はそいつにしっかりと謝罪した。クラスの前で、みんなが見ている中、丁寧に、すまなそうに。
 それからは、ちょくちょく話しかけるようにした。
 授業で、分からなそうにしていたところは積極的に教えた。クラスの和にも入ることができた。もともと、誰かが始めたことだけど、俺はそれに火をつけただけ。すると、勝手にメラメラと燃えた。だけど、俺は、先生に疑われてしまった。だから、謝った。それだけのことだ。
「なんで、私と仲良くするの?」
 俺を疑っているんだろう。もちろん、俺はそう思われていることに抵抗もないし、むしろ当たり前だとさえ思った。
「やっぱ、おかしいよな。俺もそう思う。だけど、やっぱり俺は償いたくて。俺は、お前のこと傷つけたし、お前の傷が癒えるのかって言われたら俺は何も言えない。だけど、せめて形だけの謝罪じゃなくて、形式的なものじゃなくて、こうやって和解することがベストだと思うんだ。別に、俺と友達になる必要はないから」
「そうなんだ。なんか、意外だね。私、藤川のことあまり良いイメージなかったから」
「おい!心外だなあ!俺だって、間違ってるって思ったらちゃんと謝るからな!」
 そう言って、お互い笑いあった。
 だけど、そこに楽しさがあるかと言われたら皆無だと思う。
 それから、クラスにも馴染んだそいつは笑顔を見せるようになった。ここまで俺は頑張ってこれた。このために、頑張ったんだ。先生から孤立しているように見せないために。生徒も考え方を変え始めるころを待ってたんだ。
 俺は、その次の朝、一番に学校に行って教室に入る。中学校の教室は鍵をかけないからいつでもだれでも入れる。
 油性のペンでほかのやつの筆記を真似て書きなぐる。バカだのブスだのきもいだのありきたりの言葉を。そして、俺は、部活の朝練に参加した。これで、俺はアリバイがある状態だ。
 朝練から帰って教室に戻るとまだ先生はいない。だが、クラスは騒ぎになっている。
「おい、大丈夫か?誰だよこんなことしたやつ」
 俺は、すぐに雑巾を水で濡らし、机を拭く。だが、油性のためになかなか取れない。
 何とか取れたときに、先生が来て、朝の会が始まった。
 そして、授業中。犯人探しを始めた。
「誰だと思う?俺、あいつが怪しいと思う」「そもそも、今日、誰が一番に学校に来た?」「あいつ、やっぱ誰かに恨みもたれてんじゃね?」「え、じゃあ、誰?」「わからん」「でも、見つけ出したいよな」
 しかし、その犯人は出てこない。それ当然だ。誰でもないのだから。俺がやったのだから。
 その次の次の授業でそれとなく導火線をつないだ。
「ここまでして、誰も犯人として浮かばないってどうなんだ?」
「それって、この中じゃないってこと?」「じゃあ、ほかのクラス?」「いやいや、ほかの教室まできてこんなことするかね?」「しないか」

「え、まさか、自作自演?」

 はまった。誰かがそういったことでそいつはまた信頼が地の底に尽きた。可愛そうに。俺を先生に言うからこうなる。ちょっと調子がいいからってふざけた言葉を俺に浴びせるからいけないんだよ。気に食わん。お前みたいなブス女になんで俺が仲良くしなきゃいけない?謝る意味もないだろ?ブスはせいぜい豚箱と同じ場所にでも行って出荷されるのを待てばいいものを。
 俺を怒らせるとこうなることはもうわかったろう?だから、こうなってしまうんだよ。女子だから手加減はしたし、体は傷つかないんだし、問題ないだろう。勝手に、精神崩壊して死んでくれたら、面白いのになあ。
 だけど、何日たってもそいつは学校に通った。クラスのやつは徐々に省くようになったというのに学校に通い続けた。
 俺は、もう一手打つことにした。それは、部活での居場所をなくすことだ。運がいいことに、このクラスにはそいつと同じ部活の男子がいる。演劇部だ。中学で演劇は聞いたことないし、大会もないだろうけど文化祭とかではそれなりに評価のある部活らしい。まあ、どうでもいいが、それとなく男子に伝えておく。気を付けた方がいいぞというくらいのニュアンスで。
 そして、ついに俺の望みが叶った。そいつは、学校に来なくなった。完全に不登校らしい。学校での唯一の居場所だったであろう部活も居場所がない。これで、あいつが死んでくれれば俺は最高に楽しい瞬間に出会えるんじゃないか?そしたら、俺はやっとこの楽しいという感情を心の底から味わうことができるのではないか?
 そいつが不登校になった時、俺らは二年生になっていた。
 しかし、楽しい瞬間は訪れなかった。そいつは、二年生の三学期に引っ越した。
 心底、つまらないと思った。理由は、どうでもいい。親が他県に出張になったとかどうとかと言っていたような気がする。ほんとかどうかは知らん。いつ引っ越したのかも正直知らん。
 一年時のクラスのやつらは、先生に話を聞かれたらしい。俺も聞かれた。俺は、『助けになってやればよかった。あの日、後悔したんだ。だから、せめてもの償いとしてクラスの和に入れるようにしようって思った。なのに、気が付けば……』嗚咽をこぼしながら先生に伝えた。ほかの人たちは『あいつの机に殴り書きでひどいこと書かれてあって、藤川が怒ったように消し始めた。だけど、結局、誰が書いたかもわからないし、自作自演なんじゃないかって』と、先生には言ったらしい。
 つまり、そいつは親の県外出張を理由に引っ越したけど、先生はいじめと踏んでいたわけだ。
 だが、そいつはもういないし、どうしようもない。
 三年生の時は、気分が乗らず何もしなかった。塾にも行かされてたし、受験もあってぶっちゃけそれどころじゃなかった。
 そして、高校に入学。そこで、そいつの面影を感じるやつを見つけた。今年は楽しめそうだと興奮した。
 だけど、自己紹介で、教卓に上がる段差でつまずいたやつがいた。こいつと話してみたいと思った。自己紹介は、爽やかに決して笑顔ではないが愛嬌みたいなものを感じた。こいつがいい。
 しかし、話すタイミングもなければ、それよりも面影を感じるやつへと視線が行く。そいつは、早川といった。
 中学の時のやつに比べて、顔も良いし、スタイルもよさそうだ。中学のやつの顔を覚えているわけじゃないから何とも言えないが。
 早速早川に声をかけようかと思えば、段差で躓いた深山の方へと向かい、会話を始めてしまった。
 また、今度話しかけようか。そう思いなおした。
 その日の放課後、俺は自販機でパンを買った。親も入学式ということで来ていたから、親用にも買う。俺は、親孝行をしているのだ。なぜって?それは、生んでくれたからに決まっているだろう。俺は、人生に対してつまらない、退屈だとは思うが、親を憎むわけでも恨むわけでもなかった。親には感謝していた。
 こうやって、俺が人生を歩むのは楽しみを見つけるためだ。
 みんなしていう。なんで、生きるのか、なんのために生まれたのか。そんなの決まっている。楽しむためだ。無能だとか言われてもいい。俺は、これで楽しいんで生きている。それに対して異論も反論も認めない。
 自分用のパンを二つ、親用のパンを二つ。手に持ちながら歩いていると、男にぶつかった。
「うわっ」
「ごめん!大丈夫?」
 そいつは、同じクラスの太田だった。
「おお、大丈夫。確か、同じクラスよな?」
「そっか、よかった。藤川だよね?呼び捨てでいい?」
「当たり前だろ。俺も、太田って呼ぶな」
「覚えてくれてたんだ。よかった。そうだ、LINEでも交換しない?俺、もっと話してみたいし」
「おっけー。俺も話しかけようって思ってたんだよ。陸上部はいるんだろ?短距離?」
「いや、長距離。俺、短距離苦手でさ」
 そういいながら、慣れた手つきでスマホを操作する。
「サンキュー」
「藤川は?何部に入るの?」
「俺?サッカーかな」
「得意なの?」
「まあね」
「そこで謙遜しない人初めてだ」
「そういう、太田は?」
「得意だよ」
「太田もじゃねえか!」
 今日の目的は達成できなかったが、太田と仲良くなったのが十分だった。
 中学三年生の時に、少しでもいいから周りに合わせることを勉強した俺は今のままクラスになじめそうな予感がした。
 だけど、それを壊されたのは月が替わるころだった。
 月が替わるころ、太田が深山に話しかけたのだ。
 俺は、まだ深山にも早川にも話しかけることができず、近くのやつらと話すことばかりだった。なのに、あいつは深山に話しかけた。それは、いい。そんなの人の自由だし、俺がとやかく言うつもりは一切ない。あいつは、暗いのだからそういう人たちといろなんて命令するつもりなどない。
 問題は、話した内容だった。
 その内容を聞いたとき、俺の中の何かが笑ったような気がした。
 深山ってそういうやつなんだとこころのどっかで笑っていた。太田がいつどこで知ったのか、なんで気づいたのかなんて知らない。だけど、深山がそういうやつで心底ほっとしたのは事実だ。
 あのキャラのままいられたら、間違いなくクラスでもいいキャラとして出来上がっていただろう。クラスからも信頼されて笑顔が一切ないくせに不自然じゃないように見せる達人だ。気持ち悪いが、その事実のを知った時の方が気持ち悪さがあった。
 俺は、それ以降、深山に対する考えた方を改めた。深山はそういうやつで男ともそういうことをする、キスでもなんでもする。同姓なのにそういう目で見ている。気持ち悪いことこの上ない。これは、俺の価値観の話だ。今の時代、どう思おうがどうだっていいが、俺自身がきもいと思えばきもい。誰かに言うわけじゃないし、どう思おうが勝手だ。それをとやかく言われる筋合いはない。
 だけど、受け入れている世間の中でこういう小さな箱の中ではいつだってそれをよく思わないやつもいる。小学生の時は、先生だって同性を好きになることをタブーとして笑いの一つとしてそいつを立てた。大人のやっていることを子供がまねして何がいけないというのか。これを言うと、そういうのは自分で判断できるでしょうと第三者の大人たちは口をそろえる。きもいのは大人も一緒だ。群衆に合わせて言葉を変えて、それが自分の意見ですと主張する。そんな奴らの言い分など聞くに堪えない。
 実際、俺は深山がきもいと思った。それは、俺の意見であり自分が考えた末に出た結論だ。中学生で彼氏を作って学校ではどう思われたのか。きっと、俺の学校にいたのならのけ者だったはずだ。深山の学校はそうじゃないのか?確か、深山の学校から来たやつの一人がとてつもない人気を持っているらしい。どうでもいい。教室が違えば、会話すらしない。そいつが何を言おうが、この教室はこの教室の秩序がそろそろ形成されるはずだ。郷には郷のおきてがある。郷に入れば郷に従え、だ。
 だが、未だ形成されず。俺は言語化できないモヤモヤを抱えていた。
 少し経った頃、気づいた。俺のこのモヤモヤは一年抱えていたんじゃないかと。塾や受験勉強で忙しかったから頭になかったんだ。一度思い出すと、忘れられなくなってしまう。思い出してしまった。俺は、誰かと楽しみたい。そうじゃないか。楽しむために生まれてきたんだから。だから、親に感謝しているんだ。この気持ちを忘れてはいけない。忘れてはだめだ。
 同時、俺は深山が少なからず引かれていたことを知った。早川と仲のいい女子がその一人だ。そういう人とは話さない方がいいと早川が深山と話す機会をつぶすようにしていた。ほかの人もそうだ。裏でこそこそ言っているのを見た。
 これは、いい。突発的に思った。クラスの団結にもつながるのだ。深山はそのいい土台だ。今後、体育祭とかあるのだから、良いように使おう。それが、俺たちのためだ。このまま省く流れが出来上がれば、俺の遊びは楽しいものへと変化するのではないか。中学時代にできなかったものが、今年、出来るのだ。きっと、楽しい。その快感はきっと楽しいものだ。
 そう思うと、俺は動き始めていた。クラスのグループLINEと別で、裏グルを作り、仲のいい奴らを集めた。最初は、他愛のない話を。そして、裏グルにいない生徒の不満をそれとなく引き出す。二、三人言ってしまえばあとはみんな言う。そういうやつらなのだ、人っていうのは。
『深山はみんなどう思う?』
 そんな話を誰かが始めた。俺はすかさず、返信した。
『噂は聞くよな』
 それに続いたやつらが、『正直、きもい』『ああいうやつに限って変な性癖持ってそう』『わかるわあ』『感じいいやつって大体そう』偏見だったり、暴言だったりをここぞとばかりに送ってくる。このクラスで、深山がゲイ説は知れ渡っていたのだ。
 それから、軽くいじってみることにした。
「お前、男子とキスしてどうだった?」
 俺とほかの友達でふざけながら聞いた。返事はなかった。
「ま、いいや。また、聞くな。今すぐには答えられないよなあ」
 うっざ。内心、苛立ちを募らせていた。なぜこうも表情が見えないのか。なぜこうも俺と楽しもうとは思わないのか。
 それから、徐々に俺はエスカレートさせた。
「お前確か、早川のこと好きなんだろ?」
 それにさえ、返事はなかった。目を合わせることもなかった。
「はぁ、ダル」
 俺は、深山の床に置いてあったカバンを蹴った。
「DO YOU KNOW JAPANESE?」
 英語で自分が知ってる単語で聞いてやる。深山は、カバンを取りに戻り、席に座った。
「YES,BUT YOU NEED NOT TO KNOW」
「あ?」
 こいつ、早すぎてわからん。そういや、こいつそれなりに勉強できるって噂だろ。
「今、なんつった?」
 俺の声をガン無視して教室を出て行った。
「あいつ、無視、決定!いいな、みんな!」
 俺を怒らせるとどうなるか思い知らせてやる。
 友達は皆、賛同していた。この時、気づいていればよかったのだ。裏グルにもこの会話にも太田は全く参加していなかったことに。
 早く気付いていれば、俺は確実に深山にオーバーキルを与えていたはずなのに。
 俺は、あいつの態度にイライラを募らせてばかりだった。今まで見たことがないくらいの飄々とした態度。気持ち悪いくらいに爽やかな雰囲気を持ちながら笑顔はない。俺が、何をしても表情に変化がない。
 ならいっそ、傷を入れてしまおう。中学時代のようなものじゃなく、物理的な痛みになら顔を歪めるくらいはするはずだ。
 そう思って、ダーツの矢を出血の少ない程度に針を短くして、自分で実験して、良い感じの長さにする。これくらいなら、ちょっと刺さったくらいのはずだ。少し長めのものも予備で持っておこう。それも、実験しておく。やっぱ、もってくだけ持ってって脅すだけにしよう。ポケットで入れ替えて刺せば、深山も騙せるはず。そもそも、ただ表情の変化を見たいだけだ。あの顔に汚れをつけさせるだけでいい。その手始めがこれだ。いきなり、大きなもので攻撃したりはしないさ。
 そういえば、前に中野に聞いたことがあった。ゲイが事実なのかどうか。だけど、あいつは濁した。そうだ、あいつに楽しませてやろう。
 昼休み、中野にやらせてみるか。
 だが、中野はやらなかった。代わりに、俺が刺した。ちゃんと短い方で。血は出たけど、跡が残るようなものじゃないはず。
 これで、ほかの表情を拝ませてもらおうか。俺は、それが楽しみでしょうがない。
 だけど……。深山は、痛そうな顔一つ見せなかった。痛くて泣きそうになることも。笑ってごまかすことも。
「……大丈夫。どうせ治る。体の傷は」
 ただ、そういうだけだった。そして……。
「ま、刺されればこうなるよ」
 血が流れているというのにうんともすんともしない表情。何を考えているのかさっぱりだった。頭がいかれてんのか?精神的にも追い詰められないのか?こんな傷、残ったら怒れないか?
 なのに、何食わぬ顔して教室を出て行った。
 だから、今度は、早川が戻ってきそうなタイミングで俺は深山に話しかけた。流石に、こんな有様なら表情の一つ変えるだろうと。
「お前、早川のことどう思ってる?」
 俺の問いに海利が答えないのはもはや当たり前のことだった。今回も話さない。
「ああ、イライラするな。楽しくないし」
 すると以前持ってきていたダーツの矢を出して、教卓の近くまで引っ張り海利の腹に刺した。クラスの数人は軽い悲鳴を上げた。中には教室を出た者も視界の端で見えた。腹を抑えた深山に表情という表情はなかった。
「深山って早川のこと好きなんだろ?なら、早く伝えなきゃー」
 深山は反応しない。何かが違う。まさか俺……。
 友達は俺が発言する前に暴言を垂れた。
「うえ、お前、まだ伝えてないのかよ。意気地なし。最悪だな」
 その勢いに調子づいた俺は胸ぐらを掴んで、机にぶつける。
「そんな深山に罰ゲームしたいと思いまーす!そーっれ!」
 どたんと机がぶつかる音がして、深山はやられるだけやられて床に座り込んだ。
「そろそろそういう態度もやめたほうがいいぞー。お前は、俺の下なんだからな」
 せめて、無表情を止めろ。俺はお前を刺したんだぞ?
「ちょっと!!」
 そこに来たのは早川だった。早川は、購買で買ったであろうパンを机に置いて鬼気迫る勢いで近づいていく。微妙にタイミングが悪い。まあいいや。
「深山君に何してんの!そういうのよくないよ!」
「お!本人登場!おい、深山!さっさと言っちゃえよ!」
「お、おい。藤川」
 太田が、俺に何かを言おうとするが関係なく続ける。
「ほら、立てよ。クラスのみんなで応援してんだからー」
「藤川!」
 早川は怒鳴った。怒らせたのだ。最高にいい顔をしていると思った。
 だけど、深山は俺から離れて、何もなかったように机にぶつかった衝撃で落ちた自分の弁当の食材を弁当に戻してから、教室を出て行った。
 ふざけんなよ。せめて、痛みに歪んだ顔を見せてくれればいいものを。
 その日の夜、制服のポケットにあるダーツの矢を自分の机に置くと、震えた。それは、自分に対する怒りだった。
 ダーツの矢で刺したのは、短いもの。制服くらいなら貫通しても肌にはほぼ影響のないものを選んでいたはずだった。なのに、そこに置いてあるのは長い矢の方に血がついていた。
 気を失うかと思った。誤算だった。
 なのに、なぜあいつはあれだけ表情を変えることがなかったのか。あんなの痛いに決まってる。
 俺は、その日以降、深山に暴力はやめた。そもそも、俺の性分に合わない。俺は中学時代まで楽しむと言えば言葉だった。力を使って攻撃なんてしていない。引っ越したあいつにだって力は使わなかった。言葉だけだった。
 深山もそれで行ける。そのはずだ。いつの間にか、道を逸れていたんだ。ここで軌道修正で来てよかった。深山とはもっと楽しみたい。まだ、楽しいことは一つもできていないじゃないか。ここでくたばってもらっては困る。
 だけど、その日以降、深山は4限が終わるとすぐに教室を出て行ってしまう。それが、終業式まで続いた。
 最悪だった。楽しいことは全然だ。少しくらい遊べたんじゃないかと思っても表情が変わらないから何も成しえた気がしたない。
 ならば、二学期だ。二学期に入ればもっと楽しめる。一学期とは一風変わった遊びでもしようじゃないか。
 二学期始業式。俺たちのクラスは残された。ふざけたこと言えば、近くにいたやつらは笑った。まだ、俺に笑いのセンスはあるようだ。
 担任、副担任、学年主任、校長。俺は、そのメンツを見て、ただ事じゃないと察した。なぜなら、深山も早川もいないのだ。
「八月三十一日。深山海利が自殺を図った。病院で一命をとりとめたらしいが、意識は戻ってない」
 担任の話に俺は、少し興奮した。俺から盛り上げる前に、深山が先に盛り上げてくれたのだ。エンターテイナーじゃないか。一命をとりとめたのなら、またクラスに来るはずだ。その時は、大歓迎してやろう。
 ……楽しい。これからが楽しみじゃないか!
 ただ、中野は違った。吐きそうな顔して教室を飛び出したのだ。
「お前らには、このあと警察からの事情聴取に参加してもらう。本来、学校で方針を固めるんだが、自殺未遂だ。それに、色々話は聞いている。警察に協力してもらうことにした。最悪、この中で逮捕者が出るかもな」
 担任はそう脅すと、校長にバトンを渡した。
 校長が話し終わるころ、警察が来て、近くの席の人から、前の席が中野で今はおらず、その後ろが深山なので深山の後ろの人からすぐに事情聴取が始まった。学校のどこかを使うみたいで個室が2部屋あって二人づつの流れになった。だけど、俺たちは教室にいることができず、裏で動かれないようにと教室では警察が二人、担任、副担任、学年主任が見張っていた。
 俺の出番になった。事情聴取の席は、生徒指導室だった。初めて行く場所だ、と呑気に考えていた。
 生徒指導室に入ると、まるで雰囲気が違った。俺はその時、初めて楽しいことが始まると思った。